第9話 滅びの波動


「イザベラッ!!」


 ――――怪物の凶刃が、イザベラに迫る。咄嗟のことに俺とディランは反応できず、痴愚のようにただその光景を眺めていることしかできない。


「…………嘘だ、こんなの」

 

 イザベラが、死ぬ? こんなところで怪物に殺されるっていうのか? 俺たちは、ようやく仲間として形になり始めたんだ。それなのに……こんなにも簡単に終わってしまうっていうのかよ――――?

 自分の考えの甘さに反吐が出る。逃げたフェアレーターは二体いた。だとすれば、一体を囮に獲物を仕留めようとしてもおかしくはない。奴らは理性のない猛獣じゃないんだ。あれで終わったと油断しきった、先ほどまでの自分が許し難い。


「ッ……いやっ」


 イザベラが小さく悲鳴を上げる。そこでようやく、俺は我に返った。その声色からは死に対する確かな恐怖が感じられて、目の前の光景が決して嘘なんかではないのだと思い知らされる。

 このままではイザベラは死ぬ。あの悲鳴を聞いてなお、ただ見ているだけなんて許されるものか。…………今から動いても身代わりになることだってできないだろう。そんなことはわかっているんだよ。

 だがそれでも諦めることなどできるはずもなく、伸ばした手は空しくくうを掴んで――――。

 

 


 瞬間、辺り一面が闇黒くろに染まった。


「…………!?」


 まさにイザベラを葬ろうと迫っていた怪物の腕が、地面から立ち昇った闇に覆われていく。異変を察知した怪物は、振り下ろした腕を引こうとして…………しかし。


「――残念。その腕、もらうぜ?」


 どこからかそう呟く声が聞こえた。その言葉通り、フェアレーターの腕を覆う闇はとぐろを巻くかのように渦を形成し……そのままその腕を捻り切った。怪物は悲鳴を上げて後ずさるが、腕を奪い去ってもなお、闇の渦は標的を追い続ける。

 圧倒的優勢だったがゆえに、自分が追い込まれるなど予想していなかったのだろう。何が起きているのかわからない、という様子の怪物から感じられるのは混乱……そして恐怖。イザベラのことなど忘れてしまったかのように、その場から背を向け逃げ出そうとしていた。

 ――――だが、しかし。


「馬鹿が」


 その前に立ちふさがったのは、全身黒装束で身を包んだ青年だった。年齢は見た印象だと俺より少し上、二十歳過ぎくらい。端正な顔立ちで、髪は黒の長髪を大雑把に結わえている。……しかも、その装いは俺が良く知っているもの……和装だ。派手に着崩した着物の上に、簡素な装飾のあしらわれた羽織。俺の故郷である日本の伝統的な装いだし、異世界こっちに来るまでは俺も良く目にしていた。だがイデアールの人々がそんな姿をしているのは見たことがないし、まさかこの異世界で和服を見ることになるとは思ってもみない。この男はいったい――――?


「くせえくせえ。汚ぇ蛆虫の匂いがプンプンすらぁ。だがその匂いのお陰で、死人が出る前に此処に来れた。――――ああ、それだけは良いことだわな」


 あっけにとられている俺たちを尻目に、男は怪物と向かい合う。その様子は堂々としていて、人外の化け物と相対しているというのに気負いはまったく感じられない。いやむしろ、この状況を楽しんでいるかのようだ。


「…………はっ、そんな姿ナリして恐怖に呑まれているのか。実に滑稽だよ、所詮は弱者を喰らって悦に浸るだけが能の害虫か」


 そう話しかける男は、特に警戒することもなく一歩、また一歩と怪物との距離を縮めていく。むしろ対するフェアレーターの方が怯え、戦意を失っているのだ。


「キ、キキキキサマァアアアアッ」

「何だ、イカレちまったのか? 前会ったときはもうちょい会話の真似事なんかもしてたじゃねぇか。そんなにそこの娘を喰いたかったのかよ。……それとも、俺がついこの間てめえらの食事を邪魔しちまったから、腹が空きすぎておかしくなったのかな?」


