第6話 闇夜に紛れ幻影に誘う(中)

 静まり返った夜の町。普段であれば仕事帰りの酔いどれ達が、夜通しバカ騒ぎすることも珍しくはない。

 しかし今、この町で暮らす人々は怪物に怯えているのだ。平穏だった日常が、罪もない二人の少年の犠牲を発端として崩れ去った。

 皆息を潜め、自分や家族が怪物に目を付けられないよう必死になっている。

 ゆえに今夜、この町で動く影はない。ただ一つ、事件の現場となった廃墟を除いて――。



 俺の目では追いきれないほどの超速で、怪物はディランを攻立てる。

 しかし……本来であれば決して人間の手には負えないであろう力を前にして、ディランは今なお健在だった。


「まじかよ……」


 目の前の光景が信じられない。俺が鎧を纏わなければ手も足も出なかったフェアレーター……こいつはあのときの怪物と比べても遜色ない力を持っている。

 だがディランは……。


「我々騎士があなた達に後れを取っていた原因は、圧倒的な情報不足に他ならない。イザベラ様が持ち帰った、フェアレーターとの戦闘データ……。

 あなた達がどう攻め、どう守り、どう行動するのか。それさえわかってしまえば、対策を立てることなど容易い。あまり我々を見くびらないことだ」

「ちっ……口だけじゃないってわけか。面倒をかけさせる!」


 怪物の攻撃が更に速く、重くなっていく。高速で移動しながら四方から針を撃ちだし、ディランの隙を見て鋭い近接攻撃を繰り出していく……が。


「言ったでしょう、容易いのだと」


 そう呟くと同時、ディランの周囲に張り巡らされた。

 撃ちだされた針は氷に衝突してすべてかき消される。 


「……っ」


 ……怪物の姿が消えた。そう、奴らは体色を変化させ、周囲の風景に溶け込むこともできる。こうなればもう、敵の姿をとらえることはできない。


「やはりそう来る……だが」


 しかし、その行動をも予測していたというのか。ディランが剣を振るうと、冷気が部屋中に広がり始めた。凄まじい勢いで部屋中が凍り付いていく。


「……って、やべえ!」


 このままじゃ気絶してる人質が凍死しちまう。幸い怪物はディランとの戦いでこちらまで意識が回っていない。倒れたままの女性を咄嗟に抱きかかえ、なんとか冷気から守ることができた。

 ……俺が助けに向かうと考えてこの魔術を使ったんだろうが、それでも考えなさすぎだろ。


「くそ、ディランの野郎」

 

 冷気と氷でこの空間が白く染まっていく中、咄嗟の環境の変化に対応できず怪物の姿が浮き彫りになった。


「……つか、さっむ!!」


 この寒さは尋常じゃねえ。ディランもイザベラと同じように、体内にマナを貯蓄できる体質ってわけか。そしてこいつの持つマナは氷……イザベラの炎とは対極の力だ。

 しかし魔術ってのは何でもありだな、おい。


「さすがのフェアレーターも、この寒さの中では満足に動けないようですね」


 勝ち誇った様子でディランは怪物に近づいていく。


「ああ……そうだな。どうやら本当に口だけじゃなかったらしい。それにしても驚いた。まだそこに人質がいるっていうのに、こんな大技を使うとな」

「私が何も言わずとも、そこの英雄気取りが助けるでしょう。ならば、私があなたの排除を優先するのは至極当然かと思いますが」

「なるほどな……まったく、騎士ってのは随分非情な奴らだ」


 怪物が情を語るなんて、やはりこいつは以前のフェアレーターとは違う。

 どこか人間くさいというか。それに追い詰められているというのに、どこか余裕がある様子なのはいったい何だ?


