第16話 争乱の予兆


 ――――突きつけられた銃口、迸る赤黒い稲妻と、視界を激しく揺らす振動に俺はついに死を覚悟する。およそこの世のものとは思えない――猛り、踊り狂う殺戮の波濤が、刻一刻と全身を覆う鎧を抉り取っていく。以前、あのクロヤの放った技でさえ完全とは言わずとも防ぎきり、俺の命を救った無敵の鎧が今、破られようとしているのだ。

 無感情に俺を見やるベロニカの視線。その瞳から感じられるのは呆れ、失望……。何故なんだ。勝手に期待して俺を試すと言い、いざ自分の思うような存在じゃないとわかれば躊躇なく殺すっていうのか。俺の夢を否定して、俺の願いを否定して、俺の在り方を否定して――――こいつはいったい何なんだよ。こんな奴に俺の思い描いたヒーローを否定されて、そのままにして良いのか。俺はこのまま何も言い返せず死ぬしかないっていうのか。

 

 そんな俺の思考を余所に、時間は無情にも流れていく。間違いなく、俺はこのまま撃たれて死ぬ。この体勢からでは反撃の糸口も見いだせない。ああ、ちくしょう――これではもう、完全にだ。

 ベロニカの指先が銃の引き金を引くのを、俺の瞳は確かに捉える。


「さようなら、『鎧の英雄』。その夢に溺れたまま滅びるが良い」


 終わり、だ――――――――……。


 そう、確信した瞬間だった。



「――――何だ?」


 ベロニカがそう呟き、俺から視線を逸らした。

 次の瞬間、はち切れんほどに膨れ上がった稲妻はとうとう放出される――


「っ!?」


 しかし、俺を正面から撃ち抜く筈だったそれは、俺の頬を掠めるだけだった。

 対象を失った稲妻は、この建物の壁を貫いて海の彼方に消えていく。激しい轟音と共に建物全体が衝撃に揺れた。


「何、が――――?」


 何がどうなっているのかわからず呆気にとられたまま、途方に暮れてベロニカを見る。

 先ほどまで俺を殺そうとしていた女は口を閉じたまま、ただひたすらに自らが壁に開けた大穴をじっと睨みつけていた。まるで、その先に何者かが隠れているとでも言うように。

 ――どれだけそうしていただろうか。やがて、穴の向こうから痺れを切らしたような声が聞こえてきた。


「あー、わかったわかった! 降参だよ、どうやらあんたは完全に気配を殺した程度で誤魔化せるような相手じゃないらしい」

 

 言いながら、穴をくぐって現れたのは。


「クロヤ――――!?」

「応、俺だぜ。随分と情けない恰好じゃねぇか、戒」


 そう言って、得意げにニヤリと笑ってみせるのはクロヤだった。その右手で何か巨大なものを引きずりながら、左手で俺に向かって手など振っている。

 一っ飛びで俺たちの目の前に着地したクロヤは、ベロニカに向かってを放り投げた。


「おら、こいつあんたの知り合いじゃないかい?」

「――――……」


 俺は最初、それが使い古されたバカでかいボロ雑巾か何かに見えていた。しかし、よくよく目を凝らせば――違う、これはだ。息も絶え絶えで、瀕死の重傷を負った怪物だった。その全身は黒くくすんでいて、全身を業火で焼き尽くされたかのような有様だ。


「おっと、勘違いすんなよ。とどめを刺したのは俺じゃないぜ、確かにここまでの道中でだいぶ痛めつけてはやったがね。決め手は多分あんたが放ったであろう、さっきのとんでもない稲妻だ」


 そう気さくに話しかけつつも、クロヤがベロニカのことを警戒しているのは明白だ。この得体のしれない女の一挙一動、見逃すことの無いよう睨みを利かせている。


「ベロニカ、様――――……」


 怪物は既に虫の息だ。倒れ伏したままズルズルと全身を引きずって、ベロニカに助けを求めている。体からは止めどなく血があふれ出し、その姿はとてもじゃないが人を襲う恐ろしい怪物には見えない。一歩遅ければ俺自身があんな目にあっていたかと思うとぞっとする。