 確かに、このフェアレーターは様子がおかしい。今まで出会った奴らは、程度の差はあれど人間のような自我を持ち合わせていた。それに対してこいつは、囮を使うという策略を使いながらも、まともに言葉を発していない。恐怖で狂ったのか? それとも男の言うように、人間を喰らうことができていないからだろうか。

 ……しかし。この口ぶりだと、まさかこの男が例の集落でフェアレーターを倒したという穢威波エイハの――――?


「さあ来いよ。半端にならねぇように、もう片方もきっちりもらってやるから」

「グ……ガァアアアアアアアアアッ!」


 暴走、だろう。男の挑発を受けて、フェアレーターは完全に我を失った。一刻も早く脅威を取り除こうと、敵を排除すべく残った片腕を振り上げ跳躍する……が。


「はぁ……この程度かよ」


 怪物の放った神速の一撃は、右の掌で容易く受け止められていた。男はそのまま怪物の腕を握りしめる。呻くような悲鳴が上がるが、構うこともなく男は更に右手に力を込めていく。…………と、再び先ほどの闇の渦が怪物を包み込み――――。


「グァアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 残っていた片腕も、男の手によって引きちぎられていた。……だがそれだけではない。男の手の中に残った怪物の腕が、闇の渦に浸食されて消失を始めていた。


「……さて、次はどこをもらおうか?」


 男は鼻歌交じりで怪物に近づいていく。…………その時。


「……! おっと」


 フェアレーターが地面に向かって大量に針を撃ちだし、まき散らされた土砂で辺り一面が覆われる。

 そしてそれが晴れるころには、怪物の姿はその場から消えていた。


「…………何だ、逃げられたか。正常な判断なんかできなそうに見えたが……本能的に逃げることを選んだのか」


 後を追うそぶりも見せず、それきり怪物への興味を失ったかのように男はそう一人ごちた。持っていた腕の残骸を放り投げると、イザベラに歩み寄っていく。


「大丈夫かい、お嬢さん。立てるか?」

「…………ええ、大丈夫よ。助けてくれてありがとう」


 男は倒れ込んでいたイザベラに手を差し伸べるが、イザベラは自力で立ち上がり男と距離を取った。助けてくれたのは事実だが、それだけで信用に足る人物だと決まったわけじゃない。

