第101話 ラッカと子ネズミ

 舌をチョロチョロっと、出し入れしていると、今日もエボニの香りがただよってきた。


 私はあごを木の床につけ、音を聞く。

 ガチャガチャ、ガチャガチャ。


 いつもなら、真っ先に酒に飛びつく彼だが、今日は何か別の事をしているようだった。


 私は身をくねらせ、彼の下に向かう。

 彼を捕食する為に。


「な~はっはっはっは!待っていたぞ!ラッカ!」

 静かに近寄る私にも慣れたのか、彼の方から先に声を掛けてくる。


 声の方向を見上げてみれば、板で作られた坂の上、球に乗ったエボニの姿があった。

 仁王立ちをした彼の表情は、どこか自慢気で、気に障る。


「この大玉でお前をひき潰して!うわっ!」

 球の上で、暴れたせいで、エボニが球ごと、転がり落ちてくる。


 暫くは球の上で愉快な走りを見せていたエボニ。

 しかし、直ぐに球の回転に負け、球の進行方向、前方へと振り落とされてしまった。


「うわぁあああああ!!」

 球にひき潰されそうになる彼。

 私は咄嗟に尻尾で、その球を受け流すと、彼の無事を確認する。


「シャァ…」

 安堵の息をつく私。


 そんな私を驚いたような表情で、彼は見つめていた。

 多分、今の私の表情も、彼のそれと同じだろう。


 私はどうしてよいか分からずに、「シャー!」と大きく口を開け、彼を威嚇いかくした。

 すると、飛び起きた彼は、走って巣穴の方へ帰って行く。


 一人残される私。

 えさが逃げて行った方向を、ぼんやりとながめる。


 そうだ。彼は私にとっての餌だ。

 これまで私は彼と同じ、小さな毛玉たちを、数えきれない程食べて来た。

 腹が減れば同族だって食べて来たのだ。

 それを疑問に思う事は無く、ただ、そう言うものだ。と思って生きて来た。


 しかし、言葉の通じる彼に出会ってからは、どうしても考えてしまうのだ。

 食べられる者の気持ちを。

 食べてしまった者達の事を。


 だから、私は彼を食べなければならない。

 そうしなければ、食事ができなくなってしまう。

 彼さえ食べられれば、他の者を食らう事なんて、造作もないはずなのに…。


 私は体をにょろにょろと伸ばして、酒樽の中に頭を突っ込む。

 これをんでいる間は空腹をまぎらわせられるのだ。

 …それに難しい事を考えないで済む。


 ゴク、ゴク、ゴク。

 ほら、もう意識がぼやけて来た。


 グビ、グビ、グビ。

 あと少し、あと少しで…。


 私は浴びるように酒を飲むと、誘われるがまま、微睡の中へ沈む。


 意識を失う寸前、こちらを見つめるエボニの姿が見えて気がした。

 私の罪悪感が、到頭とうとうまぼろしを見せ始めたらしい。

 結局、どこまで行っても、逃げきる事などできない、という事か…。


 あぁ、これはとびっきりの悪夢を見る事になりそうだ。


 私はもやもやとした気持ちのまま、ゆっくりと目を閉じる。


 無知なあの日に戻れたら。

 そう願いながら。

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