「……まあ良い。これ以上無駄話をするつもりもありません。さっさと任務を終わらせましょう」


 そう言ってディランは止めを刺すべく剣を振り上げるが――――。


「いや、残念ながらお前は任務を完遂できないよ」


 ――――刹那、屋敷中に突風が吹き荒れる。あまりにも強烈な衝撃で、目を開くこともできない。

 

「な……に……っ」


 ディランが困惑の声を上げる。この状況は、あいつでも予測できなかったのだろう。

 それもそうだ、ディランの予測はこれ以上ないほどに的確だった。勝利は確実だったんだ。俺だって何が起きているのかさっぱりわからない。


「……ああ……ようやくか。……感謝するぞ、ダニエル。お前を喰らったことで、俺が救われるなんてなんとも皮肉な話だな。これで……さらなる高みへ行くことができる」


 ダニエル……! やはり、エイデンの友達を喰ったのはこの怪物で間違いない。

 

「あと一歩だったな、イデアールの騎士。今日の晩餐が無くなったのは少し痛いが……それもまあ良しとしよう」


 突風が止んだ。ようやく辺りの状況を確認できるようになる。

 怪物は、どうなった……!?


「いない……?」


 先ほどまで氷漬けになっていた怪物は、影も形もなくなっていた。

 ……いや、違う。正確には、まだその場に残ってはいるのだが――――。


「まさかこれは、か……?」


 そう、そこにはまさに巨大な昆虫の抜け殻があった。背部には大きな穴が開き、まるで何かがそこから生まれたかのような……。


「っ、上だ!」

「!!」


 ディランが緊迫した叫びを上げる。上を見上げると、天井には大きく穴が開き、夜空がはっきりと見えた。そして、そこには。


「今夜はここまでにしよう。さっさと帰った方が良いと思うぞ、騎士ども。次は、お前らを喰らうことになる。そうなるのは嫌だろう? 俺も、これ以上無駄な争いはしたくない。」


 月を背に、巨大な蝙蝠のようなシルエットが浮かんでいる。遠くからで良くはわからないが、翼まで合わせれば大人四、五人ぶんぐらいのデカさはあるだろう。

 怪物が一度大きく羽ばたくと、その姿は一瞬で闇に溶け込んでいった。


「……何だよ、あれは」


 ディランも俺と同じく言葉が出ないようで、お互いに理解が追い付いていない。

 俺たちはしばらく、怪物が去っていった夜空を呆然と眺めていた。 




 あれから数時間後、俺たちは町長の自宅にいた。

 救出した人質の女性を保護してもらい、実際の怪物の脅威を報告するためだ。女性はまだ意識がないままだが、医者の診断によると命に別状はないらしい。


「……しかし、肝心の怪物は取り逃がしてしまいました。まだこの町は危険な状態です」

「そうですか……。では住民たちには極力家から出ず、充分注意するよう話します」

「お願いします。今しばらくご辛抱を」


 現状報告を済ませ、町長宅を後にする。

 ここまで互いに何も話していないが、そろそろ俺の方が限界だ。今後の方針を確認するためにも、意見を交換するべきだろう。

 ……こいつがあんな理由で一人で戦いだしたことを思うと、気は進まないが。


「……あの怪物の姿、あれはいったい何なんだろうな」

「脱皮したのでしょう。そのぐらい見ればわかる」


 くっ……まったくいちいち言い方が皮肉っぽいのはなんとかならんのか、こいつは。


「……あんまり驚いてないんだな」

「まあ、奴らが昆虫の化け物であるならそういうこともあるだろうとは思っていました。ただ……あんな姿になるとは予想していませんでしたがね」


 まあ確かにな。虫の中からバカでかい蝙蝠が出てくるなんて、いったい誰が思うかよ。


「手ごわそうだが、これからどうする」

「方針は何も変わらない。奴は私が始末する。素人は黙っていなさい」


 ああそうかよ。いい加減こんな扱いにもなれてきたわ。一度仕留めそこなったとしても、こいつの自信は微塵も揺らいでいないらしい。

 ……とそんなディランだったが、今度は町長が用意してくれた宿とは逆方向に歩き出しやがった。


「おーい、そっちじゃねえだろ。まさか俺と同じ宿に泊まりたくないとかガキみたいなこと言うんじゃないだろうな」

「何を馬鹿な。そんな好意を無駄にするような真似するわけがないでしょう」

「じゃあ何だよ。理由があるなら教えたって良いだろ?」


 俺がそう言うと、こいつはこれ見よがしにため息をつきやがる。ついでに小声でこの単細胞は……とか、なぜこんな男が……とかぶつくさ聞こえてくるがこの際全部無視だ、無視。