 ……と、男はイザベラのことを見つめて。


「へぇ、あんた。良い女じゃねぇか……恋人とかいるのか?」


 などと突拍子も無いことを言い出した。


「ちなみに俺は独り身なんだが、どうよ? かなりの優良物件だと思うけど?」

「は?」


 イザベラはあっけにとられて、間の抜けた声をあげる。だが無理もないだろう、あんなことがあったばかりなのに男には緊張感の欠片もない。

 男はしばらく答えを待っていたようだが、イザベラが答えるつもりがない…………というか呆然としてるのを見て肩をすくめた。


「見たところあんたらはイデアールの騎士団……ってことで合ってるか?」


 男は俺たちの姿を順に確認しながら、イザベラにそう尋ねた。

 何か答えるべきか迷ってディランの方を見てみるが、あいつは首を横に振る。……ここはイザベラに任せておけってことだな、了解。


「……そうよ。イデアール魔術騎士団副団長、イザベラ・リードです。あっちは私の部下のディラン・フレイル。それから――――」

「ああ、あいつが噂になってる『鎧の英雄』だろ? 商談で行った集落の連中が話してた」


 …………そういえばまだ鎧を纏ったままだったな。慌てて変身を解除し、男に向かい合った。その様子を男はへえ、なんて声を上げて興味深そうに見つめてくる。


「便利なもんだな、あれ」

「……彼はカイ・ワーナー。見た通り、鎧の使い手です」

「ふーん……」


 男はしばらくじっと俺の方を見ていたが、やがてイザベラに向き直ると言った。


「それで? その騎士団の皆さんがこんな辺鄙へんぴなところに一体何の用だ?」

「この付近で暮らしているという穢威波の人々を訪ねてきました。さっきの怪物がらみで、力を借りたくて」

「へぇ。今まで俺たちに不干渉を貫いてきたイデアールのお偉方が、ここまで出張ってきたってことは、相当に切羽詰まっていると見える。……いいぜ、話ぐらいは聞いてやる」

「え?」


 そう言うと男はついてこいと言って先に進みだす。……が、数歩進んだところで何か思い出したかのように立ち止まり、振り返った。


「そういえば、自己紹介がまだだったな。俺はクロヤ……エイハクロヤだ。穢威波の長として、一族を預かってる身だよ。よろしくな」





 クロヤに案内されてしばらく山道を歩くと、小さな村に辿り着いた。道中は非常に入り組んだ自然の迷路になっていて、とてもじゃないが俺たちだけでは見つけることができなかったに違いない。

 ここがかつてヤマトより追放されたという、穢威波の一族が住まう地なのだろうか。


「さあ、着いたぜ。ここが俺たちの暮らす村だ」

「まさか……こんな場所に」

「ひでぇだろ? これが追放された一族の現在の姿ってわけだ」


 クロヤの言う通り、村の状態は酷い有様だった。どの家もボロボロで、扉は固く閉じられてる。人の姿はどこにも見えず、この村には活気……というか、生気というものが感じられない。普通なら人間が生活するうえで物音とか、子供の声とか、そんな生活音が聞こえてくるはずで。ここまで完全に静まり返るってことは異常だと思う。


「村人の姿が見えませんが……」


 ディランも同じ疑問を抱いたようで、不審そうに辺りを見回している。


「皆参っちまってるのさ。こんな山奥で何年も何十年も何百年も、俺たちは孤立したまま暮らしてきた。貧困に苦しんでいても、こんな余所者誰も助けてくれやしない。誰も彼も希望を失くしてしまって、家の中に引きこもってるんだ。……ま、仕方ないことだがね」

「…………」


 そう言うと、クロヤは再び歩き始めた。その後を俺たちは警戒しながら着いていく。確かにこの村の境遇には同情するが、それでも俺たちにできることはない。個人的にはどうにか助けてやりたいとも思うけれど、やはりそういうわけにもいかないだろう。イデアールの人々が何年も彼らを放置してきたということは、それだけ彼らは警戒されていて危険だということだ。

 やがてそう時間も経たないうちに、見たところ村の中で一番立派で大きな建物の前にやってきた。


「ここが俺の屋敷だ。話はここで聞く」


 クロヤの後に続いて、俺たちは家の中に足を踏み入れる。

 

「おかえりなさいませ、クロヤ様」


 中に入ると、クロヤと同じ和装の老人に出迎えられた。これが穢威波……というか、ヤマトの人々の民族衣装ってことか。


「……おや? そちらの方々は?」

「山の中で例の化け物に襲われててな、イデアールの騎士団様だ。どうやら俺たちに話があるらしい。俺は菓子でも持ってくるから、茶の用意を頼む、トシゾウ」

「…………しかしクロヤ様。彼らは余所者ですぞ」

「んなこたわかってる。だが客人に何のもてなしもできないなんて情けない話もねぇだろ」

「……承知致しました」


 トシゾウ、と呼ばれた老人はどこか納得のいかない様子ではあったが、クロヤの指示に従って屋敷の中に通してくれた。トシゾウさんは俺たちを客間まで案内した後、


「茶を用意して参りますので、しばしお待ちを」


 と言ってどこかに行ってしまった。人数分用意された座布団に腰を下ろして待つが、クロヤもすぐにやってくる様子はない。……俺たちが三人だけになれるチャンスが生まれたわけだ。気になっていることを話し合うなら、今しかないだろう。