「だから恨むなら俺じゃなく、ケツまくってここまで逃げてきたそこの腰抜け自身を――――」


 そう、クロヤが言いかけたとき。


「臭いな」


  変わらず、無感動にそう言い放ったベロニカの銃が、手を伸ばし助けを乞うフェアレーターを


「グッ……ガァアアアアアアアアアアアッ!!」

「言ったはずだぞ、私の前で人を喰らうなと。貴様は匂う、人間の血の匂いがする。不愉快だ、消え失せろ」


 悲鳴を上げるフェアレーターの頭に、銃を突きつけるベロニカ。助けを求めたということは、フェアレーターはベロニカの仲間だった――ということなんだろうが。それにしては情けも容赦も一切見せず、ましてや慈悲などまるでない。ただ殺す、という明確な殺意だけがひしひしと伝わってくる。これは仲間を見る視線ではない。汚らわしい汚物を見るかのような目を、ベロニカは怪物に向けていた。

 その表情は不快感に満ちていて、瞳は目の前のフェアレーターしか映していない。俺の姿など既に眼中にないようだ。――――今しかない。この拘束から逃げ出すチャンスは、今この時を於いて他にはないと直感した。


 ドンッ


 銃声が響く。怪物の脳髄が撃ち抜かれ、周囲に飛び散った。女はそれを冷酷な視線で見つめている。

 刹那、俺はベロニカにできた一瞬の隙を見逃さなかった。


「うぉおおおおおおっ!!」


 この体に残った全ての力を振り絞り、俺の腕を踏みつけていたベロニカを弾き飛ばす。


「……っ」


 完全に怪物へ意識を向けていたベロニカは虚を突かれ驚いたようだったが、やはり大したダメージを与えられはしなかった。

 こいつは空中で宙返りして体勢を立て直し、華麗な着地まで決めて見せる。 

 

 しかし、これで充分だ。拘束からさえ逃れられれば、既に形勢はこちらが有利。クロヤがこの場に駆けつけてきた以上、これで二対一の状況を作り出せたわけだ。であれば、たとえベロニカがどれだけ手練れであろうとも、これより先はもう遅れはとらない。


「おい、無事かよ」


 並び立ち、そうぶっきらぼうに俺の無事を確認するクロヤ。こいつがチャンスを作ってくれなければ逃げ出すこともできなかったと考えると、少し悔しいが仕方ない。


「ああ、大丈夫だ。俺はまだやれる」

「馬鹿言うんじゃねぇよ。鎧がほとんど崩れちまって、顔なんてむき出しになってるぜ。そんな状態で戦ったりしてみろ、間違いなくてめぇ死ぬぞ」


 ――――気づかなった。確かに、俺の体を守っていた鎧は既に崩れかけ、顔や腕などには欠片すら残っていない。それだけベロニカの放ったあの稲妻が強大だったということか。

 どうにか修復をしようと試みるが、俺自身が疲弊しているせいか一向に鎧を再構築できない。クロヤの言う通り、これでは戦ったとしてもすぐに殺されてしまうだろう。ベロニカがそれだけの相手だというのは、先ほどの一戦で嫌というほど痛感していた。


「だったら……どうする」

「決まってんだろ」


 そう言って、クロヤは一歩踏み出す。こいつのことだ、たとえ一人であっても戦うと言うだろう。それほどまでにクロヤは強者との喧嘩を心待ちにしているのだ。ベロニカの強さは、そんなクロヤにとってはたまらなく好ましいものの筈だ。


「――――逃げるんだよ!!」


「……はっ?」


 思わず呆気にとられた。あのクロヤが、これほどの強敵を前にして戦わずに逃げるだって? 何かの間違いだろう。


「おい、クロヤ――――!?」

 

 その真意を問い質そうとしたが、クロヤは皆まで言うなとばかりに――俺に向かってを放ってきた。

 突然のことに反応できず、全身を打ち付けながら吹き飛ばされる。もんどり打って地面に叩きつけられたその場所は、丁度先ほどベロニカが穴を開けた位置の目の前だった。


 クロヤも大きく飛びずさり、すぐに追いついてくる。


「行くぞ!」


 乱暴に穴から放り投げられる。くそ、逃げるにしたってもう少しやりようがあるだろうが――――!


