第56話 カーネと過去

「このクソガキが!」

 父が私を殴る。

 如何どうやら私の目が気に入らなかったらしい。


「どうして?どうして貴方はそんな髪の色なの?」

 母が泣きながら私の髪を引っ張る。泣きたいのは私なのに。


「おい!見ろよ!悪魔の使いだぜ!」

「こっちくな!悪魔め!」

 村の子どもたちが私に石を投げる。何故そんな事をするの?


 痛い。痛い。皆が痛い事をする。

 私は何にも悪い事なんてしてないのに。


「くそぅ…。なんでこうも上手くいかねぇんだ…」

 その日も父は朝からお酒を飲んでいた。

 外に出る事を許されていない私は、部屋の隅で丸くなり、父の癇癪かんしゃくおびえている。

 いつも通りの日常だった。


「なんだその目は?」

 父さん方など見てもいないのに、言い掛かりをつけられる。


「ごめんなさい!ごめんなさい!」

 私はそれでも必死に謝った。

 そうするしかなかったから。そうする以外の方法を知らなかったから。


 しかし、その日は一段と父の機嫌が悪く、私は酒瓶さかびんこぶしで何度も殴られた。


「あ」

 とうとう私はあまりの痛みに我慢しきれず、父の腕を払いのけてしまった。

 父は酒に酔っていたせいもあり、それだけでバランスを崩して倒れてしまう。


 それを見た私は戦慄せんりつした。

 起き上がった父から振るわれるであろう暴力を想像して。


「ごめんなさい!ごめんなさい!」

 私は怯えながらも床に頭をこすり付けて謝る。

 当時の私には本当にそれしかなかったのだ。

 そう、この日までは。


「…あ、れ?」

 いつまでっても振るわれる事のない暴力を疑問に思い、私は顔を上げた。


 父は倒れたままだった。…もう動かなかった。

 その時私は知ったのだ。こうすればよかったのだと。


 悪い事をしなくても、痛い事をされるなら、悪い事をして、痛い事をされても同じだ。


 それに、痛い事をしてくる相手を殺してしまえば、それだけで痛い思いをせずに済む。


 気まぐれに、父の顔を覗き込んでみれば、驚いたような表情のまま死んでいた。

 まるで、非力な私に抵抗されるなんて、夢にも思わなかったような表情だ。


 …これは使えると思った。

 きっと母も私に油断しているはず…。


 その時、私の心は妙に軽くなった。

 そうと決まれば準備あるのみだ。


 玄関の前に酒瓶を散らばす。

 後は玄関にある棚の上に私が登って…。


 母が帰ってきたのを確認すると、酒瓶を持った私はその上に飛び降りた。


「な、なに?!」

 残念な事に私が放った渾身こんしんの一撃は外れてしまったが、うろたえた母は酒瓶に足を取られた。


 バランスを崩した母に追い打ちをかける様に飛び掛かる。

 それだけで、母は床に倒れた。


「この悪魔め!何をするの!」

 床に転がった母の頭は私の身長より下にあった。

 これなら…いける。


「え?!ちょ、ちょっと待って!何をするきぃ?!」

 母の言葉を聞き終える前に、私は酒瓶を振り下ろした。

 一発では足りない。何度も何度も。


 割れた酒瓶は投げ捨て、すぐにそばに落ちている酒瓶を拾い直す。

 そうして、念入りに母の顔を潰していった。


「はぁ、はぁ。……ふぅ」

 流石さすがに息が切れた私は、動かなくなった母を見て安堵あんどの息を吐いた。


 今までにない感情。

 今思えば達成感だったのかもしれない。

 私は安心感と、気持ちの良い疲労で、眠たくなる。


 その日は床ではなく、父と母のベッドで眠った。

 怯える必要もない。好きな物も食べられる。

 とても幸せな夜だった。


 私はしばらくその家に潜伏せんぷくしたが、気づかれるのも時間の問題だと、タイミングを見計らって村を出た。


 その後の私は大きな町のスラム街に流れ着き、そこでしいたげられていたリリーと出会う事になるのだが、どうやら私はもう目覚めなければいけないらしい。



「あぁ」

 声を出して目を開ければ、そこには血の海が広がっていた。

 燃え盛る炎が、赤い海に反射する。とても美しい光景。


 立ち上がり、辺りを見回せばもう黒い少女も牙獣のペアも見当たらなくなっていた。


 私はてのひらに意識を集中させると、火の球を生み出す。


 これは彼女からのプレゼントのようだった。

 体にみょうな模様のあざができているが、そんなものはこの力を与えてくれた事と比べれば些細ささいな物だった。


「バイバイ」

 私は村人達の死体に向かって火を放つ。


 その言葉は村人に向けて言った言葉なのか、はたまたこの村で育った自分自身に向けた言葉のか。


 心なしか胸が苦しくなったのは、私がリリーを探す為、走り始めたせいだろう。

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