11 明星薫

「薫さん! 薫さん! 薫さん!」


 呼ぶのが気恥ずかしかったはずの名前を必死に呼びながら、ブルーは教室へと駆け込んだ。変身を解く。


 そこには誰もいなかった。


「そんな……嘘だろ」


 掃除の途中だったのか箒は出しっぱなしで机も元に戻ってなかった。


 だったものが来て逃げたのか、それともすでにだったものになってしまったのか、後者は考えたくもなかった。


 呆然と立ち尽くしていると、


 ガタッ、何かが揺れた。


 旭が周囲を見渡すと、掃除道具を入れている鉄製の縦に細長いロッカーが揺れたことに気づいた。


 ゆっくりと慎重に開ける。


 誰かがだったものを閉じ込めたのかもしれないからだ。


 扉に手をかけ、一気に引いて、跳ぶように下がる。


「よかった」


 いたのは薫だった。


「何かうめき声が聞こえたので急いでここに逃げ込んだのはよかったんですが、開かなくなってしまって」


「なんにせよ、無事でよかった」


「何があったんですか、その……バグリウイルスとか?」


「分からない。ゾンビって言ったらいいのかな。バグリウイルスだとしてもこんな大規模なのはなかった」


 ぎゅっと手を握って明は「とにかく行こう」薫を引っ張って教室を出る。


「あの、どこにですか? 体育館? 先生の連絡を待ったほうが……」


 とはいえ薫は拒む様子は見受けられなかった。


「基地。アプリレンジャーの基地だ。あそこが安全だから」


「他のみんなは?」


「分からない。できれば助けたいけど……助けられない人もいる」


 以前のアプリブルーであるならば全てを助けると断言しただろう。それが不可能だとしても。


 けれど今のアプリブルーは川藤陽子を喪っている。


 片思いだったけれど、それでもヒーローになった根幹をぽきりと折られている。


 一番守りたかったものを守れなかった時点で、アプリブルーはある意味で現実を知った。


 バグリウイルスとの戦いの人的被害がなかったのも拍車をかけていた。


 悔しさを滲ませた言葉を吐いた旭の手が強く握られた。薫の手を握った手が。


 痛みを通じて、旭の言葉の重みが薫に伝わっていた。


「新命くん。私たちにそんな力はないよ?」


 薫は旭がアプリレンジャーであることは知らない。


 それでもその悔しさが本物だと通じて、励まそうとそう告げた。


 旭は逆に悲しそうな表情になって


「僕には、あるんだ。あったんだ。それでも守れなかった」


 守れなかった、弱弱しく言うものだから薫もまたどうしてか悲しくなって何も言えなくなった。


「ごめん。行こう」


 強く握っていた手を弱めて、旭は薫の手を引いていく。


 がすぐに行き詰まる。だったものの数が増えているような気がした。


 変身してしまえば容易く進めるが、助けられないことが尾を引いて、変身できずにいた。


「引き返しますか?」


 さすがに薫もこのままでは進めない、と理解したのかそう尋ねた。


 そんなときだった、


「いや……ちょっと待って」


 様子を伺っていた旭たちの目の前で、だったものの頭に鉄の棒のようなものが突き刺さり、崩れ落ちた。


「何が……」


「あれは嵐山さん?」


「と谷輪?」


 裕次郎が先導して凛が進む様子を、旭と薫はふたりして観察していた。


「もうすぐ教室だよ。絶対に新命クンと松山サンのふたりはいるはずさ」


 凛と裕次郎の会話が聞こえてきた。


「いればいいけれど」


 裕次郎は当初、さっさと学校を抜け出して基地を目指そうとしていた。


 裕次郎はアプリレンジャーのふたり旭とペギーがすでに下校しており、基地へと向かっていると判断していた。


 が凛にアプリレンジャーのふたりの名前を伝えたところ、凛がこんなことを言い出した。


「ふたりが掃除当番で、さぼるような人間ではないからまだ教室か学校にいる。確かめてからでも遅くない」と。


 危機対策としては下策ではないかと思った裕次郎だが、凛のような美人に言われてしまえば否定ができないのが裕次郎の弱みだろうか。


