第11話 英雄は再起する
――――はっきり言って、期待はずれだった。正直なところ、先ほどの決闘に対してはそのぐらいの感想しかでてこない。
自分は喧嘩が好きだ。だが、その相手は誰でも良いというわけではない。強く、勇猛果敢で、志が高い者ほど喧嘩の相手としては
「はぁーあ……」
「どうしましたかな、クロヤ様」
深くため息をつくクロヤに、茶の支度を済ませトシゾウが声をかけた。
「…………いや何、大したことではないんだけどな。俺の理想は、『鎧の英雄』っていう大層骨のある本物の
トシゾウの淹れた茶を一気に飲み干して、クロヤは不服そうに続ける。
「それが実際はどうだ? 『鎧の英雄』なんて言っても、理想ばかり高くて実力の伴ってねぇただの糞餓鬼だ。あんなもんを倒して
言いつつ、クロヤは目の前に置かれた『鎧の腕輪』を指さす。今回の喧嘩の戦果だ。
「おまけにこの腕輪、俺が嵌めてもうんともすんとも言いやがらねぇ。どうやらこの腕輪を扱うには、何らかの条件が必要みてぇでな。それが何なのか、そしてあのワーナーという男が何故こいつを扱えたのか。皆目見当もつかねぇ」
「…………良いではありませんか。そんな鎧などクロヤ様には必要ない。そのままであなたは『鎧の英雄』を超えたのだ。イデアールの騎士たちも、『英雄』より強い男を迎え入れることに不満などありますまい」
「かもしれないけどな。結局のところ、俺は満たされてねぇことが不満なのさ。あれっぽっちの喧嘩じゃ、『英雄』を超えた実感なんて味わえねぇ」
そう、あの男……カイ・ワーナーと問答したときは、もっと鮮烈で刺激的な喧嘩を味わえると思ったのだ。それだけの気概を、クロヤはあの啖呵から感じていた。だからこそクロヤはこの決闘に誰の邪魔も入らぬよう徹底し、心から喧嘩を楽しめるよう真剣勝負の場を
「要するに、クロヤ様は暴れ足りないのですな」
「身も蓋もない言い方するんじゃねぇよ。だが、まぁその通りだ」
「しかし終わってしまったからには仕方ありません。ほら、普段通り鍛錬でもしてきたらどうですかな? 今日はまだでしょう。……それにこの先例の化け物どもと戦うのであれば、やがてクロヤ様が満足するような相手も現れるかもしれませんぞ」
「……確かにな。文句ばっかり言ってても仕方ねぇか。ちょっとばかり体動かしてくるわ」
そう、トシゾウの言う通りこれは終わった喧嘩だ。あいつが弱く、自分の方が強かった……ただそれだけの話。であれば既にこの喧嘩に未練はない筈だし、蒸し返すこともないだろう。
望んでいた達成感は得られなかったが、次があるとクロヤは楽観的に考えることにした。
「……もう少しやると思ってたんだがなぁ」
言って、クロヤは屋敷を出た。……その胸の内に、言いようのない苛立ちを抱えながら。
目が覚めてまず最初に感じたのは、全身に走る強烈な激痛だった。それはもう尋常じゃないほどの痛みで、頭も、腕も、胸も、腹も、足もとにかくただひたすらに痛い。一体何がどうなっているのか、現状がまるで理解できなかった。とてもじゃないが堪えきれるような痛みじゃなく、俺は所構わず声を張りあげ絶叫する。――している筈なのに、声が一切出ない。
「――――っ?」
俺は当然困惑するが、声が出ないからと言って叫ぶことをやめるわけにはいかない。こうやって叫び続けなければ、痛みで頭がどうにかしてしまいそうだから。
……と、声にならない叫びを上げ続ける俺に、聞き慣れた声が呼びかけてくる。
「戒……! 良かった……!!」
イザベラだ。意識を取り戻した俺を見て安堵の表情を浮かべるイザベラは、両手を俺の体の上に
「イザ……ベラ……」
口を開くと、今度はどうにか掠れ声らしきものを発することができた。体も依然激痛に苛まれているが、目覚めた直後に比べれば良くなってきている気がする。
イザベラは疲れきった表情で、それでも俺を安心させようとしているのか笑みを浮かべ言う。
「……大丈夫。しばらくすれば痛みもやわらぐはずよ。もう少し辛抱して」
