6 新命旭

 いよいよ今日だ。


 覚悟を決めて立ち上がった新命しんめいあきらに、はいと突き出されたのは長箒だった。


「掃除」


「……」


「掃除!」


「忘れてた!」


 一瞬呆然としてしまった旭だが、長箒を突き出してきた女子の言葉で自分が放課後にどんな使命を帯びていたか思い出す。もちろん使命というほどのものでもないのだけれど、一応掃除当番としての指名は受けていた。


 覚悟を決めた結果、それ以外のことが盲目になってしまい忘れたというのが旭としての本音。


「代わっては……くれないよね?」


「つか、あーしも当番だし」


 ほれ、と教室の壁に貼りだされた掃除当番表を指す。


 トイレや食堂など共有の個所は清掃員が担当するが、将来、掃除する癖をつける意味でも教室や廊下は当番制で掃除を義務付けられていた。


「ペギーって案外真面目だよね」


「あーしは普通に真面目だし」


 旭がペギーと呼んだ女子学生は一言でいうとギャルだった。日焼けした小麦肌に金髪。


 学業をおろそかにしなければ容姿はある程度好きな恰好が許されるこの五連高校でも割と目立つ部類だ。


 本名は松山まつやま真珠まじゅ。真珠がマーガレットを意味することもあり、そのマーガレットの愛称であるペギーと呼ばれていた。


「ってか今日大事な日なんでしょ。さっさとやったほうが早くね?」


 複雑な表情を呆れ顔で隠してペギーは提案する。


「だよねえ」


 旭も言い訳を重ねてサボることをせず手を動かして床のごみを掃いていく。


「あんたも真面目だねえ」


「まあね」


 サボろうと思えばさっさと教室から逃げ出してしまえば済むのに、当番だと分かればしっかり掃除をするのが新命旭という少年だった。


 それっきり口を閉ざして黙々と掃除を進めていく。


 掃除当番はペギーと旭のほかにふたり。清須きよす道夫みちお明星みょうじょうかおるだが道夫のほうは教室におらず、旭とは対照的にそそくさと部活へと向かっていた。そう言えば体はいいが、道夫はサボりの常習犯で部活――バスケ部のエースなのをいいことにサボりを追及しても横柄な態度で、なかなか改めようとはしない。


 薫はいつもおどおどしているが、宿題の提出は遅れたこともなく、掃除当番もそつなくこなすが口下手なためサボったりする子で、今回の場合は道夫のような人に文句を言ったりすることができない系の女子だった。


 三人で教室を掃除しているとペギーが何かに反応したかのように中庭のほうを向いた。


「どうした?」


「今、悲鳴みたいなのが聞こえた」


「そんなまさか……」


 ペギーの耳の良さを知っている旭だったがその言葉は信じたくなかった。


「あいつらが来たってこと? 学校に?」


「わかんないけど、仮にあいつらなら博士から連絡が来るはずよね……」


 薫には聞こえないようにトーンを落として囁くようにペギーは伝える。


 この時はペギーが密着するように近づいていた。


 この光景は時折見られる光景で、薫も目撃したことがある。


 仲がいいなあ、とあんまり男子と密着することのない薫は少しだけ憧れていた。


 大胆さとは違うかもしれないがペギーの誰とでも親密になる手腕は薫にはないものだ。


「どうする?」


「あんたはどうしたい?」


 胸の内を見透かされたかのようにペギーは逆に聞き返す。


「僕は確認しに行きたい」


「でしょうね。じゃ、行くわよ」


「あ、でも掃除」


 こういうときに出る旭の真面目さは悪い方向に働く。


「あの……」


 一瞬の逡巡に対応したのは薫だった。


「……私がやっときます。よく分からないけど何かあるんですよね?」


「でも」


「旭。薫ちゃんの好意を今は受け取ろ。あんたは心配なんでしょ?」


 中庭は体育館にも近い。


 今日、旭が覚悟したのは体育館裏の桜の木の下で告白するためだ。


 季節的に桜は散っているが、その場で告白して成功しているカップルは多い。


 旭が急いで中庭の異常、より正確に言えば体育館裏に異常がないかどうかを確認したいのは、もしかしたらその場で待たせている女子に危害が加わるかもしれないからだ。


 ペギーの答えに頷いて、旭は薫を一瞥。


「ありがとう。薫……さん」


 あまり呼んだことのないクラスメイトの、しかも下の名前を呼んだせいかわずかばかり抵抗と気恥ずかしさがあった。


「うん」


 薫は嬉しげに小さく頷いて、廊下に消えていくふたりを見送った。


 勇気を振り絞って良かった。少しだけ旭くんの役に立ててよかった。


 薫の中にあった、淡い恋心がこの後、彼女の運命を変えるとはこのときの薫には知るよしもなかった。

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