幕間:修行

 深夜、街から灯りが消えしばらくすると音が消える。寝静まった闇の中を一人の男が歩いていた。夜目が利くのか月明かりだけで足を運ぶ男。迷いなく、そして静かに世界を歩む。

 男はシンプルな仮面とチープなかつらを装着していた。自分の存在を気取らせないために、今からの出会いを誰にも知られないために、男は姿を変え闇にまぎれる。

 いくつもの小さく暗い路地を抜け、ぽっかりと空いたデッドスポット。この国の死角とも呼べるような空間に、大柄な男と褐色の女性がいた。

「久しぶりだな。随分立派になったじゃないか」

 大柄な男、カイルは口を開く。その軽口を聞いて仮面の男も笑みを浮かべた。

「お互い様だ。ファヴェーラは最近どうだ?」

 褐色の女性、ファヴェーラは無表情で仮面の男に視線を合わせる。

「ぼちぼち」

「そうか。なら良い」

「アルはどう?」

 今となってはこの二人しか知らない名、それを聞いて仮面の男、ウィリアムは苦笑した。どれだけ変わってもファヴェーラにとってアルはアル、ウィリアムにはなりえないということだろう。幾度も注意したが何故か其処に関しては頑なであった。

「絶好調だ。ほい、土産」

 ウィリアムは仮面とかつらを外して放り投げた後、少し膨らんでいた懐からりんごを三つ取り出した。そのまま放り投げ、綺麗な放物線を描き二人はそれをキャッチする。

「筆頭将軍付きの副官、大商会の長、婚約者と同棲、確かに絶好調だ。うらやましいよ」

「棘があるな筋肉ゴリラ」

「素直に褒めてるのさ、やせっぽち君」

 久しぶりの空気感に自然とウィリアムの口元も緩む。これほど気楽になれたのはいつ以来だろうか。この二人しかいないのだ。本当の意味で腹を割って話せる相手は。もちろん話せないことも多いが――

「同棲、楽しい?」

「楽しいわけがないだろ。基本的に煩い。がさつだし品もない。デリカシーという言葉も知らないだろう。女の癖に料理の一つも出来やしない。塩を薄めようと砂糖を使い始めるほど愚かだ。出来るのは自分が大好きなお菓子作りだけ。得意なことはダンスと木登りだとよ。猿かっての。しかも社交の場でする踊りは苦手ときた」

 吐き捨てるように飛び出す愚痴の数々。それを見てカイルは目を見開いた。逆にファヴェーラは目を細める。

「嫌よ嫌よも好きの内ってな」

「ありえねえ。天地がひっくり返ってもありえねえ」

 必死の否定にカイルの笑みが深まる。

 ウィリアムがあの日からこれほど他者に対し感情を向けたことがあっただろうか。たとえそれがどんな感情であれ、動かしたことは事実。本人は気付いていないが、どこか揺れ動くものがあるのだろう。

 だからこそ――

「あれはヴラドの娘」

 ファヴェーラの目は冷たかった。そして指摘されたウィリアムもまた顔からゆるみが消える。カイルはファヴェーラを睨むも、視線が合わさることはなかった。

「そんなことわかっている。あくまであの女は取っ掛かりだ。俺が『上』に上がるための、俺がヴラドを殺すための……それだけの存在だ」

 言葉に冷たさが混じる。その冷たさをファヴェーラは心地よく感じていた。

「もういいだろう、その話は。で、今日は何の用向きだ? 久しぶりに顔を見たい、だけなら親友冥利に尽きるが……そういう余裕はないだろう」

 今日、何故三人で集まることになったのか。その理由をカイルは問う。

「半分は会いたかったからさ。大事な親友に久しく会ってなかったからな」

 大事な親友の下りでファヴェーラは足をぷらつかせる。無表情だがご機嫌な証である。

「で、もう半分は?」

 カイルはそれをおべんちゃらと切って捨てた。その様にウィリアムはため息が出てしまう。一応本音なのだが、まあ嘘まみれの自分を信用しろというのも無理な話。というよりも勿体つけるなという急かしも入っているだろう。じらすほどのことでもない。

