第15話 死天使、装填

 女の装いは、俺の知る限りではこのイデアールには存在しない物だった。

 黒のトレンチコートに、同じく黒のパンツスーツ。鮮やかな長い金髪は腰まで伸ばしていて、その麗姿に磨きをかけている。怪物の亡骸を踏みつけながら、俺のことをじっと見つめるその瞳は――青く輝いていた。この殺伐とした空間の中で、女は圧倒的な存在感を放っている。その威風堂々とした立ち姿には、ある種の憧れめいたものすら感じられる。

 素直に、美しいと思った。


「な……」


 言葉が出てこない。俺は完全に、突如現れたこの女の発する空気に呑まれてしまっていた。俺の口は先ほどから言葉を発しようと、パクパクといくつかの形を作るがそれだけだ。結局は何を話して良いのかわからず、その動きもやがて止まってしまう。けれどそれは、美しさゆえにその姿に目を奪われたとか、助けられたことに対して感謝の念を感じてとかでは断じてない。

 女は確かに端正な顔立ちをしている。誰がどう見たってこの人は美人だと言うだろうし、俺だってそう思う。だが。女の姿を見ていると、俺は忘れかけていた何かを思い出しそうになる。そう、まるで遠い故郷の風景を幻視したかのような、懐かしい感覚に陥るんだ。だからこそ、俺はどんな言葉を発するべきなのか決めかねている。この女のことなんか何も知らないというのに、いったいどうしたと言うのだろうか。

 結果、俺たちは言葉を発することもなく、しばしの間互いの姿を見つめあうことになった。俺はただただ圧倒されたまま、対する女はどこか値踏みするかのような目つきで鎧に包まれた俺の姿を眺めている。


「ふーん、なるほど。お前の鎧……確かににそっくりだ。まったく同種の物なのか、はたまた違うのか。興味は尽きないが――まあ私には関係のないことだし、今はそれよりも大事なことがある」


 奴? 奴とは何者だ。こいつは、俺の他に鎧を扱う者を知っているっていうのか。俺が鎧を扱えるのは、英雄の遺産であるこの腕輪のお陰だ。そして英雄の遺産はこの国――イデアールの中には、俺の持っている腕輪しか存在していないはず。だとすれば、この女はどこか他の国からやってきた、というわけか?

 女が怪物から足を離して、未だ膝をついていた俺の方へ歩み寄ってくる。

 ――――真っ直ぐ、銃口を俺に向けて。


「ここで会えたのも何かの縁だろう。さて、まずは名を聞いておこうか。『鎧の英雄』? ともかく話はそれからだ」


 そう問いを投げられ、俺はようやく我に返った。名前だと? 名前などどうでも良いじゃないか。それがこの女の言う大事なことなのか? わからない。いったいこの女は何者で、どういう意図で俺を助けたりしたんだ。何か助けなければならない理由があったのか。だがそれならば何故、今俺に銃を向けたりしている。


「カイ・ワーナー……魔術騎士団のカイ・ワーナーだ」


 ひとまず、女の言う通り名乗っておく。敵か味方かは定かではないが、フェアレーターを倒したこの女の実力は本物だろう。だったら今はまだ不用意な行動はすべきじゃないと思った。出来ることなら要らぬ争いは避けたい。そしてそのためには、まずは相手の真意を探らないことには始まらないだろう。


「ああ、違う違う」


 だが女は呆れたように首を振り、そうじゃないんだと言った。当然俺は困惑する。名前を聞かれたから答えたというのに、違うとはどういうことなのか。


「――――そんなを知ったところで何の意味もないだろ?」


 な――に……? 偽りの名、だと。――一瞬、自分の現実ほんとうの名前が頭をよぎる。だがすぐにこの女が言っていることは、そういう意味ではないんだと思い直した。俺の事情を知っているわけでもないのにそんなことを尋ねるということは、何か別の意図があるに違いない。


