第3話 装着、ファルコン

「え……英雄って? 何のことだよ」


「違うのですか?」





 いや、そんな悲しそうな顔されてもだな。


 どうにも意識がはっきりしない。必死に情報を整理しているんだが、頭にぼんやりと靄がかかったようだ。


 あまりにも突飛な状況すぎて、理解が全然追い付いてないんだよ。





「そもそも、ここはどこなんだ? 気が付いたら空の上で、落ちた瞬間間違いなく死んだと思ったのにどういうわけかこうして生きてる。それだけでもどう考えたっておかしいのに、他にもまだまだ不思議なところが山ほどあるんだ」





 奇妙なことに、どういう経緯であんな狂ったスカイダイビングをする羽目になったのかまったく思い出せない。 


 辛うじて記憶に残っているのは……そう、俺はオーディションの結果を親に見せる勇気が出なくて、気晴らしに散歩に出かけたんだ。


 それから……





「……ダメだ。思い出せない……!」


「……無理もありません。あなたが本当に私の想像通りの方ならば、記憶が混乱するくらいあってもおかしくないでしょう」





 そりゃあ自分でもよくショック死しなかったものだと思うけれど。……ああダメだ。思い出せないってのはこんなにも不安になるものなのか。


 ちょっとした物忘れとはわけが違う。だってこれはあまりにも異常だろう。忘れている時間、自分に何があったのか、何をしてしまったのか……。


 それに、この場所がどこなのかまったくわからない。とても信じられないが、少なくとも日本じゃないのは確かだ。周りを見渡してみると、生い茂る植物は見たこともないものばかりだし、立ち並ぶ建築物は現代のものではないと一目でわかる。


 率直に言って現実味が皆無なのだ。


 どんどん落ち着きを失っていく俺を見かねてか、女騎士……が声をかけてきた。





「あの、どうか落ち着いてください。不安なのはわかりますが、あなたの為にもまずは状況を確認するべきです。私もできる限り協力しますから」





 ……そう……だな。こうして悶々としていても進展なんかない。それならまずはこの状況を受け入れて、その後でどうするべきか考えるべきだろう。


 こういうときは一度大きく深呼吸だ。……よし。





「……ふぅ。そうだよな、ありがとう。申し訳ないけど、もうこれ以上ないってくらいに混乱してる。君は俺より冷静だし、どうやらこの場のことについても見当がついてるようだ。


 ……助けて、くれるか?」


「もちろん。あなたは命の恩人ですから」





 ああ良かった。たとえまったくの初対面だとしても、やっぱり味方がいるってのは心強い。


 先ほどからの様子を見るに、俺に対して危害を加えるという意思は感じられないし。むしろどちらかというと友好的に接してくれている。恩人という表現が少し気にかかるが、今はこれ以上にありがたいことはない。





