進化するネーデルクス:蒼から白へ
「いやーあれは勝てへんね。どう攻めても首取られる気しかせーへんわ」
蛇のような雰囲気を持つ男は藪の隙間から白の軍を眺める。どう見ても強兵のいない弱兵の集い。普通にやれば数の差はあれど勝てない相手ではない。理屈では勝る。されど感性が勝てないことを告げていた。
すべてはあの中心に君臨する怪物――
その怪物がちらりと一瞥を藪の中の蛇に向けた。
「っ!?」
ぞくりとあわ立つ肌が危険度の高さを表している。間違いなく白騎士は男の存在に気づいた。矢も届かぬ距離、しっかりと距離のマージンは取っている。それでも、此処が安全圏だとはもう思えない。男は静かに背を向けようとする。
目の端に映った、白騎士の笑みを見るまでは。逃げようとする男に対し、格の違いを知らしめた白騎士は、彼を問題とも思わずゆるりと行軍を続ける。
「あかんなあ、僕は敵やないって……ほんま腹立つけど、確かにモノがちゃうね」
戦場で感覚を研ぎ澄ませている白騎士は、『あの場』で見た時よりも一つ二つほどレベルが違った。男は静かにその場から動き出す。警戒に値しないとされたが、見逃してくれる保証はない。『敵』に姿を見せたまま動かないのは戦場では致命である。
「ほんでも、怪物は一人やない。それが僕やないのは残念やけど」
白騎士から逃げた先、そこには死地とその場に君臨する黒狼がいた。虎狼の群れを治める王、こちらも『あの場』で見たときよりも数段研ぎ澄まされている。むしろ伸び率は此方の方が高いか、それとも先ほどまで深い階層で戦争を行っていたか――
「誘いに乗って正解やったね。此処は、あの国では得られないモノで満ち満ちとるわ」
謎の一団が狼の群れと接する。
○
ウィリアムがブラウスタットに戻った頃には、カールたちが帰還して半日が経過していた。悠然と大通りを闊歩するウィリアムらを待ち構えていたユリアンとシュルヴィアを従え、カールらがいるであろうブラウスタットの城まで足を進める。鳴り響くは万雷の拍手、声高らかに「白騎士万歳!」と歓喜を投げかけてくる。
「いやーいつ聞いてもたまんないもんですね。ザ・愚民って感じがたまらなく好きです」
「そういう捻くれたところがお前の悪いところだぞユリアン」
「そうやって下民の僕を注意してくれるのが、シュルヴィアさんの良い所だと思いますよ」
「……からかうな愚か者が。後で覚えていろ」
最近活発になってきたシュルヴィアとユリアンの掛け合い、彼らの反発はそのまま部隊の反発であり、口に出して言える関係が北方の兵と弱兵たちの融和を物語っていた。見た目は酷くなっているが、中身は軟化している。
ウィリアムの思い通りに中核部隊が成熟してきた。強兵と弱兵の融和、役割を明確にし、きっちり分担させる。そうやって人材を使い切ることで強い軍が出来るとウィリアムは考えていた。持ち駒は全て、どんな駒でも上手く使いきる。それが将の才覚であるというのがウィリアムの考え、他の将とは少し異なるウィリアムの持ち味でもあった。
「お前らはそろそろ休んで来い。まだ戦の途中、あまりハメを外すなよ」
「ウィリアム様はお城でカール様たちと話し合いですか?」
「ああ、少し込み入った話になる。政治も絡んでくるからな。参加者はカール、ギルベルト、ヒルダ、ロルフ、後は俺だけだ」
「わかりました。ユリアン十人隊長以下、ハメを外さない程度にあそ、休んできます!」
ユリアンたちは颯爽と散開していく。欲望に忠実な姿勢がとてもわかりやすかった。シュルヴィアはウィリアムを睨む。自分も参加させろという視線であった。
「駄目だ。俺は参加させようと思ったが、ロルフが拒絶している。国家に絡むこと、外様に知られては困るとな。そう睨むな、慣れているだろうその程度」
シュルヴィアらの扱いは未だ定まりきっていない。自国に編入されはしたが、長く北方で敵対していた間柄、北方の民を認めていないものも少なくない。
「私は構わん。だが、もう一人あの女も参加するのだろう?」
