第8話 穢れた一族
「必殺、ファルコンブレェエエエエエエエエエエエエイク!!」
「くっ……ファルコォオオオオオン!」
最後の断末魔を上げ、宿敵ダンザーは爆散していった。
「ダンザー……お前とはわかりあえるかもしれないと、思っていたのに……」
俺と同じように悪魔の手によってモンスターの姿に変えられながらも、心の底から人間を裏切ることができなかったダンザー。……俺は天使の手によって救われた。しかし彼は悪魔による洗脳を自分で解きかけていたんだ。
だが最後はやはり……人でなくなった自分に耐えられずに、モンスターとして生きることを選んでしまった。もし、もし俺がもっと彼に寄り添ってやれたなら……頼もしい仲間になってくれたかもしれないというのに。
「ダンザーを倒したか……ファルコン」
「!……誰だ!?」
背後に気配を感じて振り返る……が、そこには誰もいない。
「こっちだ」
「!?」
上空より語り掛けられる声には聞き覚えがあった。……いや、だがそんなはずはない。
そう、あいつは……あいつがこんなところにいるはずがないんだ。
そんなはずはない、違ってくれと願いながら……恐る恐る声の主を見上げる。
「お前は……!?」
背中から翼を生やし俺を見下ろす一人の男の姿。
「久しぶりだな、親友」
そこには……全ての始まり、俺を裏切り……あの事件を引き起こした、俺の親友の姿があった。
「……といったところで『天空騎士ファルコン』第13話は終わりだ。第14話をお楽しみに」
「えー! ここで終わり!? ダンザーを倒したかと思ったら、今度はあのキャラだなんて……続きが気になるじゃないのよ!」
「それが作ってる側の狙いだからな。次々新たな謎が生まれ、先が読めない展開が続いていくのがこの番組の特徴なんだよ」
「む……じゃあ早く、続き早く!」
聖堂内にある会議室。クレアさんから新しい任務について説明があるということで、俺とイザベラ、そしてディランの三人は少し早めに待機していた。
その空き時間で俺が語り聞かせ始めてから、イザベラはすっかりファルコンにハマってしまってる。まあもともと『鎧の英雄』とかに憧れてるわけだし、こういうヒーローものはかなり好きそうだよな。
「しかしよくもまぁ……テレビ、でしたっけ? あなたの世界の娯楽というのは、ずいぶん凝った作りなんですね。この話が映像、とやらで見られると」
「そうなんだよ、CGとかもふんだんに使って。監督やスタッフ、キャストもこだわってて、気合の入った番組だったぜ。しかもよ、これ毎週土曜放送……つまり、一週間に一回しか見れないわけだ」
「えー!! そんなの無理だわ。絶対待ちきれないわよ」
ディランがテレビ番組という娯楽そのものに興味を示す一方、もうイザベラはファルコンの続きが気になってしかたないようだ。ふふ……まさか異世界に来てまでファルコンを布教することになるとはな。信者冥利に尽きるってもんだ。
「しかしあなたも大したものですね……セリフまで全部暗記してるなんて」
「ふふ……まぁな。若干引かれてる気がするけど気にしないぜ」
興味がない奴からすればかなり残念に見えるだろう……ああ、イザベラがいてくれて良かったと、本当にそう思う。
「戒がよく話してるファルコンがどんなお話なのか、興味本位で聞いてみただけなんだけど。まさかここまでしっかりとした物語だったとはね。単純な善悪の話じゃなくて、敵側には敵側の目的とか信念とかがあって……うん、これは素直に面白いわ」
「……まあ聞く限り、本当に子供向けに用意されたものなのかと疑問に思うくらい残酷な話もありましたけどね」
「それはそうかもしれないけど、良いじゃないリアリティがあって。敵対する相手もただ倒すべき絶対の悪ではないんだ、それぞれ別の正義があるんだって教えてるのよきっと。ファルコン……戒が憧れる理由もわかるわ」
……異世界の人間が特撮を語ってる。何故か妙に感慨深いというか、異世界への文化の橋渡しに成功したってことだよなこれ。あーあ、出来ることなら実際に見せてやりたいもんだ。
それにしても実際に見たわけではなく、俺の実演だけでここまでのめり込めるなんて……イザベラ。君には特撮マニアの素質があるぞ、間違いない。