「ありがとう……。俺は、篠塚戒。君は?」


「私はイザベラ……。イザベラ・リードです」


「よろしく、イザベラ」








 ――そして。


 イザベラが傷の手当てが必要ということで、とりあえず近くの家にお邪魔することにした。家の中はもぬけの殻で、少し落ち着いて考えたい俺にとっても都合がよかった。


 ……どういうわけか村の中には人っ子一人見当たらなかったが、それもこれから説明してくれるだろう。





「……っ」


「だ……大丈夫か?」


「……ええ、このぐらい。鍛えてますから」





 いや、ついさっきまで今にも死にそうな顔してたじゃないか。どんなスタミナだよ。





「確かに、さっきよりはずいぶん元気そうだけどさ」


「あなたも、さっきよりはだいぶ落ち着いたようですね」





 まぁ……な……。さすがにいつまでも取り乱してもいられない。俺がどんなことに巻き込まれてしまったのか、とにかく今は情報が欲しい。





「……戒、まずはいくつか質問……というか、確認をさせて欲しいのですが」


「確認?」


「ええ、すぐに済みますし……おそらくそれで何が起きているかわかるでしょう」





 質問、と言っても俺に答えられることなんてほとんどないと思うんだが。





「まず一つ。メトロポリス――という言葉に覚えは?」


「……いや、ないな。映画のことじゃないだろ?」


「えいが?いえ、そういう国があるのですが」


「いや……なんでもない」





 創作の中ではよく聞く単語だが、メトロポリスなんて国、俺は知らないし聞いたこともない。


 しかし映画って言葉も知らないとは。





「……次です。あなたはこの村や私に違和感を抱いているのではありませんか?人種の違いとかではなく、例えばそう、時代錯誤である……とか」


「ああ。それはずっと感じてる。イザベラが来ている服とか、その剣とか。この村の造りにしてもそうだ。俺の時代ではもう見ない」





 イザベラの姿や村の雰囲気を見ると、やはりファンタジーRPGとか漫画とかの世界が思い起こされる。俺からすると、とてもじゃないが現実のものとは思えない。





「最後の確認です。……『鎧の英雄』を知っていますか?」


「……いいや。聞いたこともないな」





 また『英雄』か。さっきも英雄かどうかとか聞かれたけど。そんなに重要なことなのだろうか。


 俺が知らないと言った途端、イザベラの顔に動揺が走る。予想はしていたけれどって表情だ。どうやら少なくとも、イザベラにとっては非常に重要なことらしい。





「……ありがとうございます。だいたい予想通りでした」


「何かわかったか?」


「ええ、まったくもって信じられないことですが」





 そこでイザベラは言いにくそうに言葉を切って。





「あなたは、別の世界からの来訪者のようです」








――――――え?





「は?いやいや何言ってんの?」


「何……と言われましても。ここまでの情報を整理して、それしか考えられなかったので」


「んなっ……。何がどうしてそうなったんだよ!!」





 ダメだ。一度落ち着いたとは言ってもあまりにもあまりにも過ぎて言葉が出てこない。





「だから落ち着いてください。これから説明しますから」


「そうは言っても……」





 これでどう落ち着けってんだよ。


 俺は宇宙人とか並行世界とか、ああいうSFチックなジャンルは結構好きで、実はそういうことが本当にあるんじゃないかとか思ってる。


 だってあんなバカでかい宇宙全体を合わせて、地球みたいに生命の暮らす星が他にないなんてどう考えたっておかしいだろ。


 並行世界にしたってそうだ。





「けどこれは別の問題だろ……」





 だからって本当にこんな漫画みたいな展開に直面するとはついぞ思わないだろう。


 それも自分が。 





「まず一つに、この世界に住んでいる人間で帝国要塞メトロポリスを知らない者はいないでしょう。世界を三分している大国の一つなのですから」


「…………」





「更に、私からすればあなたのその格好の方が不可思議であると言わざるを得ません。


 イデアールにそのような装いは存在しませんし。比較的……ですが近い様相のメトロポリスのものともやはり違う。この世界には無い服装です」





 ……俺の今の格好は紺のジーンズに白のパーカー。家から散歩に出かけたときのままだ。


 洒落っ気など欠片もないが、イザベラが言っているのはそういうことじゃない。





「……そして。『鎧の英雄』の存在を知らないというのが決定的です。下手をすればメトロポリス以上にメジャーな存在。過去に世界を救った伝説の勇者なのですから」


「……でもそれだけじゃ俺が別の世界からやってきたという証明にはならないじゃないか。


 もしかしたら単に俺が頭のおかしい狂人って可能性だってあるだろう。


 何でそこまで……」


「前例があるからです」





 前例?こんな全うじゃない経験をしたやつが他にもいると?





「何なんだ、その前例ってのは」


「『鎧の英雄』ですよ」


「何だって?」





 そこで何故世界を救ったとかいう英雄が出てくるんだ?


 ……と、とぼけることもできるが。だいたい理解できてきた。





「……つまり、その『鎧の英雄』も俺のように?」


「そう、英雄もまた別の世界からの来訪者。伝説では空から降ってきたらしい。流星のように」





 そこまで一緒なのかよ。だからイザベラは俺に英雄なのか、とか聞いたんだな。





「…………はぁぁ」


「やはり、信じられないですか?」


「まぁ、それは。ただ、君が妙に落ち着いて俺を受け入れられている理由はわかった」


「……私は、あなたが『鎧の英雄』の再来だと考えています」





 ……もう、待ってくれよ。これ以上俺の頭をパンクさせないでくれ。





「理由を聞かせてくれ」


「あなたが、私を救ってくれたからです」





 そういえばさっきも似たようなことを言ってたな……。命の恩人だとか。





「生憎、俺には君を救った覚えがこれっぽっちもないんだけど」


「ですが、事実なのです。先ほどあなたが空から降ってきたときに」





 俺が空から落ちた時?





