幕間:激動の世界

 エル・シドは限りなく充足に近い感情を覚えていた。今まで自分にこれほど『強さ』で迫ったものは二人しかいない。その二人以外はどれだけ良い勝負であっても、どこか冷めていた自分がいた。しかし今は違う。

「この俺様に、力を尽くさせるか小娘ェ!」

 全力を出してなお、喰らいついて来る。明らかに限界を超えてなお、此方へ向かってくる。そのたびに増す圧力。肉が千切れ骨が軋む、その音が敵であるエル・シドの耳にも入ってくる。肉体の限界などとうに超え、精神の限界すら突破していた。

「ガァァァァァアアアアアア!」

 黒き鎧は砕け、フルフェイスの兜は半分砕けている。その隙間からのぞく凄絶な表情は常人のそれではない。しかして狂人のそれでもなかった。

「何故、ラインベルカ様が、あの状態で死神としていられるのだ?」

 黒の部下は驚いていた。自分を押さえ込む黒き鋼に身を包まねばラインベルカは死神に変じない。普段なら兜にひびが入り肌が見えただけで解けてしまう薄氷の暗示。それがこの状態でも継続しているのだ。むしろキレだけならば増してすらいる。

「疑問は後になさい! 今は戦争中よ……あの小娘を抜くことのみ考えなさいな」

 ジャクリーヌはかの巨星を一人で押さえているラインベルカに感嘆し、巨星でもなんでもないただのカンペアドール一人に封殺されている状況に苛立ちを見せていた。

「エル・シドに唯一欠けるモノを持つ異端のカンペアドールか。ほとんど戦場に顔を見せなかったがゆえに情報の欠片すらなかったが……厄介極まる!」

 マルスランとジャクリーヌ。三貴士たる二人が指揮して攻めている。それでもひらりひらりとかわされ、要所要所で数を削られてしまうのだ。巧みな戦捌きにマルスランは苛立ちよりも驚きが勝った。

「へえ、良いおっぱいだね。こぶりだけど張りが在るし、お尻もベリーキュートだ」

 エルマス・デ・グランの外壁から全体を指揮するルドルフも賞賛した。若干ズレている気もするが誰もツッコまない。触らぬ神にたたりなしである。

「でも嫌な顔つきだよ。戦が好きで好きでたまらないって顔をしてるね」

 ルドルフは頭をかく。三貴士総出でようやくぶち抜けたエルマス・デ・グランの壁、もといラロ・シド・カンペアドールと言う怪物の壁。乗り越えたと思えば巨星本人と、ある意味でそれよりも厄介なカンペアドールがやってきた。

「運の良い奴がいるなあ。まあ今回はヴォルフっちの運を僕が吸って、僕の運を君が吸ったって解釈で良いんだよね? アポロニア・オブ・アークランド。いつかこの借りはきっちり返してもらうぜ……美人らしいし、うひひ」

 ふと、ルドルフは潮目が変わるのを感じた。この戦場の潮目は変わらない。満身創痍のラインベルカだが未だ倒れる様子は見受けられない。ジャクリーヌとマルスランも苦戦はしているが元々力のある二人、相手もいなすので精一杯に見える。エルマス・デ・グランも健在である。ゆえにこの戦場ではない。

 ならば何処か。考えるまでもないだろう。

「……言ったそばから……お返しはおっぱいが良かったんだけどなあ」

 ルドルフは苦笑する。律儀にきっちりと借りを返す姿勢は好感が持てるが、それを力にて為そうとする怪物性に恐怖すら感じてしまう。ある程度の天運を持ち、その上で英傑としての才も持ち合わせている怪物中の怪物――

「ほんと……時代の節目にはまとまって化け物が集まるから面白いよねえ」

 幾人かの姿が頭をよぎる。先を考えれば巨星など可愛いものかもしれない。

 時代のうねりをルドルフは感じていた。


     ○


 他のカンペアドールのように前線には赴かない異端のカンペアドール。その指揮は苛烈にて精緻、澱みなく放たれる命令を聞き漏らせば首が飛ぶ。演習中でもミスをしたものは例外なく首をはねた。いわんや実戦で失敗しようものならば一族全部の首が舞う。

