カルマの塔:オスヴァルト

 ラファエルは異変に気付いた。側面より突撃してくる少数の影。大勢に影響などないだろう。そう考えて無視しようとするも、目の端に映った、たった一人の女性を見て、ラファエルの顔が歪む。見間違いだと、何度言い聞かせようと、それは変わらず距離だけが縮まる。

 もう、どうやっても見間違いようの無い距離まで詰まった。

「何故だ、何故、ベアトリクスッ!」

 ラファエルの咆哮は――彼女には届かない。

 その剣が今、自分に向けられようとしている。

「君は何故、どうして……そこまで愚かなんだ?」

 焦がれながらも手に入らぬモノに牙を向けられた時、人はどれほど傷つくのだろうか。彼女にはきっと分からない。

 ラファエルはいつも思う。世界は何故、こうも思うが儘にならないのか、と。

 こんな世界なら壊れてしまえばいいのに。

 そんなことをたまに、考える。


     ○


「そこのけそこのけ!」

「オスヴァ……ただの剣士が押し通る!」

 国中から集めた精鋭。それこそオストベルグが誇る重装歩兵と真正面からぶつかっても互角の強さを持っていた。

 それが、厳選された才能たちとそれらが磨き合って培ってきた技術、剣によってこうまで翻弄されるのかと驚愕するほどに、彼らは、強かった。

「ベアトリクス様!」

 剣士として生き、剣士として死ぬ。

「ご苦労。あとは好きにせよ」

 彼らの剣は美しく、合理的であった。欠片ほどの隙すら許さず、隙あらば断たれる。隙が無くとも技で揺さぶり隙を生み、やはりそこを断つ。

 極めて少数にもかかわらず、彼らの剣によって道が生まれた。か細く、今にも消え入りそうな敵陣の穴。それでもそれを彼らの長が、彼女が見逃すはずも無し。

「さあてお役目は終わり、好きにせよとのことだ」

「剣士にそれを問うかね」

「刃折れ死に絶えるまで斬るのみ」

 全員が同じ笑みを浮かべていた。太平の世、ある意味で彼らは時代の被害者であった。どれほど技を高めようとも振るう相手がいない。実戦がないために実践の場もなく、ただ磨き続けるだけの毎日。

 例え同胞であろうとも、其処に斬る理由があるのなら――

「やめろオスヴァルト! 我らは同じアルカディアの――」

「今更それを言うかよ!」

「陛下と殿下が袂を分かった時点で、その道理は通じぬよ」

「今は敵味方、言い訳など労せず、戦えッ!」

 暴れる理由が欲しかった。そんな彼らに説得など無意味。そしてそんな彼らだからこそ到達できた高みがある。異常者の集団、閉じられた剣士の群れ。

 彼らは皆、オスヴァルトの旗に集う剣士たちである。

「何故だッ!?」

 その先頭を駆け抜け、敵将であるラファエルの眼前に飛び込んできたベアトリクス。無理攻めも、彼女ほどになれば押し通すことが出来る。

「まず第一に、私はあの男が嫌いだ」

 斬られた部下たちは、自分がどうなったのか認識することなく筋を、腱を断たれ行動不能と成る。この美しさと徹底的なまで実戦に特化した剣技こそオスヴァルト流。さらにラファエルに近づくベアトリクス。

 クロードの影で霞んでいたが、彼女もまた怪物の一人。

「第二に、あの男のやり方が嫌いだ」

 たん、と軽い音と共にベアトリクスは跳躍。良く見るとその手には剣が握られておらず、いつの間にか無手と成っていた。

 であれば握っていたはずの剣は――

「しまっ――」

 人影に一瞬隠れた際に投擲していた剣がラファエルの馬、その額に刺さっていた。殺気をこぼすことなく、リスクの高い手段を平気で取ることが出来るのも、彼女が天才だから。ラファエルには届かない山巓。

 そしてそれで良しとした美しき高嶺の花。

「第三、私は……守ると誓っている。へなちょこカールが守るはずだった全てを」

 ベアトリクスの指先が、馬に刺さった剣の柄に触れる。跳躍の最中、空中で体勢も整っていないのに、彼女は触れただけで魔法のように剣を操る。美しい軌跡を描いてその剣は引き抜かれながら、ラファエルの喉元に斬撃を見舞った。