「ええ。まさにあの瞬間、私は怪物に追い込まれ命の危機に瀕していたのです。あなたが落ちたときのあの凄まじい衝撃に、私は救われました」


「……君がボロボロだったのは」





 ――そうか。


 あのとき、傷だらけで今にも意識を失ってしまいそうなほど弱々しかったイザベラ。


 俺は自分のことで精いっぱいで、いくら初対面だったとしてもボロボロの女の子を気にかけることができなかった。


 ……ファルコンなら。


 絶対にこんな間違いは犯さない。自分のことは後回しにして、まず第一に傷ついた人々のことを考えるだろう。





「……すまない」


「え?」


「俺、自分のことしか考えてなかった。目の前に傷だらけで苦しんでいる君がいたってのに」


「……良いんですよ、無理もありません。それにあなたは、今私を気にかけてくれたじゃないですか。本当に自分のことしか考えてない人にそんなことはできませんよ。やっぱり、あなたは英雄の再来に違いない」


「……いや、それは……どうだろうな」





 どうやらイザベラはこれっぽっちも気にしてなかったらしい。それについては感謝の気持ちでいっぱいだが、どうしたものか。


 そも、何故イザベラは俺を英雄の再来だなんて勘違いしてるのだろう。俺なんてただの凡人で、彼女を救ったといってもそれは間違いなく偶然だ。断じて助けようとして、狙ってやったわけではないというのに。





「というか君はずいぶん気に入っているようだけど。実際『鎧の英雄』っていったいどんな奴なんだ?世界を救ったって、具体的にはどんなことをしたんだよ?」


「そうですね……」





 そうして、イザベラは語りだした。よくぞ聞いてくれたとばかりに目を輝かせて。





 『鎧の英雄』伝説。


 かつてこの世界が魔物、そしてそれらを従える魔王に支配されていた時代。


 人々は嘆き、苦しみ、絶望していた。男は餌とされ、女子供は奴隷とされるような暗黒の時代。


 数々の小国が次々と魔王の領土と化す中、それでもイデアール、ヤマト、メトロポリスの三大国は抵抗を続けていた。だがこれらの三国は局地的な戦闘では勝利を収めていたが、魔王の支配から他国を救うには至らない。


 皆自国を守るのに必死で、手を取り合い団結して立ち向かうことをしなかったのだ。そしてそれは魔王と戦うにはあまりにも致命的すぎる悪手。


 ゆえに必然、均衡は崩れた。イデアールがついに力尽き、魔王の軍勢に国境を越えられてしまう。


 誰もが終わりを悟っただろう。だが――――





 そこに突如現れた異世界からの来訪者。彼の登場で、戦局は激変する。


 彼はもちろん魔術も使えないし、優れた武を持っていたわけでもない。一見極々普通の、どこにでもいるような青年だった。


 しかし、そんな彼こそが特別だったのだ。異世界の科学者だった彼がもたらした技術でメトロポリスの軍備は整えられ、ヤマトの誇る武術は新たな武具でさらに磨かれた。


 そして二大国をまとめあげた彼によって、イデアールは滅びの淵から救われる。


 彼のもとに三国は同盟を結び、魔王への反撃を開始したのだ。同盟軍を率い、常に先陣を切っていた彼が纏っていたのが――





「『剣の鎧』」


「剣の……?」


「顔まで隠れる全身を覆うような鎧で、触れたもの全てを切り裂いたそうです。鎧をまとった英雄は、戦場を駆けるひとつの巨大な剣そのものであったと」


「だから、『鎧の英雄』か――」





 異世界の住人とはいえ、極々普通の青年が世界を救う英雄になった、と。


 それってなんだか……少しだけ、似てるような。





「俺の、憧れに……」


「え?」


「いや……なんでもない。だけどさ、残念だけど俺はその英雄様みたいに優秀な科学者とかじゃないし、何か特技があるわけでもないんだよ。やっぱり俺は違うよ、君の望んでる英雄なんかじゃない」





 そう、俺はその英雄以上に只の凡人だ。そんな俺が英雄の再来だなんて、冗句にもならないだろう。英雄だって、俺なんかと一緒にされたくはないと思う。





「だとしても」





 だからごめんと続けようとして、イザベラの様子がおかしいことに気づく。これは……怒ってるのか?





