カルマの塔:拳士一人

 クレスが判断を下した少し前、アルフレッド率いる本隊はやはり窮地に立たされていた。門が落ちたと角笛が響いたことで、グレゴールの攻めがより苛烈になったのだ。その分、グレゴール隊の損耗は激しくなったがそれで勢いを落としてくれるほど軟な相手ではない。

「ミラ、すまない。彼を止めてくれるか?」

「殺しても良いならまっかせなさーい」

「……すまない」

 近衛として温存していたミラ。このカードを効果的に切るならアルカスの外ではなく内側に入り込んでからであった。彼女は馬に乗れない。厳密には乗る練習はしているが、実戦レベルで通用する技術は持っていない、だが。

 ゆえに徒歩での戦いと成る。騎馬相手では如何にミラでも不利がつく。それも並大抵ではなく激戦を潜り抜けたグレゴールとその私兵相手では――

「アルフレッド様!」

「何だ!?」

 嫌な決断をし、少しだけ口調に棘が混じるも、

「門が――」

「ッ!?」

 兵の発言、其処に眼を向け、まずは驚きがそして表情が少し和らぐ。

「ミラ、さっきのは無し、だ」

「ん? 何でよ?」

「何ででも」

 いたずらっぽく微笑むアルフレッド。ここまでは後手に回っていた。群れと言うモノに対して少し過大評価していたがために、窮地にも陥った。

 だが、ここからは――

「総員前を向けェ! 活路は前にある! 全力で前進せよッ!」

 口を開いた活路を前にアルフレッドはようやく笑みを浮かべた。


     ○


 ラファエルらは信じられないものを見ていた。

 開くはずのない道が口を開きつつあったのだ。それは――戦術的にはあり得ないことで、こちらの意図ではないことは明白。増援を送ると上の指揮官が判断したとも考えたが、それはあり得ないとラファエルは首を振る。

(尋問しても何一つ出てこない。おそらく、此処いる連中は知らされていないのだろう。あの門が開いた理由も、他の門が攻め落とされた理由も、何も――)

 徹底された情報統制。お友達の集まりと思っていたが、正規軍にも比するほど冷徹なまでに情報が絞られている。彼らは彼らの主にとってそれほど重要ではないのだろう。顔に似合わずその区別、差別はきっちりしていた。

「総員戦闘準備。雪崩れ込んでくるぞッ!」

 開くはずの無い門、アルカスの玄関口が今、開きつつあった。


     ○


 漆黒の装束。夜闇に紛れその男は音も無く現れた。

 拳が砕き、蹴りが爆ぜる。吹き飛ぶ肉、粉砕される骨、叫ぶ間もなく、状況を把握することなく、その空間は死地へと化した。

 ただ一人の男の手によって――

(馬鹿め、それは十人がかりで動かす、仕掛けだ。単身では、如何に貴様が化け物でも。動くはずなど――)

 事切れる寸前、門の開閉を司るこの部屋を任された男は強がりの笑みを浮かべた。どれだけ男が強くとも、物理的にあの仕掛けは動かない。

 再開発で導入された機構仕掛け。これによって破城槌などすら寄せ付けぬ強固で、巨大な人為及ばぬ門と成った。

 多人数で動かす仕掛けを前に、男は一つ深呼吸。

 そして――

「破ァ!」

 石畳が砕けるほどの震脚と共に、爆発的な一撃がぶつけられ、仕掛けが、単独の人間の手で動くはずの無い仕掛けが、動いた。幾度も、同じことを繰り返す男。ゆっくりと、しかし確実に、仕掛けは動いていく。ぎし、ぎし、と重い音を響かせながら、回り始める巨大な歯車。力が伝わっていく。

 力が――連動していく。

(ありえない)

 死の間際、呆れて笑ってしまうほど、その光景は、その男は常軌を逸していた。打ち込まれるたびにゆっくりと回る仕掛け。

 少しずつ、拳打を増す度にその速度は増していく。力が流れ始めたのであれば、それをコントロールするのは造作もないこと。

 男は拳士であった。天才と謳われ、本場シン国にて最強の九人に幼くして納まり、その地位を捨てさらなる高みを求めてやってきた。

 本物の拳士である。

 異音を聞きつけどたどたとこちらへやってきた頃には――

「憤ッ」

 これで仕舞いとばかりに力強く小突き、仕掛けが止まる。

 片門はこれで完全に開き切った。

「……くっそいてえ」

 血まみれの拳を撫でながら、男は「ふう」と嘆息する。

「これで充分だろ、王サマ」

 本場、東方からやってきた拳士、黒星は大事を小事の如く完遂してみせた。


     ○


 開くはずの無い門が開き、ラファエルは決断を迫られていた。一つは此処で一時退却し態勢を立て直すこと。今更ここで足掻いたとしても、彼らの侵入を阻むことは出来ないだろう。しかし、態勢さえ整えられるなら話は別。背後の都市にはアンゼルムが用意した策が張り巡らされており、迎え撃つ準備は万全。

 だが、それは同時にラファエル自らの失策を認めると言うこと。任された南門を放棄し、レノーに敗れ白騎士紛いと嘲られていた男の後塵に拝すると言うことと同義。ウィリアムに後継者であると認めてもらうためにもここは――

 それは愚かな迷いなのかもしれない。くだらないプライドなのかもしれない。それでも彼にはこれしかないのだ。

 この世界には届かぬ高みがあり、手に入らないモノがある。ならばせめて、せめてでも、最後の『それ』だけは手放すわけにはいかないのだ。

「ラファエル様!」

「……迎え撃つ準備を。奴らは烏合の衆、我ら正規の、練度高きアルカディア軍が劣るはずもなし。そうだろう?」

「その通りでありますな。蹴散らしてやりましょう」

 それに彼の兵もまた多くの先達に鍛え上げられた精鋭中の精鋭たち。あの戦乱の世を生き抜き、軍縮の際しても切られることのなかった者たち。真っ先にラファエルがその権限を用いて集めた強者たち。

 ならば、分の悪い勝負でもないかもしれない。

 背後から来るであろう別の門からやってくる増援。その到着よりも早く、鍛え上げられた兵士たちで王子を囲う烏合の衆を剥がし、丸裸にして拘束する。否、此処で仕留めるべきなのだろう。

 彼は火種、このアルカディアを脅かす要因。

「取り除いてやる」

 ラファエルは小さくつぶやいた。彼は気づいていない。そうつぶやいた時の表情は、かつて自らの父が弟に対して見せていたモノと同じであり、ああはなるまいと思った者に近づきつつあると言うことを。

 選ばれるのは自分であるべき。


     ○


 アルフレッドは門の先で迎撃準備をする軍勢を見て眉をひそめた。彼らが一旦退いて準備していたであろう内側での戦術にシフトすると、アルフレッドは考えていたのだ。それをしないと言うことは準備をしていないと言うこと。

(しかし、この夜襲に始まり、内側からの奇襲まで読み切った相手。中は綿密な策が張り巡らされているはず。だと言うのに、水際で止めることを優先する? 別の門が破られていると言うのに? 背後を突かれたらどうするつもりだ? 意図が、読めない)

 意地の一手。悪手であるはずのそれを深読みし意図を模索してしまうアルフレッド。普段であれば即座に悪手として切り捨てるところを、夜襲と言う大局的に考えれば悪手と成りかねない妙手からの揺さぶりで、多少の迷いが生まれていた。

 あそこでの抗戦に何か意味があるのではないか、と。

 そもそもこちらからの援軍が相手の策によって届かなければ、挟み撃ちに遭うのはこちらの方であり、その可能性は低くない。いや、そうでなければああする理由もないだろう。などとどんどん思考の沼に嵌っていく。

 それでもこの状況で取れる選択肢はただ一つ。

(まあ、ここまで来たら腹をくくるまでさ)

 アルフレッドは余裕満点の笑みで皆を鼓舞する。

 背後には一度距離を取った後、再突撃をかけんと突っ込んでくるグレゴール軍。進む先には何か意図があるのかどっしり構えている軍がいる。進むも地獄、止まるも地獄、ならば、進み切って見せる。

 どんな手を使おうとも。


     ○


 ずっと迷っていた。オスヴァルトと言う誇りと矜持、それを考えた時に己の意志など何の意味もない。いつかの弱さなど捨ててしまえ、そう考えていた。だが、どこまで考えても、どこまで抗ってみても、結局自分は自分で、あのへなちょこですら自分を曲げて大事なモノを傷つけることは出来なかった。

 それを見てちょっとだけ安心した。彼も自分と同じ自分を曲げ切れない人だったから。彼と一緒なら少し、ほんの少しだけ良いかな、と思ってしまった。

「これより我らは国賊と成る」

 厳しくも優しい父を失った。

「国家のために磨いた技を国家に向けると言う愚行」

 苦手だったが、最後には少し優しくなった兄を失った。

「それでも私は正しいと思う者のために剣を抜く」

 大好きだったへなちょこ、初恋の人を失った。

「この戦場に栄光はない」

 何も出来なかった弱い自分。何もしなかった愚かな自分。

「それでも良いと、覚悟の有る者だけ、私に続け」

 もう、何もしないと言う選択肢だけはなかった。

「往くぞッ!」

 何もせず失う後悔だけは、もうしたくないのだ。

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