「逃がすと思うかよ」


 顔を上げると、ベロニカが俺たちを追おうと駆け出すところだった。再び銃の弾倉を取り替え、まっすぐ俺に向かって照準を合わせている。 

 しかし、その先にはクロヤが立ちふさがっていた。


「おっと、残念だが今あんたみたいなのとは戦えないな。今回は諦めてくれ――――よっ!」

「何っ……」


 クロヤが拳を地面に打ち付ける。

 拳から放たれた闇が地面を這い、ベロニカに迫った。


「これは……」


 ベロニカの足に闇の渦が絡みつき、自由を奪う。

 どうにか振りほどこうとしているが、穢威波の技はそれほど甘くはない。ベロニカは渦に銃を向けるが、どれだけ撃ってもたちどころに復活する。何度も何度も絡みついて、どこまでも逃がさない。


「今のうちだ、行くぞ」

「……そうだな」


 ――また、こいつに助けられてしまった。自分自身の実力不足を痛感する。このままやられっぱなしで敗走するのは癪だが、どういうわけかクロヤはこの場で戦う気はないみたいだし。俺一人じゃ死ぬだけだろう――――この場はこいつの指示に従うしかなかった。

 クロヤに促されて、その場から全速で駆け出す。

 だが俺の胸は、言いようのない敗北感で埋め尽くされていた。

 




「何だ、今の力は……」


 絡みついてくる闇の渦を振り払い、ベロニカは呆然と呟く。これは魔術でも、フェアレーターの扱うような能力でもない。ましてやメトロポリスの科学技術の産物ともまるで違う。見たこともない能力を前に、結果的に醜態を晒してしまった自分自身をベロニカは恥じた。

 ああ、確かにこれは自分の落ち度だ。毎度毎度何か気に入らないことがあると、すぐそちらに気を取られてしまって本来の目的を忘れがちになる。悪い癖だと、自分でもわかっているのだが。


「しかし、何者か知らないが」


 今の一連の動き――身のこなし。そしてあの場で退くことを選択した的確な判断。只者ではないことだけは確かだろう。風貌から言って、ヤマトの関係者である可能性が高いか。まさかイデアールの騎士団にも、あんなやつがいたとは。

 ベロニカの口元に笑みが浮かぶ。


「……はっ、面白いじゃないか」


 結果逃げられはしたが、まあそれは良い。これから先の目的ができたということだ。本来与えられた仕事は自分自身の手でぶち壊してしまったわけだが、だからと言ってこのままただ帰るというのもつまらない。そもそもの指示に素直に従う道理もないわけだし、標的がもういない以上少しくらい好きに動いたって良い筈だ。


 それに一度狙った獲物を逃す、なんていう経験はこれまでなかった。そして彼女は物事を中途半端なまま終わらせるのが嫌いな性質なのだ。当面はあの二人の男を追ってみるのも、悪くはないかもしれない。


「……それにまだ、言い足りないこともある」


 先ほどは短絡的に殺そうとしてしまったが、ベロニカにとってあの”戒”という少年は最後の希望に等しい存在だ。正直言って殺してしまうには惜しい。

 しかし――――。


「あれの根性を叩き直すのはそれなりに骨が折れそうだ」


 先ほどのやり取りを思い出して、ベロニカは苦笑する。

 まさかヒーローになりたい、と来たか。想像の斜め上を行く少年の願いに、思わず呆れ返ってしまう。に比べれば遥かにマシではあるが、あれではまるで幼児の夢見る絵空事だろう、くだらない。

 ……まあ今のままでは味方に引き入れようとも思わないが、少し突けば化ける可能性は十分にあると思った。だが如何せん、あれは自分の夢にかなり深く縛られている。


「仕方ない、口で言って駄目なら腕ずくで――だな」


 ああいう輩はどれだけ説得しても無駄だろう。だったら直接殴ってわからせるまでだ。

 お前の見ている夢とやらは、そのままでは、と――――。




「あらあら、好き勝手暴れちゃって。あなた、本当に標的を連れ帰る気あったの?」


 ――――――。

 突如この空間に響いた声を、ベロニカは知っていた。出来ることなら聞きたくなどない、実に不愉快な声だ。彼女はこの者らのことを好ましく思っていない。


「……猟犬ハウンドか。こんなところまでいったい何の用だ」

「何の用だ、とはご挨拶じゃない? 与えられた任務を放ったまま、好き勝手暴れておいて……何のお咎めもないとでも思ってるの?」


 一体いつから潜んでいたのか。まるで影が形を得たかのように前触れなくその場に現れたのは、一組の男女。男の方は寡黙に口を閉ざしたまま、女の方は馴れ馴れしく声を掛けつつ近づいてくる。どちらも軍服に身を包んではいるが、男の方は着崩れなく型通りな装いなのに対して、女は胸元を大胆に開けているわ、気色悪い香水の匂いを垂れ流しているわで品位がある格好とは程遠い。


「うるさい、お前らは黙って飼い主様に尻尾振ってるのが仕事だろうが。わざわざこんなところまでその薄汚い面を晒しに来るなよ」

「ええその通りよ。でもこれはその飼い主様から直々に受けた命令なんだから、従わないといけないでしょう? 尻尾を振るのも楽じゃないのよね」


 そう笑って見せた女のことを、ベロニカは心底軽蔑した。

 この二人は、猟犬ハウンドと呼ばれる諜報員だ。しかし形式上は諜報員とは言うが、飼い主から与えられた任務であれば諜報活動に限らずどんなことでもする奴隷みたいな奴らでもある。それが飼い主のためになることであれば、文字通りどんなことでも。

 あの男直属の部下であるこいつらに与えられたコードは、まさに自分自身を奴の飼い犬であると公言しているようなもので、実に滑稽な有り様だとベロニカは常々思っていた。


 男は、ロットワイラー。

 女は、ピンシャーと名付けられていた。


 ああ、『君らは俺のペットだ』という、奴の憎たらしい笑い声が聞こえてくるようだ。

 しかもその与えられた蔑称をこいつらは喜び勇んで名乗り上げるものだから、余計に度しがたい。無論、本人らはそれこそが名誉なことだと思っているから本当にどうしようもない。

 自分は誰かの下僕に過ぎないと主張しているのにも関わらず、こいつらに恥はないのだろうか? ベロニカにとって、こういう誰かの顔色を窺いながらお零れを授かって生きているような輩は、嫌悪の対象以外の何物でもなかった。


「……そうかよ。で、何だ。私を監視しろとでも命じられたか? だったら無駄だぞ。わかっているとは思うが、私は自分のやりたいようにやるんだ。そういう条件で協力してやってるんだから文句なんか言わせない」

「そんなことわかってるわよぉ。あんたを監視したって無駄だってことくらいね。でもあんたの勝手のせいで、あのお方が迷惑を被ってるんだから、飼い犬である私が腹を立てるのも当然だと思わない?」


 良い加減うんざりしてきた。用があるなら単刀直入に言えばいいものを、何故いつまでもどうでも良いことばかり長々と話すんだ。


「……良いから用件だけ言ってさっさと消えろ。お前の声は不愉快だ」


 そうはっきりと伝えてやると、女――ピンシャーはとぼけた面でわざとらしく肩をすくめる。せっかちね、などと言いつつも、ひとまず無駄話は終わりのようだ。ようやく本題に入る気になったらしい。


「はいはい、わかったわよ。じゃあロットワイラー、説明してあげて」


 ピンシャーに促され、今まで一言たりとも言葉を発していなかった男が口を開く。


「これより我々は、このイデアールの首都で大規模な作戦を展開する。貴様はそれの支援に移れ……とのことだ」

「そうか、断る」


 ロットワイラーの口から語られた次なる指令を、ベロニカはにべもなく切り捨てた。

 ――――しかし、二人の猟犬たちはさして驚いた様子もない。ピンシャーに至ってはその答えを待っていたとばかりにほくそ笑んでいる。


「……一応、理由を聞いておこうか」

「言うまでもないだろ。首都での大規模な作戦だと? 私はいつも言っている筈だ。私の前で人を襲うな、とな。そんな私に、首都なんていう人口密集地での作戦に参加しろだと? 馬鹿も休み休み言え」


 そもそもベロニカは、フェアレーターという集団のやり方や思想を嫌っている。いくら生きていくために必要なことだと言っても、それは奴ら怪物側の事情だろう。犠牲となる人間たちのことを気にも留めないようなその精神性に、好感を持てと言う方が無理な話だ。