「稽古をつけて欲しい」

 意外な回答にカイルは目を丸くする。

「別に構わんが。そのためにわざわざ集めたのか? 少し解せんぞ」

「前より少し踏み込んだ奴だ。出来れば毎日頼みたい」

「それは無理だ。俺にも予定はあるし、そもそも俺とお前が頻繁に会うわけにもいかんだろ。此処だって絶対安全ってわけじゃない。剣戟の音ってのは存外響くものだ」

 この場は彼らがよく集まっていたところだが、アルカスの中であることは変わらないし、人通りもゼロではない。安全と言うには程遠い。

「んなことわかってるよ。土地は用意した。本来別の用途だが、この冬はまだ活用できないだろう。そこを使う。ある程度の敷地もあるし、少し手狭だが屋内の訓練場もある。出入り口は貴族街の外の小屋に繋げてあるから人目は気にならん」

 随分と用意の良いウィリアム。そうまでしてカイルと稽古がしたい理由がわからない。

「毎日は無理でも出来るだけ来て欲しい。頼む」

 頭を下げるウィリアム。本気度が伝わりカイルは頭をかいた。

「そうまでして…………力が要るのか?」

「ああ。三大巨星と呼ばれる輩とやりあった。そして痛感したよ……奴らがいる限り戦場で王の座は空かない。座に至るには……奴らが邪魔だ」

 カイルは三大巨星という単語を聞いて手を握り締める。血が滲むほど。

「別にタイマンで勝つ必要はない。ない、が、そのための策を練るよりも俺が強くなった方が手っ取り早いし応用が利く。何より強くなって損はないからな」

 それにウィリアムは何かを予感していた。このままでは激動の世界に飲み込まれてしまう。抗うには力が要るのだ。巨星をも超える力が。

「金なら払う。どうだ、やってくれるか?」

 カイルは無言。稽古自体は二人ともフリーになった夜間で行えば良い。そもカイルは最近暇である。強すぎて挑戦者がいないのだ。だから稽古をつけてやることは可能。あとはするかしないかだけ。すべての条件はクリアされているのだから。

「構わん。だがそのレベルに挑戦するならば……俺も本気で往く」

 カイルの目に浮かぶのは焼け付くような戦禍。その地獄の果てで見つけた希望。

「生き延びろ。今までのように加減はしてやれん」

 アル、ファヴェーラ、地獄の果てで見つけた自分の生きる意味。くそったれな世界で見つけた唯一信じられるもの。互いが互いを無条件に信頼している。どれだけ離れていてもそれが実感としてある。

「ありがたい」

 ウィリアムはこの場の居心地のよさに苦笑する。もはや今の自分がこうして一瞬でも救われてはならないのだ。一時でも心地よさを感じては、一瞬でも幸せを感じては、刹那でも――その瞬間自分の中で積み上げた塔が揺らいでしまう。

「……いつもカイルばかり」

 ふてくされた声のファヴェーラ。顔は無表情。

「不貞腐れるなよ。手伝いが必要になったら声をかけるさ。信頼してる」

 その言葉だけで沈黙するファヴェーラ。内心はウキウキである。

「で、その別の用途で買った土地ってのは何処にあるんだ?」

「今から案内する。本来の目的には手狭だが、二人が訓練するだけなら過剰な場所だ」

「私もついていく。暇だから」

「構わないさ。人目はない。何せ俺の土地だからな」

 冗談めかせて威張り顔を見せるウィリアム。それを見てカイルは苦笑する。あの頃は冗談でも自分の土地など考えられなかった。今となっては全員ある程度収入を持ち、生活は安定している。餓えて死ぬとか鞭打ちで痛めつけられるとか、そういうことはない。今も死と隣り合わせの三人だが、体感から言うと大分死から遠ざかったと思う。

 最も死の近かった時代、それが彼らの友情を育み、彼らのバックボーンとなっていた。


     ○


 夜闇にまぎれているが、その土地の広さを理解できないほどカイルは間抜けではない。集団が軽く身体を動かせる程度の庭、簡単なつくりの訓練場も小さいが個人が所有するには十二分な大きさ。何の用途かわからないが、これを個人で所有できる程度の財力をウィリアムは備えているのだ。

