裏・巨星対新星:ウェルキン

 自由には対価が要る。誰にも頼れず、誰の助けも無く、ただ一人で生きねばならぬという過酷な道。自由を謳歌すると言うことは、そう言う意味も含む。

 ゆえに、ウェルキンと言う男は死にかけていた。

 周囲には無数の狼、躯と、生きている個体。小規模の群れであれば造作もなく潜り抜けられたが、此度の群れは相当大きな群れであったらしい。中心で自らを睨むは黒き巨大な餓狼。この群れの、否、この山の主。どこか知性を感じさせるその眼に、ウェルキンは久方ぶりのスリルを感じた。あの男と、あの崖と、同じ匂いがする。

 背中に死を感じる。

「……うん、まだ、やれる」

 ウェルキンは笑った。凄絶に、獰猛に、狼もまた同じ笑み。

 衝突するは必然。


 死ぬのは怖くない。怖いのは本当に何も感じなくなること。川の冷たさも、空気の柔らかさも、大地の堅さも、何も感じなくなり、自分が何者でもなくなること。

 だから、死ぬのは怖くない。

「大丈夫?」

 怖くなかった。

「……好きです」

「まあ、嬉しい。でも、まずは治療しなきゃ」

 この瞬間、ウェルキン・ガンク・ストライダーと言う男は死んだ。痛みを感じず、人と交わらず、ただ一人で世界を駆けまわっていた少年は、たった一人の、少女との出会いに破壊された。完膚なきまでに、だって仕方がない。

「やわらかい」

 触れたところがとても柔らかかったから――

「……そこ、おっぱいだから」

「もっと触って良い?」

「駄目です」

 ぺしっと、少女の手に打たれた手の甲は、何も感じなかったはずなのに熱く感じた。少女の膝に触れる後頭部も、柔らかさと温かさを感じている。もっと、ずっとこうしていたい。傷の痛みは感じないけれど、きっと、酷い手傷を負っているのだろうけど――

「治療しますよ、貴方の名前は?」

「ウェルキン。君は、なんて言うの?」

「私はね――」

 嗚呼、また、此処で記憶が途切れてしまう。


     ○


 ウェルキンはそのまま彼女と同じ馬車に揺られ、いずこへ向かうとも知れぬ道を往く。容姿端麗な少年少女たちが、まるでお人形のように可愛がられている不思議な空間。あとで知ったのだが、これは高級な奴隷を扱う人買いの馬車であった。

 ウェルキンもまた彼らの商品と成ったのだ。知らぬ間に。

 ただ、彼女たちと違うのは――

「くぁ」

 欠伸一つでびくりとする大人たち。彼らは知っていたのだ。ウェルキンが倒れていた付近で、夥しい数の狼が死んでいた戦いの痕を。巨大な、見たことも無い狼が満足げに息絶えている様を、彼らは見ていた。

 美しい金髪に虹を帯びた蒼い目、容姿端麗、眉目秀麗、商品としては破格ゆえに、どうにかして売り捌きたい彼らと、ただただ彼女と一緒にいたいウェルキンの思惑が一致した形。

「おっぱいを触らせて欲しい」

「真面目に頼んでも駄目です」

「そこをどうにか」

「頭を下げてもダーメ」

 生真面目な頼み方で真っ直ぐ向かうも撃沈。幾度か繰り返すうちに子供たちの中でムッツリウェルキンと呼ばれるようになる。本人は気にせず頼み続けているが――

「ぐう」

「もう、膝枕したらすぐに寝るんだもん」

 幸せそうに眠るウェルキンを見て、皆、何も言えなくなる。彼だけなのだ、自分たちの運命を知らぬ者は。彼だけが知らない。この先、どうなるのかを。


     ○


 ウェルキンは自分を買ったらしい傭兵たちを『皆殺し』にして彼女を探しに行った。自分が買われたことは何となく理解した。ただ、理解出来なかったのは、何故、あんな煮ても焼いても食べられない金属と、この程度の男たちで自分が制御できると思ったのか、それが分からない。あんなに弱いのに、なぜ自分に攻撃の意思を示したのか――

「……こうかな? こうか? こうだ!」

 敵が持っていた鞭を振るうウェルキン。脆弱な武器だと思っていたが、使ってみると存外奥が深く、なかなか面白いと思っていた。しかし、五分もせずに飽きる。自分が使うなら剣の方が有用であると彼の中で結論づいたために。

「じゃあ、帰ろっと」

 馬車を探すも見当たらず、途方に暮れるウェルキン。

 きっと皆でかくれんぼうでもしているのだろう、そう思いウェルキンはやる気がみなぎってきた。よし、探そうと駆け出す。怪我は癒え、万全ならば、地平の彼方でさえ追いついて見せると、その時の彼はそれだけがあった。

 当たり前のように彼女を見つけ、当たり前のようにまた膝枕をしてもらう。叶うならばおっぱいも触らせてもらいたい。そんな純粋無垢な思いを胸に、彼は再度駆け出した。


     ○


 数か月後、見つけた馬車に彼女はいなかった。すでに、どこぞの商人に買われたらしく、その商人を探した。一年後、商人を見つけるもすでに少女は別に場所へ。またもウェルキンは駆ける。彼女の痕跡を探して、東奔西走。