「あ……ありが……とう」
どうにか礼を言おうとするが、声が喉の奥で潰れてしまって、イザベラにちゃんと伝わったかどうかわからない。どうにか起き上がろうともしてみるが、まるで自分の体じゃないみたいに指の先までピクリとも動かず、まったく言うことを聞かない。
「ここ……は……」
「穢威波の村の空き家よ。今はとにかくじっとしていて」
――結局、そうして懸命に治療してくれているイザベラを、俺はしばらくの間ただ眺めていることしかできなかった。
俺が自力で動けるようになったのは、それから一時間ほど後のことだった。どうやら俺はあの決闘で敗北し、しばらく意識を失っていたらしい。
「……ああ、俺は負けたのか」
右腕に嵌めていた腕輪がなくなっていた。今はこの決闘の勝者であるクロヤのもとにあるのだろう。
「ファルコン……」
既に自分の一部みたいに思っていただけに、いざなくなってしまうと、どうしようもない寂しさを感じてしまった。俺がそれだけ、あの腕輪の力に依存していたってことだろう。これまで苦楽を共にしてきた
そんな俺を、イザベラは悲痛な面持ちで見つめてくる。
「戒……」
「ごめんな、イザベラ。イザベラから託された大事な腕輪だってのに……。あいつに取られちまったよ。俺が、弱かったから」
「そんなことない……! あなたは『鎧の英雄』よ。弱くなんかないわ!」
「……いや、弱かったんだよ」
そしてクロヤは強かった。俺はあいつにまるで歯が立たなかったんだ。
「くそっ……!」
抑えきれない悔しさが込み上げてくる。あいつの言っていることが間違っていないからこそ余計にだ。俺はただ与えられただけの力を振るって、ファルコンになった気でいたんだ。鎧の力に頼り切った戦いをしていた俺は、クロヤの目にはさぞかし滑稽に映ったことだろう。
「……あいつがあんなに強くなるまで、いったいどれほど努力したんだろうな」
「え?」
「自分の目的のために何か努力したか……絶えず限界を目指し続けたか。そう聞かれたとき、俺は何も答えられなかった。あいつは言ったよ。もしお前がそれだけの努力をしていたとしたら、そんな無様な姿を晒せるはずがないって」
「……」
クロヤの言葉には二重の意味が込められていたと思う。一つは、単純に技量の話だ。俺が鎧の力を過信せず、戦い方を学んでいたとしたら。あいつに勝てなくとも、あれほどいいようにはやられなかったに違いない。
そしてもう一つは精神面の話だ。俺は圧倒的な実力差の前に、恐怖で動けなくなってしまった。目の前でクロヤが起こす事実を、認められずただ否定するばかりで。
「違う、こんなことがあり得るはずがない、俺は負けられない。だって俺は『鎧の英雄』なんだから……そう否定し続けても、目の前で起きてる現実は覆せないってのにな。挙句、俺は勝ちを確信して勝負の
もしクロヤが、俺と同じように圧倒的実力差を持つ相手と戦うことなったとしても、きっと最後まで自負を崩さず戦い抜くに違いない。あれだけの努力と鍛錬を重ねてきて、そう易々と無様を晒せるか――――と。勝ち負けじゃなく、これは戦いへの姿勢の問題だ。
「だから……この結果は俺が弱かったから起きた負けなんだ。まずそれを認めなければ、あいつの言う無様な姿を晒し続けるってことになるだろ。それだけは、御免だ」
これ以上自分で気づかないまま恥を晒すってことだけは避けたい。
「それを……」
そんな俺の話を、ただ黙って聞いていたイザベラが口を開いた。
「それを認められただけで、あなたは強いと私は思うわ。私も同じよ……あなたが、『鎧の英雄』が負けたなんて信じたくなかった。英雄は最強無比で、こんな結果はあり得ないって」
そう言って、イザベラは目を伏せる。
「あなたは勝つんだと盲目的に信じていたの。『鎧の英雄』を妄信するばかりで、私はあなたに戦い方も、騎士の心得も何も教えなかった」
「……クロヤに言われたよ、素人かってさ。前にディランにもそう叱られたよな」
