第55話 カーネとヤミ

 私はカクタスが居なくなったのを見計みはからい、森に向かってける。

 世界どうこうの前に、まずはリリーを助けなければならない。

 話はそれからだった。


「ちょっと、カーネちゃん!どこ行くの?!」

 酒屋のおばさんが村人の集団から離れる私を見て声を掛けて来た。

 それにより、こちらに全く気付いていなかった村人たちの視線までもが、こちらを向く。


 このおよんで、まだこの世界は私の邪魔をしようと言うのか。鬱陶うっとうしい。


「妹がまだ帰ってきていないんです!探しに行かないと!」

 私は心の中でくすぶる黒をおおい隠し、懇願こんがんするような表情で皆にうったえかけた。


「カーネちゃん。気持ちは分かるが、今は夜だ。それにカクタスさんもいる。それでも見つからなかったら、明日、明るいうちに皆で探しに行こうな」

 隣のおじさんが私をなだめる様な口調でそんな事を言い始めた。

 まるで自分達が正しいかのように。


 その間にリリーに何かあったらどうするんだ!

 他人事だからそんな悠長ゆうちょうな事が言えるんだ!


 私はそう叫びたくなった。

 しかし、そうしなかったのは、周囲の人々の視線が、おじさんと同じものであったからに他ならない。


 やはりこの世界は狂っている。

 そんなものに構って時間を浪費ろうひした私が馬鹿だった。


 …どこか期待していたのだろうか?皆が一緒に探してくれることに。

 …馬鹿馬鹿しい。リリーが待っている。もう行かなくては。


 私は背を向け、駆け出す。


「カーネーちゃん!」

 しかし、大人はその力で私に追いつき、拘束する。


「やめて!はなして!リリーを!リリーを助けに行かないと!」

 私は拘束を解こうと、必死にもがいた。

 しかし、それすらも、大人の力の前にねじせられてしまう。


「いい加減にしなさいカーネちゃん!我儘わがままばっかり言っているとカクタスさんに言いつかるからね!」


 そんな事はどうでも良い。

 もうあんな奴の下へ帰るつもりもないし、今後一切会う予定もない。


「誰か!助けて!」

 私の叫びに呼応するかのように、背後で村人たちの悲鳴が上がった。


 私を拘束していた村人もそちらに気を取られ、拘束が緩くなる。

 私はその瞬間を見逃さずに、相手を蹴って拘束から抜け出した。


「あ!ちょっと、カーネちゃ」

 そこまで口に出した村人の声が途切れた。


 その代わりと言っては何だが、ブチブチブチと、肉を引き千切ちぎる様な音が聞こえてくる。


 私はその異変にたまらず振り返った。

 丁度その時、私の顔に生暖かい何かが掛かる。


「いや!」

 私は咄嗟とっさそでで顔をぬぐった。

 鉄のような匂いと、ぬめぬめした暖かい感触が顔面をう。


 目を開け、真っ赤に染まった袖と、辺りの惨状さんじょうを見ればこれが何かは一目瞭然いちもくりょうぜんだった。


 …あぁ、これは血だ。

 何故すぐに気が付かなかったのだろう。

 昔は慣れ親しみ、最も警戒した物の一つだったはずなのに。


「グルルルルゥ」

 目の前には村人の返り血を一杯に浴びた二匹の牙獣が立っていた。


「はははっ」

 自然と笑いが零れる。


 の匂いもぎ分けられなくなった私は丁度良い末路かも知れない。

 力のない私は彼らを振り払う事などできないのだから。


「…」

 私の覚悟とは裏腹に、牙獣達は襲ってこなかった。

 私など殺す価値もないと言うのだろうか。


 しかし如何やらそうではないらしい。

 私の前に霧のような、黒い何かが集まり始めたのを見れば、それは一目瞭然だった。


 しかし、我ながら殺す価値がないとは笑える。

 一度、対峙たいじした相手は、生かす価値のない限り殺すのが鉄則てっそくだろう。

 本当にどこまでも私の頭は腐ってしまっているようだった。


 しかし、生かす価値があると言うのであれば身を任せよう。

 どんなに正義を叫ぼうとも、どんなに優しくあろうとも、死んでしまってはどうにもならない。

 私はそれを良く知っている。


 私は大人しくその場に立ち尽くしていると、目の前に少女が現れた。

 色は黒一色。

 顔は無く、辛うじて長い髪から少女であると憶測おくそくする事しかできなかった。


 彼女はゆっくりとその小さなてのひらを私に伸ばす。

 しかし、それだけの行為で私は今までに感じた事がないほどの恐怖を感じた。


 私は彼女が怖い。

 逆らえば殺されるよりも恐ろしい事が待っている。そう思えた。


「あ」


 少女の手が私に触れる。そこで私の意識は途絶とだえた。

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