「ドナテロ隊を6五へ。リジャール隊を3四へ」

 異端のカンペアドール、『策烈』のエルビラは戦場を見ていない。ただ自身の盤上を見て駒である部下を動かしている。敵も――

「マルスラン7七へ。ジャクリーヌは2六」

 駒として見る。対面の部下がマルスランとジャクリーヌに相当する駒を動かした。その様はまさに|軍将棋(ストラチェス)である。

「差し込まれている、か。本陣を3九へ。『亀烈』に寄せてジャクリーヌを叩く」

「御意、本陣移動!」

 エルビラはガリアスが発明した視力矯正の道具である眼鏡をくいと持ち上げる。力も弱く視力も弱かったエルビラ。カンペアドールの血統で最も出来の悪い個体として生を受けた。そこから生まれた反骨精神が彼女の原点。欠けていたからこそ別の道を模索した。エル・シドの真似は出来なかったし、一切しなかった。

 ゆえに、エルビラは別の強さを手に入れピノやラロと同じように換えの利かないカンペアドールとして重宝されているのだ。

「なっ!? わたくしが嵌められたと言うの!?」

 部下である『亀烈』がきっちりと右方を絞める。本陣が底から左方に蓋をし、そのままゆっくりとジャクリーヌの軍を圧殺していく。

「……随分と、舐められたもんだなァ!」

 ごつい見た目とは裏腹にジャクリーヌの槍は美しさの極み。白き薔薇が咲き乱れるかのような白刃の煌き。次いで訪れる紅き薔薇の花弁が舞う。

「三貴士を舐めるな小娘ェ!」

 ジャクリーヌが単身恐ろしい速度でエスタード軍を切り開いていく。

「瞬烈を3八、大盾隊構えて耐えよ」

 本陣が変形して一見して堅い守りを形成する。すでにジャクリーヌは目と鼻の先、だというのにエルビラは焦る様子すら見受けられない。依然として盤上だけを見ている。

「ぶち抜くわよ!」

 大盾の隙間に入り込む精緻なる槍。吹き散る血風がジャクリーヌの力をそのまま示していた。大盾の、守りの布陣をもろともしないジャクリーヌ。単騎でこの活躍は流石三貴士、ネーデルクス最高の槍使いは伊達ではない。

「え、エルビラ様! 予想以上に敵の速力は――」

「現状維持」

「し、しかし!?」

「口を挟むな駒風情が。刎ねよ」

 味方陣内で惨劇が起きる。エルビラは駒の無駄口を許さない。駒が王である自分に口出しをするという行為が許せない。エル・シドから全権が与えられているのだ。そこに有象無象が立ち入ってくる軽挙妄動を許すわけにはいかない。

「あら、可愛らしい顔。食べちゃいたいわァ!」

 ジャクリーヌの槍が道を切り拓いた。そこで初めてエルビラは盤上から目を離す。邂逅する視線、ジャクリーヌが熱を帯びた目をしているのは当然として、先ほどまで冷たく盤上を見つめていたエルビラもまた熱を瞳に浮かべていた。

「一手遅い。そこは……3八だ」

 凄絶な笑みを浮かべて髪をかき上げるエルビラ。

「はン?」

 ジャクリーヌが声を上げた瞬間、ジャクリーヌの右手つまりはエルビラから見て左手の方から、マルスランを相手取っていたはずの『瞬烈』が大型のランスを携え現れた。

「お待たせしましたエルビラ様!」

「亀烈を3八。確実にジャクリーヌを仕留めよ。私は4九へ下がる」

 3八が殺し間。ここが焦点となり相手の大駒を討ち取る。

 味方陣の左方をマルスランに荒らされることになるが、ジャクリーヌを討ち取らば充分お釣りがくる。瞬烈と亀烈ならば必ずや討ち取って見せるだろう。敵陣深くまで単騎駆け、孤立し味方は亀烈が切り取り断裂状態。

「まず一駒、時間をかけ過ぎね」

 後退していくエルビラの背でジャクリーヌの咆哮が聞こえたが、そういうものに興味はないのだ。あるのは結果だけ。その結果を引き起こした事実だけ。

「エルビラ様、本国から鷹が」

 鷹の足にくくりつけられていたのは一枚の紙。それを開いたエルビラは驚きに目を見開いた。事実であるとすれば国家存亡の危機。

「……簡易の王印が押されている。事実、か」

 エルビラは一瞬考え込む。戦場は優勢ではあるが一朝一夕で攻略できるような状況ではない。此処からどう詰ませても一週間はかかるだろう。本丸であるエルマス・デ・グランは憎憎しいほど健在なのだ。

「全軍を撤退させる。狼煙を上げよ」

 これほどの決断をほんの数瞬で判断したエルビラは流石知恵のカンペアドール。楽しんでいるエル・シドを止めるのは恐ろしいが、その恐怖は自分が被れば良い。優先すべきは国家である。