「……エイデン君にもう一度話を聞くんですよ。気になることがありますので」




 そして俺たちは明朝、再びフォースター家にやってきていた。

 こんな朝早くから尋ねるなんて非常識極まりないが、ディランは止めても聞く様子もないし。フォースター夫妻も驚いていたが、どうにかもう一度エイデンに会わせてもらえることになった。


「だけどさ、エイデンに会って何を聞こうってんだよ」

「別に、少し話をしたいだけですから」


 俺がどんなに聞いても、こいつは真意を教える気はまったくないらしい。

 扉をノックすると、前回と変わってエイデンが自ら部屋に招き入れてくれた。どうやら、少しは落ち着いてきたみたいだな。


「何度もすみません。もう一度、話を聞かせていただけませんか」

「……怪物は?」

「発見し、人質は救助しましたが……逃げられてしまいました。奴を倒すためには、あなたの協力が必要なのです」

「……わかった。二人の仇を討つためだから」

「ありがとう。君の協力は無駄にしない」


 怪物への恐怖は薄れていないが、それでも犠牲になった二人のためにエイデンも協力してくれる気になったようだ。

 にしてもディランのやつ、今度はやけに優しいじゃないか。前回は子供相手に大人げなく、かなり強引に話を聞いていたくせに。いったい何の心境の変化だよ。


「何度もつらい思いをさせて申し訳ありません。それで……事件当日の話ですが。二人の様子に何か変わったところはありませんでしたか?」


 犠牲になった二人の様子? ……そんなことを聞いて、ディランはいったい何が気になるって言うんだ。


「変わったところ?」

「たとえばそう……どこかいらいらした様子だったとか、少し乱暴だったとか」

「いや……二人ともいつもと変わらなかったよ。いつも通り冗談を言いながら、僕を家まで迎えに来てくれて」


 ほれ見ろ、エイデンも混乱してるじゃないか。

 それでもディランはこの話をやめるつもりはないようだ。何でも良いから思い出すことはないかと。……何かを、見極めようとしているようにも見える。

 そうして数分の間、ディランはしつこく事件当日の三人の行動を聞き出していた。

 突然の質問攻めに困り果てていたエイデンだったが、唐突に何かに気づいたかのように口を開くと。


「……そういえばあの日、本当なら公園で鬼ごっこをする約束だったんだ。二人が他の友達にも声をかけて、結構な人数でね。でも約束の時間が近づいてきて、ジャックが突然肝試しをしようって言いだしたんだ。約束もあったし、僕はやめた方が良いって言ったんだけど。