以前、もの凄い剣幕で突っかかってきたディランの姿を思い出して、少し笑ってしまう。……ああこれじゃあ、あのときディランに反論してた俺が滑稽すぎるじゃないか。
――でも、だったら。
「イザベラ、俺に戦い方を教えてくれないか?」
「……え?」
「今からじゃ遅いことぐらいわかってる。でも俺は諦めない。イザベラから託されたあの腕輪を、あいつを倒して取り戻すんだ」
そうだ。俺は負けはしたが、諦めたわけじゃないんだよ。本当に強い者こそが『鎧の英雄』に相応しいって言うなら、強くなってやる。俺の夢は、そう簡単に諦められるものじゃないんだ。
「その為に、頼む。力を貸してくれ……イザベラ。俺はこんなところで……ヒーローになるって夢を捨てることなんてできない」
「戒……あなた」
そう頼む俺を見て、イザベラは驚いていた。しかしやがて、暗かったその顔に微笑みを浮かべて言う。
「――――わかったわ。前にも言ったけど、私にとって英雄はもうあなたなのよ。だから、わたしだってこのまま終わらせるつもりはない」
「……ありがとう」
「ただし、私は厳しいから覚悟しておいてね」
「ああ、もちろんだ。少し厳し過ぎるぐらいじゃなきゃ、クロヤを見返すことなんてできないだろうからな」
そう笑いあいながら、俺たちは決意を新たにする。いつまでも落ち込んでる暇なんかない。自分の欠点を認め、向き合うことができなきゃ、ヒーローなんかになれっこないからな。
「それで、これからの話なんだけど――――」
気持ちの整理がつき、イザベラが今後の方針について話し出したその時だった。
「イザベラ様……っ!大変です!!」
慌てた様子でディランが駆け込んできた。
「……! 篠塚戒、目が覚めたのですか」
「おー、おかげさまでな」
「……その様子では、先ほどの敗北は大して堪えていないようですね」
「堪えたさ。もう立ち直ったけどな」
そう答える俺を見て、ディランは少し残念そうな顔をする。……こいつ、俺にどうなってて欲しかったんだよ。
「あなたが赤子のように泣きじゃくる姿もそれはそれで見てみたかったのですがね。だがまぁ、ひとまずは大事無いようでなにより」
「……この野郎」
「あーもうわかったから! それでディラン、いったい何があったの?」
喧嘩になりそうだった俺たちを、イザベラが仲裁する。……なんか、こういうポジションに落ち着いてきたよな、イザベラって。促されたディランは慌てて頷いて、ようやく話し出す。
「ええ、村にフェアレーターが現れました。おそらく、この間森で逃げた個体でしょう」
「なっ……」
もう動けるようになったのかよ!? クロヤがあの怪物を倒してからまだそう時間は経っていない。あれだけのダメージを受けて、いくら何でも早すぎる。
「今、エイハクロヤが戦っています、が――――」
「何? あいつはあのフェアレーターを圧倒してたわ。ましてや手負いの相手に遅れは取らないでしょう。癪だけど」
「いいえ、状況は悪いですね。彼は村の住人を守りながら戦っている。そのうえ敵のフェアレーターは
進化……! 以前カルノーンに現れた奴と一緒か――。
だとすれば、クロヤが戦っても前のようにはいかないかもしれない。進化したフェアレーターと戦ったことがあるのは俺とディランだけだ。
「俺たちも行こう!」
「戒……!? 駄目よ、動けるようになったとはいえ、あなたはまだ怪我人なんだから。それに今のあなたには鎧がない。戦いようがないわよ!」
「でも、こんなところでじっとなんかしてられるかよ!」
飛び出していこうとする俺の肩を掴んで、ディランが引き留める。
「今あなたが行ったところで何ができると言うんです! 我々が出ますから、大人しくしていなさい!」
「そんなもん、行ってから考えれば良いだろ! 今にも誰かがフェアレーターにやられちまうかもしれないんだ。俺は行く!」
ディランの手を振り払い、俺は駆け出した。まだ傷は痛むが、それでも構うものか。誰かのピンチに駆けつけることもできないで、何がファルコンだよ……!
