進化するネーデルクス:布石

 ユリシーズは自らが極限の集中状態に至ったことを自覚した。あまりにも怒涛のごとく流れていく戦場。精一杯喰らいついた結果、自然と己を超えることができた。そしてそれは自分だけではない。ついてきているほとんどがその感覚を覚えていた。

 普通の野戦、普通の開幕、そこから始まった戦場は、未だ動き自体特殊な動きは無い。ただただ『速い』、まるで早送りでもしているかのような『速さ』が其処にはあった。その『速さ』を生み出しているのは二人の怪物。

 戦場における新参者のユリシーズでもわかってしまう。直接打ち合わずとも、彼らは自分たちや兵士たちを通して打ち合っているのだ。手法は違えど、完全に近い形で彼らは統御している。

「申し訳ありません。……自分の刃は未だ届かぬであります」

 ユリシーズは自分の淡い想いに謝罪する。それほどに彼我の戦力差は大きく開いていたのだ。自分の頭であるヴォルフはもちろん上であるが、自分にとって仇にも近いウィリアムもまた天上人。力の差があった。それがあまりにも遠過ぎて、笑ってしまうほど遠過ぎて――

「認めてはならぬのに……騎士道に背くような男であるのに」

 ユリシーズは胸の高鳴りを抑えきれない自分を恥じる。地を駆けるヴォルフと天にて指揮棒を振るうウィリアム。まったく異なる二人であったが、双方共に美しさがあった。英雄としてのオーラと言うべきものを纏っている。二人にしか見えていない世界がある。自分たちはその世界で生かされているだけ、真の意味で彼らと共鳴することは無い。

「自分は、どうしてこうも惹きつけられる?」

 英雄同士の輝き。二人の共鳴が戦場に広がっていく。とてつもない熱量を帯びていく戦場、誰も彼もが自分を制御できていない。ウィリアムに操られるだけ、ヴォルフを追いかけるだけ、白騎士と黒狼の一騎打ち。自分たちは剣であり盾でしかないのだろう。

「集中しろユリシーズ! 今日この日を胸に刻むのだ。滅多に見れる戦ではない。この俺の戦歴でさえ初めてのこと。お前はツイているぞ。この年で、これを味わえるのだからな」

 アナトールでさえ熱に浮かされていた。高揚した表情は、まるで初体験の最中である乙女の如し。アナトールだけではない。敵味方一様に同様の高潮を迎えていた。無論、ユリシーズもまた彼らと同じ顔つきなのだろう。

「全力を尽くすであります!」

 此処から学ばねば先は無い。ユリシーズら次の世代にとって、今まさに最高潮を迎えようとしている二人の戦は、学ぶことに満ち満ちていた。そこに居合わせられるユリシーズの幸運。この戦が下の世代に与えた影響は計り知れない。


     ○


 ウィリアムは眉をひそめた。自分が指揮を執り始めて二日目、早くも差が生まれ始めてきたのだ。想定よりも早いほころび、ウィリアムは眼を細めて戦場を睥睨する。

 戦場が開始する前に陣取った微妙な高低差。若干すでに差はついていた。地の利はわずかにウィリアム。ウィリアムに優位な形での開戦、そこからわずか二日で――

(想定よりも、強く速い。戦場での貴様はこれほどだったか)

 差は無くなった。それどころかヴォルフの速度に少しずつ遅れをとり始めている。ヴォルフの指揮は基本的に感性での動き。ヴォルフの引力が彼らを導いている。決まりごとは無く変幻自在。彼と世界観を共有できる強き群れあってこその戦術である。対するウィリアムは決まりごとだらけのシステマチックな戦術を取っている。それは完全に思考の戦術。

(情報の伝達に齟齬があった分、こちらが追い込まれる。決まりごとが煩雑な分、戦場ではなかなか上手く行き渡らない。やはり完成には程遠いな。もう少し戦場が広域ならば太刀打ちも出来るだろうが)