「でも今は戒もファルコンになれたわけじゃない、この世界で。立派に正義のヒーローしてるわよ」
「いや……俺なんてまだまだだよ。ファルコンならきっともっと上手くやる。この間の事件だって……」
そう、あのカルノーンでの事件。結果的にはフェアレーターを倒すことには成功したが、町中の人間が集団で幻覚を見てしまった。そのせいで住人たちはパニック状態で、事情の説明にかなり苦労したんだ。
「我々は我々に出来ることを精いっぱいやりました。あなたのお陰で犠牲者が増えることなく事件が解決したのだと、町長やエイデン君も言っていたでしょう」
「そうよ。ましては相手は正体不明の怪物。完璧に誰も傷つけることなく……なんて無理なんだから。あなたは良くやったと思うわ」
「それは……そうかもしれないけど」
もっと上手いやり方があったんじゃないか? もっと被害を抑えることはできたんじゃないか? ……もう終わってしまったことだけど、俺は未だにそう思うんだ。
それに、あのフェアレーター……まさか脱皮するなんてな。これが他の奴らにも可能な事なのか、あいつだけが特別だったのかはわからないけれど。進化と奴は言っていたか、脱皮した後はそれ以前の数倍手ごわくなっていたように感じる。……もし、あの脱皮が他の奴らにも起こることなら、俺は今のままじゃきっと駄目だ。もっと、もっと強くならなくては――――。
……と、そんな風に悩む俺に気づかず、二人は話を続けている。
「まあなにしろディランが認めたわけだからねー。正直不安だったのよ、二人が上手くやれてるかって。ディランは私の報告を聞いた時から、異世界の人間だなんて信用できない。メトロポリスのスパイなんじゃないかって騒いでたから」
「……イザベラ様、それはもう良いでしょう。彼のバカみたいなお人好しを見て、まだそんなことを言うほど私は捻くれてませんよ」
「そうかしら? 団長も心配してたわよー?」
あれからディランは、俺に対して対応が柔らかくなった気がする。今でも皮肉めいた言い回しはしてくるが、それでも前みたいにあからさまに喧嘩腰ってわけではない。
仕事でわからないことがあれば教えてくれるし、やっぱり意外と良い奴だったわけだ。
「そんなことより!」
会話の流れを断ち切ってディランが言う。イザベラのからかいに耐えられなくなったのか、結構強引に話題を変えてきたな。
「やはり前回の件で、戦闘の目撃者がいたようです。あれだけの人数が一か所に集まって、その場で戦ったわけだから無理もありませんが」
「ああ、知ってるわ。その何人かの目撃者から噂が広まってるようね。『鎧の英雄』を見たって……まあ、戒のことなんだけど」
「『鎧の英雄』……ね。そんなつもりじゃないけど」
まあ、そう言われて嬉しくないわけじゃない。救世の英雄に喩えられて、迷惑に思うことなんてないし。
「ただあまり喜ばしくはないですね。このことがメトロポリスやヤマトに知れれば、必ず何かしらの行動に出るでしょう。それほど『鎧の英雄』は特別な存在だ」
「行動って……どんなだよ」
「一応、イデアールと他二国は英雄の遺産を巡って争っています。今は小競り合いくらいで済んでいますが、このイデアールで英雄が動き出したと伝わればそうもいかない。『鎧の英雄』……つまり、あなたを手中に収めようとしてくるでしょうね」
「最悪、戦況が一気に動くわ。どうなるかなんて想像もしたくないわね……フェアレーターのことだってあるのに」
あまりにもスケールの大きい話でどうも実感が湧かないが、相当重要人物なんだな俺って。俺の行動一つで、イデアールがそのまま戦争突入ってこともあり得るわけだ。
それだけはやっぱり避けたい。
「……わかった、これからはあまり目立たないようにするよ。……にしてもさ」
「何?」
「いや、英雄の遺産って一体何なんだろうなと思って。この腕輪もそうだけど」
対立関係にあった三国を纏め上げ、魔王からこの世界を救った英雄。俺と同じように鎧を纏って戦っていたというが……。
「他の国にある遺産ってのも、俺みたいに鎧を纏う力を持ってるのか?」