「……何故、そんなこと。いいや、そんなことはどうだって良い筈だろう。仮に俺が偽名を名乗ってたって、あんたに何の不都合があるって言うんだ」

 

 確かに俺が名乗った名が本名かどうか、こいつには確かめようがない。だがだからこそ、俺の本当の名前などどうでも良い筈じゃないのか。けれど女は今のが嘘の名だと信じて疑っていない様子で、しかもそれに拘ってる。そこが俺には解せない。


「どうだって良いってことはないさ。お互いちゃんと名前ぐらい知ってなけりゃ、腹を割って話せないだろう? だから教えろよ、お前の本当の名前」


 そう言って女はニヤリ、と口角を上げた。 

 これから話を続けるうえで名前を知らないと不便だから――そういう理由で尋ねたわけではないということなのか? 


「……わけがわからない。あんたいったい何なんだよ。何でそこまで名前なんかに拘るんだ」

「ん……ここまで言ってもまだ伝わらないか。『英雄』殿は察しが悪いね。では――」


 わざとらしく咳払いなどして、女は改めて俺の目を直視してくる。俺の顔は鎧に覆われているというのに、それすら貫き射抜いてくるような視線だ。何だろう、どこか面白がっている気がする。自分の言葉で俺がどんな反応をするのか、楽しんでいるような。

 それから女は、どう言ったものか――としばしの間思案して。やがて芝居がかった口調で言った。


「こういえば伝わるかな? お前の、名前を教えろ」


 ガツン――と、頭を鉄骨か何かでぶん殴られたような衝撃だった。馬鹿な、そんなことはあり得ない。

 驚愕する俺の様子に、女は満足したように笑みを深くする。ああちくしょう、やはりそういうことなのか。先ほどの元の世界、という言葉が意味することは即ち。


「――――あんた、まさか」

「そうだ。私はお前がのか知っている。そこがどんな場所かも。だからこそ問うているんだよ。お前の現実ほんとうの名を、ね」


 ――――――――。

 再び、言葉が出ない。さっきから信じられないことの連続だ。今まで俺が自分から説明した人たちを除いて、現実の世界について言及するような人間はいなかった。だからこの世界には、俺以外に現実世界を知る者などいないと思っていた。けれどこの女は、俺が現実世界から来たことも、そしてそこがどんな場所かも知っているというのだ。


「あんた、何者なんだよ!?」


 思わず声が大きくなる。こいつは誰なんだ、どうして現実世界のことを知っている、どうして――――俺はこんなにも、

 きっと何か良くないことが起きる――そんな確信めいた予感が収まらない。俺はこれ以上、こいつと話していてはいけない。


「私は――――ベロニカ」


 女が名乗る。あくまでもその不敵な表情を崩さず、声色は変わらず力強い。


「ベロニカ・ルービンシュタイン。さあ、こちらは名乗ったぞ。次はお前の番だ、『英雄』殿?」





 

「――――はぁっ!!」


 炎を纏わせ、剣を振るう。イザベラの魔術は剣で斬ること自体を目的とするというよりは、強大な炎で薙ぎ払う広範囲攻撃を得意とする。仕留め、倒れ伏した骸が燃え上がり、そこから燃え移る火の手が次々と残った怪物たちを餌食にしていくのだ。その様相、まさに焦熱地獄――さながら踊り狂う炎たちの演舞だ。言うまでもなくその勢いは凄まじく、百はいたであろう怪物どもは、この数分足らずの間で着実にその数を減らしていた。


「イザベラ様――――!」

「ええ、わかってるわ。どうやらここは外れだったようね」


 同じく怪物を迎え撃つディランの呼びかけに、イザベラはそう答えた。

 背中合わせに並び立つと、ディランはイザベラを守護するように氷の障壁を張り巡らせる。大技であるほど攻撃の後の隙も大きい。ディランの判断は常に最適だ。そんな的確な援護に感謝しつつ、イザベラは言葉を続ける。


