第13話 暗躍する猟犬

 クレアさんから呼び出しがあったのは、イザベラに日課である戦闘の訓練をつけてもらっているときだった。

 ここ最近、フェアレーター関連の事件は起きていない。いや、疑わしい事件は国中で確認されてはいるのだが、その全てをしらみつぶしに当たっていても埒が明かないだろう。よってその調査はクレアさんやイザベラの部下である騎士たちと、協力関係にある穢威波の一族に任せ、俺は一刻も早く戦闘技術を学ぶべく訓練に明け暮れていたのだが――――。


「遅れて申し訳ありません、団長」

「来たか。イザベラ、戒……まあ座ってくれ」


 イザベラに続いて、クレアさんの待つ会議室に入る。促され席に目を向けるとそこには、既にディランとクロヤの姿もあった。


「何だ、二人も呼ばれてたのか」

「ええ、どうやら久しぶりに怪物がらみの仕事になりそうですね」


 言いつつ、深いため息を吐くディラン。ここ数週間は平和そのものだったから、そんなディランの様子も理解できる。俺たちが揃って呼び出されたということは、その平和な日常に終わりが告げられた、ということだ。


「しけた面してんじゃねぇよ。俺はいい加減待ちくたびれてたぜ? 待てども待てども化け物が現れないんじゃあ、ここまで出向いてきた意味がねぇし」

「どうせあなたはただ戦いたいだけでしょう。……それで団長、今回の任務とは?」


 イザベラが問うと、クレアさんは頷いて話始める。


「ああ、お前たちが予想している通り……フェアレーター出現の報が入った。場所は首都から東に向かった先にある港町で、既に住人の中から数人、犠牲者が出ている」

「港町というと……アルトシスですか。ここからは随分離れていますが……」


 ディランはそう言うが、この国の地理に疎い俺とクロヤはいまいちピンとこない。そこでクレアさんが地図を指さし、俺たちにもわかるように位置を確認していく。


「ここが首都、そしてこっちがくだんの港町アルトシスだ」

「なるほど……確かに結構離れてますね。ここからだと丸一日かかるんじゃないですか」


 俺がそう言い、クロヤはめんどくさそうに地図を見やる。町までの道のりのことを考えているんだろう。――確かにいつもの馬車移動がさらに長時間になるかと思うと、もうすでに尻が痛くなりそうだ。ずっと座ってるだけって、結構しんどいんだよな。


「不満そうな顔をするな。そう悪いことばかりではないと思うぞ? 何しろあの町は食い物が美味い。とれたての新鮮な魚介類が食い放題だからな」

「……団長、あなたはまたそんなことを……」


 クレアさんはこんなときでもどこか軽い調子だ。そんなクレアさんをイザベラがたしなめるが、その言葉は強くない。クレアさんのこの態度を改めさせることに関しては、もう心のどこかで諦めてしまっているんだろうな。

 そして当然のごとく、そんな注意を受けてもクレアさんは何処吹く風といった感じだ。 


「良いじゃないか、本当は私自ら出向きたいくらいなんだぞ」

「無茶言わないでくださいよ。団長がここを離れたら、万が一の時誰が首都を守るんですか」


 そう、今のところ運よくこの首都はフェアレーターに襲われていないが、その偶然もいつまで続くかわからない。俺たちが任務で不在だった場合、この場所を守れるのはクレアさんだけなのだ。そんな彼女がこの首都を離れることを、副団長たるイザベラがおいそれと認めるはずがない。


「……わかっているよ。その代わり、必ず土産に海老を買ってきてくれよ。あそこで獲れる海老が私はたまらなく好きだ」

「はいはい、わかりましたから。早く事件の詳細を説明してください」

「む……仕方ない」


 なんというか、これから怪物と戦いに行くとは思えないほど緩い空気のままだが、気にせずクレアさんは説明を始めた。


「一週間前のことだ。アルトシスで住人が行方不明になったとの報告が相次いだ。直ちに騎士たちを調査に向かわせたが……同時に、町ではある噂が広まっていたんだ。怪物の群れを見た、とね」

「群れ、というと……穢威波の村で遭遇したようなフェアレーターの集団の事でしょうか」


 ディランが言う通り、以前遭遇したフェアレーターたちも三体のグループで行動していた。そのほとんどはクロヤによって倒されたため、被害はあの家族だけ済んだのだが。奴らは互いに協力しあって餌を探し徘徊していた――今度の事件もそんなフェアレーターの集団の仕業なのだろうか。


「いいや、どうやら今回は違うらしいな。目撃情報では十数体か、それ以上の数だったという話だ」


 あのフェアレーターが……十体以上も――!?