「お金持ち」

 しかも此処は外れとはいえ貴族街。地価の問題もある。市民街の最上級ほどではないが、中流の土地ならば単純計算で倍の広さが買えるだろう。

「商会の金で買ったからな。流石にここを個人で買えるほどの収入はないさ」

「……なるほどな。何かの商売で使うつもりか」

 ウィリアムが見栄でこのような土地を買うわけがない。個人には過剰な土地も集団ならむしろ手狭に感じるだろう。無駄を嫌う性格なのは昔から変わらない。

「商売……ってのは違うな。どちらかというと投資の類だ。未来への投資、この俺の『力』を育てるための施設――」

 ある意味でこの場こそウィリアムにとって最重要な場所となる。投資が実るのは遥か先、しかして実らばウィリアムはこの国で無二の力を得る。

「学校だ。商と武、二つの世界に育てた人材を送り込む。十年、二十年先への投資だ」

 ウィリアムは商の世界、武の世界、どちらにもある程度の力を得た。しかしこの程度では満足していない。されど一人の力では限界がある。そのための手足を育てようというのだ。これは将来の、大将になった、王になった自分を支えるための投資である。

「まだ器だけだがな。中身の選定はこれからだ。どれだけ素晴らしい教育でも中身が腐っていたら宝の持ち腐れ、逆もまた然りってな。実に興味深い世界だろ」

 ウィリアムは挑戦的な笑みを浮かべる。武にしろ商にしろ未だ頂は遠いが、ある程度の到達点は見えてきた。気を抜ける状況ではないが挑戦という感覚は薄れてきていた。だが教えるという行為、育てるという過程はカールや自分の部隊程度の経験しかない。一から育てた、自分の『力』として育てた経験は皆無なのだ。

 単純に新しい世界は面白い。それがウィリアムという男の、名を得る前からの――

「……良い顔だな」

 カイルは小さな声でつぶやく。聞き取ったファヴェーラも静かに目を瞑る。何かの思いに浸るかのように。静かに、深く――

「ん? 何か言ったか?」

 ウィリアムは聞き返す。「いや、何もない」とカイルは首を振る。それで会話は終わり、特に意味のないやり取り。ウィリアムは一瞬でこのやり取りを忘れ去るだろう。しかし二人はこの日見た彼の笑みを忘れない。彼の根幹が、変わる事のない運命が。

「ん、じゃあ屋内の訓練場に行こうか。そこで――」

「今日からってことか。わかったよやせっぽっち君」

「うるせえよゴリラ。覚悟しとけ」

 二人はいたずらっぽく笑い合う。それを後ろでこっそりと微笑むファヴェーラ。この時ばかりは昔ながらの彼らがあった。夜の帳が彼らの蜜月を覆い隠す。表立つことのない彼らの絆を――


     ○


 ヴォルフは土ぼこりのまみれて転げる。その手にはすでに握力を残していない。それでも剣を握り締め、歯をかみ締めて立ち上がる。それを見下ろす英雄王。幾度とない剣戟の果て、傷一つのない英雄王と傷だらけの黒き狼。

「はっ、こんなに遠いかよ」

 ヴォルフは震えながら構えた。

「肉体的にはそれほどの差はない。あるのは想いの差だけだ」

 ヴォルフは笑ってしまう。そんなはずはないと頭が思う。

 それを見抜いたウェルキンゲトリクスは構えを解いた。

「人には日常の限界と非日常の限界がある。どこぞの国では火事場の馬鹿力と呼ぶらしいが……その非日常の限界をいつでも引き出す、肉体が出せる最大に近づける、言ってわかることではないが」

 ウェルキンゲトリクスは自身のこめかみをとんとんと叩いた。そこから力を引き出せとばかりに、理解し活用せよと助言する。

「肉体を鍛えて最大限近くを引き出す。それが出来れば我々の領域に達することが出来る。まずは自分を信じろ。限界まで鍛えた己の身体を……エル・シドで八割、ストラクレスで八割半、この私で九割程度……継戦が必要な戦場で、出せる最大出力だ。肉体の質に差はあれど全てを引き出せば誰にも負ける事はない」

 ウェルキンゲトリクスはこめかみを削る。皮が削れ血が滲む。その先にある脳を目覚めさせるかのような仕草。医学の発達していない時代、だからこそ彼らは感覚で知っていたのかもしれない。肉体には――まだ先があることを。

「まずこの感覚を身に付けた者は、自分の状態を最高に持っていくことだと考える。もちろん間違いではない。其処止まりの者も多い。そして知らずにその先に足を踏み入れている者、たとえば君のような、そういう者も多い」

