幕間:最強
ヴォルフは倒れ伏すアークを、呆然とするアルフレッドを、立ったまま動かないイェレナを見て「うんうん」と頷く。
そして胸の前で十字を切ってから手を合わせた。
「死んだか、じじい」
「まだ死んどらん」
「……なあおい、つい最近格好良く別れたばっかりじゃねえか。どう考えても今生の別れだったし、思い返す度に決まったな、って思ってたんだが」
「知らん! それよりも警戒せよ! 相手は『魔獣』である!」
四つ足で、今にも飛び掛かってきそうな怪物。濃密な死の気配が辺り一帯に漂っていた。凄まじいプレッシャーにこの場全員が死を覚悟した。
この男を除いて――
「うっし、ま、やりますかい」
首をゴキゴキと鳴らし、背筋を「うーい」と伸ばして黒き狼は深く、構える。
ぐっと、力を蓄えて低く、低く。
「グガァ!」
先手は『魔獣』――だった。
「ハッ、遅ェ」
先に動き出したのは『魔獣』であったのに、先んじて飛び出したのは黒き狼。相手を上回る圧倒的アジリティで後手から先手を奪取し、地上のどんな生物にも負けないと自負する短い距離でのスプリントを敢行。
そして――
「な、何で!?」
アルフレッドが驚愕する暴走行為を躊躇わず行った。
怪物相手の正面衝突。短い距離での速度では圧倒しているのだ。わざわざ怪物の領分に立ち入る必要はない。そもそも人間が勝てるわけないのだ。このサイズの化け物相手に。当たっても圧し潰されるだけ。無謀が過ぎる。
「ガァ!」
「ド根性ッ!」
しかし、そこでアルフレッドが見た景色は――
「あ、ありえない」
頭から突っ込んできた怪物を二振りの剣をクロスさせ受け止めるヴォルフの姿であった。人間ではない。人間であるはずがない。
「ぐ、ぐぉぉぉぉ」
明らかに押されている。ずりずりと後退させられているのだが、そもそも衝突の瞬間に拮抗しただけでありえない。
「ガァアアッ!」
「あ、さすがに無理」
『魔獣』がさらなる力を加えてきた瞬間、ヴォルフはひょいとこれまた迷わず避けた。無茶をしているようで冷静、無謀なようでクレバー。出来ると思ったからやっただけ。相手が加速に乗る前であれば、正面から拮抗できると身体を張って証明した。
まさに人類最強。
「ふいー、おいじいさん。あんたがついていながら子供をあんな危ない奴にぶつけるなよ。いくら何でもスパルタが過ぎるぜ、なぁ白騎士の息子よォ」
「ひゃ、ひゃい」
「そう思うだろ? なあ」
「あ、危ないッ!」
アルフレッドの声が届く前に、ヴォルフは相手の動きを把握していた。空気を読まずに突っ込んできた『魔獣』をあえて引き付けて、少年が注意を喚起をする『危険な領域』で行動を開始する。ぎゅんと旋回し、攻撃をかわしながら――
「あらよっと」
激烈なカウンターを決める。
突っ込みながらバランスを崩す『魔獣』。あの怪物を手玉に取るヴォルフという男の強さにアルフレッドは戦慄していた。あのタイミングで自分が動き出せばかわす前に殺される。自分の間に合うタイミングでは『魔獣』は対応出来るのだ。
この怪物は圧倒的膂力と凄まじいアジリティを両立した化け物だから。
ただ、ヴォルフという怪物の方がスピードという一点で上回っていただけで。
「……タフっつーか。クソ堅ェな」
だが、ヴォルフの表情は冴えない。
完璧なカウンターを入れてなお、『魔獣』にダメージは見受けられなかったから。
「物見遊山ってレベルじゃねえだろ、マジで」
「ゆえに、だ。この地上で卿の本気を観られる機会はそうあるまい。このために我は導いたのだろう。間抜けな話であるが」
「……ガチもんかよ、その眼」
ヴォルフは頭をガシガシとかく。
「ったく、おい白騎士の息子。俺の息子にすら見せたことがねえ領域だ。この地上で誰も知らない、今の俺の本気。目ん玉かっぽじってよォく見とけ!」
この状況、本気を見せざるを得ない『今』こそ、アークの眼が導いた未来。こんな怪物でもない限りそもそも出す相手がいないのだ。
「……征くぜ」
ヴォルフは静かに目を瞑った。
「……グルル」
怪物は何かの到来を予期したのか、姿勢を低く、低く、力を蓄えて相手の出方を待つ。仁王立つ黒き狼と四足にて力を溜める魔獣。
この構図からしてどちらが怪物なのかわからなくなる。
「……これが――」
「……なんと」
ヴォルフが眼を見開いた瞬間、まるで辺り一面が焼け野原になったかのような雰囲気が迸る。凄まじい熱量、赤く、朱く、紅い。充血した隻眼が真紅を帯びる。先ほどアルフレッドが達した限界突破、同じ領域とは思えぬほどの差があった。
「――父上の好敵手、『最強』ヴォルフ・ガンク・ストライダーか」
轟音。それが耳に届く頃にはすでに両雄動き出していた。
怪物もまたこの森の守護者として先ほどまでとは比較にならない本領を見せる。速さ、力、どれも人間では届かない生物の格差がある。普通なら埋めようとすら思わない。埋められる気がしない。そんな夢想を抱くこと自体が狂人の思考。
「ハッハー!」
そんな怪物よりも一回り、二回りはこの男の方が速かった。人外の加速力、短い距離でフルスピードにまで持っていき、それを上下左右どこにでも振れる馬鹿げたバネが備わっていた。神に選ばれた身体能力を神の意図を超えた領域にまで引き上げ、生物の格差を埋める、否、超える怪物性。
