オリュンピア:凡人の悲哀

 力ずくで粉砕されるパロム。自身もまた兄と同様強き剣を目指していたがゆえ、女性に力負けしたのは存外衝撃も大きかった。ミラを例外と考えていたが、実は自分の考え違いであり、己は弱いのではないか、そう思ってしまった。

「折れたが。よう耐えた方じゃ。胸張って死ねッ!」

 女の一撃、パロムの受け手に力はない。

 そのまま押し潰されるかと思っていたが――

「ったく、何で俺はお前さんのピンチばっかり見つけちまうのかね」

 そこに横槍ならぬ横剣を入れたのは、パロムと同じ国に属するランベルトであった。強烈な突きによって女の攻撃、その軌道が変化する。

「何じゃ。茶々入れとは無粋じゃな」

「親友の弟なんだよ。見捨てたら目覚めがわりい」

 割って入ったランベルト。その構えに揺らぎはないように見えるが、助けられたパロムは怪訝な様子で助けてくれた恩人を見つめる。いつも通りの構えである。しかし、どこかいつもより軽く感じてしまう。それに臭いも――少し酒臭いような。

「ぬし、豪胆か馬鹿か、どっちじゃ?」

 女もそれに気づき問う。へらへらとランベルトは笑いながら剣を玩ぶ。

「気付け程度さ。俺は酒に強いんだ」

「馬鹿じゃな。強がっとるつもりかしらんが、わしら海の民がバランスの乱れ、気づかぬと思うたか。阿呆が、折角の勝負に水を差すばかりか、酒気までぶっかけられたんじゃたまらん。弱くとも、後ろの小僧の方がよほど肝が据わっておる。つまらん男じゃな、貴様」

「……つまらねえ、か。ほんと、その通りだぜ」

 この戦場に立っていることすら耐えられない。あまりにも大きな才能が多過ぎる。今だってそこかしこでぶつかる才能、高め合う才覚。本当に神は不公平で、自分はとことん選ばれていない。

 酒で覆い隠そうとしても、むしろ弱さは際立つばかり。

「興が削げた。わしゃ死人と戦うほど暇ではない。旦那を探しておるのでな。自分の同胞となる国の戦士がどんなもんかと思うたが、随分つまらん国じゃったな」

「ハァ? 何の話だよ。つーか逃げんな。俺と戦えよ!」

「負けて楽になりたいんか? それともわしになら勝てると思うたんか? その両方、接戦で、いい勝負で終わらせる。ビビりの格好つけほどダサいもんも無いじゃろーが。胸糞悪いんじゃボケェ」

 女は振り返ることもなくそのまま歩き去った。心底、今のランベルトには興味を示すこともなく。おそらく実力的にはそれなりに伯仲している相手。だが、心の弱さを見通された。これがフェンリスやリオネルであれば、おそらくランベルトは近づくことも出来なかったはず。

 酒気で言い訳を作り、打算で敵を選び、さらに格好のつく形を整える。

 あまりにもダサい、とランベルトは自嘲する。

「ありがとうございます、ランベルトさん」

「いいさ。全部、あの女の言った通りだしよ。俺は、お前のお兄ちゃんと違って、駄目だわ。吐きそうなんだ。ここに来てずっと。自分なりに努力して、恥も外聞も捨てて、半分勘当されて、それでも、この差かよ! やってられるかってな」

「僕だって同じですよ。それでも、僕らは諦めるわけにはいかない。少しでも格差をなくし、旧オストベルグとアルカディアを繋ぐ架け橋になるために」

 本当に、この兄弟は心が強い。ランベルトの持ち合わせない強さ。

「そうか。ま、少なくともお前の兄貴は大丈夫さ。ほんと、すげーよ。また、壁を破りやがった。また一歩、背中が遠ざかった。もう、疲れたわ。格好つけるのも」

 ランベルトは剣を納めて歩み始める。パロムに視線を合わせることもせず、逃げるようにその場から消えた。

 残されたパロムは掌をぎゅっと握りしめて心中を吐露する。

「僕からしたら、貴方だってそっち側の人なのに」

 自分の弱さに泣きたくなる。兄の隣に立っているのは、いつだって――


     ○


「な、何故シルヴィ様!?」

「未熟者が勝ち抜いて何の意味がありましょうか」

 同郷であるネーデルクスの代表を一人沈め、浮かない顔でシルヴィは立つ。

「代表を出さないわけにはいかないからねえ」

「ディオンですか。……この子たちを出す理由はあったのでしょうか」

「ネーデルクスが代表を出さないわけにもいかないだろ? でも、あの子たちを出すわけにもいかない。あの一件は僕らにとって必要な一歩だったけど、他国から見れば醜聞でしかないからね。突然現れたあの子たちの存在を紐解けば、そこかしこに網を張り巡らせている連中は、全部気づく」

