第14話 そして彼らは邂逅を果たす

 ――また、夢を見た。

 これが夢だと認識できたのは、視界に入ってくる光景が驚くほど現実的だったからだろう。まるで自分が本当にそこに在るかのような錯覚。

 体が、魂が、自分自身を形成するありとあらゆる凡ての要素が--この風景、そして目の前にいるこのひとのことを覚えている。

 しかしその現実感ゆえに、俺はこの空間が夢だということを察したのだ。だから怖い。

 この夢がいったい何を示すものなのか、まるで見当がつかないからだ。




 辺り一面に広がるのは、サラサラと音をたて風に靡くすすき野原。この場所は閑寂としていて、それでいて荘厳だ。ああ、とても綺麗だ――俺に笑いかけるこのひとの美しさがより際立つ。彼女の纏う和服に、この風景はこの上ないほど相応しかった。


「――」


 彼女が何か言った。けれど、俺には聞き取ることができない。多分名前だと思うが、確証はなかった。


「――――」


 再び彼女は俺に語りかける。やはり俺には聞き取れない。

 怖い、恐ろしい――何なんだこの夢は。何故俺はと感じる? 夢の中の俺は、どうしてこんなにも安らぎに包まれているんだ。

 このひとも、この場所も、俺は見たこともないし知らない筈だろう。そんなものがどうして記憶の中に浮かんでくるんだ。

 恐怖を感じるほどのリアリティーと、それに比例して高まる圧倒的なまでの空想的情景。



 耐えられない。――――俺はたまらず、この夢を見続けることを拒否した。




「お、ようやっと目が覚めたか。一人だけ気持ち良く眠りやがって」


 目が開けると、クロヤが俺の顔を恨みがましく眺めていた。大層不満げな表情だが、いったい何があったんだ?


「別にあなたも眠れば良かったじゃない。到着までだいぶ時間があるから、少しでも休んでおけって話だったでしょ」

「俺はこういう不安定な空間じゃ熟睡できねぇんだよ。畳の上じゃなけりゃ落ち着くこともできねぇ」


 なるほど、つまりこいつはただ寝不足なだけというわけか。しかし起きて早々こいつのしかめ面を拝んだお陰で、一気に現実に引き戻された。クロヤをライバル視してる俺にとっては、非常に気分が良い光景である。


「意外と繊細なんだな、お前」

「やかましい、俺は自分のこだわりに嘘はつけねぇんだよ」


 そう言ってクロヤはそっぽを向く。


「だいたい、今どの辺りなんだよ? 出発してからだいぶ経ったぜ。いい加減ただ座ってるだけなのも飽きたぞ」

「まったく、あなたは……。 騒がなくてもあと少しで到着ですよ。そうしたら存分に働いてもらいますから、今はまだ大人しくしていてください」


 呆れ顔で窘めるディラン。クロヤはこの馬車の旅が相当気に入らなかったらしい。俺は出発してすぐ寝てしまったから、予想よりずっと快適な旅だったけれど。


「戒も、いつまでも寝ぼけてないでよね。着いたらすぐに調査開始だから」

「わかってるよ。大丈夫だって」


 言われて、俺は両頬を叩いて頭をはっきりさせる。いつまでも夢心地ではいられない。今回はいつも通り怪物を倒して終わりということにはならない筈だ。なんと言ってもフェアレーターの群れだ。いったいどれだけの数が町の中に潜んでいるかはわからないが、一筋縄でいかないことだけは確かだろう。


 改めて気を引き締め直して、俺は到着の時を待った。





 東岸の港町、アルトシス。

 到着し、馬車を降りてすぐ感じたのはほんのりと香る磯の香りだ。吹き付ける潮風に当てられて、すぐ近くに海が広がっていることを実感する。クレアさんの言葉通りこの町は漁業が盛んなようで、辺りには漁師らしき者たちや、並んで停泊する多くの漁船の姿が見えた。とは言っても、やはりフェアレーターが出現しているせいか、活気に満ち溢れているとは言い難いが。