「私にとってはあなたはすでに英雄なのです。それ以上自分を卑下して、その価値を傷つけないで。凡人でも、特別じゃなくても構わない。あなたは、私の恩人なのだから」


「お……おぉう」





 そこまで言われると、なんだかむずがゆいというか。というのも、俺のことをここまで認めてくれる人間に、未だかつて出会ったことなどなかったから。





「悪い。そこまで言ってくれるなら、逆にこれ以上の否定は君に失礼だな」


「そうです。わかればよろしい」





 意外と気が強いというか、一度決めたことは曲げないタイプだな……。





 しかしこんな綺麗な女性にここまで言ってもらえるなんて。なんかとんでもなく都合の良い夢でも見てるみたいだ。


 だとしたら非常に気持ち悪いし、俺はそこまで妄想癖はないつもりだ。そもそも夢だったら落ちた時あんなに痛くないだろうし。





「現実、なんだよな……これ」


「少なくとも、私にとっては紛れもない現実です。救ってくれてありがとう、戒」





 なんだか恥ずかしい……けれど、悪い気分じゃない。


 そもそも、俺の目指す『ヒーロー』っていうのはこういうものだろう。だったら。





「……ああ。正直実感なんて欠片もないし、まだどこか夢心地だ。でも君の感謝を無下にするわけにもいかないし……俺は君を救ったんだと、少しは自信を持とうかな」


「ええ、これで私も話しやすい。英雄の再来が及び腰では格好がつかないですし」





 そう言うとイザベラは腕につけていた腕輪を外して、俺に渡してきた。





「……これは?」


「『鎧の腕輪』……父の形見です。英雄はその腕輪の力で、『剣の鎧』を具現化させ纏ったそうです。もっとも、それはレプリカですけど」





 つまり、変身アイテムってとこか?ますます特撮ヒーローみたいじゃないか。





「それを、あなたに」


「なっ……そんなの受け取れないって!」





 いきなりなんてもの渡してくるんだこの騎士様は。


 父親の形見なんて、恩人だとしても簡単に渡していいはずがない。





「大丈夫です。本物を着けるまでの繋ぎとでも考えてください」


「本物?」


「ええ。これからあなたには、私と共にイデアールの首都に来ていただこうと思っているのです。そこでレプリカではない、本当の『英雄の腕輪』を試してもらいたいのですが」





 ……それは、つまり。





「英雄と同じように異世界からやってきた俺が、本当に英雄の再来か試すってこと?」


「……嫌な言い方ですね。私はただ、あなたが本当にそうだったら嬉しいと思っているだけですよ」


「す……すまん」





 いかんいかん。どうにも卑屈になってしまうな。


 素直に人の好意を受け入れられないというのは、ヒーローを目指すものとして今後直さなければならない課題だろう。





「それに私の側にいた方が、あなたが元の世界に帰る方法も見つかりやすいかもしれませんよ」


「……確かに」





 一人でこの世界をうろうろしてたら、件のその怪物に食われちまうかもしれないからな。


 それにこの国の首都ってことは、何か俺の身に起きたことがわかる資料なんかがあるかもしれない。なんたって一度、同じように英雄がやって来てるわけだし。





「……わかった。だけど――」


「大丈夫です。たとえあなたがそうじゃなくても、私はあなたを見捨てたりしませんよ」


「……そっか。なら」





 そうして、俺は腕輪を身に着けた。……何故だろう、まるでずっと身に着けていたかのように違和感がない。





「……ありがたく受け取っておくよ」


「はい、よく似合っていますよ」





 で、それはいいんだが。


 さっきからずっと気になって仕方ないことがあった。





「いい加減敬語やめてくれない?」


「?」


「いやだからさ、どう見てもイザベラって同い年くらいだろ。落ち着かないんだよ、そんな畏まって話されるとさ」


「でも……」


「でももへちまもありません」


「……へちま?」


「……あー、とにかく。頼むから敬語はやめてくれよ。俺は君を助けたのかもしれないけど、これからは君に助けてもらうんだからさ」





 はい、この話は終わりっと。イザベラはなんだか納得いってないようだが、知らん。これ以上身の丈に合わない待遇を受けるとおかしくなっちまう。


 率直に言って調子に乗る。





「じゃあ……普通に話すわね?」


「そう、それでいい。さんきゅー」





 うむ、これでようやく対等に話せる。





「……で、俺はこれからどうしたらいい?」


「さっきも言ったように、私と一緒に首都まで来てもらうわ。おそらく途中何度か魔物や山賊なんかに遭遇するだろうけど……私が守るから心配しないで」


「……それは頼もしい」





 魔物……魔物と来たか。本当に異世界に飛ばされたんだな……と、今更ながら実感が湧いてくる。


 俺の中で山中を進むとき気を付けなければならない動物といえばやっぱり熊だが、『魔物』とまで言うからにはそんなものとは比べ物にならないほど危険なんだろうな。


 ……正直、二人だけで進むのは不安なんだが。





「そんな不安そうな顔をしないで。こう見えて私はイデアール魔術騎士団の副団長よ。魔物くらいどうってことはないわ」


「副……っ!? って、単純に考えて二番目に偉いわけだろ? ……もしかして、イザベラめっちゃ強い?」


「当然」





 イザベラは得意げに胸を張る。胸を……うん、良いね。凄く良い。





「……何か、よからぬことを考えてはいないでしょうか?」


「考えてない。考えてないから敬語やめてくれ。そして何故かさっきまでの敬語と毛色が違う気がするんだけども」





 意外と鋭い。さすがは副団長。





「ん? 待てよ」


「どうしたの?」


「イザベラにとっては魔物なんて大した敵じゃないんだろ?だったらさ、イザベラは何にあそこまでやられたんだ?怪物……とか言ってたけど」


「……それは」





 答えづらそうに目を伏せたイザベラに一瞬影がよぎった。……どうやら、俺は聞いてはならないことを聞いてしまったらしい。





「……ごめん、余計な事聞いたかな」


「いえ……あなたにも、知っておいてもらわねば」





 そこで一度一呼吸を置いて、イザベラは語りだす。





「実は――――」





 ――――瞬間、轟音と共に視界が闇に包まれた。





「!?」





 イザベラの息を吞む音が聞こえる。一体どうしたんだと問いかけようとして……





「……っあ……」





 体を凄まじい衝撃が襲っていることに気づいた。声が、出せない。


 顔を何かに強く押さえつけられ、地面を引きずり回されている。





「戒ッ!!」





 何だ……何だ……一体何が起こっている!? わけがわからない、どういうことだよ。


 混乱している俺に向かって何か……イザベラではない何かが囁いてきた。





「お兄さん……おいしそうだね」


「ッ!?」





 そして、気づいたときには俺の体は宙を舞っていた。そこでようやく俺を引きずり回したモノの正体を見た。





 ああ、イザベラの言う通り。これは怪物だ。そうとしか表現できない、悍ましく恐ろしいその異形。


 昆虫を思わせるその姿は、だが規格外の大きさで。俺は背の高い方ではないが、それでも高校生として平均的な方だ。


 こいつはそんな俺より一回りもでかいし力も強い。


 自分の背丈の半分以上はある俺を散々引きずり回した挙句、片腕で投げ飛ばすほどに。





「がっ……!!」





 壁をぶち抜いて外に放り出される。受け身なんか取れるはずもなく、俺の体は自由の利かないままきりもみして地面に打ち付けられた。


 吐しゃ物をまき散らしながら、勢いのまま地面を転がる。





「ぐっ……ぁああっ」





 呼吸ができない。視界が揺れる。全身の感覚がない。


 ああ、間違いない――このままでは、俺は死ぬ。





「ククっ……いやぁ、さっきはよくもやってくれたね? お兄さんだろ、僕の上に落ちてきたのさ。痛かったよー? 死ぬかと思うほどに」





 それは、こっ……ちの台詞――だって、の……!!





「でもまあ、お兄さんはお姉さんの部下と違っておいしそうだ。だから特別に許してあげるね」


「……っ! は……」


「いただきまーす」





 怪物の口が迫ってくる。おい……! まさか、このまま――――!!





「させるかぁあああああああっ!!」


「おっと」





 間一髪、イザベラが奴に斬りかかったおかげで俺は食われずに済んだ。


 俺の目ではイザベラの剣の動きすら捉えられなかったが、怪物は容易くそれを躱してみせる。





「……大丈夫?」





 イザベラが短く何かを唱え、手を俺の体にかざす。


 すると、失われていた体の感覚が戻ってきた。呼吸もなんとか安定してくる。





「っは……大丈夫なわけ……ない」


「そうよね。……今度は、治癒が間に合って良かった」





 そう言うとイザベラは少しほっとしたように笑いかけてきた。


 だがすぐさま怪物を睨みつけ、剣を構える。





「……まさか、まだ生きていたとは。見た目通り、害虫並のタフさのようね」


「イザベラ、あいつ……」


「ええ。こいつこそ、私がこの地にやってきた理由。人に化ける怪物『フェアレーター』……私の部下の、仇よ」





 ――こんな。こんな化け物と、イザベラは戦っていたっていうのか。


 それに、まさか。村がもぬけの殻だったのはこいつが……!