「遅ェぞ怪物!」
ぎゅるん、まるで女人が如し柔軟性で回転するヴォルフの身体。そこから放たれる怒涛の連続攻撃。エル・シドをも押した尋常ならざる回転数。魔獣の鮮血が舞う。あまりの速さに鋼の硬さと毛の柔らかさを兼ね備えた体毛が防御の役目を果たせなくなっていた。いわんや肉程度、どれだけの厚みがあろうと関係ない。
「ガァァァァアア!」
ヴォルフの攻撃を止めようと全身で覆いかぶさろうとする魔獣。速さでは敵わない。己が手で追おうとも千年追いつくことなど出来ない。ゆえに怪物は弾き出す。懐にいるもう一人の怪物を止めるには自分の大きさを活かすしかない、と。
「自分から顎くれるなんて優しいなオイ」
その怪物を跳ね飛ばしたのは、ヴォルフの蹴り。圧倒的重量を蹴り一発で押し返して見せたのだ。これには魔獣も、見ていたアルフレッドやアークも唖然とするしかない。
「ガッハッハ、俺様最強!」
咄嗟に普段通り二つ足で立ち上がった魔獣、その刹那の油断をヴォルフの足払いが刈り取った。そもそも怪物相手に足払いや蹴りが成立する時点で色々と間違っている気もするが、もはやその程度では誰も驚かない。
「そォらッ!」
倒れ込む怪物の頭蓋にヴォルフは思いっきり二振りの剣を叩き込んだ。大地に頭から叩きつけられる魔獣。凄まじい衝撃音がシュバルツバルトに木霊した。されどヴォルフの貌に余裕はない。全力で叩き込んだが、頭部は他の部位に輪をかけて強靭であった。特異な体毛と分厚い肉、何よりも頭蓋が桁外れに堅牢。
「……ちっ」
ヴォルフとて見た目ほど余裕はない。普段から『慣らし』ているとはいえ、時間制限がある状態であることに変わりはない。
だからこそ――
ヴォルフはあえて距離を取って助走距離を確保する。
「最強で在り続けることだけが俺の贖罪だ。征くぜ化け物」
雰囲気が高まる。眼帯越し、無いはずの眼から血が垂れる。
「俺が最強だッ!」
誰よりも速く、誰よりも強く、その男の加速は生物の限界を超える。
地上最強の生物、その呼び名に相応しき姿。憧れを超越した背中に若きアルフレッドは時代を見た。彼がいたから父上は完成したのだ。彼がいたから父上は諦めることが出来たのだ。この男の存在もまた時代の礎。
戦争を体現する餓狼。その牙、神話の残り火、狼の牙を防がんとする太き腕を喰らい千切った。魔獣の悲鳴が黒き森を揺るがせた。
そして、同時に魔獣から戦意が消えるのも感じられた。
『シャウハウゼン、シドとやらも強かったが、まさか、魔力なき世に試練を逸脱しニンゲンが我を穿つか。先代がアレクシスに屠られて以来、我らに欠損は無かったが、ここに来て我らに欠損を与えるとは。見事也、ニンゲンよ』
「グガグガ意味わかんねえが、褒め称えてんのは分かるぜ。ちっ、褒めてえのはこっちだってのによ。最強の一撃を、腕一本で防がれちまった。割に合わねえ」
ヴォルフもまた潮目が変わったことを感じ取り剣を収める。
『知識の杜、アーカイブ・レプリカの閲覧許可を与えよう』
「いや、だから何言ってんのか分かんねえ」
魔獣が眼に理知的な光を宿しながら、残った腕で森の深淵を指し示す。
「知識の杜への道が開けたのだ。卿はシド・カンペアドールに続いて人の世で二人目の試練踏破者と成った」
アークの言葉にヴォルフは頭をポリポリかいて首を回す。
「さいでっか。あんまり興味ねえな。何があるんだよ其処には?」
「我には分からぬ。だが、知識の杜と言うからには膨大な知識が、過去の集積が」
「ならやっぱ要らねえよ。あいつならともかく俺がそんなもん得てどうするって話だ。勝負してた時代ならまだしも、勝負を降りた俺には不必要だ。さっさと帰りな小熊ちゃん。今度遭ったら腕だけじゃなくて胴を真っ二つにしてやるからよ」
魔獣に向かってしっしと手を振るヴォルフ。
『……そうか。それもまた選択であろう』
そのしぐさを見て魔獣は驚きに目を見開きつつも理解を示したのかそのまま森の深奥へと消えていった。前回踏破者と同じ、彼は見た上で自分には必要ないと切り捨てた。今回の踏破者は見るまでもなく不必要だと判断した。そしてそれはおそらく、間違っていない。
「知りたきゃ自分で踏破しな、白騎士の息子」
一人、知識の杜と聞いてソワソワしているアルフレッドにヴォルフは声をかける。
「たぶん、テメエら親子には必要なもんだ。何となくそう思う。だが、まだテメエには早い。本当に欲しいモノかもわかんねえだろ? 何となくで挑戦できるほどお前さんには余裕もねえだろうし」
ヴォルフは疲れたとばかりに地面に座り込む。
「とりあえず休もうぜ。くたくただわ、割とマジで」
あっさりと、と言うには濃い戦いであったが、絶体絶命の窮地であった反動で力が抜けているアルフレッドとアーク。イェレナは終始無言であった。
無言の理由は――
「イェレナ、静かだと思ったら気絶していたんだね」
「…………」
あまりの恐怖に最初から最後まで気絶しっぱなしであったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます