宿命の剣:剣の理
鉄を打ち、火と語らい、また鉄を打つ。
剣鍛冶とは凄まじい忍耐力と自制心を要求されるものであった。幼き日から名工である祖父、それに追いつこうと足掻く父の背を見続けてきた。
醜く、泥臭く、永劫続く繰り返し。火と鉄、その中だけで完結する。
言葉は要らない。
鉄は、火は何も語らない。
自らもまた鉄を打つ、その動作でのみ全てを表現する。感情の発露、思いのたけは全て鉄に叩き込めと祖父に教わった。千年、万年前より続くリウィウスの歴史。寡黙にもなろう。口下手にもなろう。
彼らにとっての語らいとは剣鍛冶の中だけであったのだから。
感謝も、感動も、愛も、憎しみも、何もかもを鉄に注ぐ。
剣とは人生である。
リウィウスの剣は鍛えた者の人生を映す鏡。剣への想いが鈍れば鈍らと化し、執念なくば粘り強さを得るに能わず。折れず、曲がらず、真っ直ぐにただひたすら剣を打ち鍛える。その尋常ならざる繰り返しが業物を産む。
揺らめく炎、灼熱の鉄に何を見る。
ブラッドとブレンダの結婚が決まり、自身もまたあまり付き合いの無かった女性と結婚が決まっていた。特に思うところはなかった。とうの昔に飲み込んでいたことであるし、ブラッドであれば必ず自分よりも彼女を幸せにしてくれる、その確信があった。だから、其処に憎しみは欠片も生まれなかった。
息子が生まれた日。初めて家族と言うものを直視した。彼女の疲れ切った顔を見て、しわくちゃで不細工な赤子を見て、嗚呼、人生でこれほど揺さぶられた日は無いと、工房に戻り剣を打ちながら、泣いたことを思い出す。
あの日の剣も傑作であったな、とウォーレンは苦笑する。
家族が増えるたびに幸せが増えた。小さな命を胸に剣を打つ。それの何と心躍ることか。次第に剣を振るう喜びは薄れていった。愛が勝る、それを見つめられる剣鍛冶の時間は至福であった。愛に溢れていた日々を想う。
小さな命たちとそれを産み、育んだ妻。愛とは鮮烈なるものと思っていたが、どうにも自分にとっては鉄と同じ、じっくりと長き時をかけて育むものであったらしい。愛していた、誰よりも何よりも愛していた。
一家の支えとなるよう峻厳と鉄を打ち、剣を鍛えた。素晴らしい作品を世に送り出し、その対価で家族を養う。半端な作品などどうして生み出せようか。それは家族を軽視するということ、愛を軽んじるということ。
愛のためにウォーレンは修羅と化したのだ。より強く、より鋭く、自分の想いを全て注ぎ続けた。幸せな日々を、剣に投影し続けた。
気づけば比類なき名工。それでも足りぬと男は鉄を打つ。
親友から娘の練習用に剣を打ってくれと頼まれた。あの戦争以来、どうにもギクシャクしていたが娘を通してわだかまりが解けたのも良い記憶である。その後、おじ様の人生相談のおかげでコツを掴んだ、などと言ったせいでまた拗ねていたが。剣など教えていないと言っても信じずふくれっ面、あれはあれで趣がある。
本当にあの男は難物だった。
ウィリアムとブリジットが婚約した時も大変だった。仕舞いには家の前で泣き始め駄々をこね始めたのは不謹慎にも笑ってしまった。自分が笑っている姿を見て家族全員が驚いていたのは虚を突かれた思いであったが。
幸せの絶頂。人生最高の作品が二振り、出来上がった。あの時はこれ以上ないと思った。特に息子へ渡した方は折れず、曲がらず、毀れず、比類なき頑強さと鋭さを兼ね備えた最高傑作であった。少し肩入れし過ぎたと反省したものである。
だが、見えていなかったのだ。幸せ過ぎて、実の娘のように彼女に接するさまを見て、妻が不安がっていたことを。彼女はあまりにも似過ぎていた、ブレンダに。妻はずっと負い目を感じていたのだ。何一つ語らなかったから、相思相愛の仲を裂いてしまったと勘違いし、忘れていた傷が開いてしまった。
見えないところで。
いや、見ようとしなかったから。
あの時はこれから息子たちをどう鍛えてやろうか、そればかりを考えていた。誰かは継がねばならない。仕事と責務ゆえ甘やかす気はなかったが、それでも内心楽しみであった。いつか息子たちが自分を超えて名工の一人となる。
それこそが自分の夢、到達点とすら思えた。
息子に相談された時も取り合わなかった。ブラッドやブレンダ、自分の力量ですら通用しない外の世界に剣才無き息子が出られるわけがない。高をくくっていたのだ。ただ、継ぎたくないから駄々をこねているのだと。
