第7話 誰が為の人生か

 不安を一時的に忘れて自分を自然体に戻せる場所というのは、こんな私にもあるはずだ。ミサキのアイデアで今回行った取り組み、第して『リメンバーユー』の成果で、大半の記憶を守ることができた。だから、今の所、私の自然体に戻れる場所は学園ここだと思っている。自信はないけれど。

 期待通り、今朝の不気味な通学路を顔を真赤にして駆け抜けたあとには、いい意味で刺激的な学校生活が待っていた。

 連休が終わって、新たな気持で教室という箱の蓋を開けてみると、私の級友たちは綺麗に三等分されていた。一見、休みの間に一緒に遊んだグループで固まっているだけだ。でも、この教室には視認できそうなほど明確な壁がよこたわっている。久しぶりに友達に会って楽しいはずの空気がピリピリと反発しているのが肌でわかった。

 マリア教諭の気の抜けた挨拶で始まり、二年生になって特別教科の割合が増えた午前のカリキュラムはF組らしく若干教師たちの顰蹙を買って、無事に終わる。

 そして、一部の生徒たちは三々五々に悩める子羊を探して散っていく。誰が言い出したのか、彼らは『愚者の会セラピスターズ』と呼ばれていた。

「あんたの狂信者は昼休みくらい穏やかに過ごそうっていう常識はないわけ?」

 それを横目に見ながら、私たち三人は食堂のテラス席に集まってお弁当を並べていた。

 私にとって二人は本当に気の合う友達だ。でも、それを取り巻く人たちはいがみ合っている。派閥の象徴であるアニシラとミサキが仲良しなのに、友達の友達の仲が悪いのは残念だ。

 この不思議な争いが顕在化し始めたのは、ミサキがこのF組に降格になってからしばらく経った頃だった、気がする。

 ちょうど、半年くらい前かな?

「さあ?みなさんの考えていることは私には測りきれないので。それよりもほら、今日はロシアンおにぎりですよ。……いっぱいあるのでどんどん食べてくれてかまいません」

 アニシラがミサキの紙皿を攫ってどんどんとおにぎりを積んでいく。

 私はアニシラは決して愚か者呼ばわりされるような人ではないと確信している。しかし、学園の三分の一を占める一大派閥の悪評を知らない人はいない。

「ちょっと!そんなにタベキレナイワヨ!」

 口ではそう言ってもミサキの体は正直みたいだ。アニシラに配膳されたおにぎりの山の上に、ミサキの箸はさらに弁当箱からおにぎりを攫っていた。

「ミサキちゃん、はいこれも」

 私は朝の遁走でちょっと崩れてしまった弁当から、大きめの唐揚げをおにぎり山のてっぺんに飾った。今日は祝日だから、二人へのお礼のつもりで豪華にしてきたのだけれど、さすがにアニシラのお弁当には敵わない。

 塔の足元にある学園は日照条件が厳しいけれど、今日は陽気の気持ちいい、ピクニック日和だ。私の自前のお弁当も、アニシラの用意した豪勢な弁当?も、白い山にテカテカ光るからあげも日光で映えて、意味もなくうきうきしてくるくらい。

「おっと!」

 それが陰る。

 おにぎりの山は地盤ごと吹き飛ばされて粉々になって宙に舞った。空から人が落ちてきて、私達がお弁当を広げていた丸テーブルを蹴り飛ばしていた。

 私達は声もなく椅子から転げ落ちて、呆然と羽のように地面に着地したローブ姿の男を見ていた。

「すまっ……なんだ、Fか」

 そう言い捨てて、その男はその場から溶けるように姿を消す。

「待ちなさいよ!腐れ転移能者ジャンパー!」

 怒髪天を衝くミサキのテレフォンパンチは、空を切った。

「あっ!わわわ」

 埃にまみれたたおにぎりを踏みつけまいとしたのか、ミサキがたたらを踏んで顔から転ぶ。

「ミサキちゃん!大丈夫?」

 私はミサキを助け起こして、大事はないかを確かめた。ミサキは制服にこびりついたお米を見て、その目に涙をこらえている。近くに転がっていた私お手製の元卵焼きを手に取ろうとしたミサキの手を掴んで止めた。

「……しかたないですね。今日は食堂で食べましょう」

「そうだね」



 食堂で合成食のランチプレートを寂しくつつく。ミサキの親衛隊が私達を囲んで周りににらみを効かせていた。しかし、部活で鍛え込んでいる彼らがどんなに、睨みを効かせても上位組の生徒には敵わない。それが、学園の絶対カースだった。

 AからC組の生徒は魔術を扱うエリートで、DとE組はまだ見込みのある超能力者、そしてF組は役に立たないただの人間という逆ピラミットの世界で私達は底に溜まった澱だ。どん底の頂点に学園が何を望んでいるのかは、誰も教えてくれないから知らない。

