9 アプリブルー

「OK、ククル。電池の残量は?」


 旭がスマホに向かって話しかける。


『残量ハ95%デス』


 旭のスマホが声に反応して答える。


「ちょっと早く行きたいのはわかるけど変身する気?」


「ダメかな?」


「ダメとはいいがたいけど、まだ何が起こってるかわかってないのよ?」


「それはそうだけど」


 ペギーの指摘に旭はわずかに逡巡する。


 確かに電力消費量の多い変身システムをそう易々と使うわけにはいかない。……が旭たちの教室、二年一組は三階にあって体育館までは距離がある。


 躊躇いは一瞬。変身するのをやめて旭は階段を駆け下りる。


 一階に降りたら廊下は右に直進。渡り廊下を渡れば体育館がある。


 その途中、横切る生徒と視線が合う。


 ちらりと見たその姿はどこか猫背気味でふらふらと歩いていた。


 視線が合って、旭とペギーは立ち止まる。


「そんな……? ゾンビ……?」


 見知った生徒ではなかったが、一目見てそう呟くしかなかった。外れた顎がとろけるチーズのように溶けて爛れていた。


「ゾンビバグリは倒したはずよね」


「うん、被害は一切出さずに倒した。作戦は成功した」


「ゾンビだけに生き返ったとか?」


「それは……なんとも言い切れないけど」


 長く考察している暇はなかった。


 視線があった、生徒だったものが旭たちに向かってきた。


「倒してしまっていいのかな?」


 感染しているのは五連高校の生徒だ。もしゾンビバグリが生きていて、生徒をゾンビ化させたのなら、ゾンビバグリを倒せば元に戻る可能性だった。


「レッドならすべて救うってしょい込んじゃいそうだけど、あんたには今確認したいことがある。だったらそっちを優先すべきよ」


「だよねえ」


 納得するように頷いて、旭はスマホを構える。ペギーもスマホを胸ポケットから取り出していた。


「OK、ククル。変身準備だ」


「ハロー、フウヤ。変身準備お願いね」


『了解シマシタ』


『カシコマリマシタ』


 旭とペギーのスマホからそれぞれ異なる無機質な音声が流れる。


 ふたりのスマホには音声に反応する人工知能が埋め込まれていた。


 同時にふたりへと光が掃射。掃射されて光に包まれるとふたりの体に密着するように全身タイツが張りついた。


 これは特殊加工のタイツで、衝撃や爆発など様々なものに耐えれる耐久性を備えていた。


 旭は青色のタイツ、ペギーは桃色のタイツ。


 思春期の少年少女が着るには少し恥ずかしいが、慣れた二人にはもうその羞恥はなかった。


 続いて、スマホが肥大化し、フルフェイスマスクに変貌。顔を覆うようにふたりに被さった。


「OK。ククル。変身完了」


「ハロー、フウヤ。変身完了よ」


 マスク裏に出た『OK?』というナビゲーションにふたりはそう語る。


 新命旭と松山真珠はそれぞれアプリブルーとアプリピンクだった。


 ふたりはとある理由からアプリレンジャーとなり、日夜この新東京特区に出現するバグリウイルスと戦っていた。


 バグリウイルスの目的は、新東京特区を制圧し、次に日本、あわよくば世界を征服しようとする悪の集団だ。


 その総統バグッテルはスマホのアプリに特殊なウイルスを流し込んでアプリを具現化し、悪意に満ちたアプリ――通称バグリを使って人々を恐怖のどん底に陥れていた。


 旭とペギーは日夜アプリレンジャーとしてバグリと戦っているのだった。


 バグリとの戦いも幹部を残すだけとなり本拠地も見つけていた。


 その最終決戦に向けての休息日が今日だったのだが、その今日に限って不測の事態が起こっていた。


「行こう」


 目前まで迫った生徒だったものを容易く跳ね除けて旭とペギーは駆け抜けていく。


 生徒だったものがどうなったかはあえて確認しなかった。


「OK。ククル。博士からの連絡は?」


「現在アリマセン。通話中ノヨウデス」


「イエローやレッドに先に連絡してるのかも」


「か、博士も把握できてないのか。OK。ククル。電話が来たら最優先でお願い。それと今の残量は?」