 複雑と単純、強度が高いのは単純な方である。より原始的な『感性』に頼った戦術は、この早く狭い戦場においてウィリアムの『思考』を凌駕しつつあった。広域でなら、正確で速い情報伝達の術があれば、『思考』が『感性』に劣る理由は無いのだが。

「ウィリアム様! ティリュス隊が間に合いません。……抜かれます!」

 だが、この戦場の規模、現代の技術において――

「抜かれた穴を最小限に食い止めろ。オイゲン、ヒルダの部隊はどうした?」

「マルサスの、『赤』につり出された模様。所定の位置より少し離れています!」

(あのじゃじゃ馬が。いや、悪いのは頭の俺が意図に追いつけなかったこと。上手くやったのはマルサスの動きを利用して一気に逆サイドを押し込んだ黒の傭兵団。この必殺の動きを即席でやってのけるか。羨ましい限りだよ、狼ども)

 感性が思考に勝る状況も多々あった。結局は思考が現実に追いついていないのだ。ウィリアムの想像する理想はあまりにも水準が高過ぎた。それは遥か未来で実現する戦のカタチである。この時代にはまだ足りないピースが多過ぎるのだ。

「ヴォルフ、ニーカにユリシーズが抜けて……こっちじゃない?」

 此方を抜いた軍勢はわき目も振らず進んでいく。その進行方向はブラウスタットを越え――

「狙いは橋だ。そっちのケアは間に合わん。今はマルサスとアナトールの対処を優先する」

「御意」

 ブラウスタットの裏には建造中の大橋がある。まだ完成はしていないものの、吊橋がかけられており人とモノの行き来は可能になっている。それを使わなければウィリアムたちは間に合わなかっただろう。まあ、用意させていたのは他ならぬウィリアムであったが。

(さあお仕事ですよ、お嬢様。自分が客人でないと言い張るならば、時間くらい稼いでもらおうか)

 ウィリアムは手をかざす。背後を気にしていた兵たちははっと自分の役割を思い出した。考えるのは彼らの仕事ではない。心配も必要ない。思考する役割は、ごくごく少数にしか与えていないのだから。


     ○


 アナトールは自分に向かい迷い無く殺到してくる兵、焦りの見えない敵将ウィリアムの姿を見て、不安が胸をよぎった。橋を落とされるのは致命のはず。完成していない橋を通れなくする程度彼らにも出来る。

 もう少し焦りが見えてもいいはず――

 ネーデルクス側がブラウスタットの裏側に対して持ちうる情報は、建造途中の橋があることだけであった。今どれくらいの完成度か、今どういう状況なのか、彼らは知らない。

「俺たちは俺たちのやるべきことを為すだけだ!」

 アナトールは考えても仕方がないと思考を振り切った。近くで奮闘する赤い鎧のマルサスに負けじと槍を振るう。まだまだ若いものには負けない。自分にも伸びしろはあるとアナトールは確信している。まだ三十代のアナトール、見た目は四十をゆうに超えていた。結構気にしている。

「さすがの冴え。亀の甲より年の功とはこのことか」

 マルサスの素直な賞賛が心を砕く。その隙に敵兵の剣が乗っている馬にかすった。軽く驚き姿勢を少し崩す馬。すぐさま立て直してその勢いで――

「未熟!」

 隙を生んだ自分に活を入れる突き。勢いよく槍が相手を貫いた。

「お見事、ネーデルクスが誇る二番槍、『哭槍』の名は伊達ではありませんな。父もよく褒めておりました。少し下に凄い男がいると」

「未だ未熟。ちなみに俺はジャン・ジャ……ジャクリーヌの二つ下、マルスラン殿とは十近く違う。少し下は語弊があるな。結構離れているからな」

「……も、申し訳ございません」

 アナトールの雰囲気をようやく察したマルサス。これからは気をつけようと固く心に誓った。ちなみにジャクリーヌもふけ顔なのでマルサスたち若手は、彼ら全員同世代と思っていたことは内緒である。


