第89話 リリーとわがまま

 皆が寝静まった夜。

 私は布団から身を起こした。


 雨戸のしまった部屋は真っ暗闇。

 辺りを探るように手を伸ばすと、コツンと硬い感触が指先に触れる。


 私は手探りで、それが目的の物だと確認すると、かぶさっていた布を引いた。


 次の瞬間、光雨避け草が発するあわい光が部屋にこぼれる。

 その光はとても弱々しいもので、今にも闇にまれてしまいそうだった。


 小さな体で必死に闇を払う様子は、コランさんと重なって映る。

 彼女が居なければ、私はうの昔にあの闇に呑まれていただろう。


 コランさんは絶対に私を守ってくれる。

 それは、きっと、これからも変わらないだろう。

 仮令たとえ、その身を犠牲にしたとしてもだ。


 そんな事を私が許すとでも思っているのだろうか?


 雨避け草の淡い光が、コランさんのだらしのない顔を照らし出す。

 昼間のやり取りで、完全に油断しているようだった。


 私はあまりに間抜けなその表情に、クスリとしてしまう。


「本当に、コランはおバカさんですね」

 こんな寒い時期にお腹を出して寝ていては風邪をひいてしまう。

 私は彼女の乱れた寝間着を整え、蹴って、下の方に移動した掛け布団を、再度、彼女の上にかけ直した。


 今の私にしてあげられる事は、この程度しかない。

 それでも良いとコランさんは言うのだろうが、私自身が納得できない。


 そう、これは私の我儘わがままなのだ。

 それでも、私は我儘に生きると決めたのである。


「…どっちが本当のおバカさんなんでしょうね」

 私は彼女に顔を近づけると、表情を隠す髪をかき上げる。

 フワッと、優しい、落ち着く香りが私を包み込んだ。


 何時から私は彼女を警戒しなくなったのだろう。

 何時からこれ程にも、彼女といて安心するようになったのだろう。

 何時から、守りたいと思うようになったのだろう…。


 そんな事を考えつつ、私は魔材の入ったメグルの腰かけポーチを手に取る。

 これで、お姉ちゃんはこちら側に来ることもできなければ、私を見つける事も困難になるだろう。


 代わりと言っては何だが、私はお姉ちゃんの写本の上に、メグルから貰った、大切なペンダントを置いた。


 お姉ちゃんを守ってくれますように…。なんていうのは言い訳なのかな。


 これは私の罪悪感。

 それに、汚い私をメグルに見られている気がして嫌なのだ。


 だから、私の全てをここに置いて行く。

 次に二人にあった時に、私が帰ってこれるように。

 そして、私がこれからを躊躇ためらわない為に。


「行ってきます。お姉ちゃん」

 私は、彼女の頬に軽く口づけをした。

 お姉ちゃんはその事に気づく様子もなく、だらしない表情を続ける。


「はぁ…」

 最後の最後まで、しまりの付かない姉である。

 私の事でりたら、もう少し人を疑う事を覚えてくれるだろうか?


 無防備なおでこにデコピンをすると、彼女は顔をしかめた。


 そうだそうだ。もっと痛い目を見ろ。

 私がこんなに悩んでいると言うのに、一人だけ幸せそうな顔をしやがって。

 …そして、もっと強くなって。自分の幸せをつかみ取れるぐらいに。


 雨戸を開くと、冬の冷たい空気が流れ込んでくる。

 それでも闇夜を照らす月の輝きは何処までも強く、暖かかった。


「強くなってね」

 彼女の笑顔は闇夜の中へ消えて行く。


 コランは流れ込む冷たい空気に、悲しそうな顔をした。

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