カルマの塔:完成

 新生アルカディアの威信をかけた至極の晩餐会。美食美酒に囲まれ、壮大な音楽に包まれた空間で人々は歌い、踊り、呑み、喰らう。皆、「アルカディア万歳」を乾杯の合図として使いグラスを掲げる。

 美しい深紅の液体。透けて揺れる天蓋もまた美しい。

 ウィリアムもまた各国の重鎮たちと酒を交わし、語り合い、時には踊ることもあった。ある意味で本日の見所と成った白の王と二代目エル・シドのダンスは、凄まじくつまらないが完璧な踊りだったと皆の笑いを誘った。

 リディアーヌとの踊りは激しいステップを刻むもので、隣でギルベルトとヒルダというダークホースが暴れ回らねば周囲の視線は独り占めになっていただろう。グレゴールとシュルヴィアの勢いとパワーだけの踊りも面白いと評判であった。

 締めはウィリアムとクラウディア。優雅かつ上品、ゆったりと妖艶に、音の煌きの中、彼らはさらに輝きを増す。誰もが息を飲む光景。国内外の出席者全てが見惚れる景色を彼らは作り出していた。

 これから先、幾度も己が道を阻むであろう毒婦は楽しそうに笑う。すべてを満たすとの我儘は彼女にとって相当お気に入りと成った様子。いつものような行き過ぎた色気を振りまくことをせず、あくまで上品に舞うことを選び取ってくれた。

 アルカディアの美妃、此処に在り。

 まさに天上の景色。到達した魅惑の楽園。

 その跡にウィリアムは一人腰掛けていた。先ほどまでも己が座っていた王の席。楽園を一望できる最上の椅子。王冠と玉座、なるほど、自分は確かに王で、この惨状の支配者なのだ。そこら中に散らばる食べ残し、隅には誰かが吐いた跡もある。

 今この瞬間も誰かが餓え、死んでいる中、己たちは満ち足りた上にそれを吐き出し、捨てる。分け与えるなど考えることもない。無論、この残骸を世界中に配るなど夢以下の妄言。二、三日もすれば腐臭を放ち始める食事。精々王都で分けるのが精一杯であろう。

 そういうことではない。そういうことではないのはわかっている。

「それでもやるせない。これが、今の世だ」

 ウィリアムは王冠をくるくると玩ぶ。大層な見た目、扱いであったが、所詮はただの貴金属。何の変哲もないアクセサリーでしかない。玉座もただの椅子。上等な素材で出来ているのだろう。座り心地は最高だが、特別な力を秘めているわけではない。

 自身も同じ。王に成って最初に思ったのは、やはりこんなものか、という諦観。もしかすると何か特別な力が、想いが、芽生えるのではないかと思っていた。子供の頃からずっと眺めていた荘厳なる王宮。トゥラーンには劣れども、やはり自分にとって権威の象徴はアルカスの王宮であった。其処の主、市民が目にすることもない特別な存在。

 何でもない。自分は変わらず『ウィリアム』で、罪の意識が消えることはなく、往かんとする道も揺らがない。何も変わらない。同じ、ただの人間である。

「ねえさん、王様は人間だったよ。貴族も、市民も、奴隷も同じ――」

 ウィリアムはつぅと口の端からこぼれる液体を手の甲で拭う。

「同じ、赤色の血だ。二つの足で立っているし、両の腕もついている。指も五本あるし、目も二つ。鼻も耳も口も、皆同じ。なのに人は差別する。当たり前のように」

 天蓋にその手を掲げ、隙間からこぼれる光に眼を細める。

「それが許せない。だから俺は進むよ。残っている天命、全てを賭けて」

 自分が後どれだけ生きるのか、ウィリアムはそれを知らない。あえてそれを拒絶した。魔術の残り火に囚われたアーク王、彼との会話の中で騎士王自身の天命を聞いた。確信に満ちたその目は、憂いも悲しみも映っておらず、ただ覚悟のみがあった。