「それは……わからない。英雄の伝説とはいっても、詳しいことはわかっていないのよ。以前あなたに説明したことでほぼ全部。ただ……英雄はメトロポリスに科学をもたらし、発展させた人物。私たちの想像のつかないようなものを遺している可能性もあるわ」
成程、まあ伝説上の偉人が実際何してたのかなんて知りようがないよな。わかっているのは結果だけで、その過程でどんなものを生み出して遺していったかなんて実際のところはわからない。
「その腕輪は、イザベラ様のお父様が形見として遺した複製品ということでしたが」
「ええ……まさか本物だったなんて夢にも思わなかったけれど」
「イザベラのお父さんって……どんな人だったんだ?」
「元老院直轄の組織で、この国の宝物管理を担当していたの。職業柄、『鎧の英雄』伝説にも詳しくて……私は小さいころからよく聞かせてもらっていたわ」
イザベラはそう言って、懐かしそうに目を細めた。
「……正直気になってるのよ、父さんが何を思って私に本物の腕輪を渡したのか。……それも戒と一緒に戦ってれば、そのうちわかるんじゃないかって」
確かに妙な話だ。救世の英雄の遺した遺産なんて、娘への贈り物として贈るには少しばかり度が過ぎるだろう。今となってはわからないことだが、俺たちには計り知れない思惑があったのか、それとも……。
「私、父さんがこうなることを見越して私に腕輪を託したんじゃないかって思うの。いつか英雄の後継者が現れて、私がその人に腕輪を渡す。そうしてまた、伝説を紡いでいくことを望んでいたんじゃないかなって」
「……夢見がちな話ですね」
「…………何?ディラン」
「いえ、何も」
本当にそうだろうか? 俺はイザベラのお父さんがどんな人だったかなんて知らないけれど、まさか娘に伝説の当事者になって欲しい程度の理由で……こんなことをするとは思えない。ディランの言う通り、少し夢見がちな話ではないかと思う。
「……そういえば、俺が鎧を使うことを認めたのも元老院って連中なんだろ? お父さんがそこの直轄の組織にいたなら、そいつらが何か知ってるんじゃないか?」
「…………どうかしら。元老院の下で働いていても、彼らに反感を持ってる人も多いし。父さんもその一人だったわ。元老院とは何かと対立していたし、一緒に何かしようとしてたなんて考えられないけど……」
「でもさ……」
……と、議論が白熱してきたところで扉がノックされた。どうやら、とうとうクレアさんがやってきたらしい。
話の続きはまた今度でと言って、新たな任務に向かって気を引き締める。
「あーすまん、盛り上がってるところ悪いな。……それにしても、随分仲良くなったようで感心感心」
扉を開け入室すると、クレアさんはあからさまに俺とディランを見てそう言う。相も変わらずニヤニヤ意地の悪い笑顔を浮かべながら。
……この人、結構前から話聞いてただろ絶対。まあ良いけどさ。
「べ……別に仲良くなったわけではありませんよ」
「あぁ!? この間抜群のコンビネーションでフェアレーター倒しただろ?」
「それとこれとは話が別で……」
「あーはいはい! そういうの今は良いから! ……で、団長。今回の任務は何でしょう」
しばらく俺たちのやりとりを楽しそうに見守っていたクレアさんは、不服そうにイザベラを見る。
「えー、もう少し見てようよ? こいつら弄り甲斐があるだろ?」
何言ってんだこの人。
「それはものすごくわかりますが、今は任務の話が優先です。さあ」
……イザベラさんもかい。二人とも可愛い顔して地味に酷いね。
ディランの方を見ると、これまた地味に傷ついた顔。気持ちはわかるぞ、うん。
「……まあ、仕方ないか。よーしお前らよく聞けよ、ここからは真面目なお話だ」
イザベラにたしなめられて、少し残念そうにしながらもクレアさんは真剣な表情で話始めた。その様子を見て、俺たちも気を引き締める。
――――いよいよ新しい任務か。
「お前ら、
――――かつて、この世界が魔王という強大な負の存在に支配されていた時代。
『鎧の英雄』なるものがこの世に現れる以前の話。人々は魔王とその配下の魔物に対抗する術を持ちえず、刻々と迫る滅びの時をただ待つばかりだった。