そう思ってしまった。
息子が去り、義理の娘が去り、子供たちが倒れ、あれよあれよという間に幸せな時間は崩れ去った。リウィウスは呪われてしまった、集落には噂が飛び交い、自分はともかく妻は居場所を失っていただろう。
それに顧みることなく幸せが帰ってくるように、願いながら剣を打ち続けた。本当にすべきことを何一つせず、剣に逃避した。
結果は、最悪であった。
『貴方と、結婚しなければ、よかった。本当に、ごめんなさい』
『違う、俺は――』
妻は負い目を抱いたまま死んだ。愛するようになったのだと、一言でも伝えていれば違う終わりだったはず。誰よりも愛しているのに、伝えなかったから彼女は勘違いを抱いたまま散った。憎まれていただろう。
それでも共に在ったのは、愛していてくれたからか。
全てを失って、それでも男は剣を打つ。
せめて、せめて――もはや何を祈っているのかも分からない。
金の森が燃ゆる。自分の周りは皆、不幸になった。遮二無二打った剣の何と醜いことか。気づいていながら直視できず、動かなかった男の打つ剣のつまらなさと言ったら、祖父が見ればへし折っての山に捨ててくるだろう。
二度と剣を作るなと言い含められたはず。
醜き剣でルシタニアの敵を切った。無数の、虚ろなる祈りで叩き上げた剣で切り裂いた。醜き剣は技も醜くする。切り裂いた痕は、まるで獣の爪痕。これでは何のための剣なのか分からない。切れないから折れる、毀れる。
捨てて、別の駄作を振るう。
へし折れたそれらはまさに自分を映した鏡であった。
切り捨てる敵を探した。眼を背けていた感情に直面し、ただ逃げ場を探していたのだ。直視すれば許せなくなる。自分が、全てが――
『ごめんなさい、ウォーレン。私のせいで、全部、壊れちゃった』
記憶を取り戻したブレンダは大樹の下、敵を引き付けながら戦い事切れる寸前であった。彼女もまた悔いる者、自分が戒律に背き外に出たから、今日の崩壊を迎えたと信じていたのだろう。自分が許せなかったから。
『私、貴方が好きだったわ。でも、今はブラッドの方が好き。ブリジットのことが、好き。私も、伝えそびれちゃった。お願い、ウォーレン、伝え、て――』
もう少し生き永らえていれば――
『どういうことだ? ウォーレン』
『ブラッド!』
『何故、お前がブレンダを抱いている? 何故、彼女が死んでいる? 何故、其処にいるのが俺ではなくお前なんだ、ウォーレンッ!』
『彼女は最後、お前に――』
彼女自身の言葉で伝えられていただろう。そうすればへそ曲がりのあいつでも信じられたはず。だが、偏屈で、無口で、何を考えているのか家族ですら分からなかった男の言葉など、届くはずがなかった。
全部、俺が悪い。
全て、俺が――
本当にそうか?
本当に、心の底から、唯自分だけを憎んでいるか?
答えは否。断じて否。
ほんの少し、掛け違えなければ全てが上手くいっていたのだ。ここまでくそったれな現状など奇跡以外の何物でもない。自分が悪い、それは自明。だが、運命と言うものがあるのなら、それの悪辣さは人の理を超えている。
世界が憎い。実体のない神が憎い。
何故こんな世界を創った。何故こんな運命(シナリオ)を用意した。
全知全能ならば誰もが幸せになれる世界を何故創造しなかった。
あの男は境遇を語らなかった。言い訳を発しなかった。だが、透けて見えたのだ、尋常ならざる人生が。何故、ああも苦しまねばならぬ。あれでは憎み切れない、見えてしまったから、どうしようもない絶望の積み重ねが。
なら、誰を憎めばいい。自分を憎み続けた先に、自らを否定し続けた先に、世界が見えた。この世界で皆、苦しみの中精一杯生きている。そんな人々は美しい。だが、それを眺める者がいるとすれば、それを酒の肴にしている者がいるのなら、そんな彼らこそを罰するべきなのだ。彼らこそを討つべきなのだ。
運命を断て、神を殺せ、世界をぶち壊せ。
世界に生きる人々は美しい。彼らを導け。
今を破壊し、明日へと導け。
それこそが我が希望(エクセリオン)。因果を超えろ。
ウォーレン・リウィウス最後の祈りである。
剣の理、此処に在り。
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