 イザベラが辺りを見回して、俺たちに指示を出す。


「よし。何はともあれ、まずは駐留している騎士たちと合流しなければ話は始まらないわ。騎士団の面々が待機している町の教会堂がある筈だから、ひとまずそこを目指すわよ」

「了解しました」


 ディランと俺は頷いて、教会堂の位置を確認すべく地図を広げる。クロヤはなにやらあらぬ方向をじっと見つめて黙ったままだ。そんなに気に入らなかったのか、馬車。


「ほっときましょ。どうせ戦いになったらすぐに調子こいて暴れだすわ。それより、どう?」

「ええ、教会堂があるのは町の中心ですね。ここからそう遠くないようです」


 ディランが地図を指さし、その場所を示す。


「騎士たちと合流した後はどうするんだ?」

「まずは彼らから敵の詳細を聞かない以上、不用意に行動するのは得策じゃないわ。今回はかなり特殊なケースだし、慎重に運ぶに越したことはないでしょう。気が逸るのはわかるけど、とにかく作戦を立てることが第一ね」


 敵が何体いて、どんな習性を持っているのか。クレアさんの話では十数体が確認されていて、すでに騎士たちが何体か倒すことに成功しているということだったけれど。町の人々のことは心配だが、焦って被害を増やしてしまっては元も子もない。


「わかった。今回は慎重に行こう」

「頼みますよ。あなたは穢威波の村でも我々の忠告を無視して突っ走ってましたからね」

「……そうね。戒ってクロヤ以上に暴走癖があるし」


 随分と酷い言われようだ。さすがの俺だって、時と場合を考えて行動している。そもそも、俺は暴走って言うほどの暴走はしてない――よな?


「……」


 イザベラとディランは俺のことをジト目で見つめてくる。まったく信用されてない。そんなに向こう見ずなことしたっけか、俺。

 ……これ以上この話を長引かせると、俺の立場が危うそうだ。


「そんなことよりほら! まずは教会堂に行くんだろ、早く出発しようぜ? クロヤも、いつまで機嫌悪くしてんだよ。任務だぞ」


 俺はそう言って、話の矛先を自分からクロヤに無理やり変えようと――。

 と、クロヤは未だにどこか虚空を見つめて押し黙ったままだ。一体何がどうしたって言うんだ?


「おい、クロヤ?」

「……ぁんだよ」


 恐ろしく不機嫌そうな反応が返ってきた。


「聞いてるのか? 教会堂に向かうんだ」

「あー……多分その必要はねぇぞ」


 何だって? それはどういう――――。


。あの化け物どもの匂いだ……」


 なっ――。クロヤの言葉に、俺は一瞬面食らう。穢威波の人間は人外に大して鼻が利くという話だったが、こんなにもすぐにわかるものなのか。

 驚いたのはイザベラとディランも同じだったようで、クロヤを問いただす。


「場所は?数は? 奴らはどこにいるの!?」

「あぁ……まあ、なんだ」


 どうにも歯切れが悪い。もったいぶるような性格でもなし、わかっているのならさっさと話して欲しい。


「数は……五、いや六か。場所は……そうだな」


 それからクロヤは一拍置いて。


「今、この場だ。教会堂はすぐには行けなそうだな」


 と言った。




 ――――瞬間、黒い影が幾重かに連なりながら俺たちの真横を駆け抜けていった。

 凄まじいスピードで姿は良く見えなかったが、こんな非常識な速度で動く奴なんかあいつらしかいない。


「……フェアレーターか!?」


 イザベラとディランが剣を引き抜き、魔術を発動させる。これまでと同じように、魔術の結界で相手の動きを制限しつつ戦いを進めるつもりだろう。この戦法で既に一定の戦果を挙げている以上、この戦法は定石と言える。