『了解シマシタ。ナオ、残量ハ85%デス』


 変身には10%の電力を消費する。分かり切っていることだが旭は常に確認を欠かさない。


 旭はいざというときに変身できないという事態を回避したいと考えていた。


 渡り廊下を抜ける際にもだったものがたくさんいた。


 悲鳴が聞こえてからそんなに時間があったようには思えないが、爆発的に増えたような印象を受ける。


 押しのけて、ふたりは廊下を抜けて体育館へと抜け出る。


 苦戦という苦戦はなかった。


「助けてくれえ」


 すでに噛まれた生徒が、アプリレンジャーを見て叫ぶ。


 見捨てることはできなかった。


 生徒だったものを跳ね除けて救出する。


「助かった……ありがとうありがとう」


 体を震わせてしがみついてその生徒はお礼を述べる。知らない顔だから同学年ではないようだった。錦戸にしきどりゅうという生徒だった。


「アプリレンジャー来てたのか」


 体育館が安全だと思ったのか避難訓練が染みついているのか体育館へと退避しようとしていた植松うえまつ栄輝ひできが駆け寄ってくる。


 後ろには数人の女子生徒。桧山ひやま恵理子えりこ宮水みやみず日美子ひみこ利根とね恋歌れんかの三人。四人とも同学年でなんとなく顔を知っていた。


「助けてくれ、いきなりあいつらに襲われて」


「わかってるわ。こっちもまだ状況が確認できてないんだけど、でもまあ、死にたくないならついてきて」


「体育館に避難するんじゃないのか?」


「安全だったらそれも手ね」


 安全確認をしていないからペギーには判断がつかない。


「ブルー。いったん、体育館の安全確認をするわよ」


「きちんとわかってるよ」


 急ぎたいという苛立ちは正直あった。それでも見捨てられないのはブルーもピンクもヒーローであるからだ。


 見捨てられないという正義感がふたりを縛っているのは事実だ。苦にはなっていないが、こういうときに不便なのは事実だった。


 ブルーが扉に駆け寄って、耳を当てる。


「なんかうめき声が聞こえる」


「おいおい、いるってのか…」


「誰かが閉じ込めて逃げたのかも…」


 同時にブルーには嫌な予感が駆け巡っていた。


 急がないとまずい、という思考がブルーに安易な行動に走らせた。


 慎重であるべきなのに、大胆に扉を開ける。


 途端、扉に寄っていた三人のだったものが襲いかかってくる。


「嘘だろおおおおおおおおお」


 二体がピンクに一体が永輝に迫っていた。


 思わず叫んだ永輝だが逃げれない。


 倒れこんできただったものに押し倒されてしまっていた。


「くそっ!」


 噛まれないように抵抗した永輝を救うべくブルーはだったものを蹴り上げる。


 胴体が思いっきり二分されるが上半身はまだ永輝に乗ったままだ。


「頭よ」


 すでに二体を処理していたピンクが「ごめん」と誤って永輝の上に乗っただったものの頭を拳で貫く。


「助かっだ」


 語尾が濁ったのは飛び散った腐った液に思わず咽せたからだったがそれでも救われたことに対する安堵のほうが大きかった。


 体育館から出てきただったものを処理して体育館をのぞき込む。視界の範囲には確認できないが、まだ倉庫のほうにいる可能性もある。


 同じことを思ったのかピンクだけが慎重に体育館に入り、倉庫の扉を開く。


 ぎぃいいと扉が開き、薄暗い部屋に光が差し込む。


「ああ、もう」


 うんざりした声を出してピンクはこちらに手を伸ばして息絶えている死体を食らう、だったものを突き飛ばす。


 食われていた死体――掃除をサボった道夫は泣き顔のまま、息絶えている。


 体育館には五人のバスケ部員がいて、部活の準備中にひとりが倉庫でゾンビに変貌し、逃げ遅れた道夫を閉じ込めて逃げてしまったものの、先の三人のうち誰かがゾンビに変貌し、噛まれたのかもしれない。


 そうなるとピンクが殺した三体のだったものは道夫を見捨てた部員ということになる。そこに実際にどんな葛藤があったのかは分からないが、それでもピンクは哀しく思えてならなかった。