 ウィリアムは其処で自らの『道』を語った。誰よりも王でありながら、呪い故に王であることをやめるしかなかった男に、聞いて欲しかったのだろう。それもまた弱さ、あの平原での時間はまさに緩みの時であった。

 すべてを聞いた後、アークは哀しそうな目で「白の王の天命、知りたいか?」と問うてきた。ウィリアムは迷う。かの王の表情から察するに自分の時間はそれほど残っていない。知った方が終点から逆算して効率的に進められる。だから知るべき。理屈は彼に聞けと言う。だが、感性はそれを否定した。

 知らば、お前は救われる。終わりを知るということはそういうことだ、と。

「道を継ぐ者が要る。探すか、育てるか」

 ぬぐった血の跡、己が目指す先の遠きゆえ、いつかは後継者を見出さねばならない。就任して早々考えることが後継者というのも皮肉だが、人間いつ死ぬかわからない。明日、病で倒れることもあれば、毒を盛られて死ぬこともある。

 万全の備えはしている。それでも、人間である以上必ず穴はある。

 だからこそ後継者は早急に見出さねばならない。自分の道を継ぎ、さらなる革新を与えられる人物。自分の後継が一人である必要はないが、頭である王はやはり一人選ばねばならない。今、一番後継者に近いのはラファエルだろう。王家の血筋、性格は真面目でよく気が付く。覚えも良い。

「……だが、弱い」

 芯の弱さ、その部分だけクロードと変えられたらと思うが、そんなことは不可能。現状、育てるにしても資質自体に疑問符が浮かぶ。人間、死線を潜れば化けるのは承知しているが、問題はこの先わかりやすい死線というのが存在しなくなるということ。存在しても大した規模ではない。乱世は勝手に人が育つ。勝手に人物が続々と世に出てくる。

 それがない。果たして自分もこれからの時代に生まれて、今の強さを得られたか、正直自信がない。楽な時代ではないが、死に直結する修羅場が少なくなるのも事実。

 ふと、浮かぶ想い。それは悪魔の囁きであった。

「……ふざけろよ俺。その選択肢は、やめろ。それだけは……浮かぶな、考えるな」

 だが、気が付くとどんどん浮かんでくる。もはやそれしかないというほどに、正確で冷たく、これ以上ないほど残酷な絵図が。

「く、くく、本当に、度し難いな、俺は。この光景よりも、何よりも、俺は、俺が一番嫌いだよ。許し難い、屑だ」

 ウィリアムは立ち上がった。かき消せどかき消せど消えぬ思考。それは今、ウィリアムという人間にとって最大の悪夢であった。だが、その悪夢が唯一の活路であるなら、それを取らねばならないのもまた、ウィリアムという人間である。

 ウィリアムは天上が夢の跡を去る。冷めない悪夢を――確かめるために。


     ○


 今日は快晴。雲一つない夜闇には月光を中心とした無数の星々が瞬いていた。手を伸ばせば届きそうなほど、それは近く見える。だが、手をどれだけ伸ばしても届かない。光は遠い、望むほどに遠くなる。

「お帰りなさいませウィリアム陛下。ああ、申し訳ございません。陛下を前にお帰りなさいませなどと。もう陛下にとっては王宮がお住まいであるというのに」

「ただいまばあや。寂しいことを言ってくれるな。私は此処を我が家だと思っているよ。ところでアルフレッドはどこにいる? もう寝ているか?」

「ああ、お坊ちゃまなら中庭で日課をされているかと」

「日課?」

「ええ、とてもよく出来たお子です。まだ小さいというのに、ルトガルド様がお亡くなりになってから一日も欠かさず、御父上である陛下と同じ日課を続けております」

「……一日も、欠かさず、か?」

「ええ、ご覧になられますか?」

 ウィリアムは一も二もなく頷いた。元はテイラーの屋敷、今はリウィウスが所持する屋敷の門をくぐる。見るな、見るべきではない。今日は日が悪い。明日にしよう。心が叫ぶ。

 それでも、ウィリアムはそれを見た瞬間――

「……一朝一夕の動き、ではないな」

 悪夢がより鮮明となった。

 夜闇を裂くように金髪碧眼の少年は稽古用の刃引きした剣を振るっていた。まだ物真似の領域。彼本来の味こそ出ていないものの、その完成度は同世代に並ぶ者がいないほど、ウィリアムの剣を細部にわたってトレースしている。