 でもジャックはどうしてもって言うんだ。最終的にダニエルも乗り気になって、ちょっとくらい時間を過ぎても良いかって」

「そして、あの事件か……」


 確かに妙な話ではあるな。そんな約束があったってのに、どうしてジャックは肝試しを優先したのか。

 ……そこで約束を守っておけば、こんな事件も起きずに済んだのに。


「……なるほど。あとは特にありませんか?」

「うん、これぐらい……かな。でもこれだって変わったことってほどでもないよ。ジャックの我が儘はいつものことなんだ」

「そうですか……ありがとう、参考になりました。……これは、ちょっとしたお礼です」


 そう言うと、ディランは懐から氷の結晶のマークがあしらわれたネックレスを取り出した。


「それは騎士団のメンバーがマナを込めた御守りです。大事に持っていれば、怪物を遠ざけてくれるはずですよ」

「……! ありがとう!!」


 エイデンの顔に、初めて笑みが浮かんだ。

 ……何だよ。意外と良いこともできるじゃねーか、優男。


「では、我々はこのあたりで。行きますよ、ワーナー」

「お……おう」


 そうして部屋を後にしようとしたところで、エイデンが声をかけてきた。


「お兄ちゃん」

「ん? どーした」


 ずっと話をしてたのはディランだったから、俺に声をかけてくるなんて驚いた。


「前、約束してくれたよね。怪物を絶対倒すって」

「……そうだな」

「嬉しくて、心強かった。皆怯えてる中で、お兄ちゃんは頼もしかったから。……だから絶対、お願いだよ。あの怪物を……!」

「……」


 事件の場を目撃して、俺が想像もできないほど傷ついているだろう。それでもエイデンは、勇気を出して俺に願いを訴えている。

 ……こういうとき、どう答えるべきだろう。ヒーローを目指すものとして。

 俺の教科書、ファルコンなら……考えるまでもない。そんなこと決まってる。


「ああ、任せろ!!」


 とびきりの笑顔を作ってその小さな願いを引き受ける。

 一度弱者の立場に落ちて、そこから這い上がったファルコンだからこそ傷つく人々に寄り添えるんだ。

 ファルコンなら、ここで少しも引かずに宣言するはずだから。必ず倒すと。

 それが弱き立場の人たちが安心できて、求めていることだとわかっているからこそ。


「ありがとう……」


 エイデンが再び笑顔を見せてくれた。

 ……どうやら、俺は上手くやれたらしい。伊達に何年も同じ番組でテレビに夢中でかじりついてないさ。





 フォースター家を後にした俺たち。時刻はもう昼前だが、今度こそ宿に帰って休息しなければ。

 いざフェアレーターが現れた時に、寝不足で戦えませんでしたじゃ話にならないからな。

 ――――それにしても。


「しかし、お前もいいとこあるじゃんか。嫌な奴であることに変わりないが、少し見直したぜ」


 さっきのディランには正直驚いた。もっと血も涙もない奴かと思ってたけれど、そんなこともないんだな。


「…………」


 ……まあ、まともな反応があるとは思ってなかったけどさ。せっかく褒めてんだから少しぐらい嬉しそうにしろよな。

 どこまで愛想がないんだ、この騎士様は。


「またそういう反応かよ。……別に良いけどさ、今の俺は機嫌がいいからな」

「……エイデン君に何か言われたのですか」

「まぁな、頼もしいお兄さんだってよ。目標に一歩近づいた気分だ」

「……また英雄気取りですか。やはり単細胞、あなたは警戒心が無さすぎる」


 警戒心だ?


「いったい何を警戒するってんだよ。俺はエイデンに頼まれただけだ。絶対に怪物を倒してくれって。ただの子供が、俺という大人を頼ってきただけじゃないか」

「……本当にあなたは馬鹿ですね」

「……」


 確かに俺は頭の回転は早くない。だけどディランが何かに気づいていて、俺がそこまでたどり着けていないことはわかっている。

 俺のことを馬鹿だ馬鹿だというのなら、いい加減もったいぶってないで馬鹿にもわかるように説明しろってんだ。

 

「いったい何なんだよ、何かわかったことがあるなら――――」

「私が再びエイデン君のもとを訪ねたのは、フェアレーターの正体がからです」


 …………何だって?


