幕間:次なる試練へ

 ヴォルフを先頭にずんずん進んでいく四人組。この森にあってなお、とにかく迷わない。迷っているのかもしれないが、判断が早過ぎて後ろの者にはそう伝わらないのだ。ゆえに後方の者は意味もなく安心してしまう。

 この男についていけば大丈夫だろう、理由もなくそう思えたから。

「圧が消えてるな。何だったんだあれ」

「卿であっても感じたか」

「おう。たぶん、普通の奴ならそもそもあれの時点で踵を返すだろ」

「もしかするとあれもまた試練であったのかもしれぬな、魔獣を身体とするならば、本能に刻まれた恐怖心は心、と言ったところであるか」

「まあ、俺様の足を止めるには至らねえな」

「大したものであるよ、本当に」

 アークの賛辞にヴォルフはケラケラと笑った。

 アルフレッドは彼の一挙手一投足を逃さず見つめる。大きな背中であった。有無を言わさず人を引っ張る引力がある。おそらく、この姿に自分は成れない。この理不尽なほどの説得力を己は持てない。

 では、如何とするか。何を持って治めるか。

「そーいえば次はネーデルクスだって?」

「は、はい」

「あそこは良い国だぜ。良い思い出しかねえ。保守的なんだがよ、強くて美しいモノが好きなんだよ、根っからな。何だかんだ俺ら外側の連中も受け入れてもらえたし、一度受け入れるとまああれよ、愉快な連中だぜ」

「そうなんですね。印象とは異なりますけど、たぶん、聞くと見るとでは大違いなんでしょうね。どの国も、そうでしたが」

「そーだな。見ると体験するでも違う。お前さんはいい経験してるよ。恵まれた箱庭じゃ絶対に見れない景色だ。まああれだ、お前さんの親父の受け売りだが、知らなくて損することはあれど知って損することはねえ、ってな」

「……心が擦り減ることはありますけどね」

「眼をそらし続けるか、覚悟を持って見るか、どちらを選ぶかってだけだ。悲劇なんてあちこちに転がっている。戦乱の世には戦乱の、平和には平和の、な。王に成る気なら、その心は捨てていけ。個人のこだわりなんて、王には不要だ。道を、誤らせるだけさ」

 どこか実感のこもったヴォルフのセリフにアルフレッドは頷いた。

 かつて、どうしても『あの男』と決着をつけたい一心でゲハイムに与した。もちろん、個人の感情だけではなく傭兵国家の王として、また戦乱の世でこそ意義があった黒の傭兵団の団長としての判断でもあったが、あくまでそれらは理由の補強に過ぎない。

 エゴで国を動かした。

 結果としてアナトールという右腕や多くの将兵を失ってしまった。大局で見ればヴォルフの参加は必須であり、時間を早めローレンシアに平和をもたらした判断であったと言える。少なくとも絵図を作った男はそう考えていた。

 闇に潜むゲハイム首領、エルンストを表舞台に引き出すためにも彼の力が必要だったのだ。世界にとっては必要。先々の国家運営としてはさほど大局に影響はなかった。結果、王として悔いることは何一つない。エルビラのように分かっていて踊ったか、他の者のように知らず白騎士の掌の上で踊ったか、それだけの違い。

 それでもヴォルフは自分が許せなかった。自分に夢を見た連中に対して申し訳ない気持ちが募る。彼らの王を踊る道化としたのは自分自身の弱さ。自分がもっと強ければ、いや、彼と同じ強さを求めていれば、結果は変わったかもしれない。

 もし、に意味はないけれど――

「……ネーデルクス、ねえ。ってことは『あいつ』も其処に向かったのか」

「あいつ、ですか?」

「ん。まあ古い知り合いだ。エル・トゥーレでたまたま会ってよ。久しぶりに羽目を外したら自警団やら怖い人に追い回されることになっちまって、俺も泣く泣く誰も使わないこのルートを通るしかなかったってわけ」

「……既視感が」

「ガハハ」

「がはは」

「イェレナに変な笑い方伝染させないでください!」

「最近冷たいのう。して、その古い知り合いとやら、何をしに戻ったのだ?」

 アークの目が鋭さを帯びる。

「……『忘れ物』を取りに行く、だってよ。それ以上は踏み込んでねえよ。俺もヴァイクにナシつけに行かなきゃだし」

「……承知した」

 何か、アークは得心したのだろう。この先に待ち受ける何かを。

「俺もいつかは『忘れ物』を取りに行かなきゃならねえ。きっとそれは生きている内じゃねえんだろうけど、それまではせめて、俺自身は最強のままで在りたい」

「どこまでも戦いであるか」

「当然。じいさんも好きだろ、戦争」

「……否定はせんよ」

 戦士の王として地上に君臨した戦乱の申し子。されどその時代がうつろい、戦士の王は無用の長物と化した。ゆえに王は流離うのだ。己が権力を握っていれば必ずどこかでエゴが膨れ上がる。己が、戦士としての己自身が火種なのだと、王は知っている。