 足元の芝が剥げているのは、少年の努力の成果。昔は自分が此処で芝を踏み荒らしていた。呼吸、間、動作の端々にセンスと努力を感じる。自分にはない天性、そして自分と同じ努力が出来るとしたら――

「精が出るな、アルフレッド」

「ち、父上!? なんでここに?」

 集中が途切れてずっこけるアルフレッド。それはしっかり身体を苛め抜いていた証拠で、限界まで稼働させていた証左。

「毎日、やっているそうだな。私は、知らなかったよ」

「え、と、ばあやに内緒にしてってお願いして」

「父さんを驚かせたかったか?」

「ううん。父上は、こういう風に修行をする時、黙って一人でやっているでしょ? 僕もそうしようと思って」

「何故?」

「だって、そっちの方が格好いいもの。父上みたいに、僕もなりたいから」

 アルフレッドの言葉にウィリアムの心は張り裂けそうな痛みを訴えかけた。自分のようになりたい。それは自分のすべてを知って言った言葉ではない。そんなことはわかっている。わかっている、はずなのに――

「そうか。なら父さんも精進しよう。アルフレッドに超えられないためにもな」

「えー、父上は王様になったんだからサボってよぉ」

「そうはいかんさ。壁は、高くなければな」

 頭の中で再構築されていく悪夢。より鮮明に、よりはっきりと。

「そうだアルフレッド、良いモノをやろう」

「お菓子!?」

(……マリアンネに毒され過ぎているな。餌付けもほどほどにさせねば)

「もっといいものだ。きっと、気に入る」

 ウィリアムはアルフレッドを手招く。手を握り、自室へ向かった。

 アルフレッドは同じ屋敷に住みながら父の部屋にほとんど立ち入ったことがない。少年にとって父は偉大で、どこか侵さざるべき雰囲気を持っていたのだ。だが、誘われたのなら話は別。ずっと興味津々であった。敬愛する父の部屋、そこに何があるのかを。

 扉が開かれる。昔、こっそり隙間から覗いたままの光景。天井まで伸びる書棚にぎっしりと並べられている書物。簡素な机とベッドがあり、あまり飾り気のない部屋であった。たぶん、北方の部屋も同じような造りであったに違いない。

 その中で、唯一飾りとして存在するもの。

「この部屋をお前にあげよう。父さんもあまりここへ帰ってこれなくなるだろうし、丁度いい機会だ。此処に在るものすべて、好きに使うと良い」

 アルフレッドの眼は書物ではなく、この部屋唯一の飾りに向けられていた。

「あれも、良いの?」

 指差す方向には一振りの剣が――

「ああ、あれはお前のものだ。父さんの剣と同じ、ルシタニアの剣。こいつと同じ造りで壊れたら使おうと思っていたんだが、こいつが不思議と壊れない。本当にいい剣だ。そして、この世に二つだけの刃」

 ウィリアムはそれを壁掛けから掴み取る。埃を払い、そして、その美しい剣をアルフレッドに手渡した。ウィリアムの持つ剣と同じ造りの夫婦の剣。ブリジット・レイ・フィーリィンの剣。

「抜いて御覧」

 抜き放たれる白刃。その美しさにアルフレッドは目を奪われた。父の持つ剣よりも少しだけしなやかなフォルム。同じようで同じではない。剣としての性能は、もしかするとこちらの方が優れているかもしれない。

