第8話 決して間違わないように

 学園の生徒だと思って本格的に攻撃したのはやりすぎだったかも知れない。

 肉の壁を崩すと、その向こうの宝はすでに失われていた。しかし、匂いが標を示しているので追いつくのは簡単だろう。見た感じ運動不足だった少女二人に走って追いつくのは造作もない。

「……ま、で、いがせるかよぉ!」

「うわ、まだ息があるのか。しつこいな!」

 俺は右足首に噛み付こうとしてきたそいつの曲がった鼻に踵を当てて押しのけた。きっととても痛いだろうに、もがきながらも俺の右足首は掴まれたままだ。この集団の中で一番どんくさいくせに、その分根性があってとても鬱陶しい漢だった。最初に意味のわからない宣言をして、二番目にくたばったあの口だけ男と比べたら未だに俺を掴むこいつは多少尊敬はできるかも知れないが、まあ……負けたら意味がない。師匠も言っていた。勝ってこその漢だ、と。

 かいつまんで聞くところによると、こいつら全員シエルの隣にいた赤髪の少女に懸想しているらしいので、俺を彼女に近づけることは絶対に許さないらしい。俺が会いたいのはそのおとなりにいた少女なので、あのお子様になにかすることはないからぜひ安心してもらいたいと思う。安らかに眠れ。

「あいて……」

 『掴み』から逃れるためにはひねる捻ればいいが、ひねったら先々日に負傷した傷が少し開いてしまった。もともと傷口を詰めてあるので急に出血することはないが、右足が動かしづらくなるのは痛い。

 護衛たちの血の匂いで薄れてきている、シエルへの道標を追って、俺は先を急いだ。急がないと何が起こるかわからない。自分で護衛たちを潰しておいてなんだが、この街の裏路地は俺みたいなのがうろうろしているから割と危険地帯だ。そんな場所にか弱そうな兎を二匹だけで放り込んでなにかあったとスバルの姉さんに知られたら、きっと換金されてしまうだろう。急ごう。



「おら!暴れるんじゃねぇ!」

「離しなさいよ!私を誰だと思って!ちょっとどこ触ってんのよ!は、な、せぇー!」

 まあ、若干手遅れだった感は否めない。

 過密開発でほぼ無価値になったペナントビルの三階フロアに連れ込まれちゃった兎たち。儚く散った彼らの想い人は、ここらへんを縄張りにしているならず者に捕まっていた。シエルったら俺の視線には気がつくのに、なんで飢えた路上生活者程度に捕まってしまうのかね?

 外壁の外にぶら下がりながら聞き耳を立ててみる限り、ハイエナ不届き者の数は三人だった。一人は俺とすれ違いでどこかに走っていったから、今は二人だ。

 赤髪の少女は思っていた通りかなり性根がまがっているようで、騒がしいので見えなくても

「あんた!臭いのよ!悪臭が移るでしょっ、離しなさいよ!」

「てめぇはめっちゃいい匂いだぜぇ、なあ学園生様よぉ!」

 わかる。路上生活に勤しむ彼らは基本的に臭うから、俺も最初は近づきたくないな~と思った。今は彼らも俺のれっきとした商売道具なので、多少は我慢するけども。

「ーーっ殺してやる」

 ちょっとよじ登って中を覗いてみる。ミサキは大柄な男に馬乗りにされて、組み伏せられている。ずいぶん抵抗を続けたのかすでに破けた衣服から痣がいくつかできているのが見えた。

「おお…いいぜぇ、その目。おい、ギャレはまだかよ!」

「まだまだ。それよりそれ煩いから黙らせろよな。一発痛い目見させりゃおとなしくなるだろ」

「せっかくの上玉をこれ以上傷つけないためにギャレ走らせてんだろうが!」

「怒んなって……溜まってイライラするのはわかるからさぁ。でもやっぱ、学園の生徒に手を出すのはリスクが高すぎるよなぁ」

 もうひとりの男はそんなに大柄じゃないのにシエルの足首を片手で持って、ビニール袋を持つような気軽さで持ち上げた。見た目にそぐわない膂力だった。もしかして、あの男も異能者なのだろうか。そうだったらまずいかも知れない。

 持ち上げられたシエルは真っ赤な顔でスカートを抑えている。あれは恥ずかしがっているわけじゃないなよな。そろそろ気絶するんじゃなかろうか。

「あれ?」

 なぜか女神が埃だらけになって床に転がっている。見た感じ怪我はしていないが……とりあえず助けたほうが良いか?たとえ、不審がられてもあの人が強姦を見過ごすより絶対に良いよな。てか、なんであれは動かないんだよ。寝てんのか?お前の護衛対象は解体前の鹿みたいに吊るされてるぞ。

「いいか、やるぞ、やっちゃうぞ……。よし!」

「モガレ!戻っーー」

「動くなーー」

 フロアに飛び込んだその瞬間、俺は今朝端末に流れてきていつもどおりすっかり忘れていた占いを思い出した。今日のラッキーパーソン……気になるあの人。ラッキーカラー……赤。ラッキーアイテム……ヘルメット。眼の前にすべて揃っていた。

 コンクリートの壁を爆発で破壊し、その穴から展開する影が五つ。黒いフルフェイスをかぶって、全身ガチガチに黒塗りの防護服で固めた同業者らしき五人組は拳銃を構えて敵を扇状に包囲しようとしている。