「明日、全員でアルトシスに向かってもらう。翌朝から調査開始だ」

「ちょっと待ってください……そんな数、どう考えても町が無事で済んでいる筈がない! 俺たちはあいつらの恐ろしさを良く知っている。今すぐ助けに行かないと――――!」


 先ほどまであれほど緩い空気だったこの場が、一気に緊張感で包まれる。もし本当にフェアレーターの群れなんて馬鹿げたものに襲われたなら、今頃アルトシスでは阿鼻叫喚の地獄絵図が広がっていても何もおかしくない。住人たちは一人残らず喰らいつくされ、そこに残るのは血溜まりだけだ。

 脳裏によぎるのは、穢威波の森にあった山小屋での光景。ポタポタと血を滴らせる肉片、臓物、辺りに立ち込めていた強烈な血の匂い。そんな凄惨な有様の中で、テーブルの上に用意された人数分の昼食が、一層場違いに浮いて見えた。彼らはその瞬間を迎えるまでいつもと変わらぬ食卓を囲んでいて、何が起きているのかもわからないまま喰い殺されてしまったのだ。

 俺は、あんな光景を二度と見たくない――――。どれだけ目を逸らそうとも、奴らの手にかかれば人間など只の餌に過ぎないのだと思い知らされた瞬間だった。


「戒、落ち着け」


 クレアさんはトントンと机を指先で叩きながら、俺を諫める。


「君が言いたいことはよくわかるし、それは正しいことだよ。だがな、焦りは禁物とも言うだろう。今は現地にいる騎士たちが対処に当たっているから、君たちはしっかりと準備を整えてから彼らの支援に向かうんだ」

「そうは言うが団長さんよ。失礼かもしれんが、俺はあんたの部下の騎士たちじゃあ、あの化け物どもには太刀打ちできないと思うがな。こいつの言う通り、悠長なことは言ってないでさっさと俺たちが現地に行くべきだと……俺もそう思うぜ」


 そんなクロヤの発言に、イザベラとディランは少しむっとした表情を見せた。確かに部下を侮辱されればそれは腹も立つだろう。――けれど俺もクロヤと同じく、今すぐにでもアルトシスに向かうべきだと思った。

 しかしクレアさんは、まあ待てと言う。


「お前の心配はもっともだろうさ。確かに我々騎士団は今まで奴らに良いようにやられてきたが……今回は少々話が違う。こちらに入っている報告だと、現地にいる騎士たちが既に三体のフェアレーターの討伐に成功しているそうだ」

「なっ……」

「まじかよ」


 俺の鎧や、クロヤの穢威波の力。そんな特別な力がない限り、イザベラのような実力者でもなければフェアレーターを倒すことなどできないと思っていた。


「彼らが言うには、確かに恐ろしい怪物だが戦えないほどではないそうだ。つまり、今回のフェアレーターどもは数こそ多いが、以前までのものと比べてそこまで強くはない……ということらしい。それこそ、騎士団の者でも太刀打ちできるぐらいに」


 癪な話だがね、と付け加えて、クレアさんは自嘲的に笑う。


「本来なら君たちの力を借りなくても良いぐらい騎士たちを強くしなければならないんだが……こればかりは才能の問題もある。イザベラのような逸材はなかなかお目にかかれない。ゆえに今回も事件の解決は君らに頼む他ないんだが、それでも準備に使う時間ぐらいはあるという話だよ。無論、悠長に構えるつもりは毛頭ない」