「何とか穢威波の奴らに接触できたわけだが……本当に大丈夫なのかよ、あいつら」

「ええ、どう考えてもまともではないわね。出会い頭にいきなり口説いてくるなんて信じられないわ! ああいうのは絶対まともな男じゃないわよ、ったく!」


 …………いや、俺はそういう話をしてるんじゃないんだが。


「いや、そんなどうでもいいことじゃなくてだな。見ただろ? あいつの力……」

「どうでもよくないわよ! これは今後の話し合いにも関わる非常に重大な問題よ。私はああいうチャラチャラした男は大っ嫌いなの!!」


 ……どうやらイザベラにとってあのクロヤの第一印象は相当悪かったらしい。これ以上ないってくらいぷんすか怒っている。俺たち一応客として招かれた立場なんだが、こう大声で怒ってるとまずいんじゃないか?


「ちょっと静かにしろって! まあムカつく気持ちは……よくわかんねぇけどわからんでもない。でもほら、あいつにさっき助けてもらっただろ?」

「それとこれとは話が別! 私は女とはいえ騎士よ。それをあんな軽いノリで口説かれるなんて侮辱にもほどがあるわ。私はそんなに安い女じゃない」


 なるほど、イザベラは安く見られてるのが気に入らないのか? けど今はそんな話をしている場合じゃないと思うんだけどなー、うん。


「顔が少しばかり良くて腕っぷしが強いからって、女のことを舐めてるんだわ。あれはそういう男よ間違いなく」

「お……おお、そうか。…………おいディラン、どうにかしてくれよ」


 イザベラがこれではどうにも話が進まないと思い、黙り込んだままのディランに話を振ってみる。あのくそまじめなディランなら、上司の暴走を止めて話をまともな方向に持っていってくれるはず――――。


「ええ、まったくもってその通りですイザベラ様! あの男はきっと、女なら誰彼構わず口説き落とそうとする、不誠実で恥知らずな奴に違いない!」

「そうよね!」


 ……えぇ、どうしたらええのんこれ。


「ちょ、ちょっと落ち着こうぜ二人とも――――」

「はっはっはっ。ひでぇ言われようだなぁ、俺」


 ……最悪のタイミングでクロヤが戻ってきてしまった。これから味方に引き入れるための交渉をするってのに、始まる前から好感度下げてどうするんだよ!

 陰口に花を咲かせていた二人もさすがにまずいと思ったのか、何ともいえない顔で黙り込んでしまった。噂話をしているところにご本人登場……漫画みたいな展開に、気まずい空気が場を包みこむ。


「ほれ、茶菓子だ。好きに食え」


 だというのに、当のクロヤ本人はさして気にした様子もない。初対面の相手に散々な言われようだと思うのだが、あっけらかんとした態度で俺にも菓子を進めてくる。


「そんなに怒ったのか? 俺、結構本気だったんだけどなさっきの」


 座布団の上にあぐらをかきながら、そう笑うクロヤ。イザベラのことを良い女だと言ったのは、どうやら冗談ではないらしい。


「…………申し訳ないけど、本気だとしたら尚更認められないわ。あなた、騎士があんな軽薄な態度になびくとでも思ってるの?」

「気分を害したのなら謝るよ。田舎者なもんでね、どうにも上品な口説き文句なんてのは知らねぇんだ」


 はっはっはっ、と豪快に笑いながら、まあ許してくれやなんて言っている様子は、どこまでも軽い態度でとんでもないお調子者に見える。正直、ただの馬鹿にしか思えない。だがこの男が先ほどフェアレーターをあっさりと倒し、イザベラを救ったのだ。あれが穢威波一族の力ならば、クレアさんがこちらに引き入れたいと思うのも頷ける。


「…………さて、それで本題だが。あんたらはさっき、あの化け物のことで俺たちの力を借りたいって言ってたよな。面倒な腹の探り合いは嫌いだから単刀直入に聞くがよ、俺たちに何をさせたい? あんたらに協力することによって、俺たちはどんな報酬を受けられるんだ?」