「怪物の正体がエイデンだと? お前、何を言ってるんだ」


 エイデンは今回の事件の被害者であって、怪物なんかでは決してない。

 

「……どういうつもりで言ってるのかは知らないけどな、しまいにゃキレるぞ。俺にだってどうしても許せない限度ってものがある」

「もちろん、彼がフェアレーターであると断定するわけではありません。しかし状況から考えて怪物の正体は、エイデン君……もしくは犠牲になったジャックという少年のどちらかで間違いない」


 ジャック? ジャックはもう死んじまった筈だろう。


「忘れてはいませんか? フェアレーターは人間に擬態する。周りに気づかれることもなく、自然に日常生活に溶け込んでいき……油断しきった人間を喰らう。

 これが奴らのやり方です。今回の事件、あの場には彼ら三人しかいなかった。そしてエイデン君の話を信じるのであれば、誰もそのジャックという少年が喰われたところを見ていないでしょう。死体が見つかっているのはダニエルだけ。

 それどころか、最初に屋敷に行こうと言い出したのはジャックだ。少し考えればわかるはず。どう考えても怪しすぎる話でしょう」


 ……確かに。言われてみればジャックがフェアレーターである可能性は充分あるかもしれないけど。


「だったらジャックを探せばいいだろう。むしろエイデンは今一番狙われる可能性があるじゃないか。何でエイデンを!」

「あなたは疑うということを知らないのですね。それとも一度頼られればもう裏切ることはできない……とでも考えているのですか?

 エイデンがと、何故少しでも思わないのか」


 ……エイデンが嘘をついている。こいつは今そう言ったのか。

 怪物に襲われて、怖くて怖くてしかたなくて今も怯え続けているあの子が。


「……エイデンが俺たちを騙しているっていうのか」

「過去のフェアレーターのやり方を考えれば、あながちないとも言えない話ではありませんか?

 奴はエイデン君に化け、二人を喰らった。そして我々のように自分を討伐しにやってきた者の目を欺くため、エイデンという子供の姿に擬態し続けた……とか」


 …………こいつは、どこまで。


「真相を知っているのは自分だけなのだから、自分が黙ってさえいれば気づかれることはない……と考えていてもおかしくはないでしょう。ましてあんなどこにでもいるような子供が怪物だと、いったい誰が思うのか」

「……それで、お前の結論は」

「一見ただ怪物に怯えている子供に見えますが、奴らは狡猾だ。我々がこういう予測を立てることも計算のうちで、芝居をしているのかもしれない。であれば、状況は常に悪い方に予測すべきです。

 フェアレーターの正体はエイデンであると、私は考えることにした。だからこそ、あのネックレスを渡したのです」

「あれは、何だ」

「あれには私の魔術が組み込まれています。私が合図すれば、周囲一帯は完全に氷漬けになるでしょうね。フェアレーターがエイデンだとすれば、即座に攻撃できる」



 ――――ああ、もう。黙ってられねえ。


「………………おい」


 限界だ、これ以上は。


「何……ぐッ!?」


 力いっぱい握りしめた拳を、こいつの顔面に叩きこんだ。

 鎧がなければまったく強くなんかない俺の拳では、ディランを数歩後ずさりさせる程度だったが。でも、それでも俺はこれ以上こいつに喋らせるわけにはいかなかった。


「…………いったい何のつもりですか」

「やっぱり俺とお前は水と油だ……まったくもって相性が悪い。俺はお前のこの話を聞いて心底そう思ったよ」

「はっ、まさかまたヒーローの使命だとか……くだらない戯言を言うつもりですか」

「それもある。だけどそれだけじゃない」


 確かに俺の中にはヒーローのやり方、みたいな美学があるけど。今俺の心を占めている感情は失望だ。


「正直見損なったんだよ。騎士ってのは、目的のためなら非情な手段をとってでも任務を遂行しなければならない……。ああ、言ってることは理解できるし、正しいんだろうさ。……俺は好きじゃないけどな」

「…………」

「俺のそういうところを、素人の綺麗事だってお前は言うんだろ。確かにそうかもしれないさ。実際俺は役立たずで、事件の真相をここまで明らかにしたのは全部お前だ。そこは素直にすごいと思うし、見習いたいよ」