「……すみません」


 どうやら俺は少し焦ったようだ。俺よりずっと冷静で頭の切れるクレアさんが、何の考えもなしに対処を先延ばしにするはずがない。俺たちが確実に事件を解決できるよう、最低限の時間を与えてくれたんだ。


「構わないさ、むしろ有難いことだよ。それだけ君はアルトシスの人々のことを案じてくれている、ということだろう。何も謝ることはないさ」


 そう言って立ち上がり、クレアさんは話を切り上げた。


「これにて会議を終了する。あとは各々、明日に備え準備を整えろ。解散だ」





「――――で、俺は何でこんなところにいるんだろうな」

「それはあなたが……準備と言っても特にすることない、訓練を再開しようとも思ったがクレアさんに今日は休んでおけと言われた、何か手伝うことはないのか――――と、私に聞いてきたからですが?」

「……ご丁寧に解説どうも。はぁ……部屋で寝てれば良かったよ」


 俺は今、ディランとともにアルメスク教会堂にやってきている。準備をしろ、と言われても鎧のお陰で特に装備を整える必要もない俺は、どうにも暇になってしまってディランに付いてきたわけだ。


「来てしまったのだから仕方ないでしょう。ほら、口ではなく手を動かしてください」

「……へいへい」


 シスターに何か大事な用でもあるのかと思ったが、俺の予想は見事に外れた。ディランがここに来たのは、孤児院の屋根を修理するためだったのだ。まあ修理と言っても応急処置でしかないので、そこまで大げさなことをするわけじゃないけれど。


「申し訳ありません……最近急に雨漏りするようになってしまって。お二人とも、明日から大事な任務があるというのに……」

「大丈夫ですよ、彼はどうせ暇なようですから。せっかく団長が作ってくださった時間だというのに」

「お前なぁ……」


 これじゃあ俺がシスターに、真面目に仕事をしてないみたいに思われるじゃないか。そもそも俺は、任務の時以外は基本暇してるんだよ。事務仕事なんかはやらせてもらえないし、力仕事は騎士たちがいるから人手は足りている。だからまあ最近は、訓練で忙しくしてるのが結構楽しかったりするんだ。


「ってか、そんなこと言ったらお前はどうなんだよ」

「私はいつ任務を言い渡されてもすぐに出撃できるよう、常に身支度は整えてあります。あなたと一緒にしないで欲しいですね」

「くっ……こいつ」


 こんな調子で、憎まれ口を叩くディランと共に作業を進める。途中、子供たちに一緒に遊ぶようせがまれたり、気をきかせてくれたシスターが紅茶を淹れてくれたりして、時間的には予定通りには進まなかったのだけど。

 それでも、これからあの怪物たちと生死のかかった殺し合いをしなければならないことを思えば、この場所は平穏そのもので――ディランに良いように利用されてしまったこの時間も、悪くないと思えた。




 結局、修理が一段落つくころには既に日が落ちていた。あとはディランが最後の点検をするということで、俺は孤児院の中で何をすることもなくただ待つだけだ。

 ……と、思っていたのだが。


「へーっ、騎士さまっていってもたいしたことないなー! カイ!」

「ディランさまと比べたら全然よわっちいや!」

「このクソガキども……!」


 あまりにも暇だったものだから、シスターに何か手伝うことはないか、と尋ねてみた結果がこれである。手伝うといってもここは孤児院なわけで、仕事と言えばもっぱら子供たちの相手だ。こんな感じで、悪ガキどもに舐め腐った態度を取られることを考慮に入れなかった数十分前の俺が腹立たしい。


「だいたいこのゲーム難しすぎるんだよ! 何だよ、込めるマナの量で駒の強さが変わるって!」


 今遊んでいるのは俺の世界でいうチェスや将棋みたいなもので、『マナ・タクティーク』と呼ばれるボードゲームだ。計20体ずつ用意された駒に、あらかじめ定められた量のマナを込めることで強さや能力、相性が変わる。戦闘を行うまで相手のどの駒にどれだけのマナが込められているかはわからず、相手の使っている駒の特性からどれにマナを振り分けているのか、という読み合いが発生するようになっている。

