第12話 瓶詰めクラッカーに着火

 生きていた。明らかに致死性の魔術に晒されたのに、生きていた。

 アニシラは生きているのか?

「おーい!アニシラ、どこだー」

 返事はない。俺の呼びかけは、暗闇に吸い込まれていった。暗く、やたらと広い部屋。どこまで行けば壁があるのか見当もつかない。発した音がいつまで立っても帰ってこないほどの大部屋で俺は巨大な柱に磔にされている。周囲を僅かな灯籠が照らしているだけで、そこから先は真っ暗だ。腕を動かすと、鉄鎖が乾いた音をたてる。俺は拘束から逃れられないか試す、頑丈な手足の枷はびくともしない。

「やっとお目覚めか」

「誰だ!」

 灯籠の明かりの外からゆっくりと歩いてきたのは、金の刺繍が明かりに輝く異国の衣装に身を包んだ金髪の女だった。落ちてきたC組の生徒に、先生と呼ばれていた女だ。

「あんたは……。アニシラをどこへやった?無事なのか」

「私の名前は遠野マリア。まあ、知っているだろうけど、教師だ。アニシラ皇女は安らかに眠っているよ」

「そんな……助けられなかったのか?」

「……あの怪我じゃ、普通の治療は無駄だったし。かわいい生徒をあんまり苦しめたくはないからね」

 こいつもアニシラの仇か。

 俺は鎖を引きちぎろうと暴れた。

「まあまあ、落ち着いて、ドウドウ」

 女は無防備に近づいてきて、俺の髪に触れようと手を伸ばした。俺はその手に噛み付こうと首を伸ばしたが、避けられる。その指先には熱くも痺れもしない光が灯っていた。その手で、女は髪を乱暴に掻き混ぜた。

「髪を染めるのは校則違反だからね」

 影の濃いその顔を腹の底で煮えたぎる憎悪をこめて睨んだ。つい二週間前にみた、シエルの護衛の魔術師と瓜二つの非人間的な美貌。しかし、以前対面したときよりも人間らしくなっているというか。こうやって見ると、シエルと顔つきが似ている。まるで、殺した人の人間らしさを取り込んだみたいに、この女の表情が豊かなようだった。

 もし、そうなら、こいつは怪物だ。

「はぁ……。奇跡的な出会いだと言うのに、なんでそんなに敵意満々なの?お前。もうちょっと世間話とかできないのかな、この愚弟は」

「俺に怪物の姉なんかいない!」

 俺は諦めずにバタバタと暴れる。しかし、生身の人の力では鉄輪と鉄鎖での拘束を振りほどけない。ただジャリジャリと耳障りな音をたてるだけだった。

 笑っていた女の目が座った。怒気が湧き出るのが目に見える。マリアは謎の光をともした手を、無防備な俺の股間に向ける。俺は体をねじって手から逃れた。

「……おい愚弟。よく聞こえなかったから、もう一度言ってくれるか。私が、なんだって?返答によってはお前の愚かな種を

 マリアは俺に見せつけるように拳を作った。震えが走る。意思よりも体が降伏していた。

「お、俺にーー姉はいない」

 マリアが顔をしかめた。オーラがなくなり、俺は大きく息をついた。

「ーーたとえあんたが俺の実の姉だとしても、関係ない。あんたはアニシラの仇だ。ぜったい殺す」

「ん?ああ、言い方が悪かった。アニシラは生きている。怪我も無かったことにした。冷静に考えれば、お前が生きていて、皇女だけ死んでしまっているはずが無いのはわかるだろー」

 けらけらと笑うマリアの顔を俺は凝視した。

「あの子はふつうに保健室に送った。私の生徒だから、お前と違って大切にするよ?自分で言うのもなんだけど、私は周りが思う十倍くらい教育倫理に篤い教育者なんだ」

 このおっかない自称姉を信用することはできない。でも、生徒を殺す教師はいないだろう。それに、魔術という兵器を自由に使えるマリアに、生身で挑んでも勝ち目はない。

「だから、別に母上の敵対勢力の犬になってしまった可愛そうな愚弟に拷問をしようというわけじゃない。今日からミツギは私の生徒の一人になるから、身上把握のためにちょっと面談をしようと思ってね?」

「なら、なんで俺はこんな!」

 全裸に剥かれたまま磔にされているのか。一切隠すものがないなんて、あの救世主キリストが処刑された時とさえ比較にもならない。

「いやいや、あんな物騒な制服、というか拘束具?をわざわざ再現する必要ってあるのかな?と思ったの。自爆なんてされたら服が汚れるし」

「……下着くらいよこせ」

 今の俺にはもう唸ることしかできなかった。

「暴れないのなら、作ってあげよう」

「わかった、暴れない、約束する!」

 白い光が腰を包む。消えると、パンツを履いていた。ホット一息つく。

「さて、聞かせてもらおうかな?十年前の餞別の儀式から、何があったのか」

 手枷と足枷は結局外してもらえなかった。下着姿であぐらをかいて座り込む。真正面から戦いを挑んで勝てないことは実証済だ。

「あー、運良く生き延びて、組合に拾われて、仕事をもらって生きてきた……」

 俺はただ、なぜシエルが普通に暮らしているのか、知りたかっただけだ。それさえ知れれば、こんな場所に要は無かった。でも、ここにはアニシラもいて、しかも危険だ。こんなところにいて大丈夫なのか?