 こいつのことは大っ嫌いだけど。俺みたいに平凡な日常をただ過ごしてきたような人間には到底できない仕事を、目の前でいくつもこなされたら認めざるを得ない。

 こいつはすごい。副団長であるイザベラの補佐をする立場を任されていることも素直に頷ける。


「だけどそのうえで俺は譲らない。こんなやり方は間違ってる。きっと、俺にはわからないような重い責任とか、規律とかがあるんだろうけど。それでも結局簡単に言ってしまえば、この国の民一人ひとりを守るために騎士はいるんだろ!? だったら確証もないのに、一人の子供を切り捨てるような真似をして良いはずがない」

「……!」

「……それに、お前の予測が外れてたらどうするんだよ。エイデンは見殺しか?」


 俺はそんなこと認められない。


「……そうであればまた別の策を考える。大を救うために小を切り捨てる、当然の話でしょう!? 我々が相手にしているのは、正体不明の怪物なんだ! 行動を起こすのが少しでも遅れれば、確実に敵を倒すことなどできません!

 そんなことまで考えていたら、作戦など立てられない!」

「そんなことまで考えなきゃ、絶対後悔する。救えたはずの命を、自分の過ちで失うことになるんだぞ! 最後まで救うことを、諦めるんじゃねぇよ!!」 


 こんな話が通るほど現実は甘くないのかもしれないけど。


「新たな犠牲を出さないため? それこそが最も重要だと? ああそうだろうとも。でもだからこそ、今一番狙われる可能性のあるヤツを信じてやれないでどうするんだ!」

「……不測の事態は、文字通り予測しきれないからこそ起きるものです。私のやり方、私の策で救われる民の方が……遥かに多いでしょう」

「そうだとしてもだ。俺はもうお前とは一緒にやれない。俺はエイデンを信じて、守る。お前はお前で好きにやったら良い」


 そして俺はディランに背を向け走り出した。…………あいつが簡単に考えを変えるような奴じゃないというのは、既に良くわかっているから。

 クレアさんには悪いけど、バディはここで解消だ。俺は俺のやり方で、フェアレーターを倒してみせる。





 休息をとるため町長が用意してくれた宿に、ようやく私は辿り着いた。

 部屋は二部屋用意されていたようだが、もう一室には誰もやってきていないらしい。

 ベッドに腰かけ、少しの間休むことにした。いつまたフェアレーターが現れるとも限らない現状で、ゆっくり眠るわけにもいかない。

 ……静まり返った部屋の中で、思い起こすのは首都での出来事だ。


「イデアール魔術騎士団は、本来厳しい鍛錬を積んだもののみが入団を認められるはずです。熟練した魔術と戦闘術、そして判断力を身に着けた上で、騎士団長の定めた試練を乗り越えて初めて騎士として認められるのではないのですか」

「……ああ、その通りだな。何も間違っていないぞ」

「では何故、あんな素人……しかも異世界人などを騎士団に迎え入れ、あまつさえ怪物退治専門だなどという特別な肩書を与えたのです!?」


 今回、この町にやってくる前……私はどうしてもあの男への待遇が認められずに再び団長に直訴した。我々は民の命を預かる身。あんな子供のごっこ遊びの延長のような姿勢で首を突っ込まれても迷惑だと、団長もわからないはずがないと考えたはずだからだ。


「お前、相当あいつが気に喰わないんだな。……やっぱり、イザベラが夢中だからか?」

「……」

「ごめん、悪かったって。そう睨むな」


 ……イザベラ様のことは関係ない。あの人は子供の頃から『鎧の英雄』に夢中だったから。

 今回の件はそういうことじゃなくて――。


「……まあ、あいつが素人ってのは間違いないがねー。……元老院の指示だから、で納得しようとは思わないか?」

「思うわけないでしょう」


 団長が元老院の連中をいけ好かないと感じているのは知っている。そしてこの人の性格ならば、何か特別な理由がなければ連中の指示に簡単に従ったりはしないはずだ。


「まさか突然異世界に飛ばされた少年が可哀そうで、同情したから……などと言わないでしょうね?」

「そんなわけないだろ。……いや、まったくそれもないとは言わんがね?」

「真面目に答えてください。でなければ私は今回の任務に納得がいきません」


 私のあまりのしつこさに団長もさすがに呆れていたが、それでも納得できる説明が欲しかった。でなければ我々騎士団の団員が今まで重ねてきた研鑽の日々は、いったい何だったというのか。

