1 道明寺或紅

 不揃な歯が道明寺どうみょうじ或紅あるくに近づいていた。ビンタをするかのように思わず顔を叩くと腐ったバナナを押してつぶしたような感触と腐臭が鼻をつんざいた。


「どうしてこんなことに……?」


 現実が受け入れらず或紅は泣いていた。


 目の前の少年、剣崎けんざきのぼるはビンタによって顔がが変形し目玉のひとつが飛び出ても、ただただ或紅に嚙みつこうと歩を進める。残る片目はうろんに或紅を見つめていた。


 或紅と登は違うクラスながら図書室でよく遭遇した。それから小説の趣味が同じこともあって仲良くなっていた。


 今日も放課後に小説を読んで、感想を語らいながら帰宅するつもりだった。


 だから登の異常さに動揺を隠せないでいた。


「どうして……」


 登の後ろには図書室の司書である榛原はいばら翔子しょうこがいる。赤渕の眼鏡に泣きぼくろ。セーター越しに膨らむ胸は思春期の男子生徒にとって目のやり場に困るほどだった。


 その後ろには袋小路ふくろこうじ美恵みえ。髪で目をいつも隠していて、第一印象は陰気。けれど或紅はその髪の後ろに隠れた顔が美人だと知っていた。

 或紅は目の前の現実を受け入れるようにそれぞれを思い直す。


 剣崎登、だったもの。


 榛原翔子、だったもの。


 袋小路美恵、だったもの。


 だったもの、だったもの。


 それは例えるならばゾンビだった。瞳はうつろで、口が裂け、手足が折れようが体の一部が欠けようが動き回る。


 再び、“剣崎登だったもの”に襲われそうになり、近くの椅子を投げつける。


 対処方法は袋小路恵美を“だったもの”にした“見知らぬ生徒だったもの”を倒したときにわかっていたけれど、“登だったもの”に対してそれをやるには抵抗があった。


 体にぶつかり倒れる“登だったもの”を見て或紅は気が気でなかった。


 仮にもし元に戻せる方法があるのなら、倒れたことでついた傷は治るのだろうか。


 逃げるためだったとしてもその傷は或紅が登につけた傷になる。


 それでも冷静に努めて或紅は図書室から脱出する。


 廊下は地獄が広がっていた。


 “誰かだったもの”が誰かをむしゃむしゃと食べ、息絶えた誰かは誤差があれどむくりと起き上がり、“だったもの”へと変貌を遂げていた。


 或紅のいた図書室は校舎の一番奥。しかも防音完備で、袋小路美恵が扉を開けるまでこの惨事に気づけなかったのは、生き延びるうえでは失態だろう。


 けれど誰が気づけるだろうか。


 窓越しに思わず外を眺めると地獄は続いていた。


 校内だけではなく、新東京特区内、ひいては日本全国に広がっているかもしれない。


 或紅はそれだけで震えた。


 昨日の、いやつい先ほどの日常が嘘のようだった。


 間違いなくこの状況はバグリウイルスが起こしたものだろう。


 怪人が当たり前にいる日常を過ごしているからこそそう思考する。


 バグリウイルスというのは東京湾の中央に新しくできた新東京特区に実在する悪の組織だった。


 新東京特区を中心に日本各地(ほぼ関東圏)に出没し怪人と呼ばれる異形の怪物で悪さをしているのだ。


 今回の悪さは度を越えているけれど、こういうことを起こせるのもまたバグリウイルスしかいない。


 そこまで考えた或紅は見渡す限り地獄という状況下で、砂漠でオアシスを見つけるように希望の光を見出した。


 というよりバグリウイルスの仕業だと考えた時点でそこに行き着くのはたやすいことだった。


 悪の組織に対抗する正義の味方。


 機能戦隊アプリレンジャー。


 そのうちのふたりブルーとピンクはこの五連高校の生徒だった。もちろんそのこと自体を知っている人は少ない。


 或紅は一度バグリウイルスの怪人に遭遇し、そのときに正体を知った。


 そのときは巻き込まれたことを不運だと考えていたが、この状況になってアプリレンジャーのふたりがいることを知っているアドバンテージは大きい。


 或紅は不幸中の幸いを喜んだ。


 目指すは二年一組。


 そう思った矢先だった、かぷりと首筋に痛みが走った。


 血が鎖骨を伝って地面に落ちていく。


 嚙まれていた。


 思考の没入感が或紅を油断させていたのかもしれない。


 あるいはバグリウイルスとアプリレンジャーの戦いが日常として存在しているなかでのこの状況が油断を生んだのかもしれない。


 自分を齧った“だったもの”を見る。


「マジかよ」


 見知った顔に或紅は絶望した。


 峰内みねうち環奈かんな


 或紅の初恋の相手だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る