 無責任だと謗られようと、王はもう間違えない。この時代において自らの存在自体が間違えであるならば、消す必要があるのだ。かつて騎士王が騎士の国を去ったように、戦士の王もまた戦士の国を去る。

 これからの時代、其処は戦士の国であってはならないから。

「もうちょいで森を抜けるな。そうしたら今度こそ、さようなら、だ」

「であるな」

「いつか俺とも戦争しようぜ、強かったんだろ、ガルニアス」

「……無論。至強の軍勢であった」

「俺のもだ」

 笑い合う二人を見て、アルフレッドは己では立ち入れぬ何かを見た。それが何なのか、戦乱の世を知らぬアルフレッドに分かる日は来ないのだろう。それでも彼らには彼らの価値観が、美しさがあって、それに殉じようとしたのだと、それだけは分かった。

 愚かであっても何処か嫌いになれないのは、己では共有できない美しさがあるからだとアルフレッドは思う。同時に、ほんの少し寂しくも思った。

 黒狼王ヴォルフとの出会いは、人類の天井とそれほどの男であっても悔いるという事実。そして己が父の偉大さを改めて認識する契機となった。

 父とは違う王の背中、アルフレッドはそれを間違いだとは思わなかった。ただ、父にも己にもそう魅せる強さがなかっただけ。ならばやはり、することは一つ。誰よりも先んじて、神に選ばれた彼らを、世界を騙す。

 誰よりも早く完成させて未完成の彼らを倒した実績がいる。

(……でも、考えるべきはその先。どう統べるか、だ。何が正しく、何が間違っているのか、指針は、知識。連なってきた歴史、過去が、要る)

 アルフレッドは一人、森の深奥に目を向けた。

 おそらく、己はもう一度この地に来る。この地にあるモノを知って、確信を得て試練と向き合わねばならない。きっと、そうなった時、此処にいる全員が別たれた後なのだろうけど。この場でそれが必要なのは、己一人だから。

(いや、イェレナも、か。なら、きっと一緒だ。彼女は、その時も――)

 アルフレッドの微笑み。それをアークは見逃さなかった。弱さが少年の心を侵食し始めている。決意してなお、王であったとしても、それは必ず隣人として心の中に在るのだ。

 芽生えたそれを屈服させられるか、それこそが真の試練である。

「……我の、命の使い道」

 誰にも聞こえぬよう呟いた男は、静かに胸を抑える。心臓を引き千切るような激痛、頻度は年々上がり続けている。天命は近い。その覚悟はとうに完了している。

 大事なのはどう生きるか、終わりくらいは、せめて――


     ○


『行ったか』

『そのようだね。彼はまた来るよ。今までの挑戦者とは違いきっと彼は此処の価値を理解するはずだ。過去の閲覧それを明日へ昇華する方法を彼は知っているから』

『それが我の生存限界、ということか』

『君を知った彼がもう一度この地に来るならばそうなるだろうね。君の種族としては随分と早く成長限界が訪れた。次の君はもっと小さくなるのだろう』

 巨大なる魔獣、それを見上げながら黒き髪の少年は哀しげに微笑む。

『秩序が、システムがそう判断した。ならば受け入れるまで』

『マナを喪失したこの箱舟も安定期に入った。じきに無間砂漠も永劫凍土も消える。このシュバルツバルトもまた在り様を変える必要があるだろう。立ち入れぬ神域から、見出せぬ秘境へと。世界が姿を変えるように』

『守護者は必要なくなるか』

『いずれは、ね。そもそも維持が難しい。シュバルツバルトだけの循環ではどうしても限界がある。ここはあくまで情報の集積所。奴らを研究するためにその習性を模したアーカイブスだ。リソースはその維持に充てられるべき』

『シンなるモノたちの大敵。情報を、存在を喰らう虚無。本当に存在するのか、そんなモノが。我らとは根が異なり過ぎる』

『さて、どうだろうね。データベースに残された僕もシン・シュバルツのレプリカでしかない。事実を知る者はこの世界には残っていないよ。いや、時が来ればひと柱、残ってはいる、か。泉の下に眠る、最後のシンが』

『目覚める時は終わりだ。今の世界に抗する術など』

『今は、ね。それでも僕は期待する。失われた世界で加速度的に立て直し、新たなる秩序を生んだ彼らの底力を。シンなるモノが産んだ最後の作品にして最も不完全であった種族。未完成の人界を与えられ、喪失の試練を経て、彼らはどう完成するのか。その可能性こそが創造主の意志だ。願い、だ』

