ドーン・エンド:イェレナ・キール

 雪がちらつく頃には、狩りも完全に終わり。多くが冬ごもりの支度に追われる。秋に収穫した作物、この前の狩猟祭などで手に入れた肉を干したり保存の効く形に加工する。アルフレッドもキール家のお手伝いに勤しんでいた。

 冬に入った以上、むやみやたらに動くのは自殺行為である。土地勘のある商人でさえ冬時期は動き回らない。そもそも動くメリットがない。消費も生産も、よほど南でもない限りほぼ停滞するのだから。

 色々と作業を終え、ゆったりと昼食を取っていた時のことである。

「そーいえばユランさんってマーシアのお医者さんだったんですか?」

 ふと、ずっとなあなあにしていた疑問をぶつけてみた。それほど気になっていたわけではないが、会話の取っ掛かり程度のつもりで――

「イェレナの服から推察したのか?」

「いえ、その後にイェレナがマーシア以外で知っている人が云々と言ってたので」

「そーか。まあ隠すほどのことじゃないしな。俺とイェレナはマーシアの出だ。キール家は代々医家の家系だし、こいつもいずれは医家になるだろう。瘴気服を人前で脱げたらだけど……まだ駄目か、イェレナ」

 ぶんぶんと首を横に振るイェレナ。それを見てしょぼんとするアルフレッド。一向に縮まらない距離感に少し涙が出そうになる。

「いやー、医療大国マーシア出身のお医者さんかあ。道理で腕が確かなわけですね」

「……マーシアの医療なんざ時代遅れの遺物だ。今、一番まともに医者やってんのはエル・トゥーレのガキどもだろ。権威かぶれしていない。良いか悪いか、ちゃんとその目で確かめている。正しい試行を積み重ねてこそ発展ってのはあるんだ。わかるか?」

 どうやらわけありのようであった。ネーデルクスの国境よりかなり北にある小国ながら、医療大国として名を馳せるマーシア。そこで学んだ医者はそれこそ七王国でも優遇され、多くは貴族や王族を診る医家として大成している。

 医の都マーシア。医家であれば一度は夢見る場所であるが、そこの出身者であるユランには別のものが見えているのであろう。

 ちなみに、アルフレッドは知る由もないが、ユランの弁は正しかったことが後世証明されている。権威、医術の大家の言うことは絶対とされ凝り固まった術理に固執するマーシアと新たな道を模索し禁忌を恐れぬエル・トゥーレ。まだ先の話であるが、立場が入れ替わることは必然とも言えた。無論、それを知るのは内実を知る者か、未来を知る者くらいであろうが――

「わかります」

「ほお、じゃ、正しい試行ってのは何だ?」

「やったことのない試行です。手法でも、観測法でも、何でもいい。とにかく、前の試行よりも、その前の試行よりも、何かを変えること。同じことの繰り返しじゃ意味がない」

「……俺も同じ意見だ。そんじゃあ別の質問。わからないを、怖いと思ったことはあるか」

「たくさんあります。でも、それが良いんです。僕は、そのために旅をしています」

「怖いもの見たさでか?」

「そうですね、そうだと思います。それを僕は、きっと楽しんでいる」

「……なるほどね。俺が思っていたよりもお前さんは難しい生き物だな。最後の質問だ。人間、色々あるだろう? 身長、体重、顔つき、骨格、同じモノなんて一つもない。肌の色だってそうだ」

 イェレナがびくりとする。まるで睨みつけるかのようにユランの方を見つめる。

「お前さんは、どうだ。同じような人間が好きか? 同じような集団に属することを好むか? お前さんは周りの人間に、何を求める?」

 ユランの質問は難しかった。とても、とても難しい質問。正直、アルフレッドは今の今までそんなことを考えたこともなかった。何しろ、自分探しすらまともに出来ていないのだ。周りの人間に求めるモノなんて考えたことも無い。

 だって、こんな己の近くにいてくれるだけでありがたい話なのだ。

 それでも、ユランの質問には答えるべきだと思った。彼の眼が、答えてほしいと願っている。願わくば、求める解であって欲しい。だが、それを導き出して答えるのが誠意とも思えなかった。欲しているのは本音、ならば――

 今考えよう。周囲に、何を求めるのかを。

「……初めて、考えました。僕はずっと、周りに恵まれていたから、恵まれ過ぎていたから。むしろ、彼らと比較して情けない自分が嫌で、考えないようにしていたんだと思います。でも、まだ、短いですが旅をして、思います」

 アルフレッドは必死に絞り出した。もしかするとそれが、彼の道の始まりだったのかもしれない。己とは内だけにあらず、環境も含めて己なのだから――

「僕は、僕と違う人と、異なる人と一緒に居たい。つまるところ、誰でも良いんです。だって、同じ人なんていないのだから。君とは違う僕と言う存在を、どんな理由でも良い、必要だと思い、そばにいてくれるなら、僕はそれに応えたい。主体性はないけれど、僕は周囲に違うことを求めます。その上で、同じ道を往けたら、良いなって、思います」