「けれど、無駄足と言うわけでもない。親玉はいなくても、ここにいる奴らを放っておくわけにもいかないわ」

「――ええ、こんな数のフェアレーターが町に流れ出したりしたら、もう手の打ちようがない。さっさと片づけてしまいましょう」


 手分けして敵の親玉を探すとは言ったものの、こうなっては今から他の二人の援護に向かうわけにもいかない。おそらく戒とクロヤ、どちらかが親玉を引き当てているのだろうが、あの二人ならそう易々とやられはしないだろう。すぐにでもここにいる連中を始末してしまわなければ、いつ町の住人たちに被害が出てもおかしくないのだから。


「それにしても一体一体はそう大した力を持っているわけではないが……こう数が多いとさすがに骨が折れますね……」

「仕方ないわね。親玉の退治はあの暴走男子二人組に任せて、私たちはここの雑兵どもに専念しましょう」


 本当なら自分たちだって彼らと共に戦いたかった――が、これも仕事だ。イザベラはそう割り切って、周囲を取り囲む怪物たちを睨みつける。


「まあ、たまにはこういうのも悪くないと思いますよ。久しぶりに、我々二人が組んでの戦闘だ。昔を思い出しませんか」


 額に汗を滴らせつつも、そう笑ってみせるディラン。本当は疲労もかなり蓄積しているはずだ――――これは彼なりの強がりなのだろう。

 けれど彼のその言葉が嘘であるとか、そんなことを言っているわけではない。それについてはディランの言う通り、少しだけ懐かしいとイザベラも思っていたから。


「そうね。少しだけ、訓練生時代を思い出すわ」

「ええ、我々が組めば負けなしでした」


 ディランが言っているのは、イザベラたちがまだ騎士団に入団する前の話だ。二人一組での模擬戦で、幼馴染であった二人は良くチームを組んだ。互いに優秀な訓練生だった二人のチームは、模擬戦で他のチームをまるで寄せ付けず、凄まじい猛威を振るったのだ。まさに敵無しと言ったところだろう。多少の無茶もしたが、それも今になってみれば良い思い出だった。


「――ええ、よく覚えているわ」

「久しぶりに、あの頃と同じように思い切り行きましょうよ」

「何だか……楽しそうね」


 そんなに私と組めるのが嬉しいのだろうかと、一瞬イザベラは戸惑う。――――まあ、張り切るのは良いことだろう。ディランはそんな懐かしさ程度で周りが見えなくなるほど、愚かではない。適度に士気が上げていくのは大事なことだ。

 なら私もそれに乗るべきだろうと、イザベラは思う。そう考えればこの無限に湧いてくる蟲との戦いも、少しだけ楽しくなってくるのは確かだし。


「――だったら私も、昔みたいに張り切っていくわ。援護、よろしく!!」

「ええ、後ろは任せて下さい!」


 踊り狂う炎と、静かに猛る氷。互いに抜群のコンビネーションを見せる二人の騎士は、次々と怪物たちを撃破していくのだった。







 ――――男は恐怖のどん底に陥っていた。上から与えられた任務は、あのベロニカとかいう女に標的の居場所を教えるだけの簡単な事だったのだ。その任務を終えた以上、男は与えられた指示に縛られる必要などなく、自由ににありつける筈だった。だというのに、これはいったいどうしたことか。


「何なんだ……貴様は!」


 男は必死に逃げ続ける。人通りの少ない町の路地を凄まじい速度で駆け抜けて。どこまでもどこまでも追いかけてくる、漆黒の追手から逃れるために。ああ、本来であれば人形ごときに遅れなど取るはずもない。正面から迎え撃って、餌としてしまえば良い筈なのだ。人ならざる力を持つ男に、人形が勝てる道理などないのだから。