「ちっ……!」
大きく後ろに飛びずさり、クロヤは怪物との距離をとる。ここまで幾度となく攻撃を的中させているのだが、決定打には程遠い。一向に決着が見えない戦いに、クロヤは苛立ちすら覚えていた。
「ったく、これじゃキリがねぇな」
突如村に現れた化け物は、以前と全く異なる姿となっていた。一言でいえば、奇怪。前に見たときは悍ましい昆虫のような姿をとっていたが、今回は違う。ちぎり捨ててやった両腕が元通りになっているだけではない。体はミミズのように湿っていて、光を反射して鈍く汚い光を放っている。顔に目や鼻などは確認できず、ただ丸く大きな穴が開いているだけだ。おそらくあれが口だろう、中にびっしりと歯とおぼしきものが敷き詰められている。これが聞くところによる擬態なのか、それとも進化というやつなのか。――どちらにせよ面倒なことになった。
「……薄気味悪い野郎だ。どれだけ打ち込んでぶっ飛ばしてやってもすぐに治っちまうんじゃ、殺しようがない」
そう、この化け物はどれだけ傷を負わせても、どういうわけか瞬時に元通りになってしまうのだ。腕を落としても、頭を潰しても、腹を引き裂いても……何をしても変わらない。
それに加え、こいつの攻撃手段は質が悪い。
「酸だな……こりゃあ」
化け物に打撃を加える度、広範囲にまき散らされていた粘液みたいなものは、触れたもの全てを溶かしていく。トシゾウに言って一族の者たちは森に避難させたが、これでは彼らの住居がひとたまりもない。
「帰ってきても家がないんじゃあ笑えねぇ。どうにかさっさと決着をつけねぇと――」
右腕に闇を纏わせ、一閃。勢いよく懐に駆け込み、化け物の胴に拳を叩き込む。衝撃で化け物から酸が飛び散るが、纏わせた闇が触れる前にそれらを弾き飛ばした。怪物は吹き飛ばされ、更に闇の渦がその肉体を浸食し、表皮をそぎ落としていく――――しかし。
「ッガァアアアアアアアア!」
「……やっぱり駄目か。これじゃあ埒があかねえな」
やはり、その傷は一瞬にして塞がってしまう。であれば、もっと特大なやつを喰らわせてやるしか方法はないか……。
「イチかバチかだな。……
――――
「喰らいやが――!?」
高めに高めた一撃を放とうとしたその瞬間だった。
視界の隅に、小さな影が映り込む――――。
「
激しい戦いの影響で崩れた建物の影に、一人の少女が震えながら隠れていた。近くに親の姿は見えない。おそらくはぐれて、探し回るうちに逃げ遅れてしまったのだろう。助けてやりたいが、既にクロヤの技は放たれていた。しかも、少女はクロヤとフェアレーターの間にいる。射線をずらすこともできない。このままでは、怪物もろとも闇に呑まれる――――!
「逃げろ!!」
叫ぶが、この状況では既に間に合うはずもなく。少女は呆然と迫りくる闇黒を見つめている。数秒後に起きるであろう
「まだだ、まだ間に合うッ!!」
――――突如、どこからかそう叫ぶ声が響き渡った。
……間に合った。俺が戦いの場に辿り着いたときには、既にクロヤが大技を放つ寸前だった。まさに危機一髪。クロヤが射線上に隠れていた女の子に気づくより少し早く、俺は全力で駆け出していた。
「……あっぶねぇ!!」
結果、クロヤの放った
「大丈夫か?」
「う……うん」
「良かった、早く逃げるんだ。良いね?」
俺の問いかけに対しては頷くのがやっと……といったところだったが、女の子はどうにか自力で逃げてくれた。後は俺がどうやってこの場から離脱するか……なんだけど。どうにも女の子をかばったとき受けた爆風が良くなかったらしく、背中が焼け爛れて痛みですぐには動けそうにない。これじゃ、とてもじゃないが頼りになるヒーローには見えないだろう。
「……っ、ちょっとまずいかもな……」
「てめぇ、何でこんなところに来た?」
膝をつく俺の前に、クロヤがやってくる。
「……俺が来たから、あの子は死なずに済んだろ。それで良いじゃないか」
「それについては感謝してるさ。危うく身内をこの手で殺すところだった。だがな、もうここまでだ。素人にしゃしゃり出てこられても邪魔なだけなんだよ。やる気があるのは構わんが、それに見合う実力が伴わなければ意味がないと――――前にも似たようなことを言って聞かせたはずだが?」
……わかってる。お前が言っていることは正しいし、理解もできる。それについては否定するつもりなんてない。
「ああ、だからいずれ俺はお前を倒してその腕輪を奪い返す。もちろんまだお前に敵うわけはないから、死ぬ気で努力するさ」
「ハッ、そんなら一人で好きなだけ修行でも特訓でもしてれば良いだろ。俺が言いたいのは今この場で、てめぇみたいな適当な野郎が首を突っ込んできたら、非情に迷惑だからさっさと消えろってことなんだよ」