 ちなみに、俺は魔術をまったく扱えない。いや練習すればできるのかもしれないが、今のところはできないって話だ。つまり、ゲーム開始時のマナを込める――といった作業が行えず、まずそこで大恥をかいた。このガキどもはその段階で完全に俺のことを舐めきっていて、内心俺は滅茶苦茶傷つくことになる。見かねたシスターが替わりにマナを込めてくれたのだが、手伝いを買って出たのに気を遣わせてしまったことと、こんな一見か弱そうな女性でもマナを当たり前のように扱えるのだということがわかって、俺の自尊心はもうボロボロになった。


「えー、子供でもできるゲームだぜ? こんなんでも騎士になれるっていうなら、おれだってなれるかもしれないなー!」


 こんな幼いころから、これほどの煽りスキルを持つとは――――将来はどれだけ嫌な奴に育つんだろうか。……なんて卑屈なことを考えていると。


「皆、そろそろ寝る時間ですよ。ゲームはおしまいにしてくださいね」

「えー、そんなぁ。シスター、まだもうちょっとだけー!!」

「我が儘を言わないでください。あまりワーナーさんを困らせるんじゃありませんよ」


 女神だ……救いの女神だ。シスターの助けによって、どうにか俺のメンタルがボロボロになる前にこのゲームを終わらせることができた。危うく俺の中の大人げない本性が顔を出し、最終手段秘儀・ちゃぶ台返しを使うところだったぜ。

 ちぇー、と若干名残惜しそうにしながら、悪ガキどもは寝室に去っていった。だがその瞬間、奴らがこちらをチラ見して小馬鹿にするような視線を送ってきたのを俺は見逃さない。くそ……まじで覚えてろよ。


「申し訳ございません……あの子たちも悪気はないと思う――のですが?」

「シスター。疑問系になってちゃ、まったく説得力がありませんよ」


 どことなく声を掛けずらそうに俺に謝ってきたシスターに苦笑する。気にしないでください、とまだ謝り続けそうなシスターを制止して立ち上がった。


「子供の相手は嫌いじゃないですから。こう見えて、意外と楽しんでたんですよ」

「あなたの方こそ、説得力ありませんわよ」


 強がる俺を見て、シスターは思わず吹き出してしまったようだ。


「はは……情けない」

「そんなことありませんわ、誰しも得意不得意はあるものですから。……でも確かに、マナの扱いが苦手というのは珍しいとは思いますが」

「やっぱりそうですかね。俺はマナってこんな子供の頃から扱えるものなんだって、結構驚きましたけど」

「……? あなたの周りの方も、マナの扱いが苦手だったのですか?」


 ――――あ、やべ。これがこの国の常識なら、俺がマナについて詳しくなさすぎるのはおかしいよな。俺は一応この国の人間ってことになってるわけだし、だったら幼い頃からマナを扱えることぐらい知ってないとおかしいわけで……。


「えー……っと」

「――あ、もしかして。ヤマトの末裔という家柄だからでしょうか」

「! そうそう! そうなんですよ、あっちの人間はマナなんて使わないですからね」


 危ない危ない。このまま答えに窮したままだったら、さすがに怪しまれるところだった。これ以上この話を続けると、俺は必ずボロを出すだろうし、さっさと話題を変えよう。


「それより、ディランはまだ点検とやらに時間かかってるんですか?」

「ええ、まぁ……ほら、あの性格ですから」


 あいつの几帳面さは、本当に呆れ果てるほど徹底してる。おそらく、屋根の隅々まで漏らさず確認しているんだろう。どれだけ小さな穴でも一片たりとも見逃さないように――考えただけで気が滅入る。俺だったら絶対やりたくない。


