第6話 だから証を立てよう

 塔の外郭に寄り添うように建てられた檻のような学校がある。巷でただ、『学園』と呼ばれているその学び舎を、俺は今見下ろしていた。京ドーム二個をすっぽりと収めてしまう敷地を見渡せる高さのビルの屋上は、開放されているにもかかわらず人気がない。祭りの片付けが終わって、仕事人基質の日本人はみなキリギリスから働き蟻にもどってしまったようだ。

 西日が塔を縁取っている。そろそろ授業が終わって出てくる時間だろう。

 しかし、学園の立地は最悪だ。一日の終わりを演出する穏やかな日の入りの光を忘れて、帰途につくのは淋しくないだろうか。

 教育機関にしては頑丈がすぎる悪趣味な門から、一日中退屈に縛り付けられて退屈している生徒たちがぞろぞろと出てきた。開放されてやる気に満ちているのは運動部の生徒だろうか。筋肉だるまが無意味に拳を鳴らしている。

た」

 その中に一際小さな影が二つ、白と赤のコントラストが目立っていた。白い髪が塔の陰の中でフラフラと揺れながら、赤髪の少女に手を引かれて歩いている。キョロキョロと周りを見回して、挙動不審だから見失ってもすぐに見つけられそうだとおもった。

 懐かしさと寂寞の思いに少し浸りながら、俺は彼らを見下ろす。

 鳥瞰の視界は多くの情報が得られる。

 わかった。あの、周りを歩いている生徒たちはシエルの護衛だ。なぜ、シエルが魔術師のなり損ないの学生に護衛されているのかはわからないが、大した不都合はないので無視しておこうと決めた。塔の傘下の学園で学ぶ生徒は、一般的に将来の軍人候補生だと聞くし。大方要人護衛の訓練でもしているのか。

「ああ、名案かも知れない」

 アイデアを実行するために、閑散とした空中庭園をあとにする。

「まったく……日本人は無意味に働きすぎだな」

 あと三十分もすれば日が落ちる。その前に準備を終わらせよう。



 客という立場はわかりやすくて、そして気楽で好きだ。俺は空中庭園ノゾキのスポットのビルの中で男女兼用の品を取り扱う服飾店に入った。

 探している服のイメージを店員に伝えると、やる気たっぷりな女性店員は五分も待たずに目的のものと、付属の装飾品を持ってきた。そして、俺は資料を表示したタブレット端末など諸々の小道具と一緒に試着室に押し込まれた。

 試着室から出ようとカーテンを開けると、一見服を着ていないように見える女性店員が身を乗り出して手を叩いていた。肌色のタイツを着ていて実際は肌を露出していないとわかっていても面食らう。すこし破廉恥な店に来た気分になってしまった。

「すばらしい!」

 圧が強い店員を押しのけて、更衣室を出た。今の御時世でもなかなか目にしない紫がかった銀髪を払って、店員に振り返る。くるぶしまで届く長さのかつらはかなり動きにくいのであとで切ってしまおう。

「ああ!まるでアルフォート様が現実リアルに顕現されたみたいです!本当に素晴らしい!」

 なるほど。コスプレ衣装のショップ店員がコスプレをしている必要はあるのだろうかと、入店したときは思ったが、これは逆だ。きっと実演販売の販促効果が期待できるという建前で、毎日コスプレができて彼女は幸せなのだろう。顔を見ればわかる。

 あれは好きなものに囲まれて理性を失っている顔だ。

 次第に目つきが怪しくなって、今なら簡単にやれそうな顔をしている店員の肩を叩く。楽しそうなところ悪いけど先を急いでいるのだ。

「クレジットで」

「え?……あ、はい只今」

 トボトボとカードを持ってレジに向かう店員のあとについていく。衣装棚の並ぶフロアの向こう岸からこっそりと覗き込んでいる店員と他の客に笑顔で手を振ると、残念がる奴と、とろける奴に反応が二分した。残念がったやつがおそらく原作厨というやつだろう。スバルの姉さんが散々俺で遊んだあとに似た反応をみせた。あれを懐かしいと感じるほど時が経ったのだと思うとやっぱり寂しい。

 最近、なんでも寂しく感じるのは、疲れているせいか。俺も、無意味に働きすぎな日本人には変わらないということだろうか。

「えーっと……こちらに、サインをお願いします」

 ニートになれるならなってみたい。でも、養ってくれる親も恋人もいないのでとりあえず眼の前の意気消沈した彼女にサービスすることにしよう。善意は減るものじゃないしな。

「わかった。ここだな」

 身なりを整えるときに軽く検索したキャラクターの情報をなぞって演じる。いかにもいいそうなことをでちあげる。このカードはサインが別名でも筆跡さえ合致すれば受け付けるからこんな小芝居にも使えて便利だ。しかし、その分俺はこき使われることになるけどな!

