オリュンピア:元天才の忠義

 イヴァン・ブルシークは槍の道で高みを目指すことを諦めた。幼少の頃からそれを頼りに生きてきたが、迷わず捨てたのだ。エル・トゥーレで心地よい停滞に身を任せている己を捨て、何もかも未知数な世界に飛び出した。

 何度も失敗した。自分の優秀さはネーデルクスと言う看板によって保障されていただけで、世界にとって己はあまりにもちっぽけであった。それでも進むことを諦めなかったのは、あの日人生最大のインパクトに出会ってしまったから。

 だからこそ彼は成功を収めた。成功者は失敗を恐れず、リスクを度外視出来る者。挑戦し続ける者にこそ成功は微笑む。生きるか死ぬか、それだけのこと。

 彼はあの場に止まらず、自らのやるべきことを遂行する。偉大なる剣士ユリシーズと謎の拳士、その戦いを見て技を盗むアテナ。

 あの場で自分にやるべきことはなかった。

「イヴァンさん。僕ら、何しましょうか?」

「お前たちには潰れ役になってもらう。咬ませ犬だ、やってくれるか?」

「興行のためでしょ。謹んでお受けいたしますよ」

「あいさー」

「腹減ったんで終わったらメシ行っていいですか?」

「アルフレッド様、アルフレッド様、アル――」

「……良いだろう。私の金で食べてこい。その代わり、役目を果たせよ」

「やったね! 最高だぜ!」

 イヴァンらの進む先には極上の戦士たちがしのぎを削っている。戦いの中で急速に成長している、のは許容できるが、狼の王がこの先を見せると言うなら看過できない。もし、その領域に至れる者が増えてしまえば、自らが信ずる王の道に揺らぎが生じてしまう。

 覇者は一人で良い。

 頂点は、彼一人が君臨すべきなのだから。


     ○


 まず、最初に壁を超えたのは――スコールであった。

「ふぅー、ふぅー」

 思考ゼロ。本能全開。今まで学んだことは身体が覚えている。思考は身体にゆだね、後は本能と才能が赴くままに駆け抜ける。その思いっきりが、考え過ぎる男にとって一番ハマっていたのだ。

 ゼロ、そしてマックス。ゼロからの加速力がヴォルフに近づいてきた。穏やかな性質に潜む、本来の牙が剥き出しのまま王に向けられる。

「んだよ、ちゃんと目ェ開けるじゃねえか」

 細い眼は大きく見開かれていた。瞳孔は細く、獲物を狙う狼のように。

 かつてないほどにスコールは集中していた。相手がヴォルフだからこそ、この最後の扉が開かれたのだろう。彼と言う巨大な壁が、戦闘において無意味な遠慮をすべて取り除いたのだ。彼ならば、何をしても揺らぐことはない。

 自分の全部を出しても問題ない。何故なら彼は最強なのだから。

「おいこらスコールこの野郎。誰に断って先陣を切ってやがる!」

 フェンリスの声も届かない。ただ一点、王の喉元だけを睨みつける。

「……ちっ。この馬鹿くらいかと思っていたが、こいつも俺と比肩する才能の持ち主、か。なるほど……やべえな、腸煮えくり返って吐きそうだ」

 リオネルはどうしようもないほどの嫌悪感に吐き出しそうになる。フェンリスを見た時にも感じた、あの感覚。自分が唯一、誰よりも優れていると思っていた分野が侵され、領域が侵食されていく不快感。

「ぼさっとしてんなカス! 俺は、二度と負けねえんだよ!」

 立ち尽くすフェンリスを力ずくで退かしてリオネルは疾走する。壁を破る感覚はわからないが、とにかく全部を出す。ガリアスで、百将たちに、王の左右に、王の剣に学んだ全てを吐き出して気持ちよくなろうと思った。

「んだこら! ふざけんじゃ――」

 吹き飛ばされたフェンリスが起き上がり反応する頃には――

「ハハ、人気だな俺様もよォ!」

「ハァァアアアア!」

「ふしゅ!」

 限界を、壁を超えてみせた『二人』がいた。間違いなく、近づきつつある。現にヴォルフの額に汗が浮かび始めている。二対一、これがきつくなっていると言うことは、ヴォルフに疲れがない以上、相手が強くなっていると言うこと。