「……くだらない妄執だッ!」

 だが、ラファエルもまたアルカディアの大将として研鑽を欠かしたことはない。その歩みを止めた日は一度としてない。尊敬する人と同じ道を彼は往く。

「私なら、僕なら容易いと思ったか?」

 冷静に、怜悧に、彼の剣がオスヴァルトの剣を阻む。

「いいや、だが、これで陣形は乱れたぞ」

 ベアトリクスらの突貫により一時的に乱れた陣形は、敵を受けられる態勢ではなくなっていた。如何に精強な兵でも、如何に相手が弱兵ばかりであっても、勢いのついた群れを止められる状態ではない。

「……君は愚かだ」

「私が死んでも、兄上が残っている。私は女だ。なら、勝手にさせてもらう」

 ベアトリクスの揺らがぬ姿を見てラファエルは剣を納めた。決して納得したわけではないが、冷静に成ることは出来た。ここは固執するところではない。

「総員後退! 立て直すぞ」

 美しくまばゆい彼女を見つめることで、己が何者かを思い出した。自分は彼女のような『本物』にはなれない。剣一つで世界を切り開くような英雄には成れない。だからこそ、成れる者があると彼は知っている。

 今は――彼女たちのような存在の時代ではないのだ。

「この軍を甘く見ない方が良い。私は『あれ』に焦がれはしないが、それでも強いことには違いない。あの狂気もまた、あの人の強さだったのだろうね」

 そう言い残してラファエルは颯爽と撤退していく。ベアトリクスはそれを追う気にはなれなかった。急いているラファエルには付け入る隙はあった。事実、彼女の突貫が彼と彼の軍を揺らしたように。だが――

「お久しぶりですねベアトリクスさん」

「ん、久しぶりだな。息災だったか?」

 門を抜けてアルカスの中に入り込んだアルフレッドとベアトリクスが合流する。

「おかげさまで」

「なら何よりだ」

 二人は魔窟と化しているであろうアルカスを見つめていた。

「西の方はこっちに向かっているが、東は……どこへ向かっている?」

「煙の感じからすると……んー、読めないなあ。ただの戦術以上に火を使っている? クレスさんは、そうか、こっちよりも敵を優先したんですね。確かに、危険な相手です」

「だろうな。何処の誰か知らんがラファエルが認める以上、やり手には違いない」

「ラファエルさんが認める……なるほど、そう言うことか」

 何気ない一言からボタンの掛け違えに気づいたアルフレッド。自分は、自分の父親と戦っているつもりであった。読みを大きく外すことこそなかったが、それ以上に揺さぶられ、群れとしての機能をかなり制限されてしまった。

 全ては父とその敵の違いを認識していなかったが為。

「あのでかいのはいなくなったけど」

 ミラはうんと伸びをしながらアルフレッドに視線を向ける。

「そうだね。少数かつ街中なら機動力も制限できるし、追って来るよりも別方向から守り手に加わる手を選んだのだろうね。おそらく、これすら段取り通り、か」

 敵は絞れた。それにその封じ手として機能するであろう男が動き出している。

 ならば己は――王道を真っ直ぐひた走るのみ。

「目指すはかの塔。其処に我らが討つべき敵がいる!」

 策はあるだろう。苦戦は必至。だが、後手に回っている中で唯一、先手を取れた部分がある。彼らに主導権を取り返してもらう。敵将の首までは求めすぎかもしれないが、そこの近くで暴れ回ってもらえるだけで本隊としてはありがたい。

 その間に攻めの構築が出来るのだから。


     ○


「グレゴール様」

「転進し西門へ向かう。急ぐぞ」

「承知!」

 グレゴール隊も少数で一撃離脱を繰り返したことでそれなりに損耗していた。

 ラファエルが整っていたとしても挟み撃ち、と言うほど有利は態勢にはならなかっただろう。何よりもグレゴールでさえアルフレッドと直接対峙することに躊躇いがあった。

 フェンリスを倒した男。今はまだ動く気配も無いが――

「弓の腕前は御父上譲りでしたな」

「剣はその父親を遥かに凌駕している。調子の程こそ分からんがな」

 噂や見た目通り、万全ではないのか、それともすべてが策であり万全なのか。

 役割を全うできない可能性は避けた結果が今。

「アンゼルム様であれば我らの立ち回り、どう評価されたでしょうか?」

「ビビり過ぎだ、と憎まれ口でも叩かれただろうさ」

 しかし、任された責務、その本筋は此処からなのだ。

 王によって再度招集された時代遅れのロートルたち。太平の世に似合わず表舞台から降りた自分に与えられた最後の役割。アンゼルムも同じ。ヒルダも、シュルヴィアも、王が集め、役を与えた。