 そんな私の様子に団長は大きくため息をついて。


「お前、ほんっとに頭固いな……よく考えてみろ、あの『鎧』だぞ? 損得で考えれば、多少規則を捻じ曲げてでも手中に収めたい逸材だ。しかも今はフェアレーターなんて化け物のせいで国中が危機にさらされている。イザベラや精鋭たちでも一体退治するのがやっとこさな有様なんだ。お前にだってわかるだろう」

「それは……! だが我々とて負けてばかりなわけではないでしょう。現に苦戦こそしても最後には奴らを倒している。あんな男がいなくても我々は……」

「それじゃさっきお前が言ったように、新たな犠牲者が出るのを見過ごすことになる。戒は現状フェアレーターに対抗できる唯一の手段だ」


 それに、と団長は付け加える。


「あいつは確かに魔術も戦闘術も、判断力も何もかもが騎士としては最低だ。だがあいつに今ある価値が本当に『鎧』だけか、と言われたら私はそうでもないと思うんだよ」

「……他に何があると」


  ――わからない。そう、わからなかったのだ……あの時私は。あんな男に、他にどんな価値があるというのか。

 大を救うには小を切り捨てなければならない。策に策を張り巡らせ、どんな状況にも対応できるよう備える。それこそが真理であると私は信じて戦ってきた。

 あの男の思考にはそういう合理性が欠片もない。英雄でもなければ、できるはずもないのに。


「私たち騎士団の前提にあるべきで、今は欠けてしまっているもの……だよ。それを私は、今回の任務でお前に思い出してもらいたいと思ってる」


 正直、こうしてどうしようもない亀裂が生まれてしまってもなお、団長の言う欠けているものを見つけられない。

 ……先ほどの篠塚戒の言葉で、答えは更に遠のいた気がする。私は本当に過ちを犯そうとしているのだろうか。

 あの男の言う通り我々は水と油で、その考え方が一致することはない。理解できたのは、私とあの男の決定的な違いだけ。


「傷つく人々に親身に寄り添える……優しさか」


 そう、篠塚戒にはそれがある。そこについては、さすがの私ももう否定するつもりはない。あれだけのお人好し、なかなかいないだろうから。

 他には何も持ってないかもしれないけれど、そのお陰で救われる心も間違いなくあるだろう。


「けれど」


 だがそれが本当に、我々に欠けているものなのだろうか。いや欠けていたとしても、それは騎士に必要なものか? 我々は今までの経験から学んできたんだ、非情に徹さなければより多くの人々は救えないんだと。

 正しいのは、どちらなんだ。



 

「――――日が落ちてきたな」


 廃墟で騎士どもに狙われてからだいぶ時間が経った。

 まさかあの優男があんなに強いとは思っていなかったが、あのタイミングでできたのは不幸中の幸いだ。

 『成体』になってからの体は、どうやら夜に行動するのに適しているらしい。逆に昼間は上手く力を発揮できず、よってこの数時間は大人しくしているしかなかったが……。

 それももう終わりだ。翼を広げ、行動を開始する。


「……この町の奴らには、少し悪いとは思うけどな」


 だがそれも仕方ないと割り切るほかないだろう。俺だって死にたくない。そして死なないためには、食べるしかないんだから。

 喰らって、喰らって、喰らいつくす。そうして力をつけて、いつかきっと

 だから、この町ともお別れだ。正直居心地は悪くなかったから、名残惜しいと言えば名残惜しい。けれどこの町の人間すべてを喰らえば、きっと俺はさらに進化できる。


「そうと決まれば、まずはあいつから喰ってやるか」


 そうすれば、俺もきっと迷いを捨ててこれからの食事に集中できるから。


「さあ集まれ、俺の餌ども」


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