「――装着、ファルコン!!」


 俺も鎧を身に纏い、奴らの攻撃に備える。特性がわからないまま遭遇してしまった以上、まずは守りに徹して相手の攻撃を見極めるしかない。

 クロヤは――――。


「馬鹿が、生温いんだよ」


 クロヤは、こともあろうか高速で移動する怪物たちに。それどころか前を走るフェアレーターの腕を鷲掴みにし、上空に放り投げた。


「クロヤ、お前!」

「ちんたらちんたらやってたって仕方ねえだろうが」


 俺の非難の声を聞いても、クロヤは何処吹く風といった様子でそう嘯く。ああそうだ、非常識さではこいつもまったく負けていなかったのだ。


「奇襲とは良い度胸だ化け物ども。俺の裏をかこうなんて万年早ぇ」


 凶悪な笑みを浮かべ、クロヤは右腕に闇の渦が湧き上がらせる。その表情はまさに獲物に標的を定めた猛獣のそれだ。溜まりに溜まった鬱憤を晴らすが如く、この男は突然の敵襲に歓喜している。先ほどまでの顔は不機嫌だったわけではなく、正確に相手の出方を窺っていた――と言ったところだろう。


「くたばれ……穢威波エイハ騏驥過隙キキカゲキィ!!」


 空中で自由を失くしもがき続けていたフェアレーターに狙いをつけて、クロヤは高めた闇黒を解放する。闇の波濤に呑まれた怪物は、その奔流にもまれて鈍い悲鳴を上げながら消失した。

 仲間を仕留められて怒りにかられたのか、一体がクロヤに特攻をかけた。

 ――――が、しかし。


「おらぁ!!」


 それすらも読み切っていたのか、それとも超人的な反応速度ゆえか。クロヤのかかと落としが突進してきた怪物の顔面にめり込み、そのまま地面に叩きつける。抜け出そうと抵抗していた怪物だったが、クロヤが勢いに任せ数度踏みつぶすと、やがて静かに動かなくなった。


「……」


 あまりの早業に、俺たち三人は呆気にとられる。そしてそれは、襲撃してきたフェアレーターたちも同じだったようだ。先ほどまでとは打って変わって、クロヤの動きを警戒するようにじりじりと俺たちを囲う陣形を取る。


「ハッ、雑魚枠にしちゃ賢いじゃねぇかよ。その程度の速さでこの俺を攪乱できると思ったら大間違いだ。俺たちの牙城を崩したけりゃ、倍の数は用意してこい」


 完全にこいつの独壇場だ。襲撃からものの数分で二体のフェアレーターを倒してしまった。仕掛けてきたのは六体だから、これで残るは四体。


「おい、いつまで呆けてやがるんだ。まさか俺に全部やらせるつもりじゃねぇだろうな」


 そう言われ、俺は我に返った。クロヤはニヤニヤと小馬鹿にしたような視線を俺に送ってくる。このぐらいのこともできないのか――――と、差し詰めそんなところだろう。くそ、舐めやがって。そうやってただ黙って煽られているだけで終わってたまるかよ。


「馬鹿にするな。俺だってそのぐらいやってみせるさ」

「そうか、なら見せてくれよ。……それにそんなに警戒しなくとも、こいつらはそこまで脅威じゃねぇ。さっきも言ったろ、こいつらはただの雑魚なんだよ。本当に警戒すべき敵はここにはいねぇ」


 ――どういうことだ? クロヤは、俺たちにはわからない何かを感じ取っていたということだろうか。


「戒、前よ!」


 イザベラの声に咄嗟に反応して、攻め込んできた怪物を。なるほど確かに、クロヤの言う通りだ。こいつらはスピードは中々のものだが、力はそこまでじゃない。今までの敵は軽く受け流してやるだけでは攻撃を捌くことなんかできなかった。


「はぁっ!!」


 短刀を引き抜き、体勢を崩した怪物の背に目掛けて投合する。短刀はその背に直撃し、怪物の胴を貫いた。ああ――同じフェアレーターとは思えないほど、こいつらは脆い。

 イザベラ、ディランも俺と同時に、それぞれ怪物を撃破していた。この程度の相手ならば、イザベラたちの相手になるわけもない。ましてクロヤなどにとっては赤子の手を捻るようなものだろう。なるほど、これなら駐留しているという騎士たちがフェアレーターを退治できたというのにも納得がいく。