     ○


「ハッ、存外白騎士ってのもたいしたことねえぜ!」

 白騎士の戦線を抜き去ったヴォルフらは、一気にブラウスタット外縁部の大外から建造中であるはずの大橋を目指して突き進む。百名にも満たない兵数であったが、全員が騎兵かつ精鋭中の精鋭ゆえに化け物じみた機動力を発揮していた。

「もしこれで橋に何の細工もなけりゃあニーカ様の言うとおりだな」

 ヴォルフの茶化すような言葉、ニーカはむっとしてヴォルフを睨む。

「んだよ、何かあるみたいな言い方じゃねーか。わかってんなら言えよバーカ」

 吼えるニーカを尻目にヴォルフは背後で抜いた相手を感じ取る。揺らがぬ雰囲気、あわてる様子は微塵もない。

「わかってたら言ってるよボケ。ただ、あいつが本気で抜かれたくねえなら、さすがに二日で抜かせてくれるほど柔な相手だとは思ってねえってだけだ」

 ヴォルフの目に宿るのは敵対する相手への信頼であった。ニーカにとってそれは面白くない事実である。何しろヴォルフは自分たち黒の傭兵団の面々にさえ、これほどまでに確固たる信頼の目を向けたことはないのだ。そのことに嫉妬してしまう。それと同時に少しだけ嬉しくなる。強く成ればなるほどに、ヴォルフの瞳から薄れていったキラキラしたモノ、それが今ありありと輝いている。

「あいつは甘くねえよ。そして負けるのが死ぬほど嫌いだ。負けるってわかっていても、やっぱ負けたら悔しがる。それを表に出さず、内に秘めて燃焼させてんのさ。あいつはこの前俺に負けた。けっこうきつかったがよ。二度目は、なお優しくねえ」

 絶大の信頼。相手の力量に対する信頼がこの戦を作った。

 序盤の凡戦も、中盤の超速での戦も、すべては彼らが双方お互いに対する深い信頼があってこそ。下手な手は打ってこない。最善に最善を重ねて、時には最善すら超えてくる。そういう想定で動くからこそ、先ほどまでの戦が形成されていたのだ。

「何もしてねえのはありえねえ。だが、俺ら狙いの罠にしちゃあ少し露骨過ぎる。俺の勘だがよ、たぶんこの先にあるのは俺たちに対する布石つまりは罠だ。ただし、俺たちを仕留める罠じゃねえ。知られたくないもの、知られるまで時間をかけたかったものだ。そうすりゃさっきまでの動きが理解できる」

 ヴォルフの言っていることをこの場の全員が理解できなかった。理解が追いつかなかった。ヴォルフ自身理解させようなどという気は毛頭ない。そもそもあと少し進めば答え合わせが出来る。この機動力ならば、このなだらかな地形で致命になることは早々ないだろう。仕留める気の算段ならば絶対に嗅ぎ取れる自信もあった。

「知らなきゃ始まらねえ。ブラウスタットの裏側、大橋の状況をよォ」

 ヴォルフたちの目の前の視界が開ける。多少距離はあるが、建造途中の大橋が目に映った。ヴォルフたちの想像よりもかなり頑丈で堅ろうに造られているそれは、ネーデルクスの見立てよりも大幅に工程が進んでいた。それは良い。そこは問題ではない。建造途中であることには変わりなく、まだ作成途中の空間は吊橋でカバーしているようで落としたらそれで終わる。問題は――

「ほらな、これで考え直しだぜ。ブラウスタット攻略の方法を」

 石造りの簡易な砦が橋の手前に建造されていた。簡素ながら隙のない造り、其処に組まれている矢倉の頂点で、本を読みふける少女はヴォルフらの登場に笑みを見せた。

「やあやあ、お久しぶりだね黒狼くん」

 本を閉じて少女は立ち上がる。女性の平均身長から考えるととてつもない大きさ、長身痩躯の女性は短い髪を後ろに流してヴォルフを睥睨する。

「ガリアスの百将がアルカディアで何してんだァ? お姫様よォ!」

「厳密には姫じゃないよ。そして私にはリディアーヌ・ド・ウルテリオルという名がある。覚えておきたまえ」

 ガリアスの姫君リディアーヌ・ド・ウルテリオルが橋の守護者であった。砦の建造を指揮したのは他ならぬ彼女である。短納期で効率的に仕上げたそれは、時間対効果を考えた場合最高のものとなっていた。

