幕間:引っ越し

 ウィリアムは荷造りをしていた。長く世話になったテイラー家をとうとう出るのだ。流石に爵位を得てなお他人の家に世話になるわけにもいかない。貴族の仲間入りをした以上、貴族らしい振る舞いが求められるのだ。他人の家に居候をするなどありえない。

 ちなみにアルカディアは土地が爵位を表すのではなく、爵位によってその位に見合った土地が割り振られる。土地が先ではなく爵位が先なのだ。つまり爵位によって明確な格差があるのがアルカディアの特徴である。その中で男爵位は旧来からの領地持ちと新参の非領地持ちが存在する。ウィリアムは当然のように領地を持たない男爵に分類される。男爵の中でも格下という扱い。良い領地持ちが上の貴族という構図は古今東西どういう国でも変わらないのかもしれない。

「……本以外の荷物がない」

 あらかじめ嵩張るであろう本は搬出済み。その後改めて部屋を見るとがらんどうなのである。そもそもほとんどアルカスにいなかったとはいえ、何年も住んだ部屋とは思えないほどの荷物量。まあその分本はとてつもない量であったが――

「すっきり、しましたね」

 本の整理と荷物をまとめる手伝いをしていたルトガルド。その目には穏やかな笑みが浮かんでいた。ウィリアムも「ええ」と相槌を打ち、窓際に手招く。隣り合う二人。

「もう御屋敷は買われたのですよね?」

「貴族街の隅っこに小さな家です。まあ独り身には小さくとも一軒屋自体過分な気もしますが」

「必要のないものでも必要になる。貴族のわからないところです」

「ですね。貴族に限らず世の中にはこうあるべきだというものが多過ぎる。本当に必要なのか考えることもせず、ただ皆がそう言うから欲する。前に倣えとばかりに……そういう考えなしだから抜け出せないというのに」

 ウィリアムは窓から見える外側の世界に目を向ける。ほんの一週間前までは自分もあの世界の一部であった。こちら側にいるのはテイラー家の厚意であり、場違いな感覚はぬぐえなかった。だが今は違う。一年じっくりと、そして一夜にして世界に馴染んだ。

 この世界に馴染み始めている『自分』にウィリアムは笑いそうになる。

「抜け出した先を想像出来るかどうかだと思います」

 ルトガルドの返しにウィリアムは内心「ほう」と感嘆する。この娘はやはり賢い。物事の本質を理解している。先を見通せないから現状に甘んじる。先行投資をしようにも何をしたら良いかわからない。それが多数だと言っているのだ。

「そう言えばルトガルド様に――」

 ふと問いたくなる。この娘に。しかしそれは娘の指に遮られた。そっと唇に添えられる人差し指。娘に似合わぬいたずらっぽい表情。

「私は男爵の娘です。兄は伯爵になりましたが、どちらにせよ爵位を持つ殿方が私のような女に様をつける道理はありません。そもそもウィリアム様の弁ではこのような礼儀もまたこうあるべき無駄なものでしょう? 違いますか?」

 最近ルトガルドはこういう一面を見せるようになった。ちょっと前まではそれこそ物怖じして怖がっていた印象がある。踏み込むことを恐れ、軽々に動かない。今は少し違う。軽々に動かないのは変わりないが、何か基準を得たのかある一定のところを除いては、少し歩み寄ろうとする姿勢が垣間見えた。

「一本取られたか。確かに無駄だ、道理にも合わない。君の言う通りだよ、ルトガルド」

 ウィリアムは初めて娘を呼び捨てにした。それがとても嬉しかったのかルトガルドはふわりと微笑む。大輪の華のような派手さはないが、野原に咲く小さな花のような――

「たまに会いに行ってもいいですか、ウィリアム」

 ルトガルドもまた一歩踏み出す。確実に縮まった距離。しかしその距離はウィリアムを不快にさせない程度に離れていた。そのさじ加減が絶妙なのだ。だからこそそばにいて気疲れしない、ある程度自然体でいられるのかもしれない。