 ウェルキンゲトリクスの雰囲気が一変する。神懸り的な引力が、輝きが溢れる。

「エル・シドも、おそらくは知らずにこの域に達した者の一人だろう。ストラクレスはどこか察している節はあるが……まあ割合を弾き出せる者は多く在るまい。私ほどこの感覚に詳しい者はいないのだから」

「はっ、随分な自信だな」

 ヴォルフの言葉にウェルキンゲトリクスは苦笑する。

「私は……生まれついてこの感覚を持っていた。稀にいるのだ、生まれついて十割を、その先を引き出せる怪物が。君と近い世代ならば『死神』などはわかりやすい先天性の怪物だろう。本来、十割にすら耐え得る身体ではないが、限界値を、それを超えて引き出すという意味では私よりも長けている」

 自分も含めてそういう先天性の怪物がいると言う。死神の異常性は以前フランデレンの戦場で嫌というほど感じた。確かにあれは普通ではなかっただろう。禍々しさに隠れていたが、あの空気感は単純な強さも秘めていた。それを思い出し顔を歪めるヴォルフ。

「……俺に才能がねえってか?」

 そのことにヴォルフは歯がゆさを感じた。結局己に才能がなく、それゆえにダメだと暗に言われているように感じたのだ。

「別に先天的であることが才能ではない。結局のところ肉体の鍛え方が甘いから『死神』は私より劣るし、前のままでは当然エル・シドにも勝てまい。エル・シドは記憶にある限り後天的、ストラクレスもまたそうだろう。戦場で、数多の戦を繰り返すうちに開花した。そして深めたのだ……理解せずとも、戦の中で感覚を磨くことは出来る。ある意味そちらの道筋が正しい。戦場と言う環境で必要な力は、ただ限界を引き出せば済む話でもないからな。何事も経験に基づく配分と言うモノがある。戦場の中でそれを見出すのが正道だろう」

 そしてウェルキンゲトリクスは微笑む。

「だが時間がないのだろう? ならば理解した方が近道だ。私が早々に活躍できたのは先天的な才能のため。そこから今まで君臨してきたのは、好敵手たちが皆怪物じみた肉体を持ち、負けじと私も鍛えてきたからだ。感覚から逆算して己の肉体を鍛え上げた私だからこそ『理解』を得た。その『理解』を……くれてやる!」

 ウェルキンゲトリクスはヴォルフに急接近し、ヴォルフの首めがけて剣を振るう。明らかな殺意、寸止めをする気配などない。死が迫る。

「こ、の!?」

 握力のない腕で剣を振るう。力が足りない。そのまま吹き飛びまたも転がされるヴォルフ。

「言ったろう? これは感覚の問題なのだ。君の身体は限界近くまで鍛えられている。なら伸ばすべきは感覚の方。割合を上げればそれだけ強くなる。割合を、秘めた力を引き出すならば……死を近づけるのが手っ取り早い。ゆえに、死ね。その中で見つけてみせろ、己が先を、肉体の先を――」

 英雄王の殺意が黒き狼を襲う。


     ○


 転げまわるウィリアム。しかし顔には笑みが浮かぶ。彼我の戦力差は未だ大きく広がっている。それでもウィリアムには実感があった。確かな実感、距離を縮めているという確信にも似た何か。

(少しばかり剣を合わせないうちにこのレベルか)

 カイルも驚きを隠せない。この半年、北方を制覇し巨星率いる軍勢を弾き返すキーマンになった男は、親友にして剣闘士最強の男にかなり近づいてきた。

(どうやら……何かしら掴みつつあるようだな)

 カイルたち熟練者のみが発する雰囲気。自分を限界まで引き上げるそれに、先があると感じるものもいる。実際そうなのかもしれないが、カイルの考えは違った。

 カイルは限界の先があるのではなく、限界を高めていくという風に考えている。最初はそこまでだった力が、ある日突然一歩前に進む。それを繰り返した先に今の自分があるのだと考えていた。ゆえにそれを理屈で教えることはカイルにはできないし、しない。

「もっと、もっとだ! もっと…………堕ちろォ!」

 結局のところセンスの世界。個人個人でリミッターの外し方は異なるし、引き出し方も違ってくる。カイルは一歩一歩積