オリュンピア:闇夜の狩り
『狭い。用を足す場所にもならんぞ』
『申し訳ございません陛下。私の力が足りぬばかりに』
『む、国守は悪くない。悪いのはそこにおる赤い女と白い女だ。一人は貧相なので許すが、もう一人は許せん。国守と共にありながらこのような場末に居を構えるとは何事か。おい白デブ聞いておるのか!』
「悪口言っとるんじゃな」
「よくわかるね」
「阿呆か。顔見りゃ誰でもわかるじゃろ」
「私のことも何か言っているのでしょうか?」
「……特に何も」
アルフレッドは笑顔で嘘をついた。知らない方が良い真実もある。彼女は女であることに悩む反面、女らしくないことにも悩んでいる多感な少女なのだ。そんな彼女にこの『真実』はいささか切れ味が強過ぎる。
『国守、ディムヤートとロゼッタはどこにおる?』
『息抜きに外で狩りをしてもらっています』
『狩り、か。闇夜の戦は好かん。む、飴が全部溶けた』
『どうぞ』
『あまい! うまい! 甘味の摂取は女王の責務、であろう?』
『もちろんでございます』
『うむ!』
「ガキを甘やかすとろくな大人にならんじゃろうに」
『負け犬が何か言うておるわ』
「何じゃと!」
(何で悪口だと会話が成立するんだろうこの二人)
アルフレッドは不思議だなあと小首を傾げながら外へ目を向ける。彼女たちの登場は少々目立ってしまった。
カイルの方が目立っていたので大衆の目は誤魔化せたが、会場を見渡す位置にある貴賓席のお歴々、策謀の怪物たちまでは誤魔化せない。
今宵からは警戒を密にせねばならないだろう。
手が増えたのは不幸中の幸いと言える。
○
男の首が折れた。その背後、影から現れたかのように黒星が姿を現す。
「注目されてんねえ。良いことなんだろうけど、手札をさらせないってのはきちーよな。お漏らし厳禁ってことじゃん。しんどいなあ」
「愚痴を言っていないで働け」
黒星が声のする方へ視線を向けると、屋根の上からぼとりと顔の見えない首が落ちてきた。下手人はバルドヴィーノ。やはりこの二人はどんな局面でも融通の利く駒であり、アルフレッドの持ち駒では欠かせぬ力と機動力、対応力を兼ね備えていた。
「でもよぉ。俺はあくまで協力者だし、手は、充分じゃね?」
「……そうだな。少し侮っていた、エスケンデレイヤと言う国を」
「まあそりゃ、戦争のし過ぎで自分たちでも把握し切れていない領土を持ってて、ガリアスとアルカディア、下手するとエスタードまでひっくるめた国土と人がいるんだぜ? その中の十本指の二人だ、弱い方が驚くぜ」
「戦士の国、か。その純度、少し、羨ましく思う」
練達の二人をも驚かせる二人の戦士、その実力は――
複数の光が不規則な動きで宙を舞う。
その中心には不敵な笑みを浮かべる女性が一人。
惨殺された死体、その数十数名。いずれも手練れであった。その彼らすら見切れぬ規則性が見出せない投擲物、そう、投擲しているのだ。いくつもの光が不規則に動き回り、そして手元へ戻っていく。
その過程で触れたモノを断つ、投擲物。
『間合いを取ったつもりですか?』
妖艶な笑みを向けた先に、今度は一直線、真っ直ぐな軌跡を描き、円状の刃物が弓を向けていた男の頭部を狙うも男はすんでのところでそれを回避した。
恐ろしい技術であるが、弓の間合いでは投擲にも大きな動作が必要らしく、それを突けば次は仕留め――
『そこは、私の最大射程、その半分ですよ』
男は自らがどう死んだのか、今際すら解せず死ぬ。
後頭部に突き立つ円状の刃物。この距離で過ぎ去った後、折り返しながらもこの威力になるなど、誰が想定しようか。
「……疾ッ!」
死中に活在り。退くことも出来ぬなら、相応の対価を支払い勝利を掴む。最短を駆ける男の周りに飛び交う光。それがいくつか交錯し――
「……ぐぅ!」
頬を裂き、腹を裂き、右腕を断った。それでも、詰めた。ゼロ距離ならば――
『良い気迫です』
ロゼッタは男の覚悟を褒める。
『ですが、弱いッ!』