「……ちっ、どいつもこいつも浮かれやがって」

「フェンリス様? 戦いに行かれないのですか?」

「あの親父は、知ってんだよ。今更浮かれてじゃれつくほどガキじゃねえ。そりゃああのレベルが三人だ。いくら最強だって楽勝とはいかねえだろ」

「なるほど。苦戦する御父上は見たくない、と」

「何でそうなる!? 俺ァモブ相手に無様さらしてのたうち回るあんにゃろうを見るのが楽しみなんだよ。あー、最高。ま、布でぐるぐる巻きの動き辛い恰好で戦おうってのが舐めてんだよそもそも。いい気味だぜ」

 誰も布を取りに行かないので意味を為していないが、そもそも彼らの参戦は本戦参加者のパイを増やすためのものであった。人によるが、ヴォルフは明らかに布を身にまとい過ぎであり、あれでは多少の動き辛さはあるだろう。

 まあ、そんなものをものともしないからこその最強。

 ただし、其処に近い、将来的にはそこに到達する才能を相手にするには些か舐め過ぎであった。戦っている本人が一番反省しているのだが――

(……あー、そういやフェンリスを締めてやった時に、一回こんぐらいの力で戦ったっけ。ボッコボコにしてやったけど、確かにあの時よりも成長したあいつにとってはちょっと退屈か。一対一ならともかく、三人一緒じゃ燃えねえってか。ったく、生意気な)

 二人の攻撃が、丁度重なりヴォルフを押すほどの力を生む。

「おっと、やべえやべえ」

 追撃の構えを見せる二人であったが――

「まあちょいと待て。折角だ、いいもん見せてやるよ」

 ヴォルフの底知れぬ雰囲気を前に足が止まる。先ほどまでも十二分に格上であった。三対一、二対一、複数人がかみ合って初めて互角。まだまだ彼の境地には届かない。それでも、足元は、膝ぐらいまでは見えた気がしていた。

「人間の先、どうやって俺が太陽を喰らったか、お前らにも見せてやる」

 ぐつぐつ、煮え滾る何かが、噴き出そうとしていた。

 狼の王が笑う。その身から溢れる、灼熱を背負いて――

「この経験を抱いて、頂点目指せよガキんちょどもォ!」

 一瞬、途方もない熱量が全天を焼いた。都市すべてを、エル・トゥーレ全域を覆うほどの灼熱。肌が、焼ける。

 あまりにも巨大な戦意を前に――平静を保てない。

「そこまでだ、黒狼王ヴォルフ」

「あン?」

 ヴォルフが振り向いた先、そこには戦意無き男が立っていた。その手に握られていたのは――石弓。

 闘志無く、冷たい殺意を抱き、その男はヴォルフを殺そうとしていた。

「そいつはルール違反じゃねえか? 殺傷能力のある武器は――」

「ええ、反則です。私は失格になるでしょう」

 自らの脱落を屁とも思わぬ男は静かに照準を別の方向に向けた。そこには一般市民が惚けて立っていた。男はヴォルフに当てる自信はないが、市民に当てるのは容易だと脅していたのだ。

 その脅しは無関係であるはずのヴォルフを絡め取った。

「おい、くそ親父! 何ビビってんだよ! さっさと突っ込んでぶっ殺せ!」

「彼には出来ませんよ。私が、どれだけの戦力とどういう思惑を抱いているのかわからないままでは、動けません。彼の大事な部下が、誇りを捨て、命を賭して大きな火種を潰した。その反対を、自分がするわけにはいかない」