「あー、じゃあまだ時間はかかりそうですね。何か他に手伝えることってありますか?」

「え? でも……」


 これ以上は迷惑では……と口ごもるシスターだが、俺はと言えば今日はもうこういう日なんだと割り切っている。たまには人助けに一日を使うのも悪くないじゃないか。


「……じゃあ、一つだけ。この孤児院に一人、変わり者の女の子がいまして」

「変わり者……?」


 変わり者と言えばさっきの悪ガキどもも相当変わり者だと思ったけどな。


「いえ、あの子たちは少しやんちゃなだけで、基本的には良い子たちなんです。でも……その子は何と言うか」


 いまいちシスターの話は要領を得ない。いったい、その女の子がどうしたというのだろうか。――何と言うか、話しづらいことというよりは……どう言い表して良いかわからないといった様子だ。


「とにかく、不思議な子――どこか近寄りがたい雰囲気で。それで、その子が毎夜毎夜、ここを抜け出してどこか出歩いているんです。どこに行っているのか、何をしているのか……聞いても何も教えてくれない。何度か後を付けてみたこともあるのですが、どういうわけか毎回見失ってしまうんです。そう……まるで、幽霊みたいに」


 ――――幽霊、か。確かに不思議な話ではある。


「その子は、今どこに?」

「さぁ……それがもう出てしまったようで……見当たらないんです。ワーナーさん、あの子を探してくれませんか? そして、こんなことやめさせてほしい。私、あの子が心配で」


 なるほど、そういうことなら否応もない。こんな話を聞いて、放っておくわけにもいかないからな。不安そうな表情を見せるシスターを安心させるべく、俺はこの頼みを引き受けることにした。どうせディランはまだまだ屋根と睨めっこしてるだろうし。


「わかりました。俺に任せてください」


 



 シスター曰く、少女とは会話ができないらしい。どれだけ語り掛けても、触れても、意思の疎通ができない。他の子供たちも気味悪がって、彼女に近づかない。少女の名前は、「ライン」といった。シスターからその名を聞いた時は、女の子なのに随分かっこいい名前だな、などとくだらないことを考えたが、彼女の境遇を聞かされれば名前のことなどどうでも良くなってしまった。

 彼女には親がいない。――いや、こうしてこの世に生を受けた以上、かつてはいたのだろう。彼女は騎士団が保護し、孤児院に預けたらしい。


「戦災孤児……か」


 七年前、ヤマトの軍隊がイデアールの領土に上陸、西の海岸防衛の基点である町「リーヴァ」では激しい戦闘が繰り広げられた。一歩間違えばあわや全面戦争といった状況下まで戦況は悪化したらしい。だがその襲撃自体がヤマトの総意ではなく、一部の過激な『鎧の英雄』信奉者率いる部隊が独断で行ったものだったこと、当時リーヴァに滞在するイデアール騎士団が、必要以上にヤマトへ挑発行為を繰り返していたことから、双方が謝罪し戦時賠償を支払うということで事態は一応の収束を見た。

 ――しかし、そこで起きてしまった戦禍がなくなることは決してない。受けた傷はただ事実としてそこに残り続け、惨憺さんたんたる悲劇をもたらした。その一つがラインのような戦災孤児だ。


「ここにもいないか……」


 もう長いこと少女を探して歩き続けている。教会堂から随分離れた場所までやってきたが、ラインらしき少女の姿は見つけられなった。辺りを出歩く町の人々にも声を掛けてみるが、それらしい情報は得られなかった。


「……そろそろ戻らないとな」


 辺りは既に真っ暗だ。こんな時間だ……さすがにディランも作業を終えて、俺の帰りをうんざりしながら待っていることだろう。ラインはいつも明け方になれば孤児院に帰ってくるそうだし、今日のところは切り上げてもう戻っても良かったのだが――。

 何故だろう、少女の境遇を知ってしまったせいだろうか。どうしても放っておくことはできない、と思った。




 それからまた一時間ほど走り回ったころ、俺はようやく少女を見つけた。彼女は寂れて手入れの行き届いていない広場のベンチで、足をぶらぶらさせながら一人座っていた。


「こんばんは、君がラインちゃん……だよね?」

「……」


 俺が声を掛けると、ラインはこちらを見て小首を傾げた。虚ろな目だった。まるで、感情がないかのように、彼女の目には色がない。喜怒哀楽を感じられないその目を見て、何故だろう――――恐ろしいと、感じてしまった。