「な、なんだ!?」

 運悪く、俺もその網に入ってしまっていた。俺の胸にも緑色の点がいくつか灯っている。とりあえず両手を上げて動かないでおこう。

『全員、動くな』

 言われなくても、防弾チョッキもなく強装弾で打たれたら俺なんかできの悪いチーズになってしまうから動きたくない。

「何だてめえら!」

「よせ!」

 戻ってきた小男が振り返りざまに啖呵を切った。シエルを持っていた男が静止を呼びかけるが、時すでに遅し。連続する破裂音のあと、錐揉み回転して吹き飛ばされた小柄な体が、コンクリートの上に叩きつけられる。ギャレと呼ばれていた小男は二丁の拳銃に約十発の銃弾を打ち込まれて絶命した。重なった銃創から血液が湧き出て床に広がっている。埃臭いフロアの中に、かすかな血臭が混じる。

「このぉ!っ!」

 ミサキを組み伏せていた大男が叫ぶが、バカではないのか動きはしなかった。

「なに!何なのよ!」

 ミサキがその下で再び暴れるが、どうやら彼女やシエル、気絶している女神には照準していない。

『無駄な抵抗はするな。すでに狙撃手もお前たちを狙っている』

 五人組の誰かが、シエルとミサキの身柄を押さえた二人に言った。どうやら五人全員が身につけたスピーカーから一人の声を出させているらしく、誰が喋っているのかはわからない。流石に、VIPの護衛は支給される装備が段違いだ。

 状況は、圧倒的なまでにあの五人組の優勢。もしかして、このまま俺の方は何もしなければ敵意のない善意の一般人である俺は見逃してもらえたり?

「あのー、じゅ、武器を降ろしてもらえないでしょうかぁ?自分は偶然彼女たちが連れ去られるのを見かけて助けに来た善意の市民ですので……」

『だれが喋っていいと言いった。黙っていろこの愚兄が!』

 あ、うすうすわかっていたけど……ほんとうに、ほんとうに今日はついてないぞ。あの中の誰かはわからないが怖い怖い妹弟子が入ってる。これは何もしないままのほうが危険だ。スバルの姉さんは仕事をしない兄弟子にそうとうお冠らしい。

 しかし、あいつらの所属はどこか、うすうすわかっていたけれど、まさか昴をつけているなんて、とんだ誤算だ。ミサキと女神、このどちらかはうちのボスにとって相当な重要人物だってことで、おれが迂闊に近づけない人種だということだ。

「こ、交渉しようぜぇ。この二人には何もしない。開放する。だから見逃してくれ!」

「黙ってろ、モガレ!」

「黙ってたって、どうせ殺される!ヤヒビキ!お前だってこんなところで死ぬわけにはいかねえだろぉが!」

 コンクリートの破砕音が鳴り銃声が木霊する。本当に射撃手が狙っていることの証明と脅しのための射撃だったのだろう。スバルの姉さんはそのついでに俺を狙ったわけだ。

 おかげで俺は飛んできた銃弾の余波に煽られて、脱げて飛び出したかつらを追いかけるはめに。かつらを捕まえた俺を顔も知らぬ誰かの射線が銃弾を巻きながら追いかける。

「くそ!こいつが死んでもいいってのか!あぁ!?」

「くぁ!」

「シエル!」

 シエルが苦悶の声を漏らし、掴まれた足首に手を伸ばした。ヤヒビキの顔は血管が浮いて徐々に変化して始めている。


「それは困るな」


 そいつは、混乱の中に忽然と現れた。金色の長髪テールを揺らしもせずに現れた。手を前に突き出し、ヤヒビキの心臓を鷲掴みにした格好で。自分の目を疑うしかないほど、不自然な因果がそこにあった。過程をすっ飛ばしてそいつは、シエルをずっと監視していた魔術師はヤヒビキの心臓をえぐり出していた。ヤヒビキの胸部を貫通して、肘まで埋まったその腕をやつはコルクを抜くみたいに勢いよく引き抜く。コートは撥水能力に優れているのか、血をグリスの上に落とした水みたいに弾いて滴らせている。ポンプを失った血管からはゆっくりと血液が溢れてその亡骸を伝っていた。力の抜けた手からシエルが滑り落ちて血に濡れる。

「あ、やぁ……」

 惨殺光景に耐えられずシエルは気絶してしまった。それを彼女シエルの守護者はつまらなそうな顔で視ている。自分が手にかけた人間の亡骸なんて、見えない、そんな目をしていた。

「ヤヒビキ!ヤヒビキ!っこのぉ!」

「やめろ!」

 その雄叫びに俺は思わず叫んだ。

 モガレの巨体が魔術師めがけて猛り進む。あまりに無謀な突進。その顔が怒る獅子の面容に変化するのを俺はみた。こいつも異能者だった。だが、三歩も進めない。銃弾の雨を受けて、モガレはその身を躍らせた。

 死体が三つ、ころがっている。

「なんなの……なんなのよあんたら!答えなさい!なんなのよ」

 ミサキの問いただす声に答えるものはいない。

 魔術師が次に視たのは、やっぱり俺だった。

 一番最初にシエルに近付こうとしたのは俺だ。そして、俺が途中からこいつの存在を認識できていて、こいつが俺のことを知らなかったわけがない。あの氷青の目はずっと俺を観察していたはずだ。

「なぜ、この子を付け狙う?」

「……なんでかな、と思ってね。好奇心だ、よ!?」

 師匠曰く、一を聞いて十を知るは愚か者らしい。おれが一を語って、こいつは幾つを知るのかね。

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