シュルヴィアの反感はそれではなかった。いや、その部分もあるだろうが、本質は別のところにある。一応、ウィリアムの副官と言う位置をしぶしぶ受け入れていた、最近ではやりがいすら感じていたが――
「仕方がないだろう。あれは俺の枷だ。罪の対価、俺がどうこうしていい相手じゃない。下手に扱えば俺の首が飛ぶ。それに、優秀だからな」
シュルヴィアは最後の部分にむっとした。結局のところ、シュルヴィアと彼女では差があるのだ。シュルヴィアの将来性と秤にかけてなおあまりある才覚。それをわかっているからウィリアムは優遇している。将来の敵となるかもしれない相手を。
「まあ構わんがな。私は戦場に出られるならば満足だ。戦場では上手く使えよ」
「上官に過ぎた口だな。安心しろ、俺はお前よりもシュルヴィア・ニクライネンを理解している。誰よりも有意に使ってやるさ」
「……なら良い。少し休んでくる」
シュルヴィアの後姿を見て、ウィリアムはため息をつく。最近扱いやすさに拍車がかかってきたシュルヴィア、もう少し反発して欲しいと思うのは少々マゾっ気が過ぎるか。だが、反発から生まれる力もある。それを期待していたのだが――
「とりあえず行くか。さて、カールはどう成ったかな? 地獄に潰れたか、地獄を糧に進んだか、どちらでも、面白い。もう、お前も俺と同じで逃げられない。逃げられる男ならば此処まで来ていないからな」
ウィリアムは哂った。どこまでも滑稽な自分たちを。死を糧に学び、死を糧に成長する死神のような存在。自分たちは昇り続けている。終わるのは死、物質としての死か、人としての死か、それはわかりかねるが。
地獄を経ての再会、自分と同類のモノが生まれる危機感と同じ程度、ウィリアムは楽しみにしていた。自分を殺してくれるかもしれない相手の、その可能性に。
○
部屋には小さな円卓があった。其処に座るのはカール、ロルフのみ。ギルベルトとヒルダはカールの後ろで立っている。ウィリアムは扉の影で興味深そうに場を眺める女に一瞥して、自らもまた椅子に座った。カール、ロルフと視線が絡み合う。
(嗚呼、良い眼になったじゃないか。多くの部下を、フランクを、死人に憑かれた眼だ。死を背負う眼、もはや言葉は要らんな。俺と同類、相容れぬさ、なあ――)
ウィリアムは二人に対して口を開いた。
「ご無沙汰しております。アルカディア第三軍副将軍ロルフ殿、第一軍軍団長カール殿、私とロルフ殿が此処に至った経緯は聞かれましたか?」
カールは静かに頷いた。
「君のおかげで僕らは助かった。ありがとう、ウィリアム師団長」
またも開いた階級の差、そしてこれはさらに一段階加速する。あらゆるしがらみが、あらゆる権力が絡み合い、世情がそれを決定付けた。
「ただの実験が役に立ってよかったです。かの『王の頭脳』、サロモンどのが考案した山伝いの狼煙。一つの事象を遠方に伝えるための方法として、速度と正確性は現代技術最高峰、されどそこにかかる労力が効果に対して見合わないために埋もれてしまった。面白半分だったのですがね」
面白半分で敵国であるオストベルグを縦断するような策が取れるはずがない。ウィリアムははじめからアルカディアの現有戦力、それと他国を秤にかけた上でストラクレスの位置が重要に成ってくると踏んでいたのだ。だから『王会議』で人の出入りが激しくなる頃を見計らい、幾人かを人里はなれた山にこもらせた。
結果、ストラクレスは現行戦力をアルカディアにぶつけることを嫌い、ガリアスで若手に経験を積ませることを選択した。ヤンに対する苦手意識もあるのだろう。ベルガーという右腕を失った経験、自分の後進を育てねばと言う義務感が、一番の敵国であるはずのアルカディアに優位な状況を生んでしまったのは皮肉でしかない。
「それで、何か言いたいことがあるのだろう?」
ロルフが促してくる。すでにロルフには通っている話。否、そもそも軍団長へ謎の昇進をとげたカールであっても断る権利のない話である。あくまで建前、これは『上』が承認した話なのだ。