 先ほどまでとは打って変わって、冷静にクロヤが尋ねてくる。随分唐突だと思ったが、本人の言う通り面倒なやりとりを嫌う性分なんだろう。出会ってからのクロヤの様子を見る限り、化かし合い騙し合いが得意なようには見えないしな。


「聞きたいことはそれだけなんだよ。俺がどんな仕事をして、そしてそれに見合うだけの対価が得られるのか。問題はそこさ」

「……そうね。あなたの言う通り、シンプルにビジネスの話をしましょうか。その方が手っ取り早くて私も好み。ではまず最初に、あなた達がどれだけ現状を把握してるか確認させて。あの怪物のこと、どれだけ知ってるの?」

「正直何も知らねぇな。風の頼りでちょろっと聞きかじってるくらいだ。鎧の英雄……まあ、そこの兄ちゃんのことなわけだが。そいつが現れて、人間を喰う化け物と戦ってるって話は聞いてる。だがほんとにそれだけで、実際この目で見たのも近くの集落に商談で出向いた時が最初だ。あ、ちなみに俺はその集落で建物の修理とかやってんだけどな? 俺って力つえーからさ。あのときはその交渉に呼ばれてたんだが」

「……その話は良いから。要するに怪物については何も知らないってことよね」 

「まあな」

 

 クロヤはもう少しそのときの話をしたかったのか、イザベラに遮られて少し残念そうな顔をした。どうやらまだイザベラを口説くことを諦めていないようで、武勇伝の一つでも語ろうとしてたんだろう。……まったく相手にされてないのが少し不憫だが。


「じゃあそこからね。あの怪物たちの名は『フェアレーター』。人間に擬態する化け物で、人を遥かに凌駕する身体能力があるの。体から鋭い針を飛ばしたり、透過能力も持っているわ。高度な知性を有していて、擬態した状態で人間社会に溶け込んでは人を喰らっている。各地でその被害は増加していて、具体的な対策は間に合っていないのが現状よ」

「奴ら自身が進化、と呼ぶ特殊な能力も確認されています。進化したフェアレーターはそれまでの昆虫を思わせる悍ましい外見から、まったく別の姿に変貌を遂げるのです。私とワーナーが実際目にしたのは、巨大な蝙蝠のような姿でした。それまでの姿を便宜上『幼体』、と呼びますが……幼体のころとは比べ物にならないほどの力、そして異能を手に入れるようです」


 イザベラの説明にディランが補足する。その説明になるほど、と得心がいったように頷くクロヤ。


「つまり、あんたらは俺たちにその怪物を探してほしいんだな。人間そっくりに擬態してるなら、事件が起きて擬態を解く瞬間でも確認しない限り、どいつがそのフェアレーターってのかはわからないだろうからな。その点俺たちは、怪物探しにはもってこいってわけだ」

「話が早くて助かるわ。近く、私たちの団長が『鎧の英雄』を中心とするフェアレーター討伐部隊を設立する予定なの。あなた達には彼……鎧の力を持っているワーナーをサポートして、怪物を見つけ出して欲しいのよ。もちろん、相応の報酬も用意しているわ」


 ………………ちょっと待て。


「おい、何だよそれ!? 俺を中心とした部隊って……そんなの聞いてねぇぞ!!」


 俺が聞いてるのは穢威波の一族をスカウトして仲間に引き入れたいって話だけだ。いったいいつからそんな大それた話になってるんだよ…………!?


「…………言ってなかったかしら」

「言えば嫌がると思って団長もまだ伝えてなかったんですよ。交渉寸前に伝えて否が応でも断れない状況を作れって。……まあ忘れてましたが」

「いや言えよ!?」

 

 こいつら…………! 偽名の時と言い、なんでそんな大事なことを後になってから言うんだよ!?