「父さんとお前だけが持つ、これは宿命の剣だ。必ず、惹かれ合う。そういう引力が込められている。もし、アルフレッドが父さんを追うのなら、その意味を知るだろう」

 ウィリアムはアルフレッドを優しく抱いた。

「お前は自由だ。父さんの背を追う必要はない。いつだってこの螺旋から抜けて良い。お前の手はまだ真っ白で、私にも時間はある。だから、好きに生きろ」

「父上が好き。父上を好きだった母上が好き。だから、僕は父上みたいになりたい」

「そうか、それは、嬉しいな。お前が追って来てくれるのは、とても嬉しい」

 これは呪いの言葉。嬉しいはずなどない。嬉しいわけがない。それでもこう言わねば、こう言えば、この子はきっと追ってくる。

「そろそろ寝ようか。汗をかいていただろう? 顔を洗って着替えておいで」

「はい! 今日は、父上はここで寝るの?」

「ああ、そのつもりだよ」

 アルフレッドはもじもじと頬を赤らめてその場で目を伏せた。わかりやすい反応にウィリアムは苦笑して頭を撫でる。

「早く行っておいで。今日は久しぶりに父さんと寝ようか」

「やった! すぐに戻ってくるからね!」

 どたどたと部屋を出て駆け出していくアルフレッドの姿を見て、ウィリアムは髪を掻き毟った。何故、己は此処まで非情に成れる。何処まで罪を重ねれば気が済むというのだ。人間ではない。人間の所業ではない。


「父を憎め。俺を許すな、アルフレッド」


 隣ですやすやと眠るアルフレッドの頬を撫でながら、ウィリアムはどうしようもない世界に、度し難い己に、絶望し、憎悪した。


     ○


 ウィリアムは此処が夢であることを認識した。久方ぶりにここまで鮮明に入り込んでいる。きっと、今日積んだ業はいつもよりも根深いものであったから。ヴィクトーリア、ルトガルド、自ら断ち切った最愛と同じ。ある意味でそれ以上の業である。

『完成したね。今日、この塔は完成したんだ』

「ああ、そうだな。眼をそらしていたわけじゃない。それでも、俺が一個の人間で、終わりがある以上、次を見出すまで終えて初めて完成」

『憎いかい自分が?』

「貴様の胸に手を当てろ。それがどれだけ愚問かわかる」

『あはは、そうだね。でも、それしかないなら――』

「そうするだけだ。俺に選択の余地などない。妥協はできない」

『それが最善なら、そうするのが僕たちだ』

「その通りだ。見ろよ俺、足元に蠢く無数の屍を。亡者の塔を。あの戦争で一気に、桁外れに屍が増えた。全部俺が導いた。ここに見える全てが俺の罪だ。途方も、ない」

『もっと増えるよ。これからの時代、競争が激化すれば絶対に零れ落ちる人が生まれる。僕らはそれを救わず、さらに進める道を選んだんだ。変革の途上で溢れた人々を置き去りにして進む道。その痛みは、筆舌に尽くし難い』

「わかっているさ。世界の憎悪が誰に向くのかも」

『僕らは全てを背負って駆け抜ける。この塔が崩れるその日まで』

「どれだけの罪を重ねようとも、いつかの光のために」

『キラキラ光る未来のために』

「『余は邁進するのみ。我が覇道を』」

 カルマの塔は完成を見た。これから先、背負い切れなくなるまでそれは縦に、横に伸び続けるだろう。しかし、塔の伸びる先とその形状が変わることはなくなった。

 白き王は一人、塔の上に立つ。足元には亡者、此処には絶望と憎悪しかない。それで良いのだ。救いが無いことが救い。咎められ続けねば、揺らいでしまう。亡者の数、その怨嗟を聞いて王は覚悟を定めるのだ。

 世界よ嘆け、世界よ嗤え。白き王はただ覇道の赴くままに業(カルマ)を積み上げるのみ――


 後世に伝わる歴史書。そこには白の王ウィリアム・フォン・アルカディアのことが記載されていた。彼の成した功績、政策の数々から、近年こそ研究が進むにつれやり方を選ばぬが極めて有能な王であったと評価されているが、それまで白の王はこう呼ばれていたのだ。

 魔王、と。

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