「残るは一体――!」


 仲間たちが次々と屠られていくのを目にして、最後の一体は逃走を試みた。当然の選択だろう。だが、ここで易々と逃がすほど俺たちは甘くないんだよ。


「クロヤッ!」

「おうさ、力貸してやるから決めてみろや」


 既にクロヤは手を打っていた。これは以前も見た技――――相手を捕縛し動きを止める穢威波の技、繋風捕影ケイフウホエイ。つまり、お膳立ては整っているってことだ。


「くらえぇえええっ!!」


 全力を込めた縦拳一閃――――。正面からまともに受けた怪物は、ぺしゃんこになって潰れてしまった。

 辺りに他のフェアレーターの姿は見えないかった。だが以前、そう思っていて隠れていたやつに良いようにやられてしまったし、まだ油断はできない。


「そう警戒しなさんな。この辺りにいた化け物は今のやつで最後だ、他には匂わない」

「そ……そうか」


 俺のそんな姿を見て、クロヤは苦笑しながらそう言った。まったくクロヤ、というか穢威波の探知能力ってのは便利なもんだな。こいつがいればフェアレーターが透明化していても、すぐに居場所を探知できる。この能力がなければただの戦闘狂の馬鹿だが、こいつのお陰で以前ほど打つ手なしという状況は少なくなったと言えるしな。――そこだけは、感謝しておこうか。


「ふぅ、一先ず凌ぎ切ったというところでしょうか」

「……確かに一体一体の強さは大したことはなかったけれど、あの数はやはり厄介ね。早く騎士たちと合流しましょう」


 イザベラの言う通りだ。まずは現状の把握、すべてはそれから。

 周囲を警戒しながら、俺たちは教会堂目指して足を急がせた。





「お待ちしておりました、副団長。私はこの部隊の隊長であるジョー・アディソンと申します」


 ようやくたどり着いた教会堂には、数名の騎士たちが待機していた。その中でも一番生真面目そうな印象のこの若者が、部隊の隊長らしい。彼らは俺たちの到着を待っていたようで、すぐに作戦会議の場が設けられた。


「遅れてごめんなさい。状況はどのような感じかしら」

「ええ、クレア団長から話は聞いているかと思いますが、今この町はフェアレーターの群れに襲われていまして」

「それについてはもう充分理解したわ。先ほど、此処に到着してすぐ六体のフェアレーターに襲われた。どうにか全部倒し切ったけど、あれで全部というわけではないんでしょう?」


 六体全てを倒したと聞いて、アディソン隊長たちはざわついた。いくら精鋭の騎士たちとはいえ、フェアレーターの相手は骨が折れたことだろう。そんな彼らからすれば、同時に六体も撃破したと聞いて驚くのも無理はないかもしれない。しかし、やはりそこはプロか。アディソン隊長は、すぐにまた生真面目な表情になって話を続ける。


「我々が手を焼いているあの怪物どもを六体も倒すとは……さすがですね。しかし、副団長の予想通りです。この町にはまだまだ奴らが潜んでいます。それに、日に日に数を増やしているようなのです」

「あなたたちも何体か倒していると聞いたけど」

「ええ。ですが、恥ずかしながら我々の力では、一日に二体、多くて三体の討伐が限界です。単純に、我々がいくら討伐に成功しても奴らの増えるペースの方が早いのです。度重なる戦闘に騎士たちも疲弊していて、これ以上は……」


 どうやら、事態はかなり深刻らしい。俺たちがこのタイミングでここに辿り着けたのは不幸中の幸いだろう。今はどうにかなっていても、このままではいずれ騎士たちの手も回らなくなっていたに違いない。


「んなことはわかってる。お前らにあいつらの相手は無理だ。それよりも、あの化け物どもが増殖している大元がどこかにあるはずだ。知らねぇか?」


 クロヤのやつ、はっきり言いやがって。――――それにしても、大元とは一体なんだ?


