第3話 それでも何かを見つけるために

 師匠曰く、気配を消すには周りにあるものすべてになりきって移ろうわなければ行けない。電柱とか壁とかもそうだが、人混みなら、あらゆる関係性もその範疇になる。今俺は、道行く買い物途中のおばさんの息子を装って、シエルたちの十メートル後ろを歩いていた。いかにも、このパーマが効きすぎて髪が乾燥したパスタみたいに残念な中年女性の関係者です、という雰囲気をかってに作って歩いている。ただ歩いているだけ。このおばさんには何の同意も得ていないし、彼女がどこまでシエルたちとおなじ方向へ歩いて行くかはわからない。

 タイムリミットが近づいている。今日ならだいたい五分前後が限度だ。それ以上このおばさんのプライベートエリアに入り込んでいると、気持ち悪がられて、擬態が破れる。

 シエルたちが、チョコバナナの屋台に寄った。

 俺はわたあめの屋台に近づくふりをして少しだけシエルたちとの距離を詰める。

 喧騒が邪魔をして何を話しているのか聞き取れない。

「いらっしゃい。って、なんだミツ坊か。こんなところで何やってんだ。サボりか?」

「あー、おつかれジーザス。実は、昨日ちょっと怪我したから今日は控えてる」

「スバル老の愛弟子が怪我ね。そらご苦労さん、ほれ、これ持ってけ」

「あ、ありがとう」

「あーあとあれだ、スバル嬢によろしく言っといてくれ」

 俺は片手サイズの賄賂わたあめを受け取って、屋台を離れる。打算ありの優しさはわかりやすくていいね。昨日みたいに慌てることもない。

 俺が仕事を受けている組織の草構成員、ジーザス(仮)がほの字なスバル嬢とは、俺の師匠の娘だ。年は俺の二つ上……だったはず。美人だけど、性格がとてもきつく、おまけに金にうるさい。いつも役に立つジーザス君には言えないが、俺はお断り。今日のことも、スバルの姉さんにバレたら何時間拘束されるか。だから、もらってくれて構わない。覚えておいたら、どう売り込めばいいのかわからないが、やってみよう。覚えていたら。

 チョコバナナを三人仲良くかじって歩くシエルたちに道行く男たちの視線が集まる。俺もそれに乗じてシエルたちを堂々と眺める。わたあめはなかなかいいザラメを使っているようだ。

 数えてみると、視線の的になる比率は、シエル三、金髪の美少女五、赤髪の美少女二、といった具合だった。

 好色の目にさらされながら堂々としていられないのは、シエルだけのようで、あまり人気のない赤髪の少女の陰に隠れようとしているのが見て取れる。そういうところはどうやら変わっていないらしい。次代様にはしっかりしてほしいものだ。

 そういう小動物的な面を垣間見ると、なんだか仕返ししたくなってくるじゃないか。

 俺は、さらにシエルに近づくために人垣をかいくぐる。

 足が不自由でも、体に叩き込まれた群衆を縫い通る技術を忘れることはなく、数メートルの距離はすぐ詰まった。

 俺がすぐ後ろにつけた時。

「曲者!」

 なんて今時、時代劇でも耳にしない言葉がシエルの頭を飛び越えて聞こえてきた。

「何すんだこの女!離せっ」

「喚くな変態。いくら貧相でもアスファルトのシミにされたくはないでしょう?」

 いま最も会いたくない話題のあの人が、シエルたちの向こうで捕り物劇を開演してしまっている。ちらっと覗き込むと、こんな人混みで思わず出したくなってしまったかわいそうなお兄さんは、程よく青ざめていた。自分のバナナがアスファルトで削がれていく感覚を想像したのだろうか。かわいそうだ、祭りの日ぐらい多めに見てやってもいいだろうに。

 さてそんなことより近いぞ、どうする?

「さて、お騒がせしました。ご注目の方々! 栄光ある大和の国民であるならば、皆様どうぞ気になさらず、祭りを大いに楽しんでください!」

 国軍の冬礼装をかっちりと着込んだ男装の麗人が一礼すると、一部始終を見ていた人垣から始まり、やがて喝采が辺りを包む。俺はそのムードの中でしれっとシエルの真後ろに立っていた。もちろん目立つつもりはないし、一仕事終えたスバルの姉さんの機嫌を損ねる気もない。

 近くにきてみて俺は焦る。背筋に寒いものが走る。どうやら、金髪の美少女とスバルの姉さんは知り合いらしく、アイコンタクトをとっていた。危うく視界に捕らえられてしまうところだった。



 スバルの姉さんが露出狂を連行していったあと、俺は再び離れて三人の様子を伺う。シエルの服に盗聴器を仕掛けようとか別におもっちゃいなかったよ。気まぐれさ。

 シエルたちは一通り屋台巡りをしたあと、地下鉄に乗って、街の中心へと移動し始めた。この東京の中心部には、それはでっかい塔が立っている。かつて日本最高峰だった富士山よりも高い、人工の塔だ。その足元はほぼ軍事要塞化しているので、一般人と、俺みたいなアウトローには縁遠い場所だった。でも、この都市に住んでいて全く縁がないかとそういうわけにもいかず、こういう祭りの時のお参りなど、学生や公僕などはことさらに高い運賃を払って出向かなければならない。