「昇進されたカール殿、第三軍副将軍であるロルフ殿、御両名は明確に私よりも格上であります。他にもギルベルトどのは私と同格、 第三軍の中にも数名師団長はおります。その中で、あえて申します。この場、黒狼のヴォルフを相手取る間は、私に全権を頂きたい。軍の編成および配置、作戦行動全てを私と、私の部下が率いて行わせていただく」
お願いのようで命令であることはカールたちにも察しがついた。その上で口を開こうとするヒルダをカールが制止する。カールはゆっくりと息を吸って、
「断ると言ったら、どうなるんだい?」
ウィリアムの眼を覗き込んだ。ウィリアムは眉一つ動かさない。
「権威を振りかざすだけです。これはすでに決定した話、提案と言う形をとっていますが、断る権利はあなた方にはない。私には王命により、改変途中ですが現行の第三軍を率いる権利を与えられております」
「改変途中、つまり軍の改変が行われると?」
「この戦が終わればすぐにでも。バルディアス様は高齢により勇退、あとを継ぐのは十中八九ヤン・フォン・ゼークト、彼が第二軍の大将となります。ベルンハルト殿を失った第一軍はそのまま副将軍であるヘルベルト殿が引き継がれることが内定。残る一席、それはまだ未定でありますが、仮の立場として今は私が大将権限を有します」
ヒルダは歯噛みする。自分たちが守り続けてきた第三軍大将の椅子。それをわけもわからぬ異人に奪われたという事実が痛い。だが、口出しできる立場でないのは理解していた。自分は師団長ですらないのだ。
「わかったよ、受け入れる。ただし一つ条件があるんだけど」
「何でしょうか?」
「もう無駄な死は見たくない。絶対に負けないでくれ」
「お任せあれ。カール様同様、私もまた負けない戦は得意ですので」
仮であるがウィリアムが大将の席に座った。この異常事態を彼らは受け入れるしかない。ギルベルトは一言も発さなかった。発せないのだ。この状況を生み出した張本人は無駄な意地を張った自分なのだから。
「私からも一つ、頂いた立場を使って一言言わせていただきます」
ウィリアムはカールとヒルダ、ギルベルトたちを見る。そして仮面を外し、深々と頭を下げた。
「よく生き残ってくれた。君たちは十二分に役割を果たしたのだ。君たちが生き残ったことで多くの死が繋がった。そこに意味が生まれるよう頑張って欲しい」
カールの瞳が揺れる。ヒルダ、ギルベルトもまた張り詰めていたものが緩んだ。暴発しそうなほどの悲しみを彼らは背負っている。背負わねば成らない。ゆえに頑張れと、よく頑張ったとウィリアムは言っているのだ。
「そして、後は任せろ。この俺、白騎士、ウィリアム・フォン・リウィウスに」
顔を上げた男の立ち姿は、震えるほど美しかった。気高く、力に溢れ、漲る自信は彼らに希望を与えてくれる。確かにこの男には黒い噂が付きまとう。全て理詰めで考え、手段を選ばないこともしばしば。それでもなおこの男が仮とは言え大将の席に選ばれたのは、男が圧倒的に優秀だからであった。
カールは眼を閉じる。ほんの少しだけ肩が軽くなった気がした。そしてそんな自分を少し恥じてしまう。いつまで経ってもウィリア ムの庇護から離れられない自分を、その居心地のよさに甘えてしまう自分を、少しだけ恥じていた。其処に恥が生まれるのは、つまりはカールの成長と言うことなのだが――
ウィリアムは一時的にブラウスタットを手中に収めた。ようやく反撃の準備が整ったのだ。一ヶ月強の逃避行はついに終わりを告げる。アルカディアが誇る白の新鋭、彼が率いることで高まる士気、それはカールが保たせていたモノとは種類が違う。強さが、引力が、弱きを捉えて離さない。 白騎士の積み重ねた、約束された勝利こそ、士気の核。勝ち続ける限り、それが揺らぐことはない。
それは英雄王たち巨星と同質のモノであった。
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