そんな中、ヤマトの民の中にある特異な能力を持つ者たちが現れる。彼らはその異能を扱うことで、それまでまるで太刀打ちできなかった魔物どもから、人々を救ったのだ。それまでただ蹂躙されるばかりだった人間たちは、彼らを賛美し讃えたという。やがて『鎧の英雄』が現れ三大国を纏め上げるまで、ヤマトの地を守り抜いたのはこの異能を持つ者たちに他ならない。
そう、他ならないのだが……。
「ハァ……ハァ……」
歩けど歩けど、ただ道は険しくなるばかりで目的地はまったく見えてこない。すでに馬車を降りてから三時間ほど。いい加減俺の脚は限界を迎えていて、どんどん歩くペースは落ちていく。
「こんなっ……山奥に、ほんとにいるのかよ? その何とかって一族は」
周りは木々が生い茂り、地面はでこぼこで時折小さな崖まで出てくる。まともに進むことなどできるはずもなく、人の手が入っているようには到底思えない。
「穢威波一族、よ。確かにとんでもないところだけど、人目を遠ざけたいならこれほど適した場所もないわ。彼らは追放された一族なんだから、こういう場を選ぶのは道理なんじゃない?」
「……とにかく、今は先に進むしかありませんね。確実に、近づいてはいるはずですから」
「ほんとか?」
「………………………………ええ」
おいおい、だいぶ長い沈黙だったけど……ほんとに大丈夫なのかよ。迷ったりしてないよな? 進んでも進んでも同じような景色ばかりで、目印のようなものも何もないし。これじゃあ、知らないうちに遭難していてもおかしくないぞ。
「……しかし、追放された一族……ね」
確かに英雄が現れるまで、穢威波の一族はヤマトの救世主だった。ではなぜそんな彼らが追放され、このイデアールの僻地に流れてきたのか。
「仕方ありませんね。彼らの能力は我々の扱うマナの魔術とも、メトロポリスの科学技術とも違う。彼らの能力は、魔王や魔物に近かった。生物から生気を奪い取り、滅びに誘う負の波動……あの時代、誰もが恐れていたであろう能力です」
今では淘汰されその姿を見ることはないという魔王の眷属。それと同じ能力を、彼ら穢威波の人々は持っていた。いくら国を守った功労者たちといっても、魔王の恐怖に怯えていたかつての人々にとっては、彼らも魔物と変わらない存在だったのかもしれない。
「でも、不憫な話よね。『鎧の英雄』が現れたらすぐ、お前らはもういらない、お前らは穢れている、この国から出ていけ……でしょ? 結果彼らはイデアールに流れ着き、穢威波の一族という集団を形成して暮らしている。こんな場所でひっそりと」
「……ですが、彼らを追放したヤマトの人々の気持ちもわかります。穢威波の一族は確かに危険だ」
「お前、今回の任務やっぱり反対なのか?」
「反対、というわけではありませんが……もう少し慎重になるべきだと思いますね。穢威波の一族を我々の側に取り込むなんて」
そう、今回の任務の趣旨はそれだ。即ち、穢威波の一族を懐柔し仲間に引き入れるということ。
「彼らが追放されたのはそれ相応の理由があるからです。穢威波の一族はその特異な能力を制御できず、戦いの中で身内から何人もの犠牲を出している」
「でも
「それは……そうですが」
今回クレアさんが俺たちを調査に出したのは、ただ彼らが戦力として期待できそうだからというだけではなかった。
何でも、穢威波の一族は人ならざるものを見分けるのに長けているらしい。騎士団に報告があったのはつい先日の話。ここからそう遠くない場所である事件が起きた。
穢威波一族と交流のある集落に、三体のフェアレーターが紛れ込んで住人を狙ったらしい。……が、商いのためにその集落を訪れていた穢威波の男が、そのフェアレーターのうち一体を見つけ出し始末したと。一人の犠牲者を出すこともなく。
「フェアレーターを見つけ出しただけじゃなく、一人で倒しちまったんだろ? 残りの二体は逃がしたとしても、すごいじゃないか。その穢威波の男」
俺たちがあれだけ苦労して突き止めた怪物の正体。それをすぐに判別できる奴を引き込めれば、フェアレーターの犠牲になる人々をもっと減らせるはずだ。
