第4話 日々に誇りを持って
どうやら、私はとても不器用な生き方しかできないらしいと気がついたのは、聖域から出してもらえてちょうど三年が経ったころだった。そんな初歩的な事実を認識するのに、三年もかかったところが、私らしいとは思う。
五月五日。
一年に一度、子供の成長を祝福するこの日、決まって私は調子を崩す。何かに躍起になっている百数人の祖父母たちが、私の中に溜まった穢れを濯ごうと無駄にやる気になるからだ。祖父母たちは私に清廉潔白で有り続けることを期待している。その期待に応えるのが、私の本来のあり方だということは、最初からわかっていた。だからこれは、シエルという
人はあるべき場所に収まり、それから幸せになると、母様はおっしゃっていた。その流れに抗う意味はあるのかわからないけれど、彼女達はそうしようと私の手を引いてくれている。
五月三日から六日の三日間、私は灌がれて灰色になった思い出がひび割れて崩れていく苦痛に耐えなければいけない。自分が泣けも笑えもしない、心が凪ぎ波一つ立たない人形に変わっていく感覚は恐ろしく、痛い。
「大丈夫?」
隣を歩く赤髪の女の子が私の目を覗き込んでいる。
あのミサキが勝気につり上がった眉を下げて、不安そうな顔をしていた。また私の顔が死んでいたらしい。気を抜くとすぐこれだ。
しっかりしないといけない。
「大丈夫だよ」
力の入らない口角を揉んで、意識して釣り上げる。
「ミサキちゃんはちょっと人当たりが強くて人を見下す癖があって傍迷惑だけど、私のことをとても親身になって気にしてくれる親友、だよね」
こうして口に出して、関係を確認してこぼれてしまった思い出を言葉で上塗りすれば、忘れてしまうことはない、かもしれない。
初めての試みだから上手くいくかわからない。
「……改まって言われると、めちゃくちゃ恥ずかしいわね」
ミサキの白い肌が髪の色に負けないくらい赤らんでいる。普段はツンけんしているミサキの、こんな顔を見たら、さっき話していた新しい子分の男の子はきっと悩殺されてしまうのではないだろうか?
「まったく、自分で言い始めてこの調子じゃ先が思いやられますね」
私の顔くらいの大きさの綿あめに刺さった割り箸を持って帰ってきたアニシラが、ミサキの様子を見て大げさにため息をついた。
アニシラがこんな態度を取るのは、私の記憶の限りではミサキだけだ。
「アニシラさんはみんなが尊敬して頼っちゃう聖女みたい。……私の憧れだよ」
「シエル……」
「ダメよシエル!こんな腹黒な奴を尊敬しちゃダメ!バカになるわ!」
「本っ当に、失礼ですね貴女。そんな子にはわたあめはあげません」
「え、ちょっと!私はちゃんとお金払ったんだから、それは私のものでしょ!よこしなさいよ!あ、こら!」
アニシラとミサキを並べるとたまに仲のいい姉妹に見える時がある。今のアニシラが高く掲げた綿あめをミサキがぴょんぴょんと跳ねて取り返そうとしている様子は、正にそうだ。
「やっぱり二人は仲がいいなぁ。……いいなぁ」
つい最近まで、ひとりぼっちだった私はああいう関係の築き方を知らない。でも、これから私とアニシラとミサキと、気の置けない関係を築いていけるのかもしれない。それはとても楽しみだ。
「……シエルは勘違いしているようですが、私とミサキは決して仲がよくなどありませんよ。ミサキが貴女にちょっかいをかけるから、私は大事にならないように見張っているのです。このちびっこはろくな事をしませんから……」
「何言ってんのよ!ロクでもないのはあんたの方でしょ!『私はアナタの味方ですぅ』って顔して、裏で自分の都合のいいように操る女郎蜘蛛のくせに!」
「あらあら、私がいつそんなに言われるような事をしましたか?なにか証拠があるというのですか?私は困っている人を利用しようとしたことはありませんよ?」