「茶をお持ちしました」

「おお、ありがとなトシゾウ。ほら、あんたらも飲めよ。トシゾウの入れる茶は格別なんだ」


 そうこうしているうちにトシゾウさんがお茶の用意を終えて戻ってきた。目の前に並べられたお茶と和菓子は非常にうまそうで、かなり食欲をそそられる――――が、今はそんなことを言ってる場合じゃない。さっきの話を追及しなければ。


「では失礼して」

「いただくわ、ありがとう」

「ハァン!?」

 

 な……なんでこいつら俺がこんなに困惑してるってのに放置してお茶を楽しんでるんだ!? 正気か? 普通説明の一つや二つぐらいあるだろ!


「……まあ、そんな話になってるってことで今は納得して頂戴。それで、肝心のあなたたち穢威波の人々への報酬だけど……」


 俺の非難の視線をさらっと流して、イザベラはさらに話を進めていく。……あとで覚えてろよ、こいつら。


「まず、生活に必要な食糧の支給」

 

 これからのフェアレーターがらみの事件を左右する重大な交渉というだけあって、イザベラの表情も引き締められる。


「それから、都市近郊にあなたたち一族が暮らしていけるような居住区画を設けるという話よ。どうかしら? 破格の条件だと思うけれど」


 提示された条件にクロヤは驚愕している。それもそのはずだ。イデアールは彼ら穢威波の人々を危険視して今まで一切関わってこなかった。いないものとして扱ってきたのだ。だというのに、まるで掌を返したかのようなこの条件。信じられないのも無理はない。


「…………本気か? それ。あんたたちへのメリットが少なすぎるんじゃねえか」

「それだけわたしたちはあの怪物に手を焼いているのよ。だからこそ、あなたたちの協力が不可欠なの」


 条件を提示されたクロヤは少しの間考えこむ。うんうん唸ったり、ため息をついたりして悩んでいたが。だがそれも一瞬のことで、すぐに破顔するとやはり軽い調子で答えを出す。


「……なるほど確かに破格だ。こりゃ協力せざるを得ないかね」

「じゃあ……」

 

 どうやらこの条件でクロヤは納得したらしい。予想以上にスムーズに交渉が進んだことに安堵する。イザベラも大役を全うしたことで緊張の糸が切れたのか、こわばっていた表情を緩ませた。

 だがそこでクロヤは手を上げて、イザベラを制止する。


「……一つだけ、こちらからも条件がある。化け物と戦うのは俺だけだ」

「何ですって?」

「まあ聞け。あんたらイデアールの連中は俺たちを超人の集まりみてえに言うがよ、一族の中でも穢威波を制御し扱えるのは俺ぐらいだ。他のやつらは俺ほどの力は持ってねえし、持ってたとしても子供騙しみたいなもんだ。正直普通の人間と変わらねえんだよ」


 クロヤ曰く、かつてはクロヤのように穢威波の力を使って魔物と戦った一族も、長い年月を経てその力が薄まっていったらしい。今ではここまでの力の持ち主はクロヤだけで、他の者たちは人間相手ならまだしもあんな化け物と戦う力はないようだ。


「それでも人外への鼻の効きは馬鹿にできねえから心配すんな。化け物との戦闘は無理だろうが、何人か頑丈な男どもを派遣しよう」


 一時はどうなることかと思ったが(主にイザベラとディランのせいで)、どうにか交渉は成立しそうだ。正直、穢威波の危険性が実際のところどれほどのものなのかはわからない。だがクロヤたちを味方に引き入れることができれば、フェアレーターが人間を襲う前に対処できるようになるかもしれない。


