ファイナルウォー:以心伝心
ヴォルフたちは眼前に広がりつつある光景に絶句を禁じ得ない。
続々とわいてくる敵軍。最初はそれでも勝てるつもりであった。十万、二十万、『正義』全体であれば抜けない数じゃない。一旦離脱し、元聖ローレンス領であるアークランドで迎え撃つのも悪くない。そう、考えていた。
しかし、目の前に展開されている軍勢は明らかに予想より多く、それも続々と増え続けている。長く戦場にいた戦歴だけならヴォルフらより上の傭兵も見たことのない人の群れ。その視覚的効果は絶大であった。
勝てるという想いが微塵も沸いてこない。心がどんどん押し潰されていく。先ほどまで宝の山に見えていたアルカスが今は巨大な壁に見えてきた。動き出す人の群れ、丘が人で塗りつぶされていく。
「……団長、どうする?」
いつの間にかヴォルフの部隊と合流していたアナトールが問う。
「雑魚が何匹増えたって一緒だ。正面からぶっ潰す!」
「それがヴァルホールの王、黒の傭兵団の団長としての答えか?」
「嫌なら出て行っていいぜ。来るもの拒まず去る者追わずってのが傭兵団だ」
「いや、付き合おう。俺は黒の傭兵団副団長だからな」
生粋の馬鹿が集った集団。彼らは萎れかけていた闘志に無理やり火をつけた。自分たちには最強の男がついている。彼が突っ込んで抜けなかった陣はない。若い頃は何度かあったのを古参は知っているが――
「エウリュディケはどうする?」
「ほっとけ。あんだけ痛めつけてやりゃあ戦意も折れるだろ」
超射程の弓にて奇襲をかけてきた『迅雷』をヴォルフは痛手覚悟で追走し、その半数近くをずたずたに引き裂いていた。多少手傷は負ったが、結果として一つの飛び道具を潰せたことになる。引き際のエウリュディケの顔は見ものであった。
「んじゃ、征くかァ。伝説を作りによ」
「黒の傭兵団最強伝説、だな」
「ニーカに聞かせてやろうぜ」
「ああ、フェンリスも武勇伝を聞きたがることだろう」
「楽しみだな」
「本当にな」
一呼吸おいてヴォルフは馬と共に駆け出した。皆、迷いなくその背中についていく。彼らは信じているのだ。世界で一番その背中が強くて、その背中が巻き起こしてきた奇跡の数々を。もう一度奇跡は起きる。
「さあ戦争の時間だァ!」
「ウォォォォォォォオオオッ!」
自分たちの王は頂点を取る男なのだから。
○
アポロニアはその光景を見て薄ら笑いを浮かべていた。届かない、あの男との戦いまで。最終決戦、アポロニアの願いは華々しい終わりを迎えることであった。誰もが文句のつけようもない英雄の終わり方。戦場にて最高の戦いを繰り広げた末に死ぬ。
なんと甘美な結末であろうか。
「どうするんだい、陛下」
メドラウトが言葉を投げかけてきた。アポロニアは「陛下」という言葉に反応する。そう、アポロニアはアークランドの女王なのだ。彼らの命を預かる王。
「あれだけの人数だ。逃げても文句あるまい」
ヴォーティガンの発言はもっともであろう。ローレンシアに現存する戦史にはなかった光景。こんなものから逃げても文句など出ようはずもない。ただし、巨星という特別な輝きを失ってしまうであろうが。
「逃げぬ、と言ったら卿らはどうする?」
アポロニアの眼は、どこか縋るような色を浮かべていた。
「付き合うよ。姉さん一人で置いていったら娘に嫌われちゃうだろ?」
メドラウトは共に参ると言ったが――
「悪いが付き合いきれん。俺は降りるぞ。あの時と、同じようにな」
ヴォーティガンはそれを拒絶した。アポロニアは一瞬悲しげな表情を浮かべるも、すぐに持ち直し首を縦に了承の意を伝えた。ヴォーティガンらは無言で離脱していく。それでもほとんどの騎士は動かずにアポロニアの判断を待っていた。
「ヴォーティガンを恨んじゃいけないよ。あれが正常なんだ。ここに残ったのは馬鹿ばかり。そして姉さんが一番の大馬鹿だ。馬鹿らしく、最後くらい派手に行こう」
「……お前にはいつも助けられてばかりだ。礼を言う」
「いいさ。好きでやってる。そうしろって言われたら反発してただろうけど、父上は僕に何も望まなかった。それはそれで捻くれた捉え方をしてたけど、まあ、親になってようやく考えが分かった。存外、僕も愛されていたみたいだ、たぶんね」
親の愛を知らずに育った。知らない、知らせない愛もある。玉座は二つとない。二つを同じ扱いには出来ない。だからアークは距離を取ったのだろう。与えぬ方に与えることほど残酷なことはないのだから。
大人になって、親になって、何となくだがそれを理解した。そうすると嫌いだった半分の血がそれほど嫌ではなくなり、何もかもを許せるようになった。同時に与えられた者への憐れみも生まれてくる。