笑顔で火花を散らす二人を横から眺めているのは楽しいけれど、少しだけ寂しさもある。この休みの間は三人一緒だったが、私は自分のことで精いっぱいになることが多くて、たくさん二人に迷惑をかけた。ぼーっとしていて人にぶつかってしまった時はアニシラが代わりに謝ってくれたり。怖いおじさんに絡まれた時はミサキが盾になってくれたり。もっとしょうもなく何もないところで転んだり財布を落としたり。この休みの間は祖父母たちが揃って私の外出を認めない理由がわかるダメっぷりだった。だから、助けられてばかりで、三日も一緒に過ごした二人と今まで以上に仲良くなれた気がしていない。
「シエル?聴いてますか?」
「あ、ごめん。また浸っちゃってた……あはは」
「私は全然気にしないわよ!私も、どうでもいい話は聞き流して忘れること多いしね!」
鯉のぼりの蓋と地平線間から差し込む夕日に照らされた帰り道は美しい。来年もこうして三人で、いやもっと多くの友達と一緒にこの賑やかな祭りを楽しめたら。それだけで最高の人生だったと胸を張って言えるかもしれない。
「来年は、みんなでお祭りに行きたいな。もっと大勢で大騒ぎして」
「来年なんて先じゃなくてもいいじゃない」
「そうですよ。まだ高校生活は終わりませんからね。なにが起こるかわかりません。それに、今から来年の事なんて話してたら、鬼が笑います。こんな風にね」
「あっちょっなにっ……あははははは!……何すんのよ!」
私は今、不安ばかりの人生にさした一筋の光の中にいるのだと思う。そう遠くない将来、別人になってしまった私を見て二人はどう思うのだろうか。その時もまた今みたいに、変わってしまった私を受け入れてくれたなら、私にも意味があるのではないか。
そうだったら私は幸福じゃないか。
灰色に朽ちていく感情の波にいくら攫われようと、私はこの幸福を絶対に離さない。
「……シエル?」
さっきから首筋にゾワゾワと悪寒のような感覚があって、気持ちが悪い。息がつまるような圧さえ感じる気がする。周囲を見回してみるけれど、目立って私を見ている人はいないようだった。通行人の中、特に男の人がアニシラに目を取られていることは一目瞭然だけど、この怖気の元は全く見当がつかない。
「なんだか、誰かにすごく睨まれてる気がする」
「まあ、私たちが見られるのは仕方ないけど、睨まれてるってどういうことよ」
「……わからない。私また何かしたかな」
私はだたの視線に脅されている。なんてバカげたことなのだろうと思う。でも、この寒気は理性でどうにかなるものでもないみたいだ。
「もしかしたら、私たちに出会う前に何かしてたのかもしれませんね」
「怖い」
私は素直に思った。
すでに忘れてしまった記憶の中で、私はなにをしたというのだろう。なぜ今更、こんな強烈な感情をぶつけられているのか。わかるのは私はたしかに恨まれているということだけで、なぜ恨まれているのか、誰が関係しているのか、どうすればいいのか、赦されることなのかそうでないのか。全く判らないとは、なんて理不尽なんだろう。
「怖いよ」
「まあ、大丈夫でしょ!人間生きてれば恨みの一つや二つ買うものよ。誰だか知らないけれど、バレない場所でこそこそ睨んでいる程度の恨みなんて大したことはないわ。さ、いきましょ!」
ミサキにグイグイと手を引っ張られて。
「ちょっと待って、コケる!」
……おでこが痛い。鼻も痛い。膝も擦りむいた。昨日の朝の占いにも、今朝の占いにもこんなことは書いてなかったのに、なんて災難な日だ。
「あー」
昨日と今日で私のおでこはきっと一ミリくらい膨らんでいる。この調子で打ち続けていたらいつかマナフィとかコブダイみたいになる。おでこちゃんになった自分を想像してみたけど、ただでさえ幼く見られる容姿が度を増して幼くなってしまっていた。やめてほしい。そして、恨むのもやめてほしい。怖いから。
「まあ、どんまい!私もお尻打ったから、おあいこで」
「……ごめん、帰る」
「え?まだ日も高いのに」
「帰るの」
「えー」
今日は連休の最終日だけど、さっさと帰ろう、そうしよう。
「そうですか。では途中まで送っていきますわ。一人になって何かあったら大変ですから」
「えー」
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