「じゃあ……条件を呑んでくれるってことで良いのね?」

「ああ、俺は異論はねえよ。それで誰かを救えるなら上々だろ」


クロヤがそう言ったところで、話が纏まった。どうやらこの男も、誰かが困っていれば放っておけない性格らしい。

……しかし、その時。


「なりませぬぞ」


突然、お茶を出した後はクロヤの後ろで待機したままだったトシゾウさんが口を開いた。話が纏まりかけるところだっただけに、クロヤは不機嫌そうにトシゾウさんを睨む。


「おい、トシゾウ。そりゃどういうことだよ。俺が人助けをすりゃ、一族はマトモな生活をできるようになるんだぜ。誰かを救って俺たちも救われる。万々歳じゃねぇか。お前はいったい何の不満があるんだ?」

「……ええ、私もそれについては良いことかと思います。ただし、これは我らのプライドの問題です。我ら一族の頭領たるクロヤ様が、よりにもよってイデアールの騎士どもの下につく? そんなことは私は到底許容できない」


トシゾウさんは鋭い目付きで俺たちを睨み付ける。そこには単純に余所者を忌避するものではない、何年も何年も積み重ねられた恨みや憎しみのようなものを感じた。


「あなた方は我等に一切干渉してこなかった。我等はあなた方イデアールのために、命を懸けて報いるような恩義も動機もない。ただでさえあなた方の下につく理由などないのだ」

「それは…………」


 穢威波の人々を危険視し、これまでいないものとして扱ってきたイデアールという国。そんな奴らが突然押しかけてきて、報酬をやるから協力しろなんて言ったって…………納得できないか。けどそれでも、どうにかして協力してもらわなければ。フェアレーターを倒すために彼らの力は必要だ。


「だがよ、トシゾウ。いくらないがしろにされてきたからって、化け物に襲われてる人たちをほっとくってのも違うんじゃねぇか?」


 クロヤがトシゾウさんをそう諭す。トシゾウさんほど、イデアールという国に嫌悪感は持ってないようで安心した。

 だがトシゾウさんはなおも反論する。


「怪物の餌食となる人々を救う。ええそれは良いでしょう。だが、その旗頭となり指揮を執るのはクロヤ様であるべきだ」

「なっ……あなた、一体何を言っているの!? これは私たち騎士団主導の計画です。それの指揮を執るべきは騎士団長よ。いったい何を理由にそんな……」

「理由など決まっている。クロヤ様がだからだ。クロヤ様を越える強者でなければ、クロヤ様を従えることなどできない。ただそれだけの話だろう」


 …………つまり。騎士団にクロヤより強い者がいなければ、それがたとえクロヤ自身の指示でもイデアールの下にはつかないと。トシゾウさんはそう言うのか。


「…………あなたたちは協力する気はないと」

「……クロヤ様より強い者が存在しなければ我等はあなた方に従うことなどできぬ。クロヤ様を従えるということは、我ら一族を従えるということだ。他の者もそう言うだろう……仮に今ここで条件を呑まないことで、一族が更に廃れていくとしても」


 トシゾウさんの言いたいことはわかる。それでも、ここで納得して引き下がるわけにはいかない。彼と、一族の者たち説得できるのはクロヤだけだ。どうにかクロヤに彼らを説き伏せてもらわないと――。


「確かに一理あるな」


 だが、当のクロヤはそんなことを言い出した。


「なっ……さっき異論ないって言ってたじゃねぇか!」


 思わず声が大きくなる。ここで感情的になるのはかえって逆効果だろうが、さっきまで交渉は纏まりかけてたんだ。トシゾウさんさえ納得させられれば…………それをこうも簡単に覆されて黙っていることなんてできない。


「まあ落ち着けよ。俺は何もあんたらに協力することをやめる……なんて言うつもりはないぜ」

「じゃあ……どういうことだよ」

「ただトシゾウの言う通り、上に立つ者は一番強い奴であるべきだと思っただけさ」

 