 キャラクターの名前を筆記体で書く。家名が長ったらしい。

「……あの?」

「なにか問題でもあるのか?」

「い、いえ!お買い上げありがとうございました!またのお越しを、心より、お待ちしております……」

 カードを差し出す店員の耳元で囁く。

 ……なんてキャラクターだ、まったくけしからん。

 ビルを出てコンビニに入り、ハサミを買ってトイレに入った。そして、邪魔な髪をばっさばっさと剪定する。あのコスプレ店員にはお見せできない姿になって、ゴミを詰め込んだレジ袋を持ってコンビニを出た。トイレは汚していないからそんな犯罪者を見る目で見ないでほしい。

 さっぱりした俺は朝のうちに確かめた通学路沿いのコンクリート製八階建てのビルに入った。階段を使って屋上まで登り、そこから更に新しく高いビルによじ登る。新し目のビルはあらゆるドアが電子ロックされていて面倒なので、私用で使うときは外壁をよじ登るのが、便利な屋上へのアクセス方法としては簡便だ。裏路地の非常階段をよじ登っている不審者がいても、この街にはそれに気づくような健全な人はいない。

 茜から紫そして黒へと移る星空目指して、壁をよじ登っていく。普通に生きていたらこんな泥臭い真似をする必要もないのに、俺はいつまでこんなことをしているのだろうか。

 あの人間として規格外に頑強な師匠が南国の片田舎に引っ込んでしまった気持ちが今ならわかる。俺もついていけばよかったと後悔しても後の祭りだ。なんせ、今の日本からは海外にいる師匠には手紙さえも届かない、そもそも俺は師匠の住所を知らないから出しようがない。

「できることなら、俺も、普通が、一番だと、思うわけで!」

 学園の男子制服によく似たこの衣装は伸縮性が皆無で、登攀に勤しむにはやはり不適だった。それでも登りきった俺は偉い。いや、ストーカーは偉くないか。むしろ、キモいのでは?

 目を離したすきに移動してしまったシエルは、相変わらず十人程の学生に囲まれて歩いていた。もう挙動不審な様子は見られない。

「あぶねえ」

 俺が意を決した瞬間、シエルがこちらを向いた。間一髪、物陰に隠れることはできたが、昨日の失敗が脳裏をよぎる。シエルはエスパーか?

「……エスパーか」

 改めてシエルの位置を確認する。俺は安っぽいアルミの柵を蹴り、登ったばかりのビルから飛び降りた。



「ちょっとお聞きしたいのですが、さっき……十人くらいの学園生が通りませんでしたか?」

 シエルのいつもの通学路に店をかまえるタバコ屋の爺さんは鼻をふくらませてため息をついた。こきこきと首を振るたびに関節が鳴って、遠くないうちにもげそうだ。

「学園生なんてそこら辺にごろごろ転がってるじゃないか。そんなのいちいち憶えてないな」

 ガラスケースの上に小銭を滑らせて俺は指を一つ立てた。こんなみみっちい情報でも値段がつく世間様のたくましさには度々嘆息させられる。

「はぁ?学園生の癖に生意気なやつだなまったく」

 タバコ二箱分の硬貨を更に滑らせたら、一箱差し出された。銘柄は一番安いやつだった。無駄にがめつい爺だ。さっさと首がもげればいいのに。

「筋肉だるま十人に女の子が二人、囲まれていたと思うんですけど」

「あ?……ああ、思い出した。それならあっちだ」

 枯れ木みたいな指を爺は少し先にある小路地に向けた。

 ちょっと自動運転車に跳ねられそうになったが、怪我もなく五車線道路を渡り終えて、路地裏に入る。俺は自分のミスに焦れていた。

 学生の通学路が用もないのにコロコロ変わるはずがないという思い込みがあったのだろう。登ったときと同様に、ビルからビルへの崖下りをしている間に、シエルたちが消えた。消えたというか、逃げられたのか。

 ついさっき護衛訓練とか分析していたのは誰だ。俺だ。

 もし、あの集団行動の目的が本当に護衛訓練だったら、追跡者に気がついた時点で対策をとるのは当然じゃないか。馬鹿だな全く。

「ほんと、今日はとことん腑抜けてるわ俺……」

 ひび割れ苔たコンクリートとパネル壁に挟まれた路地。ゴミ箱と旧式の室外機の上に置いた人間も忘れ去ってしまったのだろう枯れた植木鉢を避けて行った先には、肉の壁が待っていた。

 それを見た時、アイデアもクソもなく、結構高かったこのアルフォートのコスプレ衣装ももはや用無しになったことが判明してしまった。

 今、彼らは半分も横並びになれば十分塞げる細い路地に、さらにぎっちりと密集して陣形を組んでいる。彼らが意気揚々と発する熱で、この路地だけ夏を先取りしたような気さえしてくるほどだ。ふと、周りのビルを爆破して、筋肉の空間密度を下げたくなった。

 筋肉学生たちの中でも割とマシな筋肉を持っている青年が近づいてくる。顔つきと身のこなしから、他の筋肉学生よりも先輩だろうと当たりをつけた。でも、いくら俺よりも体格が圧倒的に有利だからといって、威圧目的で近づくのは格闘家として不用心がすぎるだろう。

 血走った目の彼は俺を指さして叫ぶ。

「お前か、俺のミサキを付け回している痴漢は!」

「は?」

 面倒なやつが現れた。

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