「酷い言われようだなぁ……害虫だなんて。僕たちだって生きるために仕方なくやってるってのにさ」


「何を……私の部下を嬉々として喰らっていたくせに……!」


「食事を楽しむのは当たり前じゃないか。それに、そっちだって僕らを殺すつもりでやってきたんだろう?なら相応の覚悟もあったと思うけど?勝つ者がいれば、負ける者もいるんだからさ」


「それは……!」


「そのうえで僕に喰われたってことは、つまりそれはお姉さんの部下がただ単に弱かったってことじゃないかな。……ああ、本当に救いようのないほど弱かった」


「――!!」





 イザベラが再び怪物に斬りかかる。しかし、やはり怪物は余裕の姿勢を崩さずその剣を受け止めて見せた。





「……くそっ……!」


「魔術を使ってこないってことは、やっぱりまだ回復しきってないみたい……だねっ!」


「ぐっ……」





 ……勝負になってない。ただ軽く腕を振るわれただけで、イザベラは弾き飛ばされた。  


 ケタケタと笑いながらそれを悠々と追いかける怪物。これでは、赤子が大人を相手取っているようなものだ。





「イザベラ……っ!!」


「……っ、戒。あなたは、逃げて……」





 ――何だって?





「あなたは、英雄の再来なんだから。こんなところで死んでいいはずがない……! あいつは、私が倒すから……」


「まだそんなことを……! そんなことは良いんだ、早く一緒に逃げよう!!」





 そうだ。あれは人間が相手にできるものじゃない。たとえこの場に屈強な騎士が10人いたって、あれを殺すことなんてできないんだと一目でわかる。





「大丈夫よ……さっきも言ったでしょ。私、副団長なんだから」


「んなこと言ったって無理なものは無理だろう!さぁ、早く!」





 早くしないとこのまま二人とも喰われてしまう。だから――――





「……。優しいね……でも、本当に心配しないで。むしろ……」





 ……何だ?イザベラの雰囲気が……





「うわっ!?」





 熱い!! これは……炎か? イザベラの全身が炎に包まれていく。


 これはいったい……





「私の魔術よ。わかったでしょう、あなたがいると本気を出せない。さぁ、早く」





 そう言って、イザベラはさらに炎の勢いを強めた。あまりにも火力が強くて、もうこれ以上イザベラの側に近寄れない。





「……わかった」


「私は大丈夫だから、さぁ」





 そういって、イザベラは微笑む。





「っ……!!」





 促されるまま、俺は駆け出した。ああ、確かに俺がこの場にいてもイザベラの邪魔にしかならない。だから今は逃げるしかないんだ。


 ……そう言い訳しなければ、イザベラの想いを裏切ってしまいそうだったから。


 その場から、一目散に走り出した。








「……行ってくれたわね」





 良かった。


 正直言ってただ炎を出してるだけで今にも意識を失ってしまいそうになる。こんな状況で彼を守りながら戦い抜くなんて不可能だから。





「あーあ、無理しちゃって。それ、ただ死を早めてるだけってわかってるよね?」


「……」





 そんなこと、言われなくてもわかっている。でも、それでもこうするしか道はないから。





「何を言っているのかしら、不快害虫の分際で。今からこの炎で駆除されるっていうのに。随分のんきなものね」





 こうして、強がるしかない。勝てるはずがない戦いだとわかっている。


 ……本当は、彼の言う通り私も一緒に逃げてしまいたかったけれど。私は騎士だ。こいつは民を脅かす怪物で、わたしの部下の仇。


 ならば、この命尽きるまで。最後の瞬間まで戦い抜くのみ。











「はぁ……はぁ……はぁ……」





 村を出てしばらく走った。ここまで来れば、怪物もそう簡単に追ってはこれまい。


 それに、イザベラの邪魔にも……ならない、だろう――――





「……くそっ!!」





 ああわかってるさ。イザベラは嘘をついた。ついさっきまで目は虚ろで、今にも死んでしまいそうなほど衰弱していたんだ。


 あの場で少し休息したとはいえ、すぐ全快といくわけがない。


 それなのに俺を助けるために魔術を使って、俺を逃がすために――――