そう言ってクロヤは俺を鋭く睨みつけてくる。だけど俺だってここで退くわけにはいかない。俺だって何かの役に立つ筈だ。――――と、その時。
「……ちっ、やっぱり仕留めきれなかったか」
クロヤの言葉通り、瓦礫の中からフェアレーターが姿を現した。その右腕は完全に消失していたが、それでもまだ他の部位は健在だ。
「ッアアアアアアアアアア!」
「!?」
……しかし。怪物が叫び声を上げるとともに、失った筈の右腕が何事もなかったかのように再生した。
「なんだよ……あれ」
「見ての通りだ。あいつはどんな傷を負ってもたちどころに治っちまうんだよ。わかったか? 今のお前がいたところで何の役にも立たねぇんだよ」
なんて野郎だ。傷がすぐ治るなんて規格外すぎる。これじゃあ、クロヤがどれだけ強力な攻撃を与えても倒し切れないんじゃないか?
「さっきの一撃で決めたかったんだがな。
「クロヤ、お前……」
「おまけにあの野郎、間抜け面のくせして動きがすばしっこい。あいつを倒すには一撃で完全に消し飛ばすしか方法はないんだろうが……」
そう言うクロヤからは確かな疲労が感じられる。先ほどの一撃には、相当の力が込められていたんだろう。もう、あれだけの力が出せるようには見えない。……だが、この怪物は今すぐ倒さなければ被害が増える一方だ。奴がまき散らしている酸が、この村のあらゆるものを溶かし尽くしていく。イザベラとディランが着くのを待っている時間はない。――――だったら。
「クロヤ、さっきの技……もう一度だけ出せねぇか?」
「あ? 何を言って――」
「俺が囮になるから、お前はどうにか気合でさっきの技を出して、あいつを倒せって話だよ!」
これしか方法はない。今の俺に戦う力はない。けど、いくら傷を負っていても囮になるぐらいはできるだろう。
「……お前正気か? そんなことしたら間違いなく只じゃ済まねぇぞ!」
「わかってるよ! けどこれ以上被害が広がるよりはマシだろ! 今の俺にできることはどう考えたってこれしかない。……だったら、やるだけだろうが!」
――――刹那、怪物が俺たちに飛び掛かってくる。クロヤは咄嗟に俺を抱えて飛びずさった。……が、奴の体液が俺の頭を掠め、毛先が音を立てて溶け落ちる。
「……っ今度は自己犠牲か? くだらねぇ、弱いやつは何もせず黙ってりゃ良いんだよ! あんなやつ俺一人で余裕なんだ。てめぇは大人しくしてろ!」
「嘘つけ、今のだって万全の状態なら躱しきれただろーが。それにこれは自己犠牲なんかじゃない、俺は死ぬつもりなんて毛頭ない!」
そうだ、俺は死を覚悟した自爆覚悟の囮なんかになるつもりはない。
「俺はお前をぶっ倒して腕輪を取り戻さなきゃいけないんだ、こんなところで死ぬわけねぇだろ!」
「だったら――――」
「でもだからって、それは今できることをしない理由にはならない。どれだけ弱くても、どんなに無様でも、それでも
そういう夢を抱いている俺は、誰かのピンチに体を動かさず、じっとしていることなんてできないんだよ。理屈じゃないんだ。死ぬつもりはない、けど……何もしないでただ見ていることも俺にはできない。
「――――」
そう自身の理想を叫ぶ俺に、クロヤは一瞬ひるんだように見えた。
……だがすぐに小馬鹿にしたような笑みを浮かべ、言う。
「……相も変わらず口だけは達者だな。要するにてめぇは突き抜けたお人好しで、体が勝手に動いちまうと。ああこりゃもう、手がつけられない程の大馬鹿だ」
「何だと!」
「ならその心意気が真実だと、今度こそ証明してみせろ」
そしてクロヤは、その右腕に嵌められた『鎧の腕輪』を外し――俺に放り投げてきた。突然のことで、俺は呆気に取られる。
「なっ……なんのつもりだよ!? これは今お前のだろうが! まさか――――」
「情けでもなんでもねぇよ自惚れんな。現実問題、俺に奴を殺し切るほどの力は既になく、その腕輪は俺には扱えないってだけだ」
「お前さっきは余裕だって言ってたじゃねぇか!」
「何のことかさっぱりわからんな。とにかく、あいつを倒すには『鎧の英雄』の力が必要だ。じっとしていられないってんなら仕事しな」
釈然としない。どうしてクロヤはこうも簡単にこの腕輪を手放したんだ? こいつは鎧そのものを欲するというより、『鎧の英雄』を倒したことへの象徴としてこの腕輪を求めていたように思えた。だからこそ理解できない……他の者に譲るならまだしも、何故あれほど幻滅していた俺に返すのか。
「あー面倒くせぇ野郎だな。素直に喜べねぇのか? つまり、もう一度だけお前を買い被ってみようかってことだよ。……なぁ、まさか応えないなんて言う気はねぇだろうな?」
「――――!」
……俺にもう一度チャンスをくれたってことか?