 イヴァンの発言はおそらく、ドーン・エンドの件を指していた。

 そのことに気づいたスコールとハティは憤怒をそちらに向ける。

「……親父に出来ねえなら、俺らでやるぞスコール! ハティ!」

「「承知!」」

 さすがの練度、命令と同時に動き出した彼らであったが――

「ここで会ったが百年目、勝負と行こうか優勝候補!」

「ジャイアントキリングゥ」

 十人と少々。しかし、かなりの腕前を持つ戦士たちが彼らの前に立ち塞がった。

「ふざけろ、空気読めや!」

「あの男の手の者ですか?」

「ノーコメント。ってかお兄さん参加者じゃないのに強いね」

 彼らはリオネルの前にも立つ。

「……どっかで見た顔だな、チビ」

「あんたに負けてから数えるのもあほらしくなる位勝った。今こそ逆襲の時」

「誰だテメエ? クソ目立ちたがり屋カス仮面野郎の手先か?」

「アルフレッド様アルフレッド様……お前今なんつった?」

「……おいおい、『二人とも』執着し過ぎでしょ、我らが王にさァ」

「「ぶっ殺す!」」

 周囲で激闘が繰り広げられている中、静かにヴォルフが問うた。

「何のつもりだ?」

「あの先を、容易く見せられては困る」

「見たところで真似できねえよ。何の心配を……そういうことか。お前、あのガキの……道理で身体が、あれほど損傷しているわけだ。俺様みたいな超人や死神みたいに幼少から慣らしたってわけじゃねえ凡人じゃあよ、死ぬぜ、あいつ」

「ええ、それだけの覚悟で此処に居ます、あの御方は。すでに二度、奇跡を起こすために命を削っている。得た『モノ』は大きかったが、代償は先にご覧じた通り。どうか王よ、いたずらに施しを与えてくれるな。時を早めずとも彼らが武の頂点に立つのは時間の問題なのだから」

 ヴォルフは頷きこそしなかったが剣を納めた。死する覚悟で立っているのはこの男も同じなのだ。狼の王を前に、死を覚悟で闘志無き兵器を向けている。

「お前の名は?」

「イヴァン・ブルシーク。今は、しがない人材派遣専門の商会長です」

「何がしがない、だ。あいつら相手にあんだけ立派に咬ませ犬務められる人材集めといてよ。ったく、あんまりにも熱いんで興が削げた。やめだやめ」

「感謝いたします、ヴォルフ陛下」

 ヴォルフは改めて刻み込んだ。この男、おそらく槍を使ってもそれなりに出来る。それこそハティでは勝てないだろうし、スコールともそこそこやり合えるレベル。その彼が槍を捨て、ある男に頭を垂れた。

 その事実に、ヴォルフは渇いた笑みを浮かべる。

 ヴォルフらがあずかり知らぬところで、もしかするととんでもない引力が働いていたのかもしれない。知らぬ間に、大きな可能性は確固たる力を手に入れていたのかもしれない。彼だけであれば良いのだが――そう、切に願う。

 ヴォルフが去った後、イヴァンは静かに息を吐いた。決死の覚悟であっても、あの男の前に立つのは勇気がいる。何とか乗り越えた。

 これで可能性は繋がったのだ。

 手にずしりと感じる重みに熱はない。本当の意味で、自分は戦士を、槍を捨てたのだとイヴァンは微笑んだ。後悔が無いと言えばウソになるが、二足で歩けるほど自分は器用ではない。少なくとも今は。

 イヴァンは静かに印の刻まれた布を地面に置き、そのまま振り返ることなく歩き去った。其処にはやはり躊躇はない。

 

     ○


「……明日、布集めなきゃ」

「ゼナも全部剥ぎ取られた。鬼だあいつ」

「ちくしょー、まだ勝てないかー」

「ゼナ的には良いセンいってた気がする。あとちょびっと」

「あんたはまだまだでしょ。私は惜しかったけど」

「ミラちゃんはちっちゃいから無理だよ」

「あにおう! ……って言い合いも疲れるからいっか。メシいこメシ」

「ゼナ的にはお肉な気分」

「珍しく気が合うじゃん」

 ぐったり倒れ伏していた二人は起き上がり、肩を並べて飲食店に向かう。何だかんだと着実に友情を深めていた。ギルベルトと言う頂点の一角を前に怯むことなく大立ち回り、豪快に轟沈した二人はやはり大物なのだろう。

 そして大物同士は惹かれ合うものである。

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