「もちろん。私もたまに此方へ尋ねようと思います」

 今までのような距離感じゃいられない。ルトガルドの好意に気づかないほど鈍感ではない。今のウィリアムならばモテて当たり前。しかしルトガルドは当初からそういう気があったような記憶がある。一度問うてみたいと思っていた。

(いや、やめておこう)

 折角形成されている心地よい距離感。この質問で崩れることになるだろう。ウィリアムの想像通りの崩れ方ならば良い。問題はそうでない場合、どこかウィリアムは娘を恐れていた。何か、別の引き出しがあるのではないかと。この賢い娘が何を見て、何を感じ、何を知っているのか、ほんの少しだけ恐れていた。

 隣に感じる温もり。その温かさを感じながら――


     ○


 ウィリアムとして手に入れた初めての家。貴族街の外れに位置するその建物は、以前別の貴族が住んでいた住居である。その貴族は当主を戦争で失い、後に没落。家だけがこうして残されていたのをウィリアムが買い取った。

「…………」

 アルカス中心の生活を行うなら家は必須である。逆に言えばウィリアムにとって家とは形があればいいのだ。一番嵩張る本はもう一つの場所に移してある。この家に必要なのは最低限の生活用品と書類仕事をこなせる大きな机があればいい。だからこそ小さな家を選択した。大き過ぎるのはウィリアムの格的にありえないが、この小ささは少しばかり慎ましやかに過ぎる気もする。

「小さい、汚い、みすぼらしい! ついでに品もない!」

 掃除などしていないので汚いのは仕方がない。あと数時間もすれば賃金欲しさにユリアン含めた部下たちが清掃に来るだろう。ウィリアムとしても助かるので多少なりとも多く支払うつもりであったが。

「よーし、掃除するぞー!」

「おー!」「ぉ、おー」

「エルネスタ声が小さい!」

 そんなことは些事である。とにもかくにも此処はウィリアムの家で、まだ本人でさえ購入前に一度足を運んだ程度。ウィリアムとしては此処から自分の使い易いように、家具の配置等考えていた。特に机の位置は大事である。

「机はそこにしましょう。お願いねヘルガ」

「はい、テレージアお嬢様」

 机の位置はとても大事なのだ。次点はベッドである。何しろベッドとは睡眠を司る重要な道具。人間の一日、その三割は寝ているのだ。ウィリアムも睡眠には気を使っている。良い睡眠は頭を休め、脳は自動的に物事を整理してくれる。それをウィリアムは実感として理解していた。そんな大事なものも――

「マリアンネはここでねます」

「ベッドの配置は日当たりも考えるとこの辺りが最適と思います。あとマリアンネは私と一緒にこの後帰りますよ」

「えっ!?」

 すでに決まっていた。ベルンバッハお抱えのメイドが異常な力を発揮して、机もベッドもひょいひょい運んでいく。とはいえ驚くべきポイントはそこではない。もちろんヘルガの力は驚きに値するが、それよりも――

「あ、ウィリアム様お帰りなさい! 今、お掃除するからちょっと待っててね!」

「あ、はい」

 此処はウィリアムの家である。そしてこの家に同居人はいない。メイドの一人すら面倒なので雇わなかったのだ。そもそも此処にウィリアム以外の人がいるだけでおかしな話である。ましてや「お帰りなさい」など、どう考えても理屈に合わない。

「ところで一点質問してもよろしいでしょうか?」

「煩いから黙りなさい。今、部屋割りを考えているんだから」

 すでにこの家に理屈はなかった。

「にいちゃん。おなかすいた。おかしちょうだい」

 もちろんウィリアムに弟妹はいない。そもそも肉親がいない。

「……にいちゃん?」

 ウィリアムは自分に指を差す。小さなマリアンネは当たり前だと言わんばかりに頷いた。その迷いのなさにウィリアムはため息をついて、おそらく色々と吹き込んでいるのであろう諸悪の根源を見た。根源は一心不乱に掃除をしていた。

「にいちゃんおかし」

 ウィリアムは心の中で天を仰ぐ。もし計算づくならば見事な豪腕、天然ならば泣きたくなる。たった一歩を亀のように進む者もいれば、たった一歩で兎のようにぴょんと進む者もいる。この兎はぴょんと言うよりもドカン、だが。