 もちろん、あの男にも――


     ○


「……これほどか」

「この程度か」

 たった一騎。待ち伏せと言うにはあまりにも薄い手であった。一目で強者であると理解出来たが、剣を合わせた瞬間、この男がとてつもない強さを隠していたことを知る。ただの一合で理解する。武人としての完成度が違い過ぎる、と。

「くそっ!」

「なんじゃこいつ!?」

 ランベルト、コルセアは対面しただけで馬の足を止めた。馬も前に進もうとしない。自分たちの心もまた、前進を拒絶していた。

「迂回する」

「懸命だな。だが、お前は逃がさん」

「俺が時間を稼いでいる間に――」

 迂回して合流せよ、その命令を発する余裕すら男の前にはなかった。

「お前たち若者は、勝負の場での『俺たち』を知らん。今日、学べ」

 鮮血が舞う。たったの三合、あのバルドヴィーノが攻略された。

 目を剥くバルドヴィーノ。それでも歯を食いしばりながら剣を握り、役割を果たすために立ちふさがらんとする。

 されどその男――

「これが剣だ」

 二代剣聖、ギルベルト・フォン・オスヴァルトの前には――


     ○


 アルフレッドは後顧の憂いを断つためにまずは抜けた南門を制圧。これを閉じて蓋とした。外から立ち入れぬのはもちろんのこと、心理的に味方側にも退路を断ってもらうためである。そうこうしている中――

「よお」

「……さすが我が拳の師匠。見事なお手前でした」

「うるせえよ。そっちはどうだ?」

「それなりさ。いや、ちょっと強がったね。助かったよ」

 明かりの下で浮かび上がる血濡れの男、黒星はへらへらと笑いながら現れた。

「殊勝だねえ。いつもそんな感じの方がいいぜ」

「はいはい、こちらが門の開閉を司る部屋を制圧した時には何処にいたんだい?」

「あの部屋にいたぜ。こいつを使ってな」

 黒星はべろんと羊皮紙に壁の模様が描かれたモノを取り出す。それを見てアルフレッドは苦い笑みを浮かべた。確かに薄暗い中、切迫した状況下では、こういった馬鹿らしい策の方が有利に働くこともある。

「こうやって壁に張り付いてよ、壁と一体化するんだよ」

「実演しなくていいよ。まあ、あの仕掛けを動かしたことを考えれば、複数名に違いないと考えるのも当然だし、単独犯を見逃すのも仕方がない、かな」

 アルフレッドは今一度、黒星を見つめる。

「拳は?」

「ガキの時分から何でも殴り倒してんだ、大したことねえよ」

「……君も強がりだなあ」

 ため息をついて、アルフレッドは厳しい目つきと成った。

「一つ、頼みがある」

「出来ることであれば」

 この目つきは表舞台でのそれではない。おそらくは――

「契約切れの殺し屋を始末して欲しい」

「……裏切ったからか?」

「単純に彼らは知り過ぎていたし、首輪付きでなければ生かしておく気はなかったよ。クラウディア様との戦いは、こちらも合法とは言い難い手を使っている」

「あのリーダーは惜しいけどな。意外と娑婆が似合っていたし」

「うん、だから様子を見ていたんだけどね。でも、戻ってこない以上、そう言うことでしょ」

「だな。はいよ、その仕事請け賜った」

「すまないね、汚れ仕事ばかりで」

「いいさ。表舞台でスピーチしろって言われる方が嫌だっての」

 黒星は身を翻してアルカスの街へ足を向ける。

「……そっちも気を付けろよ。今回は、陛下もガチだ。手心はねえぞ」

「平気だよ。ピンチに成ったら君がまた助けてくれるから」

「バーカ」

 ふわりと夜の街に消える黒星。これで半年にもわたる裏舞台での整理整頓は終わる。残すところは表舞台、この戦場を征して名実ともに玉座を得れば、目標は達成されるだろう。それは同時に自らの運命を定めると言うことで、アルフレッドにとっては喜ばしいことではないのだが。

「殿下、こちらにいらしたのですか!」

「……どうしたんだい慌てて」

「偵察部隊からいくつか報告が上がってきました。正直、俄かには信じ難く、いえ信じたくないのです。仮にもこの国の王が、勝つためにここまでやるのか、と」

「詳しく聞こう」

 相手が何もしてこないとは思っていない。まずは情報を整理し、こちらの動きを練る。時間は出来るだけかけずに、その上で最善手を導き出す。

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