 創造主のレプリカ、実体のない男は『世界』を見る。

『シュバルツバルトの演算結果を人類はいくつも超えている。近代であれば魔術式ウラノス、ニュクス、その他多くの魔術式によって想定の何十倍もの人類が生存した。さらに近づけばシャウハウゼン、シドもまたそうだろう。まだ子供だったとはいえ魔力が残っていた時代の遺物、君と対抗できる時点でこれもまた想定外、だ』

『直近ではヴォルフ、か』

『再生不可能なほどの欠損を君に与えた。これは驚愕だ。人を超え、獣に至ってなお研鑽を続ける最強への執念。悔いが彼を強くした。シドも兄への遠慮と孤独への恐怖から人間相手では出せなかった『本領』を此処で見せたがゆえに、試練を越えたと僕が判断したけれど、それでもなお全て再生可能な損害だった』

『我にとっては違い過ぎたがゆえに、もう一人の方がやり辛かったがな』

『ああ、そうだね。彼が次に向かった土地の英雄だ。三日三晩、一度として集中を研ぎらせることなく君と戦い抜いた。彼岸にあれほど踏み込みながら、愛国心だけで人の形を保っていた技の怪物。一度として有効打は無かったが、逆もまたしかり。君もまた一度として彼に有効打は与えられなかった』

『触れただけで壊せる。そう思い続けた三日間だった』

『彼が七王国の総意の下、この地を滅ぼすために現れたのではなければ試練突破の第一人者であっただろう。空腹も、疲労も、彼の槍を一切揺らがせることは無かった。僕が現れなければ死ぬ瞬間まで君と戦い続けていただろうね』

 彼がこの先に残された神秘を語り、金髪碧眼の英雄シャウハウゼンはこの地を去った。過去の集積に彼は価値を見出さなかったのだ。歴史とは今を生きる人間が積み上げるモノだと彼は信じていたから。

『戦いながら飢えや渇きで死ぬ、か。あれもまた人ではなかったな』

『過去にそれほど価値を感じなかったから一度捨ておいただけ。全ての神を刈り終えたなら、おそらく彼はもう一度ここに来ていたよ。滅ぼすために』

『なぜそれほどに固執する?』

『最新最鋭こそがネーデルクスであり人の道だと信じていたのだろう。神頼みで過去に縋ることを許せなかったんだよ。皮肉にもその姿勢に人は神を見て、その後のネーデルクスに繋がってしまったけれどね』

 シャウハウゼンの願いとは真逆に走ったネーデルクス。旧きを頼り、魔術式ヘルマまで歪め、滅亡の一歩手前まで達した。かつての英雄がその光景を見て何を想うか、彼は問うてみたい気分に陥る。

 そして今のネーデルクスを見てどう考えるか。

『さあ、時代の分岐点が来るよ。ネーデルクスという巨体が揺れたなら、必ず他にも影響は波及する。束の間の平穏で終わるか、新たなる時代に至るか、これもまた試練だ。そしてその中に在って小石である君は、どう影響する?』

 シュバルツバルトは記録する。

 これより始まる分岐点を余すことなく。


     ○


「くっそーヴォルフっちに踏み倒されたー!」

「……支払いも踏み倒された分、足りず踏み倒した分も全部借金ですが」

「大丈夫大丈夫。金貸しって儲けているじゃん? それをちょいと拝借して市井に配る。まあ義賊みたいなもんだよね」

「……ルドルフ」

「怒んないでよラインベルカー。んもーしわが増えちゃうぞ」

「……若く見えると言われます。三十代にしか見えないと」

「僕は二十代って言われるけどね」

「苦労は顔に出ると言いますから、ルドルフがお気楽なだけです」

「うーわきっつい。泣くよ、僕ちゃん」

「是非」

「……本当に泣きそう。ま、だから戻ってきたんでしょ。やり残してしまったモノの結末を見るために。介入するかどうかはクンラートと今の三貴士次第だけどね」

「あまり表立って動けば白の王に殺されますからね」

「なっはっは、僕ら友達だよ? 大丈夫大丈夫。ただの脅しだって」

「最後ブ千切れていましたが?」

「都合の悪いことは忘れられるように出来ているんだよね、僕ちゃんってさ」

「……でしょうね」

「さあ、とりあえず画家として今のネーデルクスに潜入捜査だ!」

「ハァ」

 ご機嫌な二人組がこの夜、ネーデルクスの国境を無断で越えた。

「調査料のお小遣いをください!」

「御冗談は存在だけにしてください」

「……子供産むと女ってみんなこう。だから嫌いなんだよ、子供ってさ」

 そのことをネーデルクスの誰も知らない。

 国境線の警戒、その隙を悠々と突いて、かつてこの地を実質的に治めていた英雄が舞い戻ってきた。話の内容はとても聞くに堪えないものであったが。それでも何らかの影響はあるだろう。

 青貴子ルドルフ・レ・ハースブルク。金髪碧眼の青き星はネーデルクスにとって決して安い名ではないのだから。新旧、どちらにとっても。

 その牙は内側の者こそ、知る。

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