プレリュード:黄金騎士
ウィリアムが王に成り、実子であるアルフレッドをめぐる環境はがらりと変化した。
周囲は王族として扱い、ただそこにあるだけで視線が降り注がれる。アルフレッドである限り自由はなく、友達付き合いも変化せざるを得なかった。見る眼が変わり、接し方が変わり、息苦しさが、閉塞感が、たまらなく嫌であったのだ。
剣を持てば天才、筆を持てば神童と褒め称えられる。それほどのことなど何もしていないのに。次第に摩耗していく感性。何をしても立場が成功へ導いてしまう。商会を預かった年にすぐさま成功体験を積んだ。あまりにも容易く――金貨の山を積む。
勝てば勝つほど増える敗者。摩耗していく感性と同様に心もまた摩耗していく。
そして最後には――
「父上と目を合わせたのは、あの日が最後だったなあ」
アルフレッド・フォン・アルカディアは勝つことに怖れを抱いた。勝つことで生まれる敗者を直視する勇気が足りなかった。父のように冷徹に、王道を往く決意に欠けていた。なまじ見えてしまうから、こぼれていく人を放っておけない。
結果は、テイラー商会という商売の王者から独立し、売り上げも低ければ利益率も低いゴミのような仕事をかき集め、何とかこぼれ落ちた者を食わせているだけ。それとてすべてを救えているわけではない。自己満足の域を超えない。
それでも良いのだとアルフレッドは思う。自分はその程度の男だし、世界はそれで回っている。何だかんだとアルカスには仕事があり、自分がいなくても彼らは何とか生きていくだろう。王子という立場を愚行で塗り潰して、たった一人の力ではこの程度が限界。
それがアルフレッドという男の価値だと彼自身分析していた。
○
アルカスを拠点とする劇団『白き翼』、その舞台裏に花束を持った女性が訪れていた。
「久しぶり、マリアンネちゃん」
「メアリーちゃんおひさー。お花ありがとー」
盲目であるメアリー・テイラーと役柄なのか男装するマリアンネ・フォン・ベルンバッハは学校の同期であり親友でもあった。大人し過ぎるメアリーと元気過ぎるマリアンネは上手く釣り合う、と言うのは同じ同期であったラファエル・フォン・アルカディアの弁。
「最近お互い忙しくて全然会えなかったもんねえ」
「私はともかくマリアンネちゃんはスターだから」
「いやいやテイラー商会の女傑が何をおっしゃいますやら」
家を飛び出して劇団の役者と成ったマリアンネと学校卒業と同時にテイラー商会に入り数多くの経験と実績を残したメアリー。共に自分の領域で頂点、其処に類する立場に立つがゆえ、なかなか気軽に出歩く機会すらなかった。
「貴女は人を笑顔にするけど、私はそれを奪ってでも儲けるのが仕事だから」
「卑屈ぅー。でもそんなメアリーちゃんが好き」
マリアンネがギュッとメアリーを抱きしめる。ちなみにこの絵面、男装のマリアンネが抱き着いているのでただのスキンシップが情事にしか見えない難点があった。
「で、用向きはー?」
「また、私たちの王様が急いた手を打った。少し、反感も生まれている」
「……どうしたんだろうね、にいちゃん」
メアリーの言葉にマリアンネは顔を曇らせた。
「わからない。でも、らしくないのは私も感じている。それが私だけのものか、自称妹のマリアンネちゃんも感じているか、それが知りたかったの」
「同じだよ、メアリーちゃんが感じているのと、同じ」
「そう。その原因、貴女は何だと思う?」
核心を問いかけてきているのだろう。メアリーの視えぬはずの眼が薄く見開かれていた。
「分かっているくせに……アルフレッド、でしょ?」
「白の王が変化し始めたのは、あの子がテイラーを出て、独立した頃?」
「もうちょっと前だと思う。二人の稽古をしなくなった時、じゃないかな?」
「さすが白騎士博士、よく見てる」
「……でも、それ以上は見えないよ。私もあの子にはしばらく会えてないし」
「それは私も。ちょっと怖がられちゃったみたい」
「商人のメアリーちゃんはまあ結構鬼だからね、仕方なし」
メアリーは苦笑して、マリアンネから一歩、距離を取った。
「あの子は特別。普通挫折は、負けて知るものだけど、あの子は勝って折れた。負けたことが無いの、本当の意味では一度も。其処は貴女と同じ、ね」
「……一番最初の一番大事なところで負けてますから、私。実の姉に、ね」
「ふふ、そうだったね。……ねえ、あの子、随分歪に育てられていると思わない?」
「メアリーちゃん、雰囲気、怖いよ」
「特別な才能に歪な教育。あの子をどう育てたいのか、ゴールはどこか、マリアンネちゃんには、本当は見えているんじゃない? そう在って欲しくないから目をそらしているだけで……もしそうなら、私は答えが知りたい。あの人が、可哀そうだから」