「やってくれるな……極西の島国が」

 エルビラは自分なりに美しく描けた戦場を中途で畳まねばならぬことに、深い苛立ちを覚えていた。ようやく自分が戦場を楽しめると思った矢先である。

「次は必ず詰ませてやる。ネーデルクスども」

 エルビラの目にはいずれ来る未来の戦場が映っていた。


     ○


 エル・シドは撤退の狼煙を見て、静かに矛を引いた。死神との死闘は心地よい。興奮も極みにある。そのことはエルビラも重々承知している、弁えている。そもそもエルビラもまたようやく己が腕を振るえる戦場、嬉々としてこの場に臨んでいるのだ。そのエルビラが撤退の意思を見せた。何を言おうとエル・シドも彼女の頭脳は認めているのだ。

「久方ぶりに全力を出せた。悪くない戦であったぞ」

 故、素直に矛を引くのだ。もしつまらぬ事情での撤退なれば断つ。そしてそうではないことをエル・シドは確信している。期待を裏切らぬゆえにカンペアドールなのだから。

「……ギ、ガァ」

「次までにさらに高めておけィ。俺様もまたさらに強くなる」

 死神が、正気に戻ったラインベルカがびくりとするほどの威圧感。単なる大言壮語ではない。この男は強さに関して嘘は言わない。

「良い錆落としであったわ。ガッハッハッハッハッハッハ!」

 ウェルキンゲトリクスとはまた違った形の怪物。ラインベルカは戦慄する。今のままでは力が足りない。かなり本人としても死神としても高めたつもりであったが、巨星を揺るがすにはまだまだ力不足であった。

「……私は、弱い」

 全力稼動で、その先に至り、もはや動けぬと悲鳴をあげている身体に、未だ弱い自分に、腹が立って仕方がない。

 ラインベルカは己への失望に飲み込まれていた。


     ○


「手紙には『チェ堕ツ』と書かれておりました」

 用意させた馬を併走させながらエルビラは撤退の経緯を説明する。と言っても書かれていたのは一文だけ、そしてその一文が意味するところなど誰でもわかる簡単なもの。

「エルロナが堕ちたか。チェが早々に討たれたということは中央にあの男の娘がおったわけだな」

「はい。加えてただチェ様が討たれただけならば、伝令を遣わせれば良いだけ。信頼性に欠く鷹を使う必要まではないはずです」

 人の足よりも鷹が優れている点は圧倒的な速さ。地形を考慮せず一気に相手まで文を届ける必要がある場合に使う。伝書に使われる鷹はどれも長い訓練を経ているが、それでも相手に届く確率は人の手より大きく落ちる。それを利用するということは――

「その先までいかれたかァ」

 のっぴきならぬ状況であることを示しているのだ。

「おそらくは。先導にはエルリードを目指すよう伝えました」

「さァて、あっちもこっちも火種がくすぶっておる。この感じは堪らんなァ」

「正直、この状況を楽しんでいる自分もおります」

「それでこそカンペアドールよ! 次なる戦場へ往くぞォ!」

「ハッ!」

 向かうはエルリード。待ち受けるは――


     ○


 ラインベルカは意気消沈していた。首を取ってくると豪語したくせに決着つかず、形上は引き分けだが戦力差は明確に存在した。失望されている、その想いが足取りを重たくしていたのだ。だが、それよりも重症のものがいた。

 ジャクリーヌである。彼、もとい彼女は詰まされていた。自分の実力を過信し深くまで入り込み、結果二人の『烈』に挟み込まれた。生きているのは相手が退いてくれたから、戦が続いていれば自分が取られ、戦局は一気に敗色に塗り替えられていたはずである。

「気を落とすな。あのカンペアドールが一枚上手だっただけだ」

 マルスランの慰めもジャクリーヌには届かない。そもそも彼らは三貴士である。上手をいかれること自体が恥。国を代表する武力がカンペアドールとはいえ新進気鋭若手に翻弄されたのでは言い訳のしようがない。

「はいはーい。みんなおつかれちゃーん」

 びくりとするラインベルカとジャクリーヌ。マルスランの顔色も決して良くはない。失態は犯さなかったが功も上げていない。三貴士としてはどちらにしても失格である。

「暗いねえ。ま、これで問題は明らかになったでしょ?」

 ルドルフのいう問題、それはネーデルクスが抱えてきた――

「古いんだよねえ、うちの戦。同じ保守仲間だったエスタードがああやって新しい風を吹かせちゃった。ってことは……古典的な戦をやってるのはもううちだけってことじゃね? そりゃ負けるよ。その辺どうにかならないかなあ?」