 リディアーヌがアルカディアにいる理由は、多少複雑な経緯がある。さまざまな事象が絡まりあって、ウィリアムがガリアスの百将であるとある男を斬ったことが発端。その男の悪癖が招いた自業自得とはいえ王会議中の刃傷沙汰は慣例にてご法度。ウィリアムは罰を受けることになった。そしてその罰を考えたのが他ならぬ『革新王』ガイウスその人であった。

 一年間、リディアーヌを腹心として預かるという罰。それを提示した議場は大いに荒れた。王の味方であるサロモンでさえ苦言を呈したほどである。それでも押し通した。リディアーヌにウィリアムを吸収させるため。無理を通して道理を引っ込ませたのだ。

 実力下位の百将である男たちの代わりはいくらでいる。必要なのは新時代を担える人材。その教材としてウィリアムはうってつけであるとガイウスは思ったのだ。

 とにかく現在、リディアーヌはウィリアムの副官としてこの戦場に存在していた。

「なるほどなあ、ウィリアムが意地悪したのかと思っていたが、どうにも遊びのある相手じゃないね。懐に誘い込んだらそのままお腹の中から食べられそうだ」

 リディアーヌは試そうと思っていた罠を引っ込める気になった。それほどにヴォルフの雰囲気は仕上がっている。下手な手は逆に利用されかねない。効果の定かでない策を試す相手ではなかった。

「今回は言われたとおり、顔見せだけかな」

 リディアーヌはこれでもかと自身の陣容を見せ付ける。たなびく旗の数はかなりの兵数が守備についているとの証。

「やべーぞヴォルフ、アルカディアの連中あんだけの兵力隠してやがった」

 ニーカの発言にヴォルフは「ぷふぉ!」と吹き出してしまう。

「ありゃやりすぎだ。詰めてんのは精々半分くらいのもんだろ。ネーデルクス方面へのケアを諦めかけた国に余力なんぞあるわけがねえ。橋の簡易砦に五百、んで遠くで見えにきーけど前やりあった上流側、山の方は千くらいいるかな? んま、想定の範囲内ってやつよ」

 ヴォルフは堂々と水増しした兵数を見せ付ける、リディアーヌの図太さに笑い出しそうになる。堂々とした雰囲気と胆力だけならば自分たちと張り合える。ただし、戦ではどんなケースでも負ける気はしなかった。されど、勝つには相応の算段を要する相手と認識する。

(崩す時間は、ねえよな)

 ヴォルフは現時点での大橋の攻略を諦めた。北に向かい山から抜ける手も時間がかかりすぎる。今の手勢でやれる範囲を大きく逸脱していた。

「これで情報は出揃った。よーし、ちゃっちゃかケツ捲るぞ」

 ヴォルフは即座に撤退の判断を下す。打つ手がない以上、ネーデルクス側最強の駒である自分自身を遊ばせとくわけにはいかない。収穫はあった。あとは即座に切り返し――

「今頃はアナトールもマルサスのお坊ちゃまもボコスカにやられてるだろーから、出来るだけ急いで戻ってやろうぜ。んまー死んでることはねえだろ」

 おそらくピンチである味方の元に戻るだけである。

(これで戦場が広がったわけだ。此処までは時間以外狙い通りってとこかよウィリアム。ただ、その時間って奴が後々キクんだよなァ)

 伏兵と戦場の全容を早々に暴いたヴォルフ。これでようやく双方全てが出揃った。此処からが将の腕の見せ所である。

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