「大元? 何のことです?」

「さっき俺たちが戦った奴らは、ただの駒だ。芯が通ってねぇスカスカの木偶の坊だ。俺が今までぶっ殺してきた化け物どもは、あんなに脆くねぇ。どこかにあいつらの生みの親である本体がいる筈だ。そこがだ」


 ディランの問いにクロヤがそう答える。つまり、俺たちがさっき倒したのは働きアリみたいなもので、その発生源である巣がどこかにある。そこに奴らを増殖させている何かがいるというわけか。

 アディソン隊長は頷いて、地図を広げた。そこにはいくつかの印がついていて、隊長はそれらを指しながら説明を始める。


「ええ、我々もそれは考えていました。増えている以上、どこかに親玉がいるに違いないと。そこで、三か所ほど目星はついています。しかしながらどこもフェアレーターの数が多くて、我々では攻め込むこともままならず――――」

「ああ、わかったもう良い。そこまで調べがついているなら上出来だ。後は俺たちに任せて、お前らは住人を守ることを優先するんだな」


 そう言って、クロヤはアディソン隊長から地図を取り上げてしまった。どこまでも勝手な奴だと思ったが、確かにここまで調べがついているなら、後は俺たちがやった方が犠牲も少なくて済むだろう。 


「三か所――――ですか。どうします、一つ一つ潰していきますか」

「ええ、そうね。多分それが一番確実で安全でしょう」


 言って、イザベラとディランはまずどこを当たるか相談を始めた。しかしクロヤはその二人の様子を見て、何を言っているんだと笑い飛ばす。


「馬鹿野郎、手分けして当たったほうがはえーだろ」

「はぁ!? 何言ってるの、危険よ。そんなこと許可できるとでも思ってるの?」


 クロヤの意見に、イザベラは当然異を唱える。


「許可も何も、俺は別にお前の部下じゃねぇぞ。まあそう心配なさんな。とっとと巣を潰して、美味いもん食ってさっさと帰ろうや」


 そう自信ありげに言い放ちつつ、クロヤは地図の印のうち、町の北に位置する場所を指さした。


「俺はここを当たってみる。そうだな……後は戒が単騎で南、お前さんたち二人は西を当たってくれ。実力的に、俺たちが単独で行動した方が早く済むだろ?」


 そうしてクロヤは挑発的な視線を送ってくる。ああ、まただ。やっぱりこいつ、俺のことを試してやがるな。一人でどれだけやれるか、確かめてやろうって腹だろう。


「良いぜ、俺はそれで」

「ちょっと戒!」


 俺がそう言うと、当然イザベラは非難の声を上げた。まあ心配してくれてるんだろうが、このままでは引き下がれないし。もう鎧があるから大丈夫、なんて慢心はするつもりはないが、俺だって以前と比べれば進歩してる。少しでも特訓の成果を見せてやるさ。


「決まりだな」


 クロヤはそう言って不敵に笑い、教会堂から飛び出していった。イザベラは必死に制止するが、時すでに遅し。俺も――まあ別に競争でも何でもないから、本当はそんな必要はないんだが、とにかく俺も釣られて扉を開けて駆け出す。

 そのとき背後から、


「この暴走コンビ!!」


 ――――と、イザベラのバカでかい怒声が聞こえてきた。……とりあえず聞かなかったことにした。





「――確か、この辺り……だよな」


 地図に印がついていたのは、この近くの廃屋だったはずだ。もともとは漁で獲れた魚などを加工する工場のような役割を持っていたらしい。今は移転して使われていないらしいが、昔はそれなりに有名な場所だったそうだ。


「ここ、か……」


 辺りを探索すると、それらしき建物はすぐに見つかった。付近にも似たような建物が立ち並んでいたが、そこだけが何か異様な雰囲気を醸し出していた。

 扉を押して、中に足を踏み入れる。内部は真っ暗だった。窓は一つもなく、明かりが差し込む隙間もない。確かに、奴らの隠れ家には持って来いの場所だった。


「イデアール魔術騎士団のお方かな?」


 突然そう呼びかけられ、咄嗟に身構える。暗闇の中で目を凝らすが、しかし声の主の姿は確認できない。


「何者だ!?」


 仕方なく、そう言って声を張り上げる。俺の問いかけに対して、相手は何がおかしいのか笑い出した。


「おかしなことを言う人だ! 理解しているからこそ、あなたはここに来たのでしょう。私はですよ」


 ――――つまり、俺は当たりを引いたというわけか。だったら話は早い。クロヤには悪いが、親玉はここで俺が倒してしまえばいい。


「そうかよ、素直に認めてくれて助かったぜ。お前らのやり口は、人を騙して喰らうことだからな。いつもならもう少し手間取るんだが、今回は手間が省けた。巣を暴かれて観念したってわけか?」