 それでも、いや、だからこそ、私達は青春を謳歌しようと頑張っている。

 この檻から逃げられないなら、諦めて楽しんだほうがくよくよ悩むより何倍もいい。たぶん、愚者の会セラピスターズや親衛隊の人たちも、こう思っているからバカをしているのだろう。

「……そういえば、今朝もストーカー、でたんなら、帰り道も絶対いるわよね」

「え?」

 カップのスープがミサキの貧乏ゆすりで小刻みに揺れていた。仕方がないので、誰も注意なんてしない。私だってあの男に対するできることなら謝ってほしい、償いをしてもらわないと気がすまないという気持ちを飲み込んでいる。最初に宿った諦めは、どんな悪感情でも飲み込んでしまう懐の深い怪物だった。

「あんたたち、腕に自信があるやつをありったけ集めてきなさい!私のシエルにたかるハエを駆除するわよ!」

「わかりました!」

 後ろからすぐさま雷鳴のような音量の声が飛んできた。

 食堂を小柄な男の子が駆け抜けていき、一拍遅れて私達の周りを囲っていた筋骨隆々な運動部員たちが追いかけていく。ミサキは彼らを不満げに見ていた。

「……はぁ。ミサキ、外の、ただのストーカー行為をやめさせるために暴力を振るうのは人のやることではありませんよ。素直に警察とか、適切な公共機関に相談して対処してもらうべき問題でしょう?たとえ、いずれ私達自身の力で解決しなければならない事態だったとしても、簡単に暴力を使おうとしてはいけない。そんなことは知っている常識です。考えなおしなさい」

 ミサキはアニシラにつまらなそうな目をむけて、そして、朗らかに笑った。

臆病者チキンはすっこんでなさい。これは私たちの問題よ」

 アニシラは米噛みをもみほぐし、ため息をついた。

 さすがに私も、なにか言わなきゃと思った。

「あの……、わたし、囮頑張る」

「はぁ、シエルも何を言っているんですか、まったく……」

「じゃ、私作戦考えるから、午後はよろしくね~」

「ちょっと待ちなさい!」

 空になっていたトレーを片付けてさっさと食堂を出ていくミサキを、アニシラが追いかけていった。置いてけぼりにされた私に話しかけてくれる人はいない。というか、すでに食堂はガランと空いていた。

「……私にできるかな?」

 レトルトのブロック整形カレーを崩して口に含むが、さっぱり味がわからなかった。



 夕方なのに学園は塔の陰の中に入ってしまって暗い。一体誰が、なんのために立てた巨塔だろうと、ぼんやり思った。学園の教科書にさえ書いていなかった真相は、きっと私の身近に忘れ去られているに違いない。

「準備完了です!」

 校門を出る直前で集まっていた私達に目くじらを立てた警備員に事情説明をしていた、徒手格闘研究会所属らしい細身の先輩がミサキの前で敬礼して大音量で申告した。そういえばミサキが彼らに名前を呼ばせたところを私は見たことがない。ミサキの親衛隊は、彼女に話しかけるときは今みたいにありったけの大声を出していた。後で聞けばいいかな。

「しかたないわね、シエル行くわよ。私のそばを離れないでね」

 分厚い筋肉が私たちの周りを囲っている。最初は親衛隊総動員でこの囮作戦に参加するつもりだったらしいけれど、暴動を懸念した警備員と担任のマリアに注意されて今の状態に落ち着いた。私とミサキの護衛は十人。その全員、武術の心得があるらしいことはなんとなくわかるけれど、十分なのかそうでないかは私には見当がつかなかった。

 校門を一歩出る。

「あっ。見つかった」

「なに!?」

 周りを普通に下校する生徒が大勢いる仲、数歩も行かないうちに見つかった感覚があった。でも、すぐにその不快感は消えてしまう。きっともう見られていないことをミサキに告げる。

「チャンスね、罠を張るわよ」

「ねえ、ミサキちゃん。すべて済んだら、ちょっとだけ話してみたいんだけど、いいかな」

「……その時はその時ね」

 結局、話せるのか話せないのかはっきりしないままいつもの帰り道を進む。

 しばらく、あの不快な視線は降ってこなかった。けれど、強い感情にさらされて湧いた興味は、水がないほうがよく育つようだ。

 しばらくして、私はビルの上縁に消える空色の髪を垣間見た。帰り道もあと三分の一の道のりしかない、大通りに沿う商店街の中程で、やっと彼は私を見つけたようだ。ここまで見られていなかったことに、違和感を覚える私がいる。どういうことなんだろうこれは。

「ミサキちゃん、もしかして、ストーカー二人いるかも知れないかも?」

「はぁ? そんなの聞いてないわよ!……まあいいわ。いくら居ようが一網打尽にしてやるわ!つぎのポイントで仕掛けるわよ!」

 退屈し始めていた青年たちは、待ってましたと気勢を上げた。


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