「それも例の魔の能力のお陰でしょう。彼らを本当に信頼して良いのか、まずは冷静に判断すべきです。安易に彼らの住処に立ち入る前に……」
「あーはいはい、議論はまた後で。ほら、ちょうどいいタイミングであそこに山小屋があるわ。誰かいるかもしれないし、ここがどの辺りなのか聞きましょうよ。ついでに一休みするってことで」
イザベラの指さす先には、小さな山小屋があった。煙突からは煙が立ち上っていて、確かに誰かいるのかもしれないな。
……というか、やっぱり迷ってたのか俺たち。そんな気はしてたけどさ。
「よし、ならとっとと行こう。いい加減足が限界だしな」
「すみません、イデアール魔術騎士団の者です。少しお話を聞かせていただきたいのですが……」
ディランが扉ををノックし、そう何度か呼びかける。
…………が、どうしたんだろうか? しばらく待ってみても返事がない。
鍵もかかっているようで、中に入ることは難しそうだ。
「もしかして留守か?」
「どうかしら。確かめてみる?」
確かめるってどうやって。
疑問に思っていると、イザベラは扉の前に立ち…………。
「ごめんくださーい」
そんな気の抜ける声を出しながら、あろうことか扉を蹴破りやがった。
「なっ、おい!?」
「仕方ないでしょ、これ以上この辺りをうろうろしてもどうしようもないじゃない。それにこの辺りにはまだ逃げたフェアレーターがいるかもしれないのよ。もしかしたら何かあったのかもしれないじゃない」
「絶対嘘だ……疲れたから休みたいだけだろお前……」
「私がどう思っているかなんて関係ないの。そういう名目が成り立っている現状、不可思議なことがあれば調査するのが騎士の務めなのですよ、ワーナー君?」
…………こいつ普段は真面目だけど、少なからずクレアさんの影響受けてるよな。それに名目とか言っちゃってるし、休みたいことは否定してないわけで。
まったく大雑把というか、何と言うか……。
「……いえ、名目では済まないかもしれないですよ」
――――と、しばらく黙っていたディランが口をはさんできた。
「名目では済まないって……どういうことだよ?」
「気づきませんか? この匂いですよ」
そう言いつつ、先ほどイザベラが蹴破った入り口を指さす。……だが匂いと言っても、特に何も感じない――。
「いや」
確かに言われてみれば。どこか生臭いというか、不快な匂いが小屋の中から流れ出ている。というかこの匂い――――。
「血か?」
「……そうね。図らずも当たりを引いてしまったみたい。とにかく、中に入りましょう」
中に入ると、それはひどい有様だった。床一面に人間の血やら臓物やらがぶちまけられていて、バラバラになった肉片がそこらに散らばっている。テーブルの上には作りたてと思わしき食事が三人分用意されていて、これから昼食でも取るつもりだったのだろう。一家団欒、いつもと変わらぬ食卓を囲もうとして……そして。
…………こんな、こんなことが……。
「うっ……」
腹の中からこみ上げてくるものを抑えようと、口元を手で覆う。目の前に広がる凄惨な光景が信じられない。
「きついなら無理せず外に出て構わないわ。……戒はまだ、こんな光景見慣れていないだろうから」
「……いや、大丈夫。気にしないでくれ」
イザベラが気を遣ってくれるが、俺だってもう騎士なんだ。こんなことで逃げていられない。それにこれがもしフェアレーターの仕業なら、俺が何とかしないと。
「喰い残し、でしょうね。この家族を襲ったは良いが、我々の気配を察して姿を隠したのか。そう時間は経っていないはずです」
「つまり、これをやった奴はまだ……近くにいるわけだ」
「そうね。そして、だとすれば見逃すわけにはいかないわ」
ああそうだ。こんな非道を許すわけにはいかない。ここで放置すれば奴らはきっとまた、人の多い例の集落を襲う。それだけは何としても阻止しないと。
フェアレーターを追うため、小屋の外へ出る。
――――と、同時に。
「戒、下よ!!」
突然のイザベラの叫びに驚き、反射的に真横に飛びのく。
視線を向けると、たった今俺が立っていた地面から何かが飛び出している。……あれは間違いなく、怪物の腕だ。
「……けっ、躱したか。お前らナニモンだよ」