「はっ、そんなわけないでしょう。そもそも私を、そこらの凡百のフェアレーターと一緒にしてもらっては困りますね。私のやり口は彼らとは少々異なる」


 ――声のする方向から、敵のおおよその位置は掴めた。後は攻撃を仕掛けるタイミングだが……いや、まずは視界を確保しないことには始まらない。この位置からだと、隙を見て天井をぶち抜く他ないか。


「どうかな? やり方はどうあれ、お前らが人間を喰らうことに変わりはないだろう。だったら俺にとってはお前も、今までの奴らもそう変わらねぇよ」

「確かにフェアレーターは生きていくためにを喰らわねばなりません。しかし、私は他の者らとは違う。食事はあくまで食事だ。いつかために? 更なる進化を目指して? 馬鹿馬鹿しい、私たちは必要などないのだ」


 ――――また、だ。今まで出会ったフェアレーターも、帰るためということに執拗に拘っていた。一体それにはどんな意味があるんだ? 

 俺はこいつからもう少し情報を引き出すことにした。幸い、こいつは意識もしっかりとあるし、口も達者らしいからな。


「へぇ、何がどう違うのか聞きたいね。だったらお前はどんな目的で人間を襲うって言うんだよ」

「もちろん、弱者を虐めるのはこの上なく楽しいからに決まっているでしょう! 他の者らは人形どもを喰らうことに躍起になっている。まるでそれこそが崇高な目的であるかのように妄信しているのです。だが本質は違うのです……ここにいれば、永遠に人形どもを狩り、嬲り、犯し、蹂躙しつくせる。これほどの快楽が他にあるでしょうか? ほら、帰る必要など、どこにもないでしょう?」


 ああ、こいつはとんだサイコ野郎だったか。これまでの奴らはどこか人間味が感じられる奴だったり、逆に自我なんて吹っ飛んでしまったような奴だったり、どこか捉えどころのない奴ばかりだった。だがこいつは違う。こいつは、本質的にただひたすら屑であるというだけなんだ。

 こういうやつとは長くは話していたくない。だから俺は、これまでずっと疑問に思っていたことを、何の捻りも無く単刀直入に尋ねた。


「帰るって……どこにだよ」

「ん? 決まっているでしょう、生まれた場所にですよ。それ以外に言い表す言葉などない。まったく、つまらない目的ですよねぇ。このままでいれば、人外の力を誇示して永久の勝ち組でいられるというのに」

「……そうかよ」


 ――――これ以上は、無駄か。このまま話していても、もう目新しい情報は得られなそうだ。それにこんな奴と話していると、こっちまで頭がおかしくなりそうだし。


「装着、ファルコン!!」


 腕輪から鎧を形成して身に纏う。そして両翼を広げ、天井目掛けて疾駆した。そのまま屋根をぶち抜く。これ以上の会話は必要ない、とっととケリをつけてしまおう。


「これでもう、隠れても無駄だぞッ!」


 上空への突進で天井にでかい大穴を開けたことによって、建物の内部に明かりが差し込まれる。俺は建物の上空で滞空して、天井の穴から敵の姿を確認しようと――――。

 ――その時、俺の視界に信じがたい光景が映り込んだ。


「――――何だ、あれは」


 自分の目を疑った。一体あれは何だ、どういうことだ。

 奴らは全部で


「…………っ」


 天井に開いた大穴から、内部の様子が良く見える。その光景は常軌を逸していた。所狭しと蠢く怪物の群れ。あの建物の中に納まりきっているのが不思議なくらいの、大量の蟲どもの姿だった。ガチガチ、ギチギチと……互いの体が擦れる不快な音が、この上空まで聞こえてくる。その数、百や二百じゃない。間違いなく千体以上はあの中にいる。