「心配しないで、俺はカイ。カイ・ワーナーだ。シスターに言われて、君を迎えに来た」

「……」


 返答無し。


「どうしてこんなところに来たのかな? シスター、心配してたよ」

「……」


 返答無し。少女は小首を傾げたまま、ただじっと俺を見つめている。


「参ったな……」


 確かに、薄気味の悪い子だなと思った。けれどそれもきっと、戦災孤児という境遇ゆえのことだろう。どうにか彼女の心を開いて、シスターにこれ以上心配を掛けさせないようにしないと。けれど、このままこの場所に留まっているわけにもいかない。


「とにかく、孤児院に帰ろう。夜は危ないから」

「……」


 まずは孤児院に連れ帰ってから、シスターも交えて話した方が良い。そう思った俺は、未だに黙ったままのラインの手を引く。


「……!」


 ――その瞬間、ラインの目にが混じった。初めは驚愕、それから怒り。それは暗く、どす黒い、負の色彩だ。

 怨み、愛憎、恐怖、形容しがたい殺意の奔流――――。。この気味の悪さ、以前にもどこかで。

 反射的に、俺は後ろに飛びのき少女から距離を取った。

 

「お前――――?」

「……あぁ」


 俺のその問いに、ラインは初めて言葉を返した。


「あなた、私と同じなのね」

「何だと……?」


 何を言っている?

 少女の口角が吊り上がっていく。


「でも、違う。あなたはそう……どちらかというと彼らに近い」

「彼ら……?」

「私の同類。願いは違うけれど、目的は同じ」


 知っている、知っているぞ。この感覚。

 俺はこいつとに……会ったことがある。


「ああ……そうか。あなたは彼らと目的が一緒なのね」

「何の話だよ……!」

「あなたはずぅっとここにいて、なりたいんでしょう?」


 ――――刹那、頭の中で俺の記憶を塞き止めていた何かが決壊した。


 ちょっと、そこのお兄さん。

 難しい顔をして。一つ、占っていかないかい? インチキなんかじゃないよ。

 あなたの望みは叶いますよ。必ずね。

 だから、なりたいんでしょう?


「ヒーローってやつにさ」


 ――――――――!! そうだ。俺は何故この世界に来た? どうしてこの世界で鎧に選ばれて戦っている。いくら俺がヒーローになるのが夢だからって、些か出来過ぎてはいないか? これほど異常な事態に置かれているのに、どうして俺も……そして周りも、こんなにこの状況に順応してるんだ――――。


「てめぇ!!」


 腕輪に手を翳す。こいつは逃がしてはいけない、危険だ。今ここで倒す、倒す、倒す、倒す、絶対に――――!!


「装着! ファルコン!!」


 鎧を纏うと同時、俺はラインに向かって突進した。こいつとの勝負は長引かせるわけにはいかない。いや、この一撃、この一瞬で勝負を決めなければ俺は死ぬ。

 それだけじゃない。


「うぉおおおおおおおおおっ!!」


 放っておけば、こいつは俺にとってを口にしてしまうと直感したから――――。


「可哀そう。このままじゃあなたはここでしか生きていけなくなる。その前に……」


 ラインが手を上げる、俺が拳を振り下ろす。まったくの同時だ。


「私が楽にしてあげるわね」


 言って、少女は破顔した。――――その表情は驚くほど猟奇的で、そして美しかった。




 

 ――――――――。


「あーららー。駄目じゃないの、ちゃん。この子は大事な大事な『鎧の英雄』君なのよ? 衝動に任せて殺しちゃったら、これからの計画が台無しじゃない」


 ラインは、自らをリンドと呼ぶ声に眉を顰める。いったいなぜその名を知っている?