 ――――だが、この相手にはそれが通用しない。


「どこまで逃げようが無駄だぜ。俺はお前みたいな化け物を退治するのが仕事なんだ。まぁ、狙ってた親玉じゃあないみてぇだが……この際関係ねぇ」


 追手はどこまでも規格外であった。まずその生身のままで、人ならざる身に変化した男のスピードについてくる。その時点で信じられない話なのだが、それだけでは終わらなかった。追手はあらゆる面で男を圧倒してきた。力も、速さも、守りも何もかも。

 だからこそ男は早々に追手に立ち向かうのをやめた。このまま戦っていては必ず殺される。だがしかし、どれだけ逃げても追手は男を追跡するのをやめない。


「いつまでも鬼ごっこなんかしてても話にならん。とっととくたばれ!!」


 追手はそう叫びながら、黒く悍ましい闇の渦を放って男を仕留めようとしてくる。その一撃をなんとか紙一重で回避して、男は逃げ続ける。少しでも動きを止めたら終わりだ。


「ちっ……しぶとい野郎だ……どこまで逃げるつもりだ」


 無論、お前が追うのをやめるまでだ――そう叫んでやりたかったが、そんなことを言えば逆に躍起になって追ってくるに違いない。こういう手合いはどこまでもしつこく獲物を狙い続けるものだ。


「だったら――」


 気は進まないが仕方ない。あの女に助けを乞うしかないないだろう。奴は何やら自分たちフェアレーターに良い印象を持っていないようだが、それでも上からの指示で動いている以上、味方が襲われていて放っておくということはないだろう。


「仕方ない、か」


 あの女は相当の危険人物だ。そんなことはわかっているのだが――かと言って、ただ死を待つよりはマシだろう。

 男は更に速度を上げ、女――ベロニカのもとへ急いだ。






「篠塚――戒ね。良い名前じゃないか、『ワーナー』なんて作り物の名前よりずっと良い」


 俺の名を聞いて、ベロニカと名乗ったこいつは満足そうにそう笑った。

 依然としてこの女の目的はわからないままだが、少なくとも今すぐに俺の命を奪おうとか、そんな雰囲気は感じられなかった。しかし、構える拳銃が未だ俺の頭に向けられたままなのもまた事実。慎重に行動しなければ、いつそれが火を噴くかわからない。


「さあ、これで満足だろ。あんたは何者だ。どうして俺を助けたんだ? 何故現実世界を知っている?」

「質問が多いと嫌われるぞ。それに、こっちの話はまだ終わっていない。お前の疑問に答えるかどうかは、まず私の用が済んでからだ」


 悔しいが、今は言う通りにするしかない。現状、こちらの生死はベロニカに握られている。反撃の糸口を見いだせない以上、相手の指示に従っておくべきだろう。


「さて、戒。私はある目的のために行動している。必ず果たさなければならない、大きな目的だ」

「……」

「そしてその目的を果たすためには、あの化け物ども――そう、フェアレーターだな。奴らに対抗できる実力を持つ協力者が必要だと私は考えた。私が自らの本懐を遂げるために行動すれば、いずれ奴らとの衝突は避けられなくなるからだ」


 そこでベロニカはこちらの反応を窺うように間を置いたが、俺は何も言わなかった。

 そんな俺の様子を面白がっているのか、ベロニカは笑いながら言葉を続ける。


「――――そこで『鎧の英雄』たるお前が出てくるんだよ。だがまぁ……こちらとしても、お前のことを良く知らないままでは話にならないからな。いくら私でも、良く知りもしない奴のことをいきなり味方に引き入れようなどとは思わない」

「そもそも俺は協力するつもりなんてないぞ」

「それはそうだろうよ」


 当然だな、とベロニカは頷いた。


「だからこそ、だ。まず私は、私なりのやり方でお前という男を試そうと考えた」

「試す?」

「そう、試す。つまりはお前が私の同志として、相応しいか否かを見極めようということだ」


 話しながら、徐々にベロニカは俺との距離を詰めてくる。足取りは軽快で、敵意や殺意などは一切感じられなかった。それを見て、俺はどこか毒気を抜かれてしまった。警戒心は変わらずあったのだが、あまりにも自然で緊張感に欠けるその空気に当てられてしまったのは否定できない。