王になることを宿命づけられ、溢れんばかりの才能は世界を知るアークや騎士たちの眼すら曇らせた。否、曇ってはいない。ただ、その頃にはすでに芽生えていただけ。それ以上の存在が。彼らは与えられぬことで力をつけた。与えられたアポロニアはそこに甘んじたわけではないが、やはり彼らほど貪欲ではなかっただろう。なれるはずもない。
彼らは地に生まれ、アポロニアは天に生まれたのだから。
「最後の戦、一発景気のいいのを頼むよ、女王陛下」
その差が今。女だから、など言い訳にもならない。その女より劣る素養で、今頂点にいるのはあの男なのだ。誰もが想像すらしていなかった巨大な群れを動かす男。才能は努力で補える。戦いの強さだって技術で上回れる。
「私と共に死にたい者だけついてこい!」
「応ッ!」
その必要が訪れる機会、彼女はそれが遅すぎた。気づけばとっくに彼らは先へ行き、そして今、あの中で一番非才であった男が誰よりも上に立つ。今この瞬間にも、世界における『最強』の定義が変わっていくのがわかる。
きっと、巨星と呼ばれる英雄がこの先生まれることはない。そんな気がする。
「我が炎、侮るなよ白騎士ッ!」
紅き星が炸裂する。派手に、高らかに、炎は舞い上がった。
○
動き出す二つの軍。ウィリアムはそれを見て哀しげな表情を浮かべていた。彼らの闘志と強さをこの場にいても感じる。それが自分に向かって来ていることもわかる。本音を言えば磨いた技を試してみたい。自分が戦い抑えた方が被害が少なくて済む。言い訳が頭をめぐる。戦う言い訳、いくらでも湧いてくるそれをウィリアムは拒絶した。
「悪いな。俺は俺の望む通りにする気はない。つまり、お前たちの望みもかなわない」
ウィリアムは簡潔に指示を伝える。これだけ巨大な群れだと細かな指示は足を止める原因となりかねない。それにそんな細かい指示など必要がないのだ。
ただ進めばいい。当たれば勝つ。当たり方は、多少の工夫が必要だが。
「リディ、下で一局どうだ? 港の件、少し話を詰めたいのだが」
「……戦争が始まっても君はブレないのだね」
「だから言っているだろう? 結果のわかったモノに興味はないって」
ウィリアムはわざとらしい笑みを浮かべる。
○
カイルは突如引っ繰り返った戦況に対して苦い笑みを浮かべていた。
(なるほどな。これは嫌われる。あの狼が執着するわけだ)
勝った。その瞬間、盤上が覆される。何度となく耳に入った白騎士の逸話。大逆転劇を間近で見ると多少気の毒にもなってしまう。まあこれも窮地を脱したから俯瞰した考えが出来るだけで、ちょっと前までは奇跡でも何でも助けてくれと叫んでいたことは遥か彼方。
(まだ狼と女王が残っている以上油断はできないが……俺は何をすべきだ?)
最も効率的なのは狼の王と戦いこの足を止めることである。この状況でそれが成功すれば狼は殺したも同然。これが最も効率よく勝負を決められる方法のはず。
(最後くらい何か手伝わせろよ、アル)
カイルは遠く、見えるはずのない、届くはずのない視線を送る。あの場からこの地点を見ても豆粒にも見えないだろう。それでも、カイルには確信があった。
この視線は届いて、そして――
「……にやけるなよ馬鹿野郎」
「どうしたんですかカイルさん?」
「剣闘王、顔がにやついてますよ!」
「……ほっといてくれ。あと、少し席を外すぞ」
「どこに行かれるんですか?」
「野暮用だ」
カイルは上機嫌に馬を走らせる。つながった意図、つながった意思。あの頃と同じ、そんな感傷に浸ってしまう。互いにとって、これは『毒』だ。わかっていても頬が緩む。
○
「一局指すんじゃないのかい?」
リディアーヌに問われ我に返るウィリアム。その顔を見てリディアーヌは苦笑した。
「何かスケベな景色でも見えたかい? 顔、緩んでるよ」
「……いや、何でもないさ。ただ、久しぶりのアルカス、感傷的になっただけさ」
「君がそんなタマかい?」
「意外とセンシティブなんだよ。見た目のとおりね」
「戯言を。私が勝ったら港の使用料、一割増だ」
「構わないよ。俺が勝ったらその逆で」
「……負けると思っていないようだね」
「この戦と同じようにね」
「絶対負かす」
一瞬の邂逅。浸ってはいけないのに、すっとその身に沁み込む『毒』。もう届かない。辛く苦しくとも輝いていた時の欠片。捨てねば、ならないというのに。
それはまだこの身のどこかに潜んでいる。きっと、これは一生消えぬのだろう。これがあるから『今』がある。これがあるから『先』がある。
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