 まだ、パズルはバラバラである。だが、ユランはその解答を聞き入った。この解答はきっとさらに変化する。今は途上、むしろバラバラであるべきなのだ。求める回答とは少し違ったが、それにどう応じるかは本人次第。

「めちゃくちゃだ。いつか、もう少しまとまったら、聞かせてくれ」

「……はい、いつか、必ず」

 これはただの世間話。無意味で無秩序な、適当な会話。

 そこに何かをくみ取るのは、個人の自由である。


     ○


 アルフレッドは雲の隙間から光が零れる光景に息を飲んだ。毎日の稽古終わりに、ふと思い立って夜空を見上げると、一筋の月光がちらつく雪を照らし幻想的な光景を生み出していた。とても美しい光景である。それなのに、どことなく懐かしい景色でもあった。

「……アル」

 声のした方へ振り向くアルフレッド。そこには――

「貴方も、私を拒絶する?」

 瘴気服を脱いだ、イェレナがいた。アルフレッドは絶句する。

「変でしょ、病気みたい」

 言葉が出てこない。月光が降り注ぐ。雪月花、雪が花びらのように舞い、月がそれらを照らす。真っ白な世界に彼女はとても深い陰影を与えていた。

「すまない。僕は、ちょっと語彙不足だ。陳腐な言葉しか浮かばない。でも、一つだけはっきりと言えるよ。君は、とても美しい」

「……嘘つき。この肌を見て。貴方とは違う色、皆と違う色」

「うん。僕の知り合いにも、君に似た子がいるよ。僕は彼女と親友だし、彼女も僕をそう思って、くれていると思いたい。そして、その子が言っていたんだ。その子のお母さんは、もっと色が濃かったって。その上で、誰よりも美しかったって。僕は、今、その人を見ている気分なんだ。会ったことも無いはずなのに。何故かな、涙が出そうになる。気持ち、悪いね」

 褐色の肌は、少年の親友よりも濃い色をしていた。目鼻立ちのくっきりした顔立ち、不思議な色をした瞳、艶やかな黒髪と肌の上を雪の花びらが舞う。

「アルは気持ち悪くない。私の方が気持ち悪い」

「それは僕に対する侮辱だよ。君は胸を張るべきだ。人と違うことを誇るべきだ。僕は君の、人と違うところが好きだよ。とても、きれいだから」

「……初めて言われた。気にするなって、パパはいつも言ってくれるけど――」

 イェレナはいそいそと瘴気服を着こむ。

「これあげる。いい匂いがするの」

 瘴気服の中から小袋を取り出し、アルフレッドに手渡した。

「もし友達が出来たら、あげようと、思ってた。いらなかったら捨てて」

「いらないもんか。ありがとうイェレナ。大事にするよ」

「……くちばしの中に入ってるのと、おそろい」

「……え?」

「瘴気避けにもなるから。健康第一」

 そのままてくてくと歩き去っていくイェレナ。ぽかんとするアルフレッドの脳裏に昔読んだ本の一節、マーシアの瘴気服には瘴気、伝染病を含んだ悪い空気のフィルターとして薬草が入っている、が浮かんできたのは大分後になってからだった。


     ○


「……良いのか?」

「……ん」

「そうか。良かったな」

 朝、食卓には瘴気服を脱ぎ顔をあらわにしたイェレナがいた。短い親子のやり取り以外無粋と思い、アルフレッドは何も言わずにこれが当たり前のよう振舞う。ただ異人であるというだけで腫れもの扱いされる場所で、見た目からして違う彼女は中々受け入れてはもらえないのだろう。それはこの集落だけではなく、閉鎖的な側面を持った人間の性質で、ローレンシアにおいて生きづらいと思うことは多々あるはず。

 周囲と違うことで腫れもの扱いされることの生き辛さはアルフレッドも知っている。後天的に、父親が王に成ったことで立場が変わった。自分は何も変わっていないのに周囲からの扱いが変わる。その違和感は、たとえ迫害とは逆の違いであっても同じもの。

 だからと言って共感できるというのは違うだろう。アルフレッドも気持ちがわかるとまでは言わない、言えない。それに、彼女は共感など求めていないだろう。

 ただ普通に、当たり前のように、そばにいるだけで良いのだろう。

「あ、おかわりお願いします」

「見た目に反してよく食うな」

「ちょっと身体を鍛えたいなあと思ってまして」

「だったら動いた後に飯を食え。そっちの方が効率的だ。昔、百人の被験者を使った大規模な研究があってな。食前、食後、時間単位に分けて比較実験を行った結果、一応運動後三十分の間が効率的と研究結果が出たらしい。まあ結局、人によって差異があるからな。話半分に聞いとけ」

「参考にします! あ、ありがとうイェレナ」

 おかわりのシチューをよそって持ってきてくれたイェレナに感謝の言葉を述べる。少しぎこちないが微笑むイェレナを見てユランは真顔に――

「おい肩出せ。何となく外したい気分だ」

「何で!?」

 そんな一日がやってきた。

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