 こいつらは先ほど私が始末したフェアレーターと同じだ、とベロニカは思う。人間という生き物は我々にとって所詮ただの餌であると、そういう風な考え、常識をもって行動している。反吐が出る――こいつらから発せられるおぞましいまでの強烈な腐臭は、今までその口で喰らってきた人間たちの残り滓が原因なのだ。


「あくまでわたしが協力するのは、本来の目的からフェアレーターをメトロポリスまで連れ帰ること。ただそれだけのはずで、その過程で起きる不測の事態への判断も私自身によって下す……そういう契約だ」

「ええそうね、あんたならそう答えると思っていたわよ。イヤー助かったわ。私だって本当は、あんたなんかと同じ仕事なんて御免だったから。……でもあのお方がベロニカにも協力を仰げ、なんて言うんだから仕方なかったのよね」


 ピンシャーの言葉にベロニカは眉を顰める。こんな作戦にベロニカが乗らないであろうことは、あの男が一番よく知っているはずなのだ。だというのに、わざわざ使いを寄越してまでこの作戦のことを伝えてきた意味が彼女にはわからなかった。

 

「今回の作戦は、『鎧の英雄』を我らの望む段階まで進化させるのが目的なのだ」


 そんなベロニカの疑問に答えるように、ロットワイラーが言葉を続ける。


「そういうこと。あんたにとっても、『鎧の英雄』が強くなってくれるのはありがたいことなんじゃないの? ってことみたいね」


 ――――そういうことか。ああ、まったくもってふざけた奴だ……あの男は。


「くだらない。良いか、お前らが首都で何をするつもりなのか知らないが……私はそんな作戦に乗るつもりはないとあの男に伝えておけ。私は私のやり方で、あのガキのと決めたばかりなんだよ」


 そんなベロニカの宣言に、猟犬の二人は初めて驚きを見せた。


「……へぇ、つまりその『鎧の英雄』はあんたの御眼鏡に適ったってことかしら」

「どうかな、だが前のよりはマシだ。だから私に仕事をさせたければ、契約通りのやつを持って来い。それまでは私は好きに動かせてもらう」


 瞬間、彼らはお互いにらみ合う形になった。


「それは……あんたは、という意味かしら?」

「違うね、そういう意味ではないさ。今のところはまだ……ね」

「そんな我が儘が通るとでも思っているの?」

「知ったことか。それにこれは奴自身が言ったんだぞ。これからお前らとやり合うかどうかは、件の『鎧』の戦士を実際に見てから決めろとね。今はまだ、その判断の途中だというだけさ」


 そうだ、そもそもベロニカと彼らフェアレーターは敵同士。決して相容れない存在なのだ。現状は利害の一致による協力関係にあるが、それはいつまでも続くわけではない。であればいっそのこと、さっさと敵対してくれた方がと、あの男はそう思っているはずだ。だからこそ、イデアールに『鎧の英雄』が現れたという情報をベロニカに伝えたのだろうから。

 ――――そう、『鎧の英雄』。ベロニカが彼らと袂を分かつかどうかは、全て『鎧の英雄』に懸かっている。あの篠塚戒という男がどれだけ化けるか……それによっては、自分の目的のために怪物に使われるというこの屈辱的な状況から、とうとう解放されるかもしれないのだ。