 だからこそその一瞬、俺が気を抜いて油断していたのは事実で――。


 ――――瞬間、ベロニカの姿が視界から掻き消えた。


「!?」


 何が起きた――――? 慌てて周囲を見渡しても、ベロニカの姿はやはり見えない。馬鹿な、おかしい。必死に現状を把握しようとするが、しかし冷静さを取り戻す前に更なる驚愕が俺を襲う。


「具体的には


 その声は、俺のから聞こえてきた。

 咄嗟に上を見上げると、そこには。


「さあ、楽しもう。落胆だけはさせてくれるなよ」


 コートを翻しながら宙を舞い、そう微笑むベロニカの姿。構える銃の照準は、俺の頭に真っ直ぐ向けられていた。虚を突かれて唖然とする俺の目が、空中で銃の撃鉄を起こすベロニカを捉える。引き金にかけられた指先に、力が込められて――――。

 瞬間、その銃口が火を噴いた。


「――はっ、良い反応だ! 中々じゃないか!!」


 ベロニカが歓喜の声を上げる。俺が今の一撃で倒れなかったということに対してだろうが、こっちからすればたまったもんじゃない。地面を数度転がって、何とか体勢を整える。突然の攻撃に無理がある回避をしたせいで、襲い掛かる負担に体が悲鳴を上げた。

 

「何の……っ、つもりだ!」


 銃声が響き渡るのと、俺が飛びのくのはほぼ同時だった。先ほどの攻撃を避けられたのは奇跡としか言いようがないだろう。鎧の力で身体能力が上がっていなければ、今頃俺の頭にはでかい穴が開いていたはずだ。あれはフェアレーターを倒すほどの強力な銃だ――いくら鎧を纏っていても、直撃すればひとたまりもないに違いない。


「だから言っただろう、私なりのやり方でお前を試すとね!」


 顔を上げると、眼前にベロニカの蹴りが迫っていた。それを何とか受け止めて、鎧の力に任せて宙に放り投げる。

 突然襲い掛かってきやがって、どういうつもりなのかは知らないが――!


「そっちがその気ならやってやるよ!!」


 叫び、追撃を加えようと拳を振り上げる。


「うぉおおおおおおっ!!」


 ベロニカの持つ拳銃目掛けて、俺は全力の正拳を放つ。この銃さえなければ、ベロニカはただの人だ。だったらまずは攻撃手段を奪って、その後で尋問なり何なりすればいいだけの話。こいつが何者なのかは、そのとき調べれば良い。

 そう、思っていたのだが。


「甘い」


 ベロニカは俺の腕を、頭上を飛び越えていった。


「なっ!?」

「猪突猛進だな。素直すぎるのも考え物だぞ」


 着地と同時、こちらに向かって銃を乱射してくるベロニカ。先ほどの一撃とは異なり、それは牽制という側面が強い射撃だった。確実に当てるということよりも、俺の動きを制限するための選択だろう。


「馬鹿に……しやがって!」


 だったら、銃弾より。相手が弾を放つのよりも早く接近して、一気に勝負を畳みかける。


「おらぁああああっ!!」


 刹那のうちに間合いを詰め、ベロニカの眼前に肉薄する。

 狙うはその銃――――!


「くらえぇえええっ!」

「嫌だね」


 しかし再び、俺の拳はいとも簡単に躱されてしまった。それも、ベロニカが少し腕を上げただけで狙いを狂わせれたのだ。

 隙だらけの俺に向かって、ベロニカが腕を振りかぶる。まさか、鎧に生身で打撃を加えるつもりか――? そんなことをすれば、傷を負うのはこいつの方だぞ!?