一瞬、気落ちするメアリーを見てマリアンネの顔も曇る。
「分からないよ、私には、何も」
「そっか。私にもまだ見えない。でも、分かることが一つある。あの子と白の王、その始まりは真逆、天と地、白の王は天まで這い上がって全てを知った。ねえ、マリアンネちゃん。私は、次の一手で答えが見える気がするの」
「……そんなことないよ。にいちゃんは、あの人は、アルフレッドを愛しているから」
「それは王が最善を捨てる理由にはならない。次の一手が、もし、あの子を地に叩き落とす手であれば、私もまた立ち回りを考えなければいけないから」
「そんなこと、しない」
「そう成ることを私も願っているよ。ありがとうマリアンネ、少し、視えたから」
びくりとするマリアンネ。何も見えないはずの彼女の眼には何かが映っていた。自分の怯え、惑い、様々な感情を彼女は眼以外で見つめている。
「そう言えばクロードがネーデルクスにでも連れてこうと画策しているみたい」
話を切り替えるとそんな雰囲気は雲散霧消していた。マリアンネもまたその空気に乗る。
「ほへー、あいつ意味わかってんのかな? 一国の王子を他国へ連れ出す意味」
「分かってないと思うよ。そもそもクロードは他国だと思ってないだろうし」
「非国民じゃい!」
「水が合うんだと思うよ。商談があってあっちに行った時、たまたま見たけど、こっちよりも楽しそうだったから。少し、息苦しいんだろうね、挑戦してくれる人も、いないし」
「ベアちゃんの頑張りに期待!」
「……少し、酷だと思うけどね。今のクロードは」
「まだまだやれる! 気合が足らんのです気合が」
「頑張って欲しいね、是非是非」
「そっちのがメアリーちゃんにとっても都合が宜しいもんねー」
「マリアンネ」
「怖いよメアリーちゃん」
「……ハァ。でも、その通りかもね。私の都合を抜きにしたら、一番収まりが良いのはクロードとマリアンネちゃんだもん。ベアちゃんには悪いけど」
「それはありえないデスネー」
「ふふ、どうかなー」
「マリアンネちゃん的にはなし寄りのなし、脈無しですな、ガハハ」
女子大好きの恋バナ、この二人も例に違わず好きなのだが、自分たちも含めて周辺が込み入っており、結局どう転んでも先程の話同様煙に巻いて終わり、と成る。
これらの会話に意味があったのか、何かを見出したのか、それは両人しか知り得ない。テイラーとして王を知るメアリーと家人としての王を知るマリアンネでは見えるモノ、見たい景色は異なる。見たい景色はきっと互いに違う。
だが、見えた答えはもしかするとこの時点で――
○
アルフレッドは自身の商会に顔を出し指示を出した後、いくつかの商談を終えて一人アルカスの街を歩いていた。今日稼いだ額は、商会としては吹けば飛ぶような金額だが、それでもかき集めれば幾人かの食い扶持になる。これが定常的な仕事になればまた数名雇うことが出来るだろう。
彼は仕事を奪うのではなく作ることに長けていた。金額は小さく、皆がやりたがらない仕事。だからこそそこに商機がある。清掃、布の繕い、ちょっとした荷物を街中運ぶのもそう。大きな仕事にはならない。しかし依頼人は手間を小金で削減できる。浮いた時間で彼らはもっと稼ぐ。
こういう役割もあって良い。なければないで困るだろう。小金(ゴミ)さらいと罵られても、こんな仕事でもなければ生きられぬ人もいる以上、必要なことなのだ。
「あっちは今頃誕生パーティをしているのかな」
ウィリアムの治世になり、アルカスは大きく様変わりした。区画は大規模に見直され、大多数の市民が住む空間はより住み易く、貴族たちの住む区画はより高所に設置された。高く、輝ける場所。皆が羨む天上の世界。
そう、ウィリアム王は格差を是とした。富める者は富む、貧者に施しはしない。ただし這い上がる土壌は与えた。解放奴隷を市民と同じ扱いとし、その上も市民と同様に目指せる道を整えた。金を稼げば貴族になれる世。実際に、今まで富豪の市民止まりであった者たちの多くは貴族と成った。
その逆もしかり。貴族たちには高貴なる責務と呼ばれる税を課し、それが支払えぬ者は市民へと格下げする法を通した。これを通すに当たっては多くの反発を招いたが、結果として覇王の意に背くことは出来ず、反発するための旗手不在ではもとよりどうしようもない。貴族も落ちる時代。安定はないが飛躍することも可能。
すべては己が力量次第。力、知恵、財、何でもいい。何かが秀でていれば必ず道はある。
道がないのは、何も持たぬ者たち。弱肉強食、それがより強まった時代が今である。
閉塞感が漂うのは戦えぬ者たちを背負うが故か。世界最大になりつつあるこのアルカスで、自分は何と小さく無意味な存在なのだろうか。悲しくなるほど、自分の手は小さい。