 ――――ああそうか、奴らは初めから隠れてなんかいなかったのだ。あの扉を開けたその瞬間から、俺はあいつらに囲まれていたのだ。


「そういうことです。まさにあなたは蜂の巣なのですよ、『鎧の英雄』」


 怪物どもの群れの中心で、文字通り女王バチのような姿のフェアレーターがそう笑った。女王バチが合図を出すと、建物の中で蠢いていた千体以上のフェアレーターが一斉に俺に襲い掛かってきた。それぞれがそれぞれの体を踏み台にして、主の命を実行するため標的である俺に迫ってくる。恐ろしい速度で這い上がってくる蟲の大軍を見て、怖気が走った。


「……くそっ」


 ひとまず退却するしかない。これがあのフェアレーターの能力なんだ。進化した結果、蜂や蟻のようにどんどん数を増やす増殖の能力を得たんだろう。俺一人でどうにかできる相手じゃない。今すぐ仲間たちを呼んで――――。


「逃がしませんよ」


 ――遅かった。奴らのスピードがとんでもないことはわかっていたのに、一瞬判断が遅れてしまった。単体がそこまで脅威ではなくとも、これだけの数に一斉に襲われたら――――!


「うぁあああああああああああああああああああっ!!」


 怪物の群れに呑まれる。凄まじい衝撃と、精神的不快感が俺に襲い掛かってくる。鎧を纏っていようがいまいが関係ない。こんなもの、発狂したっておかしくない。

 ――――ガチガチ、ギチギチ、カサカサ…………。そんな気持ちの悪い音ばかりが耳に入ってくる。俺の、体中を、人間大の働きバチどもが、這い回っている――――……。

 


「やめろぉおおおおおおおおおおおお!」


 どれだけ叫んでも、俺はこの生き地獄から逃れることはできない。翼の自由も奪われ、俺は抵抗することもできず奴らの巣に引きずり込まれた。


「はっはっはっはっはァ! ああ、無様ですね、『鎧の英雄』!? 心地よい悲鳴だ……これだから人形狩りはやめられない!」

「ガ……ア……」

「心配しなくとも、すぐには殺しません。まずはその鎧を少しずつ溶かして、それからあなた自身の肉体を、両足から徐々に徐々に何日も掛けてゆっくりと咀嚼してあげましょう。ああぁ……胸が躍りますね。食事と同時にあなたの絶望と恐怖が入り混じった表情を堪能することができるのですからぁ!!」


 もう俺には、まともに思考ができるほどの意思が残されていなかった。常軌を逸した不快感と、視界を埋め尽くす蟲のせいで、この現状を有りのままに受け止めることができない。感じているのは、ただひたすらに後悔だけだ。もっと上手くやれなかったのか。俺はこんなところで夢破れてしまうのか。こんなもの、ヒーローの結末としてと、ただそれだけを考えて、考えて――――!

 ああもう、何もかも諦めてしまおうかと思ったその時だった。


『ああ、反吐が出る。お前はケダモノ以下だ。生かしておけない』


 蟲の這い回る音のせいで、くぐもった耳にも確かにその声は届いた。

 それから今度ははっきりと、聞こえてくる。


「死んでしまえよ、化け物が。お前はとうに外れている」


 そして、周囲に鋭い爆音が響き渡った。これは……銃声?

 体中を這っていた蟲が急速に消滅していく。何だ、何が起きた――――!?


「ほう、まだ意識があったのか。そいつは上々。なかなかの精神力じゃないか」


 体を起こして、周囲を見回す。体中に先ほどの不快感は残ったままだが、どうにか動くことができた。あのフェアレーターは、どうなったんだ?

 ――――そして目が合った。

 黒いコートに、長い金髪――――……。


「よう、初めましてだな。『鎧の英雄』」


 そう言って不敵に笑うのは、銃を構えてフェアレーターを踏みつける青い瞳の女だった。

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