第25話

 今日は快晴。

 競竜場の客の入りも良く、活気に溢れている。

 なによりも竜も元気に吠えている。

 絶好の写生日和だ。


「お嬢ちゃん、競竜のドラゴンなんか描いて面白いかい」

「ああ、最高だ」

「普通は天竜とか、もっとありがたいもんを描くんじゃねえの?

 どこにでもいる竜なんざ絵にならないだろう。買う奴いるのか?」

「普通なんざ知らん。客じゃないなら邪魔だ」

「なんだとゥ!?」


 ……私の邪魔をする奴がいなければ、だが。


 なんだこの酔っ払いは。

 私なんかじゃなくて竜を見ろ、竜を。

 いらついた酔っ払いは私にあーだこーだ言ってるようだが、とにかく無視だ。

 今このレースを走る竜は、この瞬間にしかないのだ。

 竜の寿命は馬よりは長いが、それでも現役で居られる時間は短い。

 ドラゴンオーナーは竜騎士団の重鎮であることが多く、戦争や魔物退治に竜を駆り出されることは多い。

 竜を走らせるのは竜を遊ばせず適度に実戦的な訓練をさせることが目的で、賭けそのものは副産物なのだそうだ。最近は手段と目的は逆転してるにしても、オーナーの都合で引退や長期の不在となることには変わりは無い。だから、今目の前に居る竜は、今しか居ない。そういう気持ちで、絵を描いている。


 私、エレナ=スティールは競竜が好きだった。

 別に金を賭けるのが好きというわけじゃない。

 純粋に走る竜が好きなだけだ。

 絵を買いたいという好事家がたまにいるので売っているが、別に画家として大成したいわけじゃない。

 私はただひたすらに、走っている竜を長く記憶に留めたいだけだ。

 たとえば私の今のお気に入りはブルーチャリオッツだ。

 あの竜の青く輝く鱗のなんと素晴らしいことか。

 乾いた夏の空でも清々しく煌めいている。

 ただの美術品ならともかく、あれは生きて動いているのだ。

 それも、日々を生きるために走り回ってるわけではない。

 生存競争でもなく、戦争や殺し合いでもない。

 ただ一番速い竜を決めるという、正々堂々とした勝負をしている。

 殺伐として無味乾燥な日々を送る私が生まれて初めて「美しさ」というものに心を打たれた。

 それ以来、私は競竜の絵を描いている。

 私の抱いた感動を形にしたくて。


「なんだこの女、声かけてやったってのによぉ!」


 だが、何故かときどき、私のそんなささやかな願いさえも邪魔する阿呆が現れる。

 こんな風に、画材の入った鞄を蹴り飛ばす阿呆が。


「なんだぁ手前……?」

「おっ、やる気かぁ女だてらに……」

「ちょっと黙れ」

「むぐっ!!??」


 隙だらけの口を私の右手が塞ぐ。

 私にとって絵描きは趣味であり人生だ。

 だが私が日々を生きるための卑しい仕事は……


「ふごっ、ふががが……!?」

「抵抗して良いぞ、できるもんならな」


 格闘術だ。

 これでも徒手空拳で10年近く迷宮を探索し、魔物を打ち破ってきた。

 酔っ払いは私の腕を掴み剥がそうとする。

 だが、真面目に鍛えてもいないただの男に、手刀でオークを殺せる私の腕力に敵うはずもない。


「せいやっ!」


 酔っ払いを投げ飛ばす。

 ようやく静かになった……はぁ、筆もパレットも地べたに転がった。

 拾わなくては。


「おい、何してる!」


 だがそのあたりで騒ぎを聞きつけた警備の騎士達がやってきた。

 まったく、仕事が遅い。


「あー、ちょっと酔っ払いがな……」

「やかましい! こっち来い!」

「お、おい。何を勘違いしてるんだ。私は被害者だぞ!」

「何度も何度も騒ぎを起こしやがって! ドラゴンスレイヤーと思って甘く見てたが営業妨害だ、出て行け!」



「くそっ!」


 5人くらい投げ飛ばしたあたりで応援を呼ばれて、人海戦術で追い出された。本気で抵抗しても良かったが、そうなるとレース自体を妨害しかねないし何より職員をねじり殺しかねない。こっちが遠慮して手加減してやったというのに、もう二度と来るなと啖呵を切られた。


「エレナ、お前さんもうちょっと落ち着きなよ……」

「うるさい! 親父、もう一杯だ!」

「格安で用心棒してくれるのはありがたいんだけど、それじゃ嫁のもらい手どころか仕事だって無くなっちまうだろう。……ていうか用心棒するんだから泥酔されちゃ困るんだが」


 酒場の親父が訳知り顔で呟く。

 だがそれでも律儀にエールを注いでくれた。

 一息で飲み干す。


「大丈夫だ、正体をなくすほど馬鹿じゃない」


 酒には強い。

 樽一杯ほど飲めば流石に足下がふらつくこともあるが、それでも転倒したりケンカで不覚を取ったこともない。


「それが信じられないんだよな……どんだけザルなんだか」

「うるさい! そんなことより……!」

「競竜が見られない。それが問題ということですかな?」


 と、後ろから声を掛けられた。


「んん? 誰だ、お前」


 背後に居たのは、見慣れない男だった。

 その後ろには魔法使いらしき少女がいる。


「お客さん、ここは身分の高い人に出せるような酒も飯もありませんぜ」

「いえいえ、全然構いませんよ。

 特別扱いもされなくて結構でございます」

「それなら構わねえがよ……」

「とりあえず二人分の酒と食事をお願いします」


 店長はそれを聞いてエール、そして山羊の臓物とクズ野菜の煮込みを用意し始めた。ここは様々なメニューがあるような今時の店じゃない。その日その日で適当に料理を作って酒と一緒に出すだけの貧乏人向けの店だ。

 安さにつられてたまにゴロツキも来る。私はさほど金に困ってはいないが、高い店でのマナーなど知らない。こういう店の方が気楽だった。


「……で、競竜がなんだ?」


 男をじろりとねめつける。

 だが、男はさほど怯えた様子もなく話を始めた。

 良い度胸だ。


「競竜場から締め出されたのでしょう。

 運営の人に口利きしましょうか?」

「なんだと?」

「競竜の運営はあなたに悪意があるわけじゃありませんよ。まあ職員個々人は個人的な恨みはあるかもしれませんが、あくまで規則にしたがって動いているだけです。話し合いの余地は十分あります」

「ったく、なんであいつらはそう頑固なんだ。役所でもないのに役所仕事過ぎる」


 テーブルをだんと叩く。

 男の方は動じていないが、女の方は軽く驚いたらしく「ひっ」と声を漏らした。


「……で、口利きとか言うが本当か?騙そうとしてるんじゃなかろうな」

「まさか。そもそも騎士達に袖の下を渡して頭を下げていればあなただって見逃してもらえましたよ。ようは彼らと交渉すれば良いんです」

「苦手なんだよそういう面倒くさい話は! 酔っ払いだって勝手に突っかかってくる! どうにかできるとでも言うのか!」

「やりましょう」

「へ?」

「あなたの代わりに交渉しましょう。酔っ払いの邪魔が入らないように配慮もします」

「……何が目当てだ? 腕には自信があるが、ダンジョンに潜りたいなら冒険者ギルドに当たれ」

「いえ、違います」

「それじゃあなんだ……?」

「あなたの絵が目的なのです。私達のために、竜の絵を描いてほしい」

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