「よし、自分への御褒美だ。息抜き、しよっと」
アルフレッドは止めど無く溢れてくる不安を振り払い、先ほどまで進んでいた方向とは別の方向に足を向けた。珍しく心が躍るのは『あそこ』が自分にとって唯一、曝け出せる場所だから。
アルフレッド・フォン・アルカディアという名前すら重たい今だからこそ――
○
夜も深まってきたが、此処の熱狂が冷めることはなかった。
アルカス唯一の闘技場、歴史ある場所であったがウィリアム王に成って改修工事が行われた。それに伴い色々と娯楽化に向けたルール変更などあったが、一番大きいのは国営となって大々的に賭け事が認められたこと。併せて射幸心をあおる仕掛けも設けられたことで、より多くの人が日々の稼ぎを握りしめて訪れるようになった。
つまり闘技場は、より大金が動く場所へと生まれ変わっていたのだ。
「良いぞ黄金騎士!」
「鉄板も鉄板、賭けにならねえよ」
剣と剣がぶつかり合う。本日のメーンイベント、それを任された両者はどちらも凄腕、であるはずなのだが明らかに片方が優勢、力の差が随所に見受けられる。柔らかな受け、流れるように懐へ入り込み、剣の柄で相手の顎を跳ね上げる。
それでも堪える男に見舞われたのは華麗なる一撃。こするように裏拳が顎下を通過する。不発に終わったかに見えた一撃であったが――
倒れるは屈強な男。意識が完全に刈り取られていた。
「よっしゃ勝った! 配当はゴミだが関係ねえ。これで九十八戦無敗、雰囲気出てきたじゃねえの。こいつぁ剣闘王以来の逸材だぜ」
「とっととチャンピオンとやっちまえよ! もうお前が王様だ!」
怒号の渦、その中心に一人の男がいた。
黄金騎士と呼ばれる由来である金色の髪は、篝火の炎を反射してキラキラと煌く。中肉中背、少しやせ形か。されどその剣は決して弱くない。勝負所での破壊力は目を見張るものがある。柔と剛を併せ持つ剣技に目の肥えた玄人も脱帽せざるを得ない。
だが、彼を語る上で一番重要なファクターは別にある。
「いよ、仮面の騎士! 強過ぎてつまんねえぞ!」
そう、彼は正体不明なのだ。仮面とあからさまに偽名とわかるその名によって――
「勝者、黄金騎士アレクシス!」
アレクシスと呼ばれた男が高々と天にその手を掲げた。闘技場内のボリュームがさらに跳ね上がった。誰もが彼を知っている。そして、誰も彼を知らない。
だからこそ彼は人気があった。正体不明、突如現れた勇者の名を騙る仮面の男。登場当初こそ顰蹙を買ったが、その強さを見せつけるたびに観客は彼に心奪われていく。華麗かつ流麗、勝負どころでは烈火の如し熱量も見せる。その剣と振る舞いに彼らは在りし日の王を見た。ここに君臨していた最強を思い出す。
今のチャンピオンも強い。ビックマウスが先行する男であったが、あの戦場を経て人間が変わった。彼が頂点であることに異論をはさむ者などいない。されど、別格、別次元の強さを持つわけではなかった。それこそ剣闘王が見せた百人抜き、人間を超えた戦いっぷりには天地が引っ繰り返っても届かない。
無論、今のアレクシスにそれほどの力があるようには見えない。見えないのだが、期待させる何かを彼は持っていた。いつかかの王に比肩しうる、そういう雰囲気があった。
退場する彼に向けられる期待のまなざし。ようやく現れた新星の到来に彼らは胸を躍らせていた。
「いやーお疲れ様、つえーなマジで」
「どうもですチャンピオン」
「……さっさとお前に負けて引退してーよ。再就職先はカイルさんの手伝いって決まってるからよ。つーかほんと強くなったなあ。そろそろ勝てるんじゃないか?」
「……勝ち筋が、まだ見えていないです」
黄金騎士アレクシスが仮面を脱ぐ。そこから現れるのはアルフレッド・フォン・アルカディアであった。対面の現チャンピオンは特に驚くこともなく淡々とした様子。彼は知っているのだ。黄金騎士がアルフレッドであることを。
「そうかー。んじゃ今からカイルさんのとこ?」
「はい、稽古相手がいますので」
「だな。俺も暇したら顔出すわ。たぶん飲み潰れてると思うけど」
「あはは、期待しないで待っています」
軽快な足取りで駆けていくアルフレッドの背中。先ほどまで見せていた勝者のオーラは見えない。仮面のあるなし、それだけでこれほど人物が違うのだ。仮面をつけている方がよほど自分を出せている、その皮肉としか言えない状態に今の王者は苦笑するしかない。
もし彼がアルフレッド・フォン・アルカディアでなかったのなら、彼がどこまで飛翔するのか男の想像の域を完全に超えていたから。
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