「……この、役立たずが! 俺は結局、彼女に迷惑かけただけじゃないかよ!!」





 何が英雄の再来だ、俺はこんなにも無力で臆病なやつだというのに。あそこまでして助けてもらっても、俺は彼女に何も返すことができない。





「何で、何で逃げたんだよ……!!」





 傷だらけの女の子を見捨てて逃げるなんて、俺の目指すヒーローの姿とは一番かけ離れた最低の行動だ。


 逃げてはダメだ、立ち向かわなければダメだと、そう思っているのに。心のどこかで生まれた恐れや諦めといった感情に流されてしまったんだ。


 どうせ俺が残っても負担になるだけだから? 彼女が俺に生きてほしいと願ったから?





「馬鹿じゃねぇのか、自分がびびって逃げ出しただけだろう……!!」





 出会ってまだ少ししか経っていないが、それでも突然異世界に飛ばされて不安で一杯だった俺の力になろうとしてくれたイザベラ。


 そんな彼女を見捨てる? そうして自分だけ助かろうってのか? そんなもの、ヒーローどころか男ですらない。


 そうだ……女の子が困っていたら、助けるのが男の仕事だろうが――――!!





「こんなの、駄目だ……!!」





 来た道を引き返す。今から全速力で走れば、まだ……まだ間に合うはずだ。


 俺に何ができるかわからない。何もできないかもしれない。


 ああ、だけどそれでも――





「待っててくれ……!」











「…………」


「どうやら終わりみたいだね、お姉さん」





 ああ、終わりだ。もう何もできない。


 一応頑張ってはみたけれど、やっぱりどうすることもできなかったよ。





「ここまで粘るとは思ってなかったよ。やっぱり部下の人たちとは違うね」





 ……くそ。大切な仲間たちを侮辱されているというのに、私にはどうすることもできないというのか。


 情けない……な。





「大丈夫さ、すぐに会えるよ。僕の腹の中でね」


「……お前たちは」


「ん?なんだい?」


「お前たちは、何なんだ……。人間でも魔物でも精霊でもないというのに……。どうして、人のように会話をし、人のように感情を表現できる」


「……そんなの当り前じゃない、お人形さん。間違ってるのは、君たちのほうなんだよ?」





 何……?





「まぁ、これから死ぬお姉さんには関係ないから。じゃあ、さよなら――――」





 ああ、今度こそ死ぬんだ。


 お父さん、私……英雄を…………





「待てぇええええええええええええ!!」





「!」


「何!?」











 ようやく戻ってきた俺の目に映ったのは、今にも怪物の腕に貫かれそうなイザベラ。


 ああ、ちくしょう……間に合わなかったってのかよ。俺は……





「……いや、諦めんな」





 また同じことを繰り返すのか、腰抜けめ。俺はイザベラを助けるんだろう、なら諦めるのはやれることを全部やってから。そうだ。今ならまだ、生きているじゃないか。


 生きているなら、助けられる!





 そして、名一杯雄叫びを上げながら俺は怪物に向かって突進する。


 正直怖い。死ぬかもしれない。というか十中八九死ぬだろう。だけど、さ。





「うぉおおおおおおおおおおおお!!!」





 さっきみたいに自分の矜持を、夢を、憧憬を――――裏切るわけにはいかないから。


 後のことなど知ったことか。俺は……





「今助ける! 待ってろ!!」





 ヒーローになりたい。誰かを守って強くかっこよく。


 ファルコンのように……!だから……!!





「頼む、俺に力を貸してくれ……ファルコォォオオオオオオオオンッ!!」





 ――――――――刹那、俺の体が光り輝きだした。


 光の源はイザベラから受け取った『鎧の腕輪』のレプリカ。この光はいったい何だ……とか、何故腕輪が……とか、そんな疑問が一瞬頭をよぎったが関係ない。


 理屈も、根拠も、所以も何もない。……ただ、即座に理解した。





 今、んだ。





「なっ……なんだっ!?……っぐぁあああああっ!」





 瞬時に加速した俺の動きを怪物は捉えられない。そこに渾身のタックルをお見舞いしてやる。さっきのお返しとばかりに奴をぶっ飛ばす。


 イザベラは……!?