やがて地面から姿を現したのは、既に見慣れたフェアレーターの姿。
どうやらこいつは進化とやらはしていないらしい。
「イデアール魔術騎士団よ。私たちはあなた達フェアレーターの討伐を目的としている。逃げられると思わないことね」
「逃げるだって? 馬鹿言え、こちとらこないだ集落をやりそこねてから何も喰ってないんだ。お前らは全員俺の餌になるんだよ」
……やはり、こいつが例の集落を襲った犯人。
「なるほど、腹を空かして見境なくですか。ここなら誰かに見られる心配もなく食事にありつける。人の中に紛れる必要もなく」
「よくわかってんじゃないか、兄ちゃん……よぉ!!」
――――フェアレーターが突進してくる。
イザベラとディランがそれぞれ剣を引き抜き、俺も腕輪に手を掛ける……が。
「遅えなぁ!!」
あまりの速度に変身が間に合わない。どうにか避けるべく後ろに飛びずさろうとするが、怪物はすでに俺へ狙いを定めており。避けられないと判断した俺は、咄嗟に腕を交差させ防御の姿勢を作る。
――――数瞬の後、激突。
「ぐっ……!」
どうにか突進を真っ向から受けずには済んだが、衝撃で大きく吹き飛ばされた。これは、生身で食らうには強烈すぎるだろ……!
狂猛な野獣のように、腹を空かせたこいつはなりふり構わず突撃してくる。
「戒っ!」
「ディラン、来るわよ!」
俺をぶっ飛ばしたフェアレーターは、今度は二人に狙いを定めた。イザベラは炎、ディランは氷を発生させそれぞれ壁を作るが――。
「っ、地面に!?」
二人の魔術の合間を掻い潜り、怪物は地面に再び潜り込んだ。さっき俺にやったように、地面の中から攻めるつもりか。
「壁を突破できないのなら下からですか……! 飢えでタガが外れているうえ、冴えているとは質が悪い!」
「無駄口叩いてないで走りなさい! 止まれば餌食になるわよ!!」
的をしぼられないよう、四方八方に動き回っていく二人。
しかし敵がどこから出てくるかわからない以上、その策にも限界はあり……。
「逃がさねえよ!」
「くっ……!」
「ディラン!!」
ディランの目の前に現れたフェアレーターが、針による攻撃をしかける。
無数に迫りくる針をディランは叩き落としていくが、意識を自分から離した隙を怪物は見逃さない。
「ぐああっ……!」
超速、そして連続で繰り出される突進攻撃。その速度は既に視界に捉えられず、俺たちとは隔絶した膂力を思い知らされる。
「くそ……!」
それでもディランは何とか一撃を加えようと剣を振るうが、怪物はその攻撃を躱し地面へと消えていく。地中と外を行き来してのヒットアンドアウェイ戦法……魔術の壁も機能しているが、敵は確実にこちらの意識の隙を狙ってくる。
まさに打つ手なし……だが。
「戒!」
「わかってる!!」
ここまで休ませてもらえばもう大丈夫だ。さっきの突進のダメージからある程度回復、動けるようになった俺は腕輪に再び手を翳す。
「装着、ファルコン!!」
腕輪から力が流れ出し、俺の体を鎧が包み込む。変身完了、ここからは遅れはとらねぇぞ……!!
「戒、地面を!」
イザベラ……? 地面を……なるほどそういうことか。確かにファルコンの力であれば、そのくらいのことは容易にやれる。
「任せろッ!」
イザベラに応え、翼を広げ空中に舞い上がる。そのまま勢いよく急上昇、敵が隠れる地中に狙いを定める。
「イザベラ、ディラン! 避けろよ!!」
そして拳を突き出し地表めがけて急降下。……そう、これは俺の十八番の技だ。ただしカルノーンのときと違うのは、これが怪物自体を狙ったわけではないということ。
イザベラとディランが退避したことを確認して、さらに翼を羽ばたかせ速度を上げていく。
「ほら出てこい、化け物!」
その勢いを乗せたまま、地表に向かって拳を突き立てた。凄まじい衝撃が発生し、大地が震え地面が崩れ始める。
結果、地中に隠れていたフェアレーターは外に出てこざるを得ず――――。
「見つけたぞ……ッ」
何が起きたのか理解できていないフェアレーターは俺の姿を見て驚愕している。……が、すぐに体勢を立て直し反撃の姿勢を作ろうとしてきた。
だが、もう遅い……!!