「……ふん、まあ良いわ。あのお方がお認めになっているのであれば私たちがとやかく言うことじゃないし。撤収しましょ、ロットワイラー」

「ああ。…………だが、そういうことならば。精々『鎧の英雄』が志半ばで朽ちぬよう、よく見ておくことだな」


 ――――何? それはどういう意味だ。


「まさかお前ら……あのガキを殺すつもりなのか」


 こいつらならやりかねない。我らの定めた基準に達することができないならば死んでしまえ、と。


「どうかしらねー。ただ私たちは、加減無用と指示を受けてるわ。だから本当に殺すことになるかどうかは、『鎧の英雄』が進化できるかにかかってるってわけ」

「その器があるかどうか……見極めるためにも、それ相応の試練をくれてやれとのことだ」

「ってことで、私たちは色々と準備があるからここらで失礼するわ。邪魔したわね、ベロニカちゃん」


 準備――――だと。まさか、こいつらが直接手を下すわけではないのか。

 だとすれば、それ相応の試練とはもしや――――……。


「おい、待て!」


 しかし、すでにその制止の声は届かず。

 猟犬の二人は、現れた時と同じく影のようにその姿を消してしまっていた。




「……ちっ、くどくど無駄話をしたかと思えば、消えるときは一瞬で消えちまう。勝手なのはどっちだ」


 そう悪態をついて、ベロニカは先ほどまで二人がいた場所を睨みつける。――――だが、少々面倒なことになった。


「――――もし、奴らの言う試練とやらが私の思っている通りのものだとしたら」


 放ってはおけない。これは『鎧の英雄』がどうだとか、それ以前の問題だ。奴らは自分たちの目的のために、どれだけ関係ない人間を巻き込むつもりなのか。そんなことを聞いておいて、ただ黙っているわけにはいかない。


「……首都、か」


 不吉な予感がする――――。

 だがどちらにせよ、『鎧の英雄』たちも直に首都へ帰るはず。

 当面の新たな目的も定まった――目指すは首都、アルメスクだ。 






「かんぱーい!!」


 ああ、もう。先ほどまでの緊張感が嘘のようだ。イザベラも、クロヤも、ディランでさえ、目の前の御馳走に夢中になっている。祝勝会――とは少し違うか。事件を解決したお礼ということで、町の人々がささやかな宴を催してくれたのだ。アディソン隊長の部隊も同席していて、町の住人達も騎士団の面々もかなり盛り上がっている。

 しかし。町に現れていたフェアレーターの群れも消え、ひとまず事件は解決したものの。俺の気分はどうにも沈んだままだった。だからこうして当初の目的通りアルトシスの豪華な海鮮料理を前にしても、いまいち乗り切れない。


「ほらほら、戒もしっかり食べなさいよ。こんな御馳走、めったに食べられないわよ?」


 イザベラがそう言いつつ、小洒落た見た目の魚のソテー的な何か(俺はかなり料理に疎い)を勧めてくる。


「……確かに旨そうだけど。ちょっと今はそういう気分じゃないんだよ」

「……? そうなの? 勿体ないわよ」


 あの女……ベロニカのことはイザベラたちには話していない。だからイザベラとディランは、フェアレーターの親玉は俺とクロヤが倒したものだと思っている。 

 ――――事情が事情だ。絶対に話しておくべきことなのだとは思うが……。同時に、あの女が言っていた言葉がその決心を鈍らせる。


『私はお前がどこから来たのか知っている』

『お前の現実ほんとうの名を教えろ』

『必死に生きている人間を馬鹿にするのも大概にしろ』

『私が今ここで終わらせてやるよ』


 ――――くそっ! 何なんだあいつは、何だって俺はあんな奴に良いように負かされてしまったんだ!!

 クロヤも、先ほどのことについては黙ったままだ。気を遣ってくれているのか、俺が親玉を二人で倒したと嘘の報告をしたときも、何も言わずに嘘に乗ってくれた。まあ、あいつからすれば自分の手柄にした方がイザベラにも良い顔できるってのもあるだろうけど。


『俺だって馬鹿じゃねぇ。あの女は手負いのお前庇いながら戦ってどうにかなる相手じゃねぇよ』


 クロヤをしてそう言わせたあのベロニカの強さ。あいつが持っていた謎の銃。

 そして、現実世界を知っているかのような口ぶり……。


「……何だったんだ、あいつは」


 どこまでも沈んだ気持ちは曇ったままで、晴れることはなさそうだった。

 打ち明けることのできない悩み――現実世界を知っている女と邂逅したこと。思考はぐるぐると同じところを回り続けている。楽しい筈の宴の席なのに、俺の心はまるでお通夜だ。


 何故、何故俺はあの女と出会ってしまったことをこんなにも恐れているんだろう。

 現実世界を知っている者がいるということは、俺が……元の世界に帰れるということではないのか。そしてそれは、俺が望んでいたはずの事じゃないのか。それなのにどうしてこう、俺の心はもやもやしたままなんだ。

 あの女の言葉を聞いてから、精神が不安定になった自覚がある。自信が無くなったと言うか――――ともかく、どこかおかしい。あいつに言われたことなんて、笑い飛ばしてしまえばいいだけじゃないか。いつまでも気にしていたって何の意味もないっていうのに。


「……くそ」


 夜通し盛り上がっていく宴とは裏腹に、俺の心の内は――深く、どす黒い影を落としていた。

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