 保守的という欠陥。以前にはウィリアム・リウィウスにも突きつけられたモノが、今回の戦でさらに浮き彫りとなった。『策烈』のエルビラ、実戦経験はほとんどなく大きな戦は今回が初めて。実績なき人材にカンペアドールを名乗らせる器量がエスタードにはある。ネーデルクスにはない。

 その差が今回の戦で浮き出た問題である。

「まま、その辺は考えがあるし僕に任せちゃってよ。そろそろクソ親父も死ぬだろうしハースブルクは僕のもの、空気の入れ替えだって好き放題やっちゃうからさ。あとラインベルカ――」

 ラインベルカがしゅんとする。この辺りが三貴士っぽくない。

「よくエル・シドに引き分けた。これからも励め」

 叱責が飛んでくると思っていた。まさかそれとは反対に褒め言葉が来るとはこの場の誰も思っていなかった。失望の底にいるジャクリーヌですら顔を上げて唖然としている。

「この戦に問題があったとすればそれはこの国が抱える問題でしかない。そーいうのは正直君らの問題ってより僕側の問題なんだよねえ。そして僕は頭を下げたくない。だからとりあえず褒めとこうかなーって。持てる力は出し切った。とりあえずそれでいーじゃん」

 ルドルフは全員の前に躍り出る。

「ただこのままで良いってわけじゃーない。各々己が役割を理解し克己せよ。ラインベルカとマルスラン、ジャクリーヌは強くなれ。歴代最強の三貴士として君臨せよ。この国の問題は僕が払拭する。その辺は安心していいよ」

 ルドルフが浮かべている笑みは軽薄そのもの。しかし言葉の重みは――

「この国を変えるぞ。じゃないとマジで滅んじゃうぜ。そーゆう時代が来た。七王国だからってのはもう意味がない。巨星だからってのも無意味。人材が後から後から湧いて出てくる。一昔前なら誰もが頂点を目指せた才能ばかり。そーゆうのが集まっちゃったのがこの時代だ。その中で一際輝く連中は、たぶん数年の間で巨星を喰っちゃうぜ」

 数年で巨星が堕ちる。その言葉にざわつく周囲。

「強くなんないとね。とりあえず生き延びなきゃおちおちおっぱいももめない。何事も命あっての物種さ」

 強くならねばならない。変わらねばならない。そうせねば滅ぶ時代が来た。

「そんじゃ手始めにこの辺一帯を食い荒らしとこうか。エスタードは全軍撤退した。たぶん何処かの誰かさんに手一杯なんでしょ。僕らはその隙にいただけるものはいただいとこう。休むのはその後でよろしく」

 アルカディア側を空にしたことにより軽度ながら国土を荒らされた。その換わりにエルマス・デ・グランを入手したのだが、さらに喰えるなら喰っておくべき。各拠点を手に入れて維持することは出来ずとも、食料や住民を奪っておけばそれだけで多少の国力は削ぐことができる。

「そんじゃあもうひとふんばりがんばろー!」

 奪わねば奪われる。まさに戦の時代がやってきた。


     ○


 アポロニアはエルビラの読み通りエルリード近郊まで歩を進めていた。眼前に敷かれた軍勢を率いるのはディノ・シド・カンペアドールなどのエスタードが誇る精鋭。対するアークランド側もほとんどの騎士たちが集結していた。

「……女王陛下に進言する。この場は退却すべきだ」

 ヴォーティガンの発言に一同眉をひそめた。アポロニアだけは表情を変えていない。

「馬鹿かよおっさん。此処まで来て今更臆病風ってありえないでしょ」

 メドラウトが小ばかにした発言をする。普段なら噛み付くヴォーティガンだが、メドラウトの言葉を黙殺しその目はアポロニアにだけ注がれていた。

「ヴォーティガンの戦況を見る目は本物だ。以前の大戦では誰よりも先んじて撤退を決断した」

 トリストラムは目を閉じながら腕を組んでいる。先んじて撤退、その言葉を聞いた瞬間ヴォーティガンの瞳が揺れた。

「馬鹿にしてるわけじゃねえよな。実際、あのときの俺たちは詰んでいた。それに気付かず誰もが熱に浮かされていた。今みたいな状況で……まともだったのはサー・ヴォーティガンただ一人だった。ったく、もう忘れてやがったぜ俺の鳥頭はよ」