「はい、バーン」


 ――――ビシ。待っていたのは俺の額にかまされたデコピンの音だった。ベロニカは満足そうに数歩後退って、流し目を寄越してくる。

 馬鹿にされてるのが伝わってきた。頭に血が上って、冷静さを失いかける――――が、どうにか落ち着こうと踏みとどまった。


「……へぇ、良く止まったな。ただの馬鹿ではないってことかな?」

「当たり……前だろ。そんな挑発に引っかかるとでも思ってんのか」

「ああ、さっきまでな。考えを改めるとするよ」


 俺が睨みつけても、ベロニカはどこまでも飄々とした態度を崩さない。


「動きは素人に毛が生えた程度。だが、素質はそこまで悪くないか。ある程度は精神的に自制が効くところも評価できるし――まあ、及第点はくれてやっても良い」

「勝手に人に点数付けてんじゃねぇよ。まだ勝負はついてない!!」


 攻撃を再開する。しかしやはりというべきか、ベロニカは俺の放つ攻撃を次々と優雅に、そして華麗に躱しきる。宙返りを繰り返しながら俺の拳を避けるのと同時に、銃から弾倉を取り外してリロードまで済ませていた。それも呼吸でもするかのような、自然な動作で。


「負けず嫌いだな、もう実力差は充分伝わっただろ?」


 ああ、その通りだ。俺はこのまま戦っててもこいつには勝てないだろう。けど、だからってこのままやられっぱなしってわけにはいかないだろ。

 攻撃をやめようとしない俺を、ベロニカは呆れたように笑う。だが今度はすぐ真剣な表情になって、俺に問いかけてきた。


「戒、お前は何故フェアレーターと戦う?」


 随分おかしな質問だと、今度は俺が笑いそうになってしまった。

 何故? そんなもの決まっているだろう。


「あんな怪物に襲われてる人たちを放っておけない。助けたいからだ!」

「ほう、なら何故助けたい。見ず知らずの無関係の人間を、どうして守って戦おうなんて考えるんだよ」


 これもまた馬鹿げた質問だ。それは――――それこそが、俺の夢そのものだからだ。


「俺はヒーローだからだ。それが俺の願いだからだ。ヒーローは困っている人や、弱い人を見捨てたりしない」

「……はっ」


 俺の答えを聞いて、ベロニカはそれを笑った。確かに他人からすれば、俺の願いなんて子供の夢見るような絵空事だろう。けれど、俺が手に入れたちから。これがあれば、きっとヒーローにだってなれる。その願いを叶えるため、その為に俺は現実世界でも報われない努力を続けていたんだ。


「だったら、どんなヒーローになりたい? 言ってみろよ」

「それは……」


 ――――ファルコン。俺の目指す、完成されたヒーローの姿。


「俺には小さいころから憧れてきたヒーローがいる。俺はそうなりたいんだよ!!」

「……」


 これこそが、俺にとっての生きる目的。幼いころからこの胸に抱き続けてきた願いそのものだ。どんなヒーローになりたいかなんて、これ以外に考えられないし考えるつもりもない。俺にとってはこの答えこそが全てだ。

