5 谷輪裕次郎

 備えあれば憂いなし。


 谷輪たにわ裕次郎ゆうじろうはその言葉が好きだった。


 裕次郎は新東京特区にいながらバグリウイルスの被害は受けたことがない。それどころか今まで一度も確認をしたことがない。


 だから裕次郎にとってバグリウイルスとは都市伝説に近い。


 それでも、裕次郎は自分ならばアプリレンジャーに頼らなくともバグリウイルス程度なら対応できると思っている。


 当然、井の中の蛙だ。


 本当に遭遇したら、部室内にある裕次郎が作った道具では到底敵わないだろう。


「はははははは」


 それでも、のちに“だったもの”と正式に呼ばれるようになる存在を裕次郎は笑いながら倒していく。


 手に持っているのは折り畳み傘の骨組みだけを利用した、槍のようなもの。柄がついているため、力も込めやすい。


 襲いかかる群れの中にはクラスメイトだったものもいるが裕次郎には関係ない。


 裕次郎は危機対策研究会(会員は自分ひとり)に所属しているからと変人と呼ばれていた。そうやって奇異の目を向けてきた人間ならばクラスメイトでも無感情に倒すことができた。


 この学校も、新東京特区の住人もアプリレンジャーがいるからバグリウイルスは大丈夫。どことなくそう思っている節が見受けられる。


 絶対の保証なんてどこにもないのに。


 だから裕次郎は危機対策研究会を設立した。


 バグリウイルスを倒せるほどの強力な武器はまだ開発できていないが、部室内にはゾンビ対策用に作った道具もあった。


 非常食が入った鞄を背負うと群れへと果敢に立ち向かっていく。


 残りは十人ほどか。焦りはなかった。常にゾンビを倒す妄想はしていた。だったものはゾンビとは少し様子が違うような気もするがだいたいは同じだろう。頭を砕いて機能停止できるなら昨今のゾンビと何も変わりない。


 “だったもの”だったものが、動かなくなった成れの果てが部室の前に溜まっていく。


「やっぱりここにいたか」


 そんななか、だったものの何人かが後ろから頭を潰されて倒れ、腐った体液で制服を汚した女子が現れた。


嵐山あらしやま…さんだっけ?」


 同じクラスだが裕次郎には無縁の女子だった。


 薄汚れてもなお、その顔は凛として美しく長く伸びた髪がそれをより引き立てていた。


 教室の後ろに設置してある掃除箱に入っていた長い箒を握っており、先端がだったものの体液で汚れていた。間違いなく彼女が倒したのだろう。


「お、名前を憶えていてくれたんだね。裕次郎クン」


 下の名前で呼ばれて裕次郎は素直に驚いた。それを知ってか知らずか嵐山りんはバリケードを作り始めた。


「な、何の用だ?」


「いや。キミが確か危機対策研究会っていう部活に所属していた、と思い出してね」


「そ、それで?」


 正直、裕次郎にとって嵐山凛という女子は高嶺の花過ぎて、どう対応すればいいのかわからない。


「知恵を借りたい」


 素直に、堂々と、凛はそう宣言した。裕次郎が変な部活に入っていることを笑いもせず。いやそもそも彼女は危機対策研究会を変な部活だと認識してないのだろう。


「見ればキミは今まさにステキな武器を持っているし、こうして何人もコレを倒している」


 だったものを指さして凛は雄弁にその理由を語る。


「キミは現状に対応できる適応力もあるし、躊躇いもない。キミは生き残れる人間だ」


 その雄弁さは少しばかり嘘くさかったかもしれない。けれど裕次郎は受け入れた。いや本音を言えば凛のような女子に、自分を否定されなかったことが純粋に嬉しかった。


「生き残るためにはどうすればいい?」


「まず、は何か武器を」


 凛が何部だったかを思い出しながら裕次郎は周囲を見回して自作の武器を見繕っていく。


「キミと同じのがいい」


 少し自分に気があるのか、これは何かのアピールなのか、とドギマギしながら骨組みだけの傘を渡すと凛は何を思ったのか真ん中の太い骨組み以外をポキポキと取った。


「いったい、何を?」


「これで倒しやすくなった」


 ニンマリと笑って凛は二、三回、腕を突き出し、突く。


「私はこう見えてもフェンシング部なんだよ。似合わないだろう?」


「い、いやそんなことは……むしろ素敵だと思うが!」


 自分の部活が否定されなかったこともあって裕次郎は必死に言葉を引き出した。


「……そ、そうか」


 わずかに間があって凛は戸惑いを含んで返答した。


 凛としてはそんなことない、ぐらいの、いつも返ってくる程度の返答しか期待してなかった。


 必死に言葉を選んだ裕次郎の言葉は凛の純情を擽るには十分だった。


「と、とにかく進もうか。ここから脱出するのかい、留まるのかい?」


 赤面を隠すように凛は裕次郎に問いかける。


「外も同じ状況かもしれないけど、とりあえず学校よりも安全な場所がある」


「安全な場所?」


「うん。この新東京特区が上空から見ると正三角形になっているのは知っているだろ」


「地理の田中先生が自慢げに話していたような気がするね」


「どこのクラスでもそうなのか」


 凛と裕次郎のクラスは別々だが地理を受け持ちは田中先生で共通らしかった。


 どこでもこの新東京特区の地形の話はしているようだった。


 説明が省けたことに裕次郎は感謝しつつ、言葉を続ける。


「その北の頂点には機能戦隊アプリレンジャーの基地があると云われているらしい」


「らしい、って確証はなくて大丈夫なのかい」


「うん。実際は基地といってもほかのビルと寸分違わないらしくてどれが基地なのか判断はつかないらしいのだけど、この学校には機能戦隊の一員が所属しているからね。合流すれば安全地帯へ一気にいける」


「それはいったい誰なんだい?」


「あんまり吹聴するのはよくないけれど、俺たちのクラスメイトだ」


 その後裕次郎の口から告げられた名前は確かに凛のよく知る名前だったが、同時に予想外でもあった。

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