「おらぁ!!」
瞬時に間合いを詰め、敵の胴目掛け全力の飛び蹴りをお見舞いしてやった。避ける暇もなくもろに直撃した怪物は、その場から勢い良く吹き飛んでいく。
そしてその先には。
「はっ!」
ディランが氷の剣を構え待ち構える。正確な剣さばきで、敵の隙を逃さず的確に攻撃を加えていく。
氷の魔術によって強化されたその剣に斬りつけられ、怪物の動きも徐々にではあるが鈍ってきていた。更に周囲に氷の障壁を張り巡らせることによって、敵の退路を絶ち追い込む。まさに全ての戦術が計算尽くで、決して囚人を捕らえて離さない牢獄のようだ。一度ディランに流れが向けば、そこから逃れることは叶わない。
しかし、決定的な一打がないことも確かで――――。
「ディラン、離れなさい!」
イザベラが叫ぶ。そう、仮にディランに力が足りずとも、ここにはもう一人必殺の魔術を持つ騎士がいるんだ。その手の剣には燃え盛る業火が纏われていて、辺りの木々を燃やし尽くしながら敵に向かう。――――そして、一閃。
ディランの冷気に、イザベラの炎。この二つの挟撃を避けることなどできるはずもなく。
「グァアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
怪物は轟々と燃え上がる炎に包まれ、消滅していった。
「ふう……」
「終わりましたね」
「意外と楽勝ね。今の連携、良い感じだったんじゃない?」
突然の襲撃に驚いたが、どうにかフェアレーターを倒すことに成功した。三人の力を合わせたからか、今までで一番スムーズに敵を倒すことができた気がする。圧勝、というわけにはいかないが、それでもこれは大きな成果だ。
二人との連携が上手くいったということもあるが、俺もだんだんとこの鎧の扱いに慣れてきたってことかな。
「だけど、やっぱりこのフェアレーター……例の集落を襲った奴だったんだな。それに加えさっきの家族まで……くそ」
「仇は討ちました。我々にできることはここまでです。……あの家族を弔ってもらえるよう、集落の方々に連絡しましょう」
……そうだな。本当なら発見した俺たちの手で弔ってやりたいが、俺たちには与えられた任務がある。今はとにかく、先を急がなくては。
「って、どうやって連絡するんだよ。まさか一度山を下りるのか?」
「まさか。こうやってですよ」
そう言ってディランが短く何かを唱えると……一羽の鳥が側にやってきた。
ディランはペンを取り出し、現状を詳細に紙に書きだす。
「これを付近の集落まで届けてもらえますか?」
そういって手紙を咥えさせると、その鳥は確かに集落の方角目掛けて飛び去って行った。
「……お前、鳥使いだったのか?」
「違いますよ。今のはこの山に存在するマナに呼びかけて、それに呼応したあの鳥に協力を頼んだんです。まあ、魔術と呼べるかも怪しい初歩的なものですね」
ふーん、マナを扱えればそんなことまでできるのか。確かにこれなら、この国で魔術が普及してるのも頷ける話だな。
「さ、いつまでも陰鬱な空気で落ち込んでても仕方ないわ。先を急ぎましょう」
「ああ、そうだな――」
行こう、と続けようとして。
「イザベラッ!!」
「!?」
イザベラの背後に忍び寄る影を見て叫ぶ。そんな馬鹿な……さっきのフェアレーターは間違いなくイザベラの攻撃で倒したはず……!!
「まさか……!」
そう、確か集落を襲ったフェアレーターは三体。逃げ出したのは二体……! そのうちのもう一体も、こうして隠れて俺たちを狙っていたのか――――!
「イザベラ様ッ!」
「イザベラ、避けろ!!」
……駄目だ、間に合わない。
呆然と立ちすくむイザベラに、怪物の一撃が振り下ろされた。
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