 そんな俺の、心からの叫びを聞いてベロニカは――――。


「何だ、所詮はかよ」


 ベロニカの表情から笑みが消える。いや、表情自体が無になった――と言った方が正しいか。その瞬間、ずっと攻撃を躱し続けることに専念していたこいつが攻めに転じた。


「がっ……!」


 高速で放たれた俺の拳が、勢いそのままに上から踏みつけられた。

 俺の顔面スレスレの位置に、その銃口が突きつけられる。


「がっかりしたよ。所詮は鎧を扱うような人間に、崇高な願いを持つ奴なんていないってことか。ああつまらないな、本当にお前はどうしようもない奴だよ」

「何だって……!?」


 ふざけるな。俺の願いは、ファルコンが願っていたこととまったく同じだ。俺の夢を侮辱するってことは、ファルコンを侮辱するのと同じ意味なんだよ。

 そんなことを、俺は許さない。


「その言葉だけは絶対に認めねぇ! 良いか、ファルコンはなぁ!!」

「そのファルコンってのがどんな奴かなんて知らないし、知りたくもないがな。そいつの願いはそいつのもので、お前のものじゃない。お前は他ならぬお前自身の事情で、そのファルコンってやつの真似事をしたがっているだけじゃないかよ。それのどこがお前の願いなんだ? ただ他人に影響されただけじゃないか」


 ――――な――に……。


「ああ、一瞬でもこんなやつを仲間に引き入れようとした自分が恥ずかしい。己を呪いたくなる」


 言いながら、再びベロニカは銃から弾倉を取り外した。先ほどのリロードからそう何発も発砲していない。まだ弾は無くなっていないはずだ。

 ――いったい何のつもりだ?


「そのファルコンとかいうのがヒーローと呼ばれているのは、そいつ自身が願って、決心して、行動したからだろう? 少なくとも、他人の受け売りなんかからはそんな大層な存在は生まれないはずだ。誰かの真似事でデカいことが成せるほど世の中は甘くないから」


 ベロニカがコートの中から別の弾倉を取り出した。それは先ほどのものと形状自体は同じだが、装飾が異なっている。その表面に刻まれた模様は、天使のように見えた。

 ベロニカは取り出したそれを手の中で弄びながら、言葉を続ける。


「更に言わせてもらうが。お前はその夢ゆえに、ただ他人の真似事をするよりも遥かに質の悪いことをしている。お前の夢は、ヒーローになること……それ以上でもそれ以下でもないんだろう。そのファルコンに憧れたからこそ、そう思っているんだろう?」

「だったら……何だ。それの何が悪い」


 ベロニカの青い瞳が、真っ直ぐに俺を射抜いてくる。


「悪いさ、お前のやってることは偽善にすらなってないじゃないか。弱い者を救っているとは言っても、動機が屑過ぎる。ヒーローになりたいから見捨てない? ふざけろ。お前は自分の目的のために、怪物に襲われる人たちをにしているんだ。誰かを救って悦に浸る――――とでも言うべきか。そんな自分に酔ってるんだろう? 必死に生きている人間を馬鹿にするのも大概にしろ」


 ベロニカの言葉には、先ほどまでとは打って変わって明確な殺意が込められていた。

 だが俺には、こいつの言っていることは理解できない。確かに俺はヒーローになりたい。そしてだからこそ、怪物たちに襲われる人々を救うんだ。放っておけない、見捨てることはできないから。それのどこがおかしいんだよ。


「自分自身が心から助けたい、放っておけないと思っているわけでもないのに、他人の真似事という夢の実現のためだけに人を助けて怪物を殺す。これじゃあ助けられた人間も、殺された怪物の方も不憫で仕方ない。――――だから、私が今ここで終わらせてやるよ」


 ベロニカが取り出した弾倉を銃に装填する。

 それと同時に、銃口に凄まじいエネルギーが集中していくのがわかった。まるで聖なる光かのごとき激しい輝きを放ち、蓄積していく力の奔流が周囲に漏れ出して地面をひび割れさせていく。

 この空間が、揺れている。轟々と悲鳴を上げるかのように確かに、延々と揺れ続けている。


「聖煉装弾――――死天使ザラキエル装填」


 放たれる光の中に、赤黒い雷が入り混じる。その色はまるで血を連想させるようなものだった。血だ……鋭く、凶器のように研がれた血の刃が、この世界に満ちていく。雷が鎧を切り裂き、徐々にその強固な防壁に亀裂を生じさせていく――――。


「刈り取れ」


 そう言い放ち、ベロニカは引き金を引いた。

 

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