ロゼッタは背中にある特別な円状の打撃武器、乾坤圏を叩き込む。力づくで、暴力的な一撃は男の左腕もろとも叩き潰す。文字通り潰れ砕けた男は血潮を爆発させ果てた。噴き出る血潮に濡れた彼女は、勝利の余韻に浸りながら戻ってくる円状の刃物、チャクラムを器用に回収していく。
『戦士にとって弱さは罪です。かつて、私たちがそうであったように』
遠、中、近、全てのレンジに対応した戦士、ロゼッタ。
エスケンデレイヤの戦士長に弱者はいない。
その中でも彼は、特別なのだ。
「速い!? 何だこの速度は!?」
『二十!』
すれ違いざま、鋭い一撃で首を刈り取る。その勢いを反動として利用し、さらに加速し道一つ分を跳躍、敵の眼前に降り立った戦士は初手で得物を持つ手を断ち攻撃力を奪い、二撃で足を断ち機動力を奪った。そして三手目で首を断ち命を奪う。
無駄がなく、しなやかで、そして高い殺意を持つ剣。
『二十一』
獣のような速度と柔軟性、そして人の技術を併せ持ったハイブリットの怪物。敵国からは魔獣と恐れられた若き剣士、アルフレッドが現れるまでは近い世代に敵はいなかった。戦士の国エスケンデレイヤの未来を担う男、ディムヤート。
『上手く逃げ果せるつもりだろうが――』
その眼は、夜闇すら見通す。その鼻は、耳は、どんな些細な気配も逃さない。
『――間に合わんよ』
ゼロから一気に加速。いくつも屋根を音も無く飛び越え、疾駆する姿は人にあらず。魔獣の気配を察知し、遮二無二加速する気配に魔獣は口角を上げた。この距離差は良いハンデである。心地よい競争が出来る。そう彼は考えたのだ。
暗殺者の男は、経験則から自らが逃げ果せたと思った。確かにあの怪物は速い。されど、人ごみに紛れてしまえばその武力も意味を為さない。気配から、ギリギリ間に合うと男は見込んだ。男も足には自信がある。彼らも人ごみで目立ってまで自らを殺そうとはしないはず。出来ないはずなのだ。
彼らは少数精鋭、その事実さえ主に届けば――
あと、一歩――
「友よ、まだ私は飲み足りぬ。さあ、こっちだ」
眼前に降り立った男はゆっくりと男を抱き、背骨をへし折った。片腕で、もう片方はしっかりと口を押さえながら、手慣れた手つきで殺傷してのけたのだ。
「まだまだ夜は長い。ああ、それにしても、良い競争だったな、友よ」
ディムヤートは最後にさらなる加速をして男の想定を覆した。やはり狩りはそれなりに制限が無ければ面白くない。ギリギリの勝負にこそスリルと言うモノが生まれるのだ。とは言え、演技をするほどの余裕があるのは制限をかけてなお力の差があるがゆえ――
『……そう見つめるなよ、喰いたくなるだろ』
ディムヤートは闇夜に紛れながら、背中を貫く視線に一瞥する。
「……あの野郎、昼にあの坊ちゃんと一緒にいたやつ、か?」
「そのようだな。ちらりとしか見てないが、まあ間違いないだろ」
「問題は彼が何処の誰で、何故彼と共にいるのか、でしょう。剣を捨てた私でもわかりますよ。あれは、怪物だ。勝てますか、二人は?」
「「やってみないとわからん」」
たまたますれ違った。フェンリスとスコール、ハティは謎の男の実力に戦慄を禁じ得ない。近い世代、それであの実力はないだろう。しかも無名なのだ。何もかもが謎、わかるのは、自らに比肩する実力者と言うことだけ。
いや、下手をすると――
フェンリスの胸中に渦巻く焦り、それが増大するのを感じた。
あれと共にいる。従えている。その事実は、未だ底の見えぬアルフレッドと言う男を測る秤になる。あの怪物は果たして、人間性などと言うモノに忠誠を誓うほど、甘い生き物であろうか。獣に近い雰囲気、自分と近い感性だからこそわかる。
あれは、強さに仕える獣である。つまり、それを従えるあの男は――想定よりも大幅に強いと言うこと。
その底を浅く考えるのは危険だと、フェンリスの本能は告げていた。
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