「……わかっていますが」

「次があるさ。たぶん、ね。其処で槍術院出身の子が活躍しても問題にはならないし、させないよう準備しているよ。其処までは我慢、だ」

「イヴァンさえ――」

「それは言いっこなしだよ。彼は彼の道を進むと決めたんだから」

 ネーデルクスを代表する二人は世間話に興じながら布持ちを蹂躙していく。この話をしている最中も五名ほど卓越した槍捌きで毟られていた。


     ○


 ゼナの一突き、火の出るような一撃をふわりと跳躍してかわしその穂先に立つ剣聖ギルベルト・フォン・オスヴァルト。何でもないとでも言うような表情で予想だにもしない回避方法を取ってくるのだ。

「隙、ありィ!」

 ミラが斬り込んだ先にはすでにギルベルトの姿はなく――

「未熟」

 斬りかかってきたミラの頭上を支点に逆立ちしながらくるりとかわす。遊ばれている、と対峙している彼女たちは思ったかもしれないが、ギルベルトにそのような感情も、遊び心も無い。

 無駄に機動力が高いミラに対しこれが背後を取る最善手なだけ。上に意識が向いているところを下段蹴りで足を刈り取る。バランスを欠いた首筋に手刀一閃。

「グェ!?」

 意識を刈り取り布も剥ぎ取る。

 そして――

「起きろ未熟者」

 頭を鷲掴みにして無理やり覚醒させた。

「貴様もだ。何故、今の俺を狙わなかった? 手を止めるな」

 武の鬼、その眼光には何の感情も無い。

「死ぬ気で来い。何度でも殺してやろう」

 温かくも冷たくもない無機質なる眼に彼女たちが映る。彼女たちが思い浮かべる強者とは隔絶した別の方向性、その極み。

 零れる気配の鋭さだけで二人は断ち切られた気がした。


     ○


 ゼノは驚愕に眼を見開いていた。馬鹿の一念、おそるべし。タイミングを外そうが、変化でかく乱しようがお構いなし。とにかく愚直に、誠実に、稽古で培ってきた全てを乗せ続けた。何か特別なことをしたわけではない。

 何度弾かれても、防がれても、試行し続ける強さ。

 諦めの悪さで、ゼノに圧し勝った。

「まさか、刃引きした剣に破られるとは思っていなかった。此処まで『完璧』に防がれながら、それでも幾度となく打ち込んだ。その愚直さに、俺は面白みを感じる。勝ち抜けるとは思わんが、どこまでその愚かさを貫けるのか、見てみたくなってしまった。その時点で、俺の負け、かァ」

 思えば政治、政治、政治の毎日。何とか最低限の稽古の時間は確保しているが、こうやって『完璧』のつもりであっても、ほんのわずかなズレがあった以上、『完璧』ではなかったと言うこと。もう己は武人ではないとゼノは再認識する。

「熱いパッションだった。ナイスガイだ真黒ボウイ」

「……あ、ありがとうございます」

「御しるしだ、持っていけい。今の気迫を忘れるな。そして、積み重ねてきた努力に従え。俺たち凡人は、練習以上のモノなど出せん。信じろ、積み重ねの重さを」

 ゼノから熱い想いを受け取り、熱血に目覚めかけるパロミデス。あとで女性陣及び弟に暑苦しいと否定されるまで、その熱は続いていた。

「それにしても、熱いじゃないか我が好敵手よ。それほどに執着する相手か。いや、当然だな。ブラザーなのだから」

 ゼノの視線の先、今までにないほどの熱量をたたえた龍が舞っていた。今となっては大きな差と成った武力。それでも、同時代を生きた者として、彼が今特別な想いを抱き戦っているのはわかった。それは――相手も同じであるが。

「……少し妬けるな」

「なら稽古、増やそうなぁ、あんちゃん」

 いつの間にかゼノの隣に立つ弟であり部下であるキケの言葉に男は笑って――

「ああ、そうだな。俺も、まだまだ諦めるには若過ぎる、か」

 今の自分は武人ではない。しかし、いつかまた武人として戦場に戻ってきたいとは思う。自分だってエスタード生まれで、エル・シドやディノらに焦がれて剣を握った。その時の憧れは薄れることはない。戦場で生き、戦場で死ぬ。苛烈に、鮮烈に、立場が変わろうと望みまで変わりはしない。

 いつかその時は――


     ○


 今のクロードはユリシーズらと同等、つまり限りなく頂点に近い怪物である。それを相手取り『今の自分』で戦いになった。

 それだけでも普通なら出来過ぎであったが――

「大した技だ。初見だったら、俺もやばかったかもな。似た技を使う連中が、最後の戦場にいた。そいつらと同じ執念を感じたぜ」

「彼らの積み上げた技術を教えてもらったので、似ているのではなく同じ物です」

「そうか。よく頑張った。もう、充分だ」

 見下ろすはクロード・フォン・リウィウス。

 膝を折り見上げるはアルフレッド・レイ・アルカディア。ルシタニアという滅びた国が積み上げた技がネーデルクスの槍に負けた。否、同じように積み上げた先、技の優劣ではなく個の優劣なのだろう。

「俺の道に、充分なんてない。誰か一人でも、笑えない者がいるのなら――」

 アルフレッドはどうしても今、クロードの技を見ておきたかった。実戦の彼と稽古の彼では、思った通りまるで違う。彼が感情的になって、本気で戦ってくれるケースはまれ。特に己相手では早々本気など出してくれないだろう。