「もちろんタダじゃねぇぞ? 俺は熱い喧嘩を求めていたんだ。だからお前は、もっともっと強くなって、『鎧の英雄』って名に相応しい実力を身に着けろ。その上で改めて俺と戦え。
「……」
「お前は雑魚だから、『鎧の英雄』に相応しくねぇ。そのお前を倒したって英雄にはなれねぇ。だからこの前の決闘は一度保留だ……良い喧嘩相手になってくれよ?」
はっきり言いやがった……。ああちくしょう、腹は立つが仕方ない。敗者は勝者に従うのみだ。クロヤがそれで良いって言うなら、俺ももう知ったことか。
「――――装着、ファルコン」
腕輪を右腕に嵌めなおし、力を込める。離れていたのはたった少しの間だったっていうのに、何故だろうか……すごく懐かしい気持ちになるのは。
「この間のお前のとっておき、あれを正面からぶち込めばいくらあの化け物でもくたばるだろ。奴の動きは俺が止めてやるから、とっとと決めな」
「……わかったよ」
クロヤの言葉を信じ、俺は狙いを定めた。俺もクロヤほどではないが、背中の火傷のせいでかなり消耗している。そう何度もファルコンブレイクは撃てない……勝負は一瞬。
「――――
瞬間、怪物の足元から闇の層が幾重にも立ち昇り、鎖を形成した。首、両腕、両足を捕縛し締め付ける。それだけではない。鎖が触れている個所が、浸食され……徐々に徐々に腐り落ちていく。えげつない技だが、味方となった今は心強い。
「やれっ!」
「……ファルコン――ブレイクッ!!」
合図とともに宙に舞い上がり、必殺の一撃を放つ。クロヤの技で身動きの取れない怪物は、もがき逃れようとするが既に遅い。俺の飛び蹴りは怪物の胸に直撃――――そしてそのまま上空に蹴り上げる。
「ガッアアアアアアアアアアアアアッ!」
「くたばれフェアレーター!!」
叫ぶと同時、怪物は上空で爆散――――俺たちの、勝利だ。
「ハァッ……はぁ……」
「随分辛そうだな、手でも貸してやろうか?」
膝をつく俺に、クロヤは意地悪く言いながら手を差し伸べてくる。俺はその様子がどうにも気に入らなくて、自力で起き上がった。疲労のせいか軽い眩暈が襲ってくるが、そんなことは気にしない。
「ったく、負けず嫌いだなお前」
「当たり前だ。俺とお前は喧嘩相手なんだろ。だったらお前の手なんか借りるかボケっ」
強がる俺をクロヤは鼻で笑う。……仕方ないことではあるけど、こいつにはとことん舐められてるんだな、と実感して尚更腹が立ってきた。俺自身の欠点を明確にして、その上でチャンスを与えてくれたのには感謝してるんだが――――それでも負けた相手に媚びるつもりはなかったし。
「ぜってーお前より強くなるからな」
「ああ頑張れ、期待して待ってるからよ」
そんな憎まれ口をたたいて、俺は再び鼻で笑われたのだった。
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