 自分の思い描いていた基地へ直行という方針を切り替えて、旭たちがいるだろう教室を目指していた。


 旭が接近のチャンスをうかがっていると、


「凛ちゃん」


 薫が先に飛び出していく。


「ああ、薫サン。キミは無事だったか」


「旭くんも、旭くんもいるよ」


「新命クンも? どうだい、裕次郎クン。やっぱり彼らはいただろう?」


「ああ」


 むしろ、いたことに裕次郎は驚いていた。


「松山サンは一緒じゃないのかい?」


「ええとペギーは……」


「あーしはここ」


 後ろからペギーが現れる。アプリピンクの状態で屋上に跳んでから回り込んできたのだ。


「おお。松山サンも。ほら見たか、裕次郎クン。ふたりとも掃除を真面目にやっていたみたいだよ」


「いや、こんな状況で真面目にはしてないし。凛ちゃん、ちょっとそこんとこ抜けてね?」


 同じクラスだが凛とあんまり喋ったことのないペギーだが、それでも人見知りはしない。


「ぬっ、そうかい」


「ってか凛ちゃんと、そっちの子、ええと」


「裕次郎クンかい?」


「そそ、珍しい組み合わせだね」


「そうかい? 裕次郎クンは危機対策研究会だよ。こんなときに頼らないほうがどうかしてる」


「危機……? なんて? まあいいや。それでなんでここに?」


「松山サンと新命クンを探しに来たんだよ」


「僕たちを?」


「ああ裕次郎クンがキミたちがアプリレンジャーだというからね、助けてもらいに来たんだよ」


 さらりと言ってしまう凛に旭とペギーは呆然としていた。


 あまり口外しないという約束を、もちろん口約束で、善意を信じるという形式をとってはいるが、さらりと裕次郎は喋ってしまっていた。


「まあ、こういう事態だししゃーなし?」


 乾いた笑いとともにペギーは旭を見た。


「僕はあんまり頼りにしてほしくない」


「何かあったのかい?」


 悲しげな表情を読み取って凛が問う。


「答えたくはない」


「好きな子が死んで拗ねてるだけだし」


「拗ねてなんか……ない。僕が殺したんだよ。その子の日常を守るって決めておいて、僕が。だから僕が守り切れる保証はなんてない」


「守れとは言わない。嵐山さんは助けてもらいにきた、というけれど俺はアプリレンジャーを利用しにきた。基地に逃げるとしても関係者が優先された場合に有利だろう。俺は一パーセントでも生存率を上げたい」


「私も確かに助けてもらいにきたというが、それは自分の身ではないよ。今後、逃げる場面において誰かを手助けする可能性もある。迷子を拾うかもしれない。そのときに自分の身を守れない人たちを守ってほしいんだよ」


「凛ちゃん、それ説得になってる? でもあーしも思うよ、好きな子を守れなかった分、ほかの人を守るしかないって。正直、薫ちゃんなんかは守ってもらわないと基地までたどり着けない感じあるし」


 失礼を承知でペギーは薫を例に出した。


「確かに」


 薫は苦笑い。それでもそういう形で言葉を受けた薫はバトンを引き継ぐかのようにこう続けた。


「ね、新命くん。今度は私を守ってくれない? 私を。たぶん、今私がこうしてここに生きていられるのも新命くんが来てくれたからだから」


「ここで投げだしたら無責任だし」


「……確かに。わかったよ。とりあえず薫さんは守る。守ってみせる」


「ならとりあえずこの五人で校外を目指そう。生存者はできうる限り救っていく方針で」


 凛の凛とした声で五人は動き出す。


 わずかだが旭も元気が出たようだった。


「ごめんね、出汁に使ったみたいで」


「ううん。私も新命くんには元気になってほしかったからいいの」


「そっか」


 ニコリとペギーは笑う。


「でも負けないよ」


 ペギーが前へと進むなか、後ろについていく薫は誰にも聞こえぬぐらい小さく呟いた。

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