第6話 決意
痛い。やめて。痛い。
うぁ~~ん。うわぁ~~~~~~ん!
盗聴目的で使う壁用聴診器から伝わってくる兄妹の悲鳴。
ケントとノゾミはずっと泣いている。
痛くて、悲しくて、辛くて、逃げたくて、助けを求めて泣いている。
うるせぇんだよガキ!
暴力を振るっているのは父親だ。会話からすると兄妹の実の親ではない。真っ昼間だというのに相当酒に酔っているようだ。
母親は兄妹が泣いている最中、ずっと静かだ。傍観するのみのようだ。助けることもなく見て見ぬ振りをしている。きっと事が発覚すればあたかも自分を被害者のように偽って周りから同情を集めようとする、ずるい女に違いない。
最低な夫婦だが、それ以上に最低なのは僕自身だ。
僕は壁に聴診器を当てたまま本日五発目の絶頂に達した。
欲求は抑えられない。悦楽に浸りたい。だが、絶頂するたびに僕の人間としての大事な部分が侵食されていくのが分かった。
このアパートに引っ越してきてから毎日この状態だ。
兄妹は二十四時間部屋に監禁され、ずっと泣き続けている。
灯台もと暗しで、兄妹の住む隣の部屋なら誘拐するのも容易く、警察の目も欺けると考えたが、正直浅はかすぎた。
壁が薄すぎて、生活音が丸聞こえだ。会話の細部は聴診器を使わないと分からないが、日常会話程度ははっきりと騒音のレベルで聞こえてしまう。
これでは兄弟を誘拐してきてもすぐにバレる。
兄妹たちの部屋が静かになった。父親の気が治まったらしい。
僕は聴診器をしまい、何気なくテレビをつけた。
ちょうどワイドショーの時間だ。特集は先日起きた女児誘拐殺人事件だ。
なぜ殺す必要がある。この手の事件はよく理解できない。犯人はなぜ誘拐した子供をゆっくり愛でて楽しもうとしない。
スタジオでは全て知ったかのように気取ったタレント精神科医が犯人の心理分析をしていた。
「このように、成人男性がか弱い女児を襲うのは小児性愛嗜好をもった人間の典型的な犯行の形です」
言い方に疑問を感じる。小児性愛者は国際的に見ると、同性を好む傾向が強いのだ。男性なら男児を、女性なら女児をその性の対象とする場合が多い。欧米なんかは特に顕著だと聞く。
そう言った連中はこの国にもいるはずだ。
きっと、「小児性愛を持った成人男性→女児を襲う」という図式が定着した日本では、同性嗜好の小児性愛者による性的虐待は気付かれないか、当事者たちにもその自覚すらないのかも知れない。
「犯人の欲求は、まさに『飼育欲』と呼ぶべきものでしょう」
「身の毛もよだつような思考ですね」
精神科医の言葉に司会がテンプレートな相づちを打つ。
『飼育欲』確かに言い得て妙だが、このタレント野郎は飼育の意味を勘違いしている。
飼育とは、対象の生き物を管理下に置いて自らの欲求を満たすエゴイズムだ。
だが、それは自己欲求の管理下のなかであっても、愛情をもって生きる命の最大限の幸福を追求することに意味がある。
監禁して殺すなど、飼育とは呼べない。ただの殺人嗜好だ。
番組が次の特集に入った。
今度は幼児虐待死事件だ。この頃子供が被害者の事件が実に多い気がする。
実の母親が数ヶ月の息子をハンマー投げの要領で投げ飛ばして壁に激突させて殺したらしい。
なぜ、育てることができないのに産むのか。それも理解できない。
「児童相談所は今回の事件を防げなかったのでしょうか」
司会がまたテンプレな発言を飛ばす。この手の事件で決まって悪者にされるのは児童相談所だ。マスコミは彼らが年間十数万件の虐待事案と向き合い、解決に尽力していることを報じない。スケープゴートを作って自分たちだけ正義になりたいマスコミらしいやり方だ。
僕はテレビを消して聴診器の説明書を見た。専用のアダプターを付ければICレコーダーに録音ができるらしい。
これで虐待を記録し、警察か児童相談所にたれ込めば、兄妹は救われる。物的証拠があれば確実に兄妹は保護される。
僕のわずかな良心はそう訴える。
だが、心の大半を占めてしまったどす黒い部分はそれを許さない。自分の欲求のために兄妹を現在の境遇に置くことを望んでいる。
やはり僕はどこまで行っても性根の腐ったクズだ。
時計を見るとバイトの時間だ。
着替えて外に出ると、下校中の小学生が一人で歩いていた。
どこにでもいる普通の男子小学生だ。三年生か四年生くらいだろう。
僕はその小学生の肩を叩いた。
「?」
振り向く小学生
「あ、ごめんよ。知り合いの子と間違えた」
愛想笑いをすると小学生は訝しみながらもまた帰路についた。
僕は部屋に戻り、トイレに駆け込んで盛大に吐いた。
僕は今、何をしようとしていた?
寸前で理性が働いたが、僕は今あの小学生をどうしようとしていた?
いや違う。疑問系になるのは僕の心が言い訳しているだけだ。
僕は今、衝動的にやろうとしていた。小学生の子を誘拐して、そして・・・・・・・・・・・・。
どうやら僕にはあまり時間がない。
兄妹のことも、僕のことも近いうちに決着を付けなければならない。
やはり僕は異常者だ。殺人犯のことを指さして笑える立場ではない。取り返しのつかないことになる前に、せめてケントとノゾミの処遇だけはどうにかしてやりたい。できるなら自分の存在にも決着を付けたい。
バイト先から繰り返し着信が来ているのを無視して考えているうちに、僕はある計画を決意した。
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