 しばらくシエルたちの乗った列車の後ろの列車にのって、真っ暗な地下道を揺られると、外殻壁を抜けてすぐの駅についた。一般人の立ち入りはここまで。マニアな奴はここで垂涎を垂れるらしいが、俺はこれ以上深入りしたいとはつゆほども思わない。どうせ入ってもろくなものは見られないから。この中を見るならスカイツリーの残骸や、旧羽田空港地下を探検した方がよっぽど面白い。

 冷めた灯りに照らされた打ちっ放しのホームに立つ。トンネルを地上へ突き抜けていく風に押されて神社へ向かうシエルたち、その後をゆっくりと、俺はかぜに馴染む程度の速さで登る。地下を抜けると桜並木が添えられた参道が続いている。隔壁の内側は五月にしては蒸し暑く、初夏のような熱気を孕み汗がにじむ程だった。

 桜はわずかに散り舞い、その中を浴衣の少女三人が連れ立って歩いている。とても仲が良さそうだ。まさに華やかな青春そのもの。だが、なぜ?

 シエルはなぜこんな場所にいるのか。すでに才能を認められている巫女が、なぜこの神社にお参りに来るのだろう。

 まゆつば物だが、ここはに信心深い者に異能を授けると言われている。お得意様がわりと本気でこの要塞の中に鎮守された社の破壊を考えている、と何度か小耳に挟んだので、あながち嘘ではないのだろう。もし真実だったら俺も手を貸す。

 しかし、そもそも異能を一般人に感染させ続けているここの御神体をどうにかしないと意味がないと思っているのは秘密だ。うちのボスは特攻がお好きなんでね。

 俺の認識が正しければ、シエルはわざわざこんな蒸し暑い場所に来る必要はない。

 いや、もしかしたらあの二人は、塔の魔術師でシエルを護衛しているのかもしれない。仲が良さそうなのは、きっと長い付き合いだからだろう。俺がいなくなった後、正式な巫女になったことで同年代の護衛をつけられたのかもしれない。その二人の力を伸ばすために来たのか?

 わからない。

 俺はまじめに考えるのが得意じゃないんだ。どちらかというと体育会系、体を動かしている方が性に合っている。

 楽しげに歩いている羨ましき乙女たちに、ちょっと突撃してみよう。



「だから、そこで私言ってやったのよ!『そんなに悔しがるなんて、本当に私を陥せると思っていたのね……その意気やよし!私のもとに降りなさい』ってね。あいつ難しい言い回しがわからなかったらしくて、最初間抜けな顔をしてたんだけど、優しく説明してあげたら泣いて喜んだの!私って本当に罪よね!」

 意気揚々と自慢する赤髪の少女。浴衣のフィットする胸を張って、背中に流している長い赤髪を揺らしている。せっかく整った顔をしているのにそんな笑い方をしたら台無しだ。ガキ大将か。

「まあ、新しく子分を増やしたと思ったら、そんなことがあったんですか。よかったですね。本気になってくれる人がいて」

 あの女神が相槌を打つ。どことなく毒が含まれている気がする……。でも、表情は俺を心配してくれた時のあの優しい顔を彷彿とする笑みに彩られていた。いかん、あまり直視すると目が潰れるかもしれない、というのは言い過ぎか。

「なによアニシラ。あんた私が嫌われているっていうの?」

「いえいえ、ただ私はミサキさんにまともな友達がいないことが心配なだけです」

「なによ。友達ならたくさんいるわよ。アニシラよりもね!」

「子分、の間違いでしょう」

「は?」

「まあまあ、二人とも落ち着こう?」

 おお。あのシエルが、人見知りで周囲すべてを怖がっていたシエルが、友達の喧嘩をいさめようとしている。おまえもこの十年で成長したんだな。にいちゃんは嬉しいぞ。その倍くらい羨ましいけどな。

「私は平常ですよ。シエルさん?」

「ふん、すかしちゃって!そんなんだからアニシラはいつまで経っても好きな男一人に振り向いてもらえないのよ!」

「……あの人とはもう何年もあってないので、今更どうしようもありません」

「ほんと嫌味。痛い腹をいたくないふりしてさ。私ならごめんだね。好きな人がいるのにただ待っているだけなんて。どこにいようと探し出して、気持ちを伝えて、答えさせてやる!」

「もうこの世にいない人に、どうやって答え……ってシエルさん。どうしたんですか?」

「シエル、また顔が戻ってるよ!」

「え?いけないいけない」

 それ以上の先の会話を俺は聞けなかった。

 どうしてシエルは俺の尾行に気がついた?

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