 そして――

「聖ローレンス?」

「ああ、新興宗教の教祖様、いや、違った、教皇様が凄まじく美しいと評判でな。とんでもない勢いで信者が増えているらしい。金も、がっぽがっぽってな。っておい!」

 風のように去って行くウェルキンを見て健脚自慢の行商人は、二度とその足を自慢しなかったという。世の中は広い。馬のような速さで走る化け物もいる、と。

 誰も信じなかったが。


     ○


 ウェルキンは遠くでそれを見ていた。

 きらびやかな衣装に身を包み、万人に微笑みを向ける美しき聖女。自らを聖ローレンス王国と嘯く山師どもとは違い、彼女だけは紛れもなく『本物』であったのだ。

 旅の途中で色々な知識を吸収し、世界を知った。人に尋ねるために、彼は嫌々人と交わる道を選んだのだ。そうして、得た全てによって、彼は理解させられてしまう。

 今の自分では彼女の隣に立つことなど出来ない、と。

「…………」

 彼女の居場所はわかった。ならば、後は自分が彼女の隣に立つに相応しい何かを手に入れるだけ。色々考えたが、頭に浮かぶのは最古の記憶、それに導かれるようにウェルキンは剣を選んだ。たぶん、これが一番簡単だと彼は直感したのだ。

 ゆえに、ウェルキンは何も言わずに去った。


     ○


 まずは現在地を知ろう、とウェルキンはある場所に来ていた。自分が持つ比較対象は三つ、最古の記憶に刻まれた二人の怪物と、自分に剣を教えてくれた従者の男。彼我の差は大きく、まだ二人には到底届かないと思ったウェルキンは目印を欲した。

 四つ目の点を――

「なッ!?」

 人が降りてくるはずの無い断崖を駆け、ウェルキンはある男の前に立つ。漲る烈気、背中から汗が噴き出してくる。目の前の男から溢れる何かが、ウェルキンを加速させる。

「余を武王と知っての狼藉かァ!」

「あは」

 武王、いち小国でしかなかったガリアスを自らの武力によって強国に仕立て、七王国第二位として長く君臨していたアクィタニアをほぼ攻略しつつある、ローレンシアきっての武闘派の王。当然、その大槍の重みは当代随一。

「陛下ァ!」

 部下たちが反応した頃には、すでに武王とウェルキン、五合打ち合い互いに笑う。

「まだ、余の方が強いな」

「うん。ありがとうおじいさん」

 武王を『理解』し、そのまま脱兎のごとく逃げるウェルキン。その潔さと意味不明さに困惑しつつも、部下たちが後を追おうと指示を下す。

「やめよ」

 それを止めたのは、他ならぬ襲撃された武王その人であった。

「し、しかし陛下」

「余を測りおったわ、あの小僧。くはは、シャウハウゼンめ、しくじりおったな。先代と似た剣を使い、かつ、貴様の美しさすら、盗まれておったぞ」

 大笑いする武王。

「ストライダーの血は絶えず、か。あれがいる内はネーデルクスに隙は無いと思っておったが、いやいやどうして、時代と言うのは面白く出来ておる。揺れるか。されど、それは余の与り知らぬ地平。口惜しい、が、それも運命なれば受け入れよう」

 自分ではない。ここから始まる時代を駆けるは、新たなる星々。

「余の作品に勝ちの目が出た、今はまだ薄くとも、それだけで今日の出会い、意味はあった。なあ小僧よ、貴様は、何処まで駆け抜ける!?」

 武王は高らかに笑った。新たなる時代、新たなる風、この歳に成ってはじめてに遭遇する、その興奮を笑いに乗せて、自分ではないことの口惜しさを吹き飛ばさんと、笑う。

「次の王会議、あれに任せる」

「し、しかし、まだあの御方は」

「余ではないとよ。世界め、最後まで思う通りに成らんわい!」

 武王の眼に映るは、穢れなき眼。世界にとってあれがどう働くか、考えるだけでもわくわくしてくる。やはり武王は笑う。面白き世の予感と共に。


     ○


 ウェルキンは武王を『理解』した。同時に、周囲の動きも観察し、いくつか強そうな連中を見て、点を集めた。一番の収穫は、当然武王。自分よりも強い。でも、あの二人よりか弱い。ここも、それなりに差がある。おそらく、もう少し若ければ多少縮まっているのだろうが。そしてもう一つ、練度の高い騎士たちのおかげで『理解』できた。

「そっか、あの人、名前も知らなかったけど、強い人だったんだなあ」

 父親代わりに自分を育ててくれた従者の男。彼もまたひとかどの剣士だったのだと『理解』する。自分の現在地点が少しだけ見えてきた。

 これだけわかれば十分。

「よし、追いつこう」

 ウェルキンは息を吐く。頭の中に浮かべるは二人の怪物。武王と名高き男でさえ届かない頂き。最初から自分の中にあったのだ。理想の絵は。

 ならば、其処を超えれば自分が頂点。

「やり方は、身体が教えてくれる」

 痛みを知らぬから容易く限界を超えられる。痛みを知ったから正しい力の使い方を模索することが出来る。彼女が与えてくれた感覚。ウェルキンは知らぬ間に使い分けることが出来ていた。痛覚のオンオフ、それによって彼はさらに加速する。

 誰も知らぬところで勇者の末裔は一人高みへ駆け上がっていた。

 まだ、誰も彼を知らない。

 あの夜の襲撃の事を、武王は誰にも言わなかった。部下たちにも言わせなかった。ゆえに誰も、彼を知らない。知り得ない。

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