「その箱の中に知人からもらった砂糖が入っている。ただの塊で良ければ――」

「にいちゃんだいすき!」

 小さなマリアンネは脱兎の如く駆け出し、木箱に飛びついた。箱をがさごそとあさる姿に教養はない。少々奔放に育て過ぎているのではないかと苦言を呈したい。

「あ、そうだ。忘れてた」

 てててとウィリアムに向かってくる諸悪の根源、ヴィクトーリア・フォン・ベルンバッハ。はにかみながら此方に寄ってきて、ルトガルドが何年もかけて縮めた距離をぴょんと超えて来る。其処に気遣いや遠慮はない。ただありのままの自分を全力でぶつけてきているのだ。

「今日は一つお願いに参りました」

 だからこそ厄介。

「料理は苦手です。掃除も苦手です。洗濯も得意ではないです。でも愛があります。だから頑張れます、頑張ります! だから私をこの家に置いてくださいッ!」

 ウィリアムの背中には大量の冷や汗。ちらりと周囲を見るが、どぎつい目で睨んでくる女性が一人、作業をしながらちらちらとこちらを見ている女性が一人、砂糖を一心不乱に口に放り込んでいるのが一人、そして極めつけは――ニコニコと微笑みながら頭を下げる女性が一人。頭を上げた後は「まさか断りませんよね?」ともうひと微笑み。

「し、しかし御父上のご了承がなければ大事な――」

 すっと微笑みの女神様、一女テレージアが書状を差し出した。封蝋の文様はベルンバッハ当主しか持ち得ないもの。ひと目でそれを看過し、ウィリアムはうなだれた。ひらりひらりとかわしてきたが、これはかわせない。かわそうものならばベルンバッハと袂を分かつことになる。今は、まだ時期尚早なのだ。

「え、と、よくわからないけどきっと大丈夫です!」

 封蝋の意味がわかっていないのはこの中でマリアンネとヴィクトーリアくらいだろう。小さなマリアンネと同列の時点で結構まずいが、本人は一切気にしていない。気にせずニコニコと、そしてそわそわとウィリアムの言葉を待っていた。

「わかりました。大事なご息女をお預かりしますと伯爵にお伝えください」

「…………」

 ヴィクトーリアには少し遠回りであった。そしてわかっているはずの周囲も黙っている。何か口走ろうとしたヴィルヘルミーナの口をテレージアがにこやかに塞いでいる。酸欠気味なのか少し顔が紫色である。

「一緒に住みましょう。ヴィクトーリア様」

「…………」

 てっきり嬉しさの余り飛び跳ねるのかと思いきや、ヴィクトーリアはそれを聞いてなおぼーっとしていた。これほど直接的な物言いでも通じないのかと思ったウィリアムは再度説明しようと口を開――

 ヴィクトーリアはぱたりとウィリアムの方に倒れ掛かる。それはウィリアムの意識の外であった。とんと胸で感じる額のぬくもり。脱力しているのか力なく回された腕から伝わる想いの外、儚い感覚。すっと飛び込んできた――

「嬉しい」

 顔を上げれば満面の笑み。そこにあるのは元気だけでも、勢いだけでもない。断られるのではないかという不安、そこから開放された安堵、そしてそれらをかき消してしまうほどの嬉々たる想い。

 ウィリアムの手は宙をさまよっている。その手は今にも胸の中にある温もりを抱こうとしている。それが恐ろしい。これほど恐ろしいことがあるだろうか。ウィリアムはこわばる顔を隠すので精一杯であった。たった一歩、『一歩』で『自分』が殺されかけたのだ。

 その様子をヴィルヘルミーナとエルネスタは戸惑っていると捉えた。実際、ヴィクトーリアの行動は突発的なものであったし、驚きに値するだろう。そこで見せた弱い一面も家族でなければはじめて見るものである。そう捉えるのも当然のことであった。