 そう不敵に笑ったクロヤに対し、ディランが疑問を唱える。


「ではどうするというのです? 現状どちらが強いかなど確かめる方法なんてないでしょう」

「何言ってやがる。実際に戦えば済む話じゃねぇか」

「実際に戦う? 騎士団長はここにはいない。まさか首都まで出向くつもりですか?」

「馬鹿言うなよ。俺が戦いたい奴はにいる」


 言って、クロヤは真っ直ぐに俺を指した。瞬間、全身が鉛のように重くなったかのような錯覚に襲われる。クロヤのその表情は既に戦意が満ち満ちていて、得物を見つけた獣のよう。フェアレーターと戦っていたときにも感じたが、この男は戦いが好きなのだ。狙いをつけた相手にはこうやって闘志をぶつけるのだろう。その迫力に圧倒されかけるが、辛うじて平静を保つ。


「俺は今まで、自分より強いやつを見たことがねぇんだ。英雄英雄言うがよ、実際のところその実力はどんなもんなんだと思ってな」


 口調は柔らかだが、叩きつけられる圧はどんどんその強さを増していく。

 ……呑まれるな。呑まれたら、さっきのフェアレーターのように我を失うことになるぞ。


「兄ちゃん、一つ聞きてぇ」

「……何だよ」

「例えばだ。もしあの化け物が今後増えに増えまくって、世界規模の脅威となったとする。大げさだと思うかもしれないが、無い話じゃないだろ? 実際今も被害は増える一方なんだから」


 そう言いながら、クロヤは両腕を目いっぱい広げた。


「この広い世界に比べて俺たちは小さい。抱えきれるのはたったこれっぽっちだ。その小さい器でこの世界全てを抱えなきゃいけなくなった時、お前はそれに耐えられるか? 今は対立しあってる三国が手を取りあって、目の前の脅威に立ち向かうとなったとき。お前はその先頭に立って、すべてを背負って戦えるのか。……勝てるのかよ」


 言われて、俺は少し悩んでしまった。本来なら即答しなければならないだろう、できると。こいつは、それだけの覚悟が俺にあるかどうか試しているんだ。

 ……けれど。俺はほんの少し前までただの、どこにでもいる普通の高校生だったんだ。大勢の人の命を預かって、戦えるかなんて……簡単に答えられない。


「俺は……」


 ……ファルコン。俺の目指すべきヒーロー。こんなとき、彼なら……彼ならどう答えるだろうか。もしそういう重大な決断を迫られたら……。


「…………絶対勝つ、必ずやれる、成功させるなんて言えないだろ。ただ俺がそんな立場になるってことは、俺を信じて、俺の後ろに着いていこうと思ってくれる人たちがいたってことだ。その人たちを裏切ることはできない。どんなことがあっても最後まで足掻く」

「……ふーん。本音はどうか知らんが、それだけの口が叩けるってことは相応の度胸はあるか」


 そう言うと、クロヤは立ち上がった。そして俺の目を真っ直ぐ見据える。


「ちなみに俺なら勝つ。勝てるね、楽勝だ。……つまり、互いに世界を救う気概は充分ってわけだ」


 俺もまた、その目を真っ直ぐ見つめ返す。フェアレーターからより多くの人を救うには、穢威波の、クロヤの協力が不可欠だ。ここでこの程度の圧に折れるわけにはいかない。こうなればもう、クロヤに……トシゾウさんに。俺の『鎧の力』を、認めさせるしかない。


「カイ・ワーナー、俺と戦え。んで、俺が勝ったらその腕輪を俺に寄越せ」

「なっ……」

「要するに『鎧の英雄』がいれば良いんだろ?だったら俺がなってやる。どちらも覚悟は充分なら、より強い方が英雄の名を継ぐべきだろう」


 クロヤの発言に、イザベラとディランが驚愕する。俺も驚いたが、既に戦う覚悟を決めていたから退きはしない。


「……わかった。だが俺が勝ったら、お前らは騎士団に従ってもらうぞ」


 俺のその啖呵に、クロヤは満足そうな笑みを浮かべる。


「……はっ、上等だ! 真剣勝負といこうぜッ!!」


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る