 ローエングリンもまた過去の経験からヴォーティガンの発言を後押しする。臆病であることは悪いことではない。無謀なものと臆病なものならば臆病な方を重用すべきである。

「何を感じる?」

「改めて、巨星の大きさを」

「私では勝てぬか」

「今のままならば」

 ベイリンはその発言を聞いて剣を抜く。味方であろうと己が姫を侮辱するものは許せない。「動くな」とそれを制したのはローエングリンの槍。

「私は良い部下を持った。此処は我慢のし時なのだろう」

 アポロニアもまた感じていたのだ。自分の炎は今のままでは烈日の前に飲み込まれるだろうことを。それでも此処まで進んでしまったのは自身の情熱を制御し切れなかったから。ヴォーティガンが止めていなかったら挑戦と称してぶつかりにいっただろう。

 そして負けたかもしれない。

「いきなり首都は取れぬでしょう。流れは我らにあるとはいえ」

 ユーフェミアは撤退に賛同した。当然ローエングリンとトリストラムも賛同の意を示す。メドラウトら若手は若干不満げな表情であったが、アポロニアの決定には従う様子。

「ヴォーティガンの目利きを信ずる。我らはこの場から離脱、南に歩を進める」

 アポロニアは紅蓮のマントをはためかせ南を指差した。

「まずはこの大陸での足がかりを得る。此方での国が必要だ」

 アポロニアの言を皆理解した。国を得る。必要なのは器。

「往くぞ」

「御意!」

 此度のガルニアは猪突猛進だけが取り柄の猪にあらず。


     ○


 アポロニアがエルリード近郊を離脱したすぐに、時を同じくしてエル・シドとエルビラがエルリードに降り立った。殺気立つ首都、音頭を取っていたディノはエル・シドを見るなり頭を下げた。直接抜かれたチェだけではない。まともに勝った戦場はひとつとして存在しないのだ。全員が戦犯に等しい。少なくともカンペアドールの名を持つものにとっては――

「アークの小娘はどうした?」

「おそらくは撤退したものと思われます。監視は追わせておりますが」

「そうか……下がってよい」

「ハッ!」

 ディノの背中には滝のような汗が流れていた。エル・シドは思ったよりも冷静であったが、機嫌次第ではディノの命はなかっただろう。

「ディノ様、そちらの部下が集めた情報、私に集約していただきたい」

「わかった。他の連中にも伝えておく。情けない姿を見せたな」

「いえ、私の見立ての甘さが招いた状況です。『今』のチェ様が討たれることは想定していましたが、抜かれた後これほどの速さでエルリードに到達するとは思っていませんでした」

 思った以上にアポロニアは強かった。そして思ったよりも賢い。首都を守るエスタード軍にエル・シドやエルビラが加われば世界最強クラスの軍と化す。常軌を逸した戦力を誇る巨星と、それに唯一欠けていた知恵を持つカンペアドール。そして彼らを補佐する他のカンペアドールと烈のふたつ名持ち。いかにアークランドが強くとも、おそらくエスタードの勝ちは揺るがない。よしんばアポロニアがエル・シドに勝ったとしても、そもそもの地力に差があるのだ。七王国とその他では。

「ですが今回の戦でネーデルクス、アークランド共に情報は揃うはず。なればこれから先、全てにおいて先手は取らせません」

 エルビラの眼が燃えていた。眼鏡越しでもわかる熱情、それこそが彼女にカンペアドールを感じる瞬間である。エスタードにも若い芽は芽生えている。すべては此処からであった。


     ○


 世界は動き始めた。本当の激動がやってくる。序章でこれほど動いた世界。かつてないほど大きな波が押し寄せてくる。いまだ頭上には巨大な恒星が三つ。それを食い破ろうと数多の星星が力をつけようとしている。

「此処がサンバルトか。暖かく良い場所だ。冬でも寒くないと噂を聞いたぞ」

「暖かく冬でも雪が降らないそうです。真かはわかりませぬがユーウェインからの文にはそう書かれておりました」

「……素晴らしいな。此処を我らの住処としよう。では――」

 力無きは滅ぶのみ。

「――蹂躙する!」

 星星の輝きの燃料は血である。弱きモノたちの血こそ彼らに輝きを与える。血で血を洗う戦の果てに英傑が生まれる。それが一気に何人も生まれようとしているのだ。なれば相応の血がいるだろう。戦が彼らを生み、彼らが戦を生む。

 世界は業でできている。業の塔の高きに登るは誰か――

「まだまだ甘い! もっと感覚を研ぎ済ませろ!」

「こ、なくそォオ!」

 誰よりも堕ちるのは――

「ウィリアム君、第三軍の処遇と軍備再編について私と少し話そうか」

「喜んで。じっくり話しましょう。どうしたら自然な形で殿下の力が増すのか、を」

 誰よりも人の道を外れるのは――


 どの星か。世界はさらに加速する。弱きものにとっての地獄が始まった。

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