 しかしテレージアはその光景を見て初めて微笑みを崩した。一瞬だけ悲しげな顔を見せる。それがどういった意図を持つのか、知るはテレージアただ一人。

「ねえねえにいちゃん」

 袖をくいくいと引っ張るマリアンネ。空気はとことん読まない。

「ねむい。だっこして」

 ぐいっと二人の間に割って入り、そのまま姉を足蹴にしてウィリアムの肩に掴まった。「ぎゃあ」と倒れる姉を尻目に、服をがっしり掴み虫のように張り付くマリアンネ。仕方なくウィリアムが支えてやった瞬間、ここぞとばかりに寝息を立てる。余りの早業にエルネスタらが止める暇もなかった。そして寝息を立てた以上手放すことも出来ず、父のように抱きとめてやるしかなかった。

「引越しだと聞いてたのでお手伝いしようと来ましたけど――」

 ウィリアムは自身の背後で発せられた声に、おそるおそる振り向いた。

「お邪魔でしたね。僕ら後から手伝いますのでごゆっくり!」

 どういう勘違いをしたかもわからないユリアンらが早合点と共に去っていった。残ったのは物凄く冷めた目をしたシュルヴィア一人。

「幸せそうだな。白髪鬼畜お父さん」

「……どういたしまして」

 久方ぶりに状況がウィリアムの処理能力を上回った。憎たらしいほどすやすやと眠るマリアンネはきっとよく育つことだろう。

 そんなこんなでウィリアムの新居は、初日からウィリアムだけのものではなくなってしまった。


     ○


 ヴラドは天へグラスを掲げた。その光景を後ろで見ているのはテレージアとヴィルヘルミーナ、メイド長であるヘルガも控えている。

「ウィリアム・リウィウスを押さえたか」

「はい。すべては当主であるロード・ベルンバッハの思惑通りに」

 テレージアはヴラドの背に声をかけた。振り向かず「うむ」と応じた男の背を、ヴィルヘルミーナは嫌悪のまなざしで見つめていた。

「まさかヴィクトーリアが役立つとはな……見込みなしと思っていたが」

 その言葉を聞いてテレージアも哀しげに目を背ける。

「本当に愛おしい娘だ。思えば……たった一年、たった一年先んじただけでこの有様。ウィリアムを見出し、力を与えた。恩を売った」

 後ろからヴラドの表情をうかがうことは出来ない。伺おうとも思わない。その貌に浮かぶ表情は、きっとテレージアにとって消し去りたい過去を彷彿とさせるから――

「先に救われたのは此方です」

「それは些事だテレージア。それは出会いのきっかけでしかない。私が与えたのはもっとわかりやすく、そして明確なものだ。突発的な恩ではなく、公人として返さねばならぬ恩、肩書きという剥がれ得ぬ恩義。誰が見ても私が与え、誰が考えても私に返さねばならぬ恩」

 ヴラドはぶどう酒を一気に呷る。勢い余り口の端からこぼれたそれは血のような赤き色。

「私は与えてきた。そろそろ返してもらわねばな。ゆるりと、確実に、我が一族、ベルンバッハが高きを往く為に」

 ヴラドの野心が燃えていた。ようやく手に入れた軍部への足がかり。それは思ったよりも早く、強大に成長した。ウィリアムを買っていたはずのヴラドでさえ値付けを誤ったのだ。世間がウィリアムを過少に評価していた。一年で此処まで駆け上がった怪物を。

「今後も逐次ヴィクトーリアをサポートせよ。場合によってはエルネスタをつけても良い。必ず押さえろ。あれが私の、ベルンバッハの未来を握っていると思え」

「「御意」」

 二人は頭を下げ任を承る。そのまま踵を返しテレージアは退出していく。このまま熱を持ったこの男のそばにいたら、おそらく娘であろうと関係なく――

「ヘルガ……私は昂ぶっておる」

「御用意しております。今宵も厳選した素材を心行くままにご堪能ください」

「うむ、今日は興が乗っている。……二、三匹壊すかもしれんな」

「お気の向くままに、マイ・ロード」

 ヴラドの顔には邪悪な笑みが浮かんでいた。どうしようもなく狂った貌。およそ人とは思えぬ醜いこれこそ、ヴラドの裏の貌である。

 良い月が出ている。赤茶けた月下、哀しい喜劇をヴラドは踊る。

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