「戒、あなた……」





 ……どうやら、助けられたようだ。良かった、本当に――





「その姿は……」





 『鎧』が形成され、全身が覆われていく。俺のイメージ、俺の憧れを模ったその姿はファルコンそのものだった。





「鎧の……英雄……?」


「……か、どうかはわからないけど」





 テレビで見るファルコンのスーツに比べたら、どこかよりリアルな感じがする。生物的、とでも言えばいいのか。だが大まかな造りは一緒のようだ。


 武器の位置も……よし。





「……どうやら、何とかなりそうだ。イザベラ」


「……?」


「後は任せてくれ」





 そう言って、俺は怪物と向かい合う。





「へぇ……さっきのお兄さんか。それ、どうしちゃったわけ?」


「知らねーよ。俺が聞きたいくらいだ」


「ふーん、まぁいいや。じゃ、死んでね」





 怪物が腕を振るうと、無数の針が俺に向かって飛来してくる。


 ……なぜだろう、この鎧を纏ったからなのか。本来は目で追うことすらできない速さだろうに、対応できる。


 腰元に装備された短刀を引き抜く。そして迫りくる針をそのまま叩き落とした。





「何……っ!!」


「今度はこっちから行くぞ!」





 叫ぶと同時に、相手の懐に駆け込んだ。……どうやら、スピードはファルコンの方が上らしい。


 勢いのままに、左ストレートを相手の腹部に叩きこむ。





「がぁっ……!!」


「まだだっ!」





 続けざまに短刀を振るい、怪物の腕を切り落とした。


 これが鎧の力か。イザベラの剣を易々受け止めていたこの腕を、あっさり切断してしまった。





「な……何だ! 何なんだよお前はぁ!!」





 先ほどまでとは打って変わり、恐怖の悲鳴を上げる怪物。


 ……どうやら、立場が逆転したようだな。





「こんな……こんな人間がいるなんて聞いてない……! 僕はただ……!」





 震えながら後ずさり、既に恐れで戦意を失っているようだ……が。


 生憎、俺はさっき死にかけたんだ。イザベラだって。


 彼女の仲間に至っては…………





「許せない」





 恐怖で麻痺していた感情が怒りに染まり始める。ああそうだ。


 人々を脅かし、平和を乱す怪物は……俺が、倒してやる。





「このままで済ませるものか!!」





 とどめを刺すため、短刀を握る腕に力を込める。


 しかし――





「飛んだ!?」





 イザベラが驚愕の叫びを上げた。ああ、俺だって驚いたさ。


 飛行能力まであるとは……ここでこいつを逃がしてしまったら、一体どれだけの人々が犠牲になる。


 ……絶対に、逃がすわけにはいかない。





「くくっ、残念だったね。お兄さん!! いくら何でも、ここまでは――――」





 瞬間、怪物の声が驚愕の色に染まった。


 だが、何がおかしいことがあるっていうんだ?


 今の俺は…………ファルコンだぞ。翼を広げて大空を舞うことなんて、造作もないんだよ。





「何で! 何でお前も飛べるんだ……一体何者なんだよ!!」


「俺は……ファルコン! 空を駆ける、天空騎士だ!!」





 ……追い付いた。もう怪物は逃げられない。


 これまでいったい何人の人々が犠牲になったのか、それはもうわからないけど。


 今ここに、報いを受ける時が来たんだ。





「覚えとけぇえええええッ!!」





 振りかぶった短刀を怪物の背に突き立てた。


 バランスを崩した怪物は飛行を維持できず、地表へ落ちていく。





「…………くそっ……僕はただ……帰りたかっ……」





 最後の言葉は聞き取れなかった。だけどこれだけは断言できる。


 お前には、嘆く資格なんてないよ。向こうで犠牲になった人々に詫びるんだな。











 目の前の状況を、私は呆然と見ているしかなかった。


 マナを使い果たしていたとはいえ、私があれだけ苦戦したフェアレーターを……あっという間に倒してしまった。





「彼は、やっぱり……」





 予感はあった。偶然では片づけられないほど、彼は伝説をなぞっていたから。


 だがこうして実際目の当たりにすれば、それは確信に変わるだろう。


 彼が……戒こそが。





「『鎧の英雄』――――」

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