 彼が敬愛する男の、息子だから。

 だからこそ今、見ておくために危険な橋を渡った。

「でも、クロード兄の技は、充分見れたよ」

 そして見た。知識を収集した。用は――終わった。

「ありがとう。そして……ごめん」

 音も無く迫り来る槍。アルフレッドの一言。最後の表情を見て違和感を覚えねば、かわせなかったかもしれない。それほど静かで、その槍、使い手たる男の周囲には静寂が漂っていた。

「く、邪魔を――」

「邪魔は貴方です。こんな場末で、圧倒的格上の貴方に倒される。これでは、言い訳の余地が残ってしまう。それは、誰にとっても不幸でしょうに」

「何の話だ!?」

「こちらの話です。あと、私はたまたま彼を監視していただけ。影は、別ですよ」

「おい、バラすなよ。上手いこと気配消してたんだから」

 クロードの背中に拳が突き刺さっていた。異様な破壊力が籠った拳を打ち込んだ男は静かに距離を取った。奇襲からの一撃。しかも発勁入りである。

「ルールには参加者以外がしるしを集めても無効としか書かれていない。協力者を封じるルールはありません。大国は皆、情報収集も含めてやっていますし、知恵の回る連中は参加者以外の協力者を求めて動いていました。まあ、後者は気の利く何人かがほぼ間引いてくれたようですが。俺も、使える駒は使いますよ」

 仮面の下からこぼれる冷気は、まるでクロードの敬愛する王そのもので――

「待てアルフレッド! 俺は――」

「ここは任せた、黒星」

「あいよ。ただ一点、こっちの化けもん相手はわかったが、このオルフェってのはどうすりゃ良いんだ?」

「今は利害が一致しているから、協力してくれ」

「なるほどね。どんな理屈が働いてるのか知らんが、まあ、お前がそう言うならそうなんだろうさ。さーて、お仕事しますかね」

「大人しく逃がしてください。先の一撃、決して軽くはない。嫌な音が、今もしています。先に差し障りますよ」

「まだ、話している最中なんだよ! 退け、邪魔だッ!」

 一切の躊躇なく去って行く背中。言語化できない、言い知れぬ不安がクロードの胸中に募る。追いかけて、一発殴って連れて帰る。アルカディアに戻ったら説教をして、そして一緒に謝りに行こう。きっとあの人は許してくれる。

 自分をどん底から救ってくれたあの人ならば――

「駄目です」「駄目だ」

 また、自分は取りこぼした。


     ○


「随分と残酷に成ったな、ゼノ」

 パロミデスとの戦闘を終えて一旦宿舎に帰ろうとしていたところを謎の男に声をかけられたゼノ。とてつもなく派手な格好、目深にかぶった帽子によって顔は窺えないが、どちらにせよ呼び捨てにされるほど親しい知人にこのような派手な人物の該当者はいなかったはず。怪訝な表情をしているのはキケも同じ。

「どちらさまで?」

「さて、誰だろうな」

 はぐらかす男を見ても何の記憶も湧いてこない。どこかで聞いた声であるが、しるしを身に着けている以上、該当者する記憶はない。やはり見知らぬ人なのだろうとその横をすっと通り抜ける。

 男は――微動だにせず乾いた笑みを浮かべていた。

「稽古不足だ。完璧からは程遠い完成度。父、烈鉄の名が泣くぞ」

「おいおい。君もしるしを付けているということは参加者だろ? であれば、お前に父を知る機会など無いと思うが?」

「どうかな。世の中、あり得ないことが起きることもある。あり得ないことを起こしてこそ本物であり、光だ。今のお前は、光にも成れず影としても力不足」

「あんちゃんを馬鹿にするのは許せないねえ」

「お前ら未熟者が許そうが許すまいが、関係ないと言っているッ!」

 ゼノとキケは驚愕に眼を見開いた。

 眼前の男が放つ雰囲気は、彼らにとって懐かしいモノであったから。

「未熟者の台頭で、さらに未熟者がつけあがる。あの程度の才能相手に、あの程度の努力相手に後れを取るのならば、カンペアドールの名など返上しろ。お前たちには過ぎた名だ」

「貴方は、まさか――」

 ゼノの問いに男は静かに首を振った。笑みを浮かべながら。

「その名の人間は死んだ」

 そう言って男は去って行く。その歩き方にはやはり既視感があり――

「あんちゃん」

「……ルールの穴。そこまでやるかよ、アルフレッド」

 ゼノの頭の中に浮かぶ今大会への参加資格。

 国籍、性別問わず、三十歳未満。年齢確認は各国の身分証明書にて確認を行う。ただそれだけが条件である。

 つまり身分証を挿げ替えれば、全てを偽って参加することが可能なのだ。無論、それで年長者が勝ち上がったとしても所属国家が汚名を着るだけであろうが。

 だが、彼は国家に仕えるのではなく一人の男に仕えている。

 そこにどんな意味があるのか、見通すにはまだ情報が足りなかった。

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