「ゾンビがいたけれどもう倒したわ」


 あたかも気分を紛らわすように気丈に声を出し、ブルーたちを呼んだ。


 その時だった、


「いやあああああああああああああああああ」


 真後ろから悲鳴があがる。ブルーが慌てて振り向くと利根恋歌がだったものに噛みつかれていた。


 しかもそのだったものは、さっき救ったときにすでに噛まれていた錦戸だった。噛まれたせいで錦戸もだったものへと変異していた。


 死んだらゾンビになる、とばかり思っていたブルーにとってそれは予想外だった。


 錦戸が噛まれたのは腕で、それも応急処置ではあるがハンカチで傷口を包んでいた。包んだのは凛だ。ずっとその生徒の身を案じていた。心配していた。恋歌のことは同学年程度としか知らないが、そうやって気を遣える優しい子なのだろう。


 けれどその優しさゆえに、負傷者に一番近かった彼女が肩を噛まれていた。


「いやあああああああああああああああああ」


 ブルーが振り払って生徒を急いで倒す。無意識に拳を頭に放っていた。


「恋歌」「恋ちゃん」「利根さん」


 それぞれが声をかけるが


 呼吸が荒くあまり喋ることはできなかった。


「早く、体育館の中に」


 急いで凛を担いで四人は避難する。


「利根さん! どうしたの、利根さん」


 ピンクも異変に気づいて近づいてきた。


「最初に助けた腕を噛まれた子いたでしょ? あの子もゾンビになった。それで利根さんを」


「なにそれ…じゃあ噛まれただけでゾンビになっちゃうの?」


「分からないけど、でも実際そうなった。扉の外にまだいるよ」


 言われて隙間からのぞくと確かに扉へと体当たりをしているのはさっき助けた名も知らない生徒だった。


「ピンクはここにいて。植松たちを少しだけでも守ってあげて」


「あんたは、行くのね」


「行くよ。もう壁を隔てて反対側なんだ」


 簡潔に告げてブルーは体育館横の裏口から外へと出ていく。


 角を回ればもうすぐだ。


 新命旭はそこで告白しようとしていた。その覚悟も決めてきた。


 決めたうえで、朝に放課後、桜の木で待っていてほしいと告げておいた。


 相手はうんと頷いた。もうその時点で、彼女も言い伝えを知っていて、両想いのようなものだけれどそれでも気持ちを再確認する儀式のようにお互いが楽しみにしていた。


 角を曲がって最初に見えてきたのは一か所に固まり、一家団らんのように、ご飯を貪るだったものの群れ。


「ああ、ああ、やめてくれ」


 旭は思わず座り込んだ。


 だったものが貪るご飯こそが、旭が告白しようとしていた相手、川藤かわとう陽子ようこだった。


 太陽のように明るい笑顔、赤縁の眼鏡から見える泣きボクロはとってもセクシーだった。


 今は見る影もない。いつも艶やかで真っすぐな長髪は血まみれ、土まみれ。


「ああ、ああ、ああ」


 声にもならぬ声で食事中だっただったものが振り返り、旭を見た。


 ゆっくりと立ち上がり、食べさせろ、食べさせろ、と言わんばかりに手をあげて、旭へと向かってくる。


 野球部に、サッカー部だったもの。そのなかには川藤陽子が好きだと冗談か本気なのか分からない口ぶりで言っていた連中がいた。


 まるで彼らに川藤陽子の純潔を散らされたような気分になって、旭は我も忘れ、迫ってくるだったものを殴っていた。


 アプリレンジャーのスーツをまとった旭の拳の一撃はすさまじい。


 加減すればこそまだ原型をとどめたかもしれないが、我を忘れた全力の拳はだったものの頭を跡形もなく吹き飛ばしていた。


 一体、二体、三体。


 川藤陽子を穢した人だったものを蹂躙していく。


 旭はマスクのなかで泣いていた。


 後悔だった。今日、覚悟を決めなければ川藤陽子はこの桜の木の下に来なかった。


 きっとずっと待っていてくれたのだろう。


 なのに僕は間に合わなかった。


 最低だ、最低だ、最低だ。


 後悔を背負いただ立ちすくんでいた。


 そのときだった。


 うめき声が聞こえた。


 先ほどのだったものと同じうめき声。


 生き残りがいたのか、周囲を探ると見当たらない。


 いやそれはごまかしだった。


 ひとりまだ残っている。


 川藤陽子だったもの。体を貪られたものの、陽子の頭はまだ原型をとどめていた。


 だから死後、陽子は、陽子だったものに変貌した。上半身のほとんどを失ってもなお、陽子は動いていた。


「ごめん、ごめん。そんなふうにしてしまって、ごめん」


 安らかな眠りを与えようと旭は近づいて拳を振り上げる。


 けれど振り下ろせない。


 大好きだったのだ。


 前の席にいた陽子がプリントを配るときに振り返る姿に一目惚れした。彼女はいつも楽しそうで笑顔だった。安直な理由かもしれないけれど、それから旭は陽子を好きになったのだ。


「うわああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 マスクの中で絶叫して、


 アプリブルーは、


 新命旭は、


 大好きな女の子を、


 川藤陽子を


 グシャリ、と叩き潰した。


 しばらく呆然となったあと、旭は原形を留めない、陽子を抱えて泣いていた。


 後ろからやってくるだったものに気もつかずに。


 徐々に、徐々にだったものは近づいてくる。


 足音には気づいたけれど、もうどうだってよかった。


 大好きだった人は喪われた。


 今日告白する覚悟をしなければ、川藤陽子は死ななかったかもしれない。


 どうすればよかったのか。


 こんなことが起こるとは昨日は予想なんてしてなかった。


 誰もがそうだろう。


 けれど今日告白するという決断が、川藤陽子の死に繋がっているとしか思えなくて、旭は苦悩する。


 また、足音が聞こえてきた。唸り声も聞こえる。


 だったものは近づいていた。


 噛まれれば何もかも終わる。終わってしまえる。


 旭がアプリレンジャーになることに決めたのは川藤陽子がいる日常を守りたかったからだ。


 今日、それが潰えた。


「ぐるうるう」


 唸り声の後、ぐばぁ!! 変な音が聞こえた。


「なにをボサッとしてんのよ、ブルー」


 振り向けばそこにアプリピンクがいた。


 ブルーに迫っていただったものを文字通りに一蹴してピンクは怒鳴りつける。


「守り抜けなかったよ。助けれなかった。僕が、殺したんだ」


 呆然と。


「僕が、殺したんだ」


 ゆっくりと反芻する。


「僕が。僕が。僕が。僕が」


 世界の終わりを告げるように絶望していた。


「だとしたら何?」


 ピンクは苛立っていた。好きな人が死んだ気持ちは大いに分かる。


 こんな言葉できっと突っぱねるのは非情だろう。


 それでもブルーにはこんなことで終わってほしくなかった。


「なん――!」


 カッとなったブルーはピンクの胸倉をわずかに掴んで、けれどそれだけだった。怒鳴り声も続かず途中で途切れた。


 ピンクはマスクで見えないけれど悲しげな表情をしていた。


 自分の言葉で怒鳴って、自分を憎んででも奮起してくれればいいとそう思っていた。


 けれどダメだった。少しだけブルーを見損なってしまう。


 だからピンクは言葉を選ぶ。考える。ブルーが奮起できる言葉を。


「薫ちゃんはどうすんの? 掃除当番を引き受けてくれた薫ちゃんはどうすんの? 今のこんな状況でもあんたがここにこれるように掃除を引き受けてくれた薫ちゃんはどうすんの?」


「どうするって――」


 正直、今関係ない。とブルーは思ってしまっていた。


「見殺しにすんの? 助けを求めているのかもよ。用事が終われれば戻ってきてくれるって信じて待ってくれているのかも。そんな薫ちゃんをどうすんのよ?」


「それは――」


 いよいよとうとうブルーは悲愴にくれるのをやめて、考えた。そして言った。


「僕は教室に戻る!」


「それでいいのよ」


 薫の想いをピンクは知らない。それでもブルーが少しでも今の気分を忘れて、少しでもヒーローらしくあればいいとそんな想いでピンクは言葉を紡いでいた。


 アプリブルーが元気を取り戻して教室へと戻るなか、


「さてあーしもやることをやんなきゃ」


 体育館に避難していた利根はすでに噛まれている。


 噛まれた人間がどうなるか、ピンクも分かっている。


 放っておくわけにはいかない。どのぐらいでそうなるかは分からないが、とどめを刺す必要はある。


 覚悟を決めてピンクは体育館へと戻る。

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