 いや、それだけではない。今まさに始末しようとしていた少年を守るように立ちふさがる二つの影。一人は背が高く恰幅の良い男、もう一人は対照的に背は低いが、どこか淫靡な雰囲気を漂わせる茶髪の女だ。ラインは彼らの纏う装束に見覚えがあった。


「……どういうつもりだ、リンド。こいつが死ねば、我々の計画に穴が生じる。わかっているだろう」


 男は低く、鋭い声でラインに問う。その声色は間違いなくラインを咎めるもので、返答次第ではタダでは済まさないという意思を感じさせる。

 しかしラインは彼の問いなど意に介さず、一言。


「あなたたち……猟犬ハウンド。この国に入っていたのね」


 とだけ言った。そうだ、彼らはメトロポリスの軍服を身に着けている。軍服の飾緒や装飾には、いたるところにあの男直属の部下である証の、猟犬を示すものがあしらわれていた。


「なーんだ普通に話せるのね。その子と触れ合ったことで自我を取り戻したのかしら? それともたまたま偶然? 一時的なものかしら……まあ、どちらでも構わないけど」


 女は少年を一瞥してから、ラインの肩に手を置き友人に接するように気軽に語り掛けてくる。強烈な香水の香りに、ラインは思わず顔をしかめた。


「とにかく、あなたに正常な意思があるうちに言っとくわ。あの子を狙うのはやめて。『鎧の英雄』に何かあったら、私たちが大目玉喰らっちゃうわ」

「……そういうこと」


 どちらにせよ、二人が現れた時点でラインにあの少年を始末する気はなくなっていた。同類に触れたことで一時的に意識を取り戻したが、どうせすぐにまた心の奥に沈んでしまって、が表に出るのだ。であれば、わざわざ貴重な時間を殺しなんて物騒なものに割くのももったいないと思った。彼を楽にしてあげようなんて思ったのも、ただの気まぐれだったわけだし。


「別に構わないけど。でも、今回は偶然私が出てきたから良かったものの、が出てきたら今頃その彼は達磨になっていたわよ。気を付けることね」

「ごもっともね。肝に銘じておくわ」


 女はねちっこく言って、ラインの肩から手を離した。二人の姿が闇に溶けていく。本当にこの少年を守るためだけに出てきたのか――ご苦労なことだ。


「我々はこれから、ベロニカに会いに行く」

「あなたの仕事はまだ先よ。だからしばらくの間、良い子にしててね」


 二人はそれだけ言い残して、とうとう完全に姿を消した。


「……だから、それは私に言っても無駄なのよ。自分じゃ、どうにもできないんだから」


 そして、ラインもその場から歩き去る。久々に表に出てこれたのだ。……今夜ぐらいこの体を、好きに使わせてもらうわ――――。






「ん……?」


 ふと目が覚めると、辺りは完全に暗闇だった。一体なぜ自分はこんなところにいるのか、なぜこんなところで意識を失っていたのか、まったくわからない。


「……ええと、確かシスターから女の子を探すよう頼まれたんだよな」


 それで……俺はその女の子――ラインを、見つけた……?


「ような気がするんだけど、な」


 どうにも記憶がはっきりしない。暗闇の中で、あのベンチに座っていたラインを俺は見た気がするんだが、だとすればどうして俺はこんなところで倒れてたんだ?


「……ってやっべぇ! このままじゃあ、ディランに怒鳴られる!」


 いくらシスターに頼まれたからといって、こんな夜遅くまで帰らなければさすがのディランも怒り心頭だろう。明日の朝にはアルトシスに出発するのだ。こんなところでいつまでも時間を使うわけにはいかない。何より、俺に頼んだシスターまでディランに叱られちまう。


「しょうがないよな……ラインのことは、アルトシスから帰ってきてからまた相談しよう」


 そうだ、今度はディランやイザベラにもラインのことを話そう。その方がきっと、俺一人でやるより解決に近い。二人の方が、子供の相手も慣れてるだろうしな。



 ――――そうして俺は、孤児院への帰路に就いた。胸の中にはどうしようもないもやもやが広がって、思い出さなければならない何かがあったような気がする。けれどそれを思い出してしまったら、何もかもが崩れ去ってしまうような予感も同時にあって――。


「今は、忘れてしまえ。明日の任務に響くぞ……俺」


 そうやって必死に自分を誤魔化して、俺はその胸の中のもやもやを捨て去ることにしたんだ。

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