始まりの悲劇:天才の剣

 圧倒的膂力に晒され、気絶寸前のグスタフ。それでも気合だけで打ち合いを続け、敵味方問わずその名を皆に刻み込んだ。本気のストラクレスと渡り合ったモノとして、歴史に紡ぐべき男である、と。

 つまりは――

「もう、終わりじゃあ」

 ストラクレスは哀しげに微笑んだ。よくぞここまで鍛え上げた。もう少し先、このモチベーションを保ち成長を続ければ、もう少し先もあったかもしれない。それが惜しい。実に惜しい。それでも自らは大将軍で、我欲を捨ててでも国家のために尽くさねばならない。

 その先は――無い。

「は、がは、ぢぐじょー。やっぱ、かでねえな、っと」

 勝負を決さんとストラクレスは大きく振り被った。

「だから――」

 ストラクレスの眼が、折れた『戦槍』の眼に映る希望を捉えた。輝きが薄れていない。折れた男のする眼ではない。

 違和感がある。

 ストラクレスがずっと感じていたもの。この戦場が始まってずっと、感じていたらしくなさ。幾度か戦場で見たあの男らしくない捌き方なのだ。今日、この日に限っては。他者に頼り、他者の奮闘に期待する。

 ヘルベルトも、グスタフも、おそらくは今日限界を超えた。

 あの男が、熱を持たぬあの小僧が、それを他者に求めるだろうか。それを勘定に入れた戦をするだろうか。答えは、否。

 ならば――

「あとは、まかぜたぜ、天才」

 グスタフは凄絶に哂う。もう、遅い、と。

 ストラクレスの視界にも入ってきていた。するすると、気配無く、自らの懐にまで滑り込んだ男が。いつの間にか本陣を空けて、突出した己のところまで、誰に気取られることも無く接近し、眼前にまで辿り着いた男の眼に、やはり熱は無い。

「ヤン・フォン・ゼークトォ!」

 吼えるストラクレス。

 此処まで、目の前にまで気取られず接近を許したのはこの男が初。この戦の数年後、とある一件で王宮まで侵入した東方より訪れた無双の武人も同じように、接近に気づかせなかったが、今はまだ初めての事。

 だが、ストラクレスにとってそれは驚きであっても脅威には映らなかった。幾度か戦場で見たあの男のまま、強いが、強くない。頂点である彼はそう言った矛盾した想いを彼に見ていたのだ。おそらくそれは、見てすらいないエル・シドや興味を持たなかったウェルキンゲトリクスと同じ感想。彼には熱がない。ゆえに、届かない。

 ラロにはまだ、根底に戦士の熱がある。それを抑えて彼は立つ。だから、『双黒』との戦には興味が惹かれた。見てすらいないラロに疼きを覚えたのは気のせいではないだろう。それと比較してもやはり、眼前に至ってなお、この男には何も感じない。

 自分には届かない。それは依然としてあった。確信に近い、感覚。

 自分の間合いに至るヤン。敵味方、気づいている者はほとんどいないだろう。その小器用さは褒めたとして、やはりどうあっても天地は揺らせない。

「わしらには勝てんじゃろうがよ」

「……それを覆すために、僕は来た」

 一瞬、その眼からかすかな熱が零れる。ストラクレスはもったいないと言う想いを圧し潰し、全力でそのかすかな熱を、変化の兆しを断ち切らんと自らを解放する。

 全てを破壊する膂力がヤン目掛けて放たれた。

 上段からの振り下ろし。最も高き威力で敵を粉砕する技とも呼べぬもの。

「此処が貴様の墓場じゃア!」

 ヤンは受けの姿勢。それを見ただけでストラクレスは勝利を確信した。いや、誰もがストラクレスの勝利を疑わなかった。だってそれはあまりにもか弱く、あまりにも緩い構えであったから。圧倒的力の、破壊の前には風前の灯火でしかない。

 誰もが信じた破壊の景色。誰もが見た、一瞬先の未来。

「違うとも」

 ヤンはそれを、否定する。

「此処は、お前の墓場だ」

 ヤンの剣が触れた瞬間、ストラクレスの大剣の軌道が逸れた。ありえない光景である。ストラクレス自身、何をされたのかが分からない。触れた瞬間、力は感じなかった。ただ、かすかに触れた感触があっただけ。それが、戦場の条理を覆した。

 巨星と言う理を、破壊した。

「僕は貴様を踏み越えて、彼女と共にこの世界を生きると決めたッ!」

 ヤン・フォン・ゼークトは戦場に熱を持たない。ラロとは違い、それは無いのだ。だが、戦場に無いからと言って他に熱を持たないわけではなかった。大将軍であるストラクレスが、武の象徴であるエル・シドが予想だにもしないモノ。ウェルキンゲトリクスなら大笑いして、友にするように肩を抱きて「貫き給え」と嬉しそうに語るはず。

 その名は『愛』。戦場に炸裂する、押さえつけていた感情が雰囲気として『黒金』のそれを吹き飛ばした。信じ難い光景である。ストラクレスの必殺が防がれたどころか、虚空を全力で断ち切ったことで、巨星の身体が一瞬、死に体と成ってしまった。

 ただの一手で、巨星が死んだ。

「ば、かな」

 頂点に君臨してきたストラクレスの理解を超えて、愛に身を燃やす男の技が冴える。

 天才、それ以外形容する言葉がない。彼は最初からそれが出来た。ヤンは言う「武に限らず全ての動作はタイミングである」と。其処しかない一点を捉え、その通りにすれば結果として最善と成る。彼にはその点が見えるのだ。初めから、それを見つける眼を持っていた。ゆえに父から受け継いだゼークトの剣をゴミ箱に捨て、彼は我流で辿り着いたのだ。

 点を穿つ剣。最善を極めし剣技。長年の蓄積を嘲笑い、お前たちは間違っている、これが正しい解だ、と突き付けるように、天才の剣は其処に在った。

 のちにロラン・ド・ルクレールが扱う剣に似ているが、彼は生来の器用さ、各関節の柔らかさを使って近づいただけ。ウィリアムもまた先読みによって先回りして、力が最大限に至る前に点付近を押さえるまでに留まる。

 ヤンは違う。ヤンの剣は器用さも先読みも必要としない。ここぞという一点だけを穿つのみ。力すら要らない。今、大陸でこの才を持つはヤンただ一人のみ。かつてはもう一人いた。その姿を知るのは本気の彼と対面したティグレとウェルキンのみ。

 かつての最強、『白神』シャウハウゼンと同じ才を持つ麒麟児。

 武にのみ注力すれば、彼は容易に天を掴めたであろう。神はその欲だけは彼に与えなかったが、今の彼はそれを欲している。疑似的に、必要に駆られて、それを欲した。その熱が無ければおそらく、頂点の必殺をそらすほどの点は得られなかった。いつもの自分ならば、御し切れず死んでいた。彼女への愛が、熱が、ヤンに一線を踏み越えさせたのだ。

 戦場の王と成る。そしてこの国を変える。運命を、捻じ曲げてみせる。

「アルレット、僕は君とォ!」

 その想いが、熱が迸る。押し留めていたそれを纏う剣が、死に体の巨星に向かう。


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