「愚弟」

「俺はあんたの弟じゃないって言ってるだろ」

「もっと詳しく」

「これ以上は話せない。塔に知られるわけにはいかない。ていうか、あんた学園の教師なら知ってるだろ。なんで巫女が学園生なんてやってるんだ?」

 マリアの青い瞳としばらくにらみ合う。髪の色が違う。今のシエルは透き通るような白髪だった。でも、顔つきがよく似ている。思い出してみれば、声も似ている。

「訊いてるのはこっちだよ?」

「聞き出したいなら拷問でもすればいいだろ」

「……はあ。生徒に拷問なんてとんでもない。姉弟の親交はおいおい深めていくとして、とりあえず歓迎するよ。ようこそ学園へ、ミツギ・昴・遠野。今日からお前はF組の生徒ね」



 夢を見ていた。私ではない誰かの夢だ。

 どこかはわからない、金の壁、金の床、金の天上。見渡す限り金ばかりの細長い通路を、綺麗なブロンドの女の子と手を繋いで、よたよたあるき続けていた。止まらない、けれど不安に押しつぶされそうになる。心臓がきゅうっと締め付けられ、一歩踏み出すたびに私は迷う。しかし止まらない。

 戻らなければ怒られる、けれどこの先に何があるのかとても気になる。ずっとそんな風に迷い続けて、だが、歩みは止められない。溢れ出る好奇心に背中を押されて、私は進む。やがて、黒く大きな両開きドアが見えてきて、私たちはそれを開けた。行き着いたその奥に見えたのは……。


「……ふ!はぁはぁ……」

 よくあるなんのために穴が空いているのかわからない白いパネルの天上だった。

 心臓がバクバクと跳ねている。原因である気がする夢のつづきは思い出せなかった。

「あ……ミサキちゃん!アニシラさんが起きたよ!」

 カーテンの向こう側からシエルの明るい声が聞こえた。私は枕元に背をもたれかける。シャッと音を立ててカーテンが開いた。

 にやにやと悪どい笑顔のミサキとその後ろで目元を少し赤くして微笑んでいるシエルがいた。

「やっとお目覚めね。ズル休みに遅刻、しまいに保健室登校なんて、良いご身分じゃない?」

「え?今何時ですか!?」

「もう夕方だよ。ずっと起きないから、私も、もちろんミサキちゃんも心配したんだよ?」

「私は心配なんかしていないわシエル。適当を言わないで」

「ずっと気にしてたくせに」

「してないったら!……というかあんた……」

 ミサキが私のすぐ横に立った。ベッドに腰掛けた私と同じ高さで目があうなんて、本当にミサキは背が低い。こんな小さな体で、あの暴力に最後まで抵抗していたのだ。やはり、ミサキは私とはなにか違うものを持っているに違いない。

「なんですか?」

 肩を掴まれた。そのままこねくり回される。

「起き上がって大丈夫なの?」

「何が?」

「……あー、大丈夫みたいね……帰ろ」

 ミサキはため息をつき、カーテンの仕切りの向こうに出ていった。彼女を追おうとして、目眩がして、立ち止まる。

『殺す』

 不意に殺意が湧く。頭が熱い。ぐっと手を握りしめて、爆発しそうな力をこらえる。これは誰に対する殺意なのか。何故こんな感情が湧く?保健室で目覚めたことと関係がある気がすが、しかし何が原因かわからない。不安だった。

 私を支えようとしてくれたシエルを手で制す。

「大丈夫です、シエル。たぶん、ただの貧血ですから」

 言葉にして、安心しようとした。そう、これは貧血で、私は誰かを殺そうなんて微塵も思っていない。間違いない。念じていると、心と頭は落ち着いてくる気がした。

「やっぱり、先生が来るまで休んでなきゃだめだよ、アニシラさん。ほら、座ってて」

 言われるままに、再びベッドに腰掛ける。殺意が腹の底でくすぶっている気がした。

「……今日、何があったのでしょうか?」

 すっかり帰り支度の済んだミサキが、私を睨んでいる。

「あんた、今日死んだのよ」

 私は首をかしげた。だって、私は生きている。今ここに。まさかこの私は、幽霊だなんて言わないだろう。ミサキは私の肩を掴んだのだから。

「ミサキあなた、もしかしてどこかで頭を打ったんじゃありませんか?」

 私が死んだだなんて、そんな突拍子のないことを言われても困る。ミサキの正気を疑う以外に、どうしようもない。

「アニシラ。あんた今朝何してたか思い出してみなさいよ」

「……えっとたしか、寝坊して、門の詰め所で反省文の用紙などをもらって、普通に教室に……あ」

 体が強張る。

「そう、あんたは今日、C組のゴミどもの演習に巻き込まれて、重症を負って死にかけた。普通の治療じゃ助からなかったから遠野マリアの魔術で再構成された。つまり死んで生まれなおした。まあ、魔術師を目指すなら一回や二回死んだ程度で騒いでいたらキリが無いわよね?」

「ミサキちゃん!」

「……そう、ですか。そういうことですか」

 私の手をシエラの小さな両手が包む。生きている暖かさが伝わってくる。はたして私の手は温かいのだろうか。この心臓は動いている。眠れば夢さえ見る。つまり温かいのだろう。

 私達F組の担任も兼任する遠野マリアはが使う魔術は、あらゆる物を分解して、再構成するという効果だったはずだ。あの暗黒空間の中で分解された後、白い空間で作り直された私は、原子一つ狂わず「アニシラ」を形作っているけれど、全くの別人である。

「アニシラさん。私は……たとえ死んでも、今生きているんだから儲けものだと思うよ。私は、アニシラさんが生きていてホッとしている。良かったって思う。だから、あんまり深く考えないで。アニシラさんは、、大丈夫だよ」

「シエル……」

 ミサキが私のカバンをベッドの上に放り投げた。

「どうでもいいことよ、そんなのは。何もなさない人間は生きていても死んでいても変わらないんだから。ほら、さっさと帰りましょ」

「え、でも先生が……」

「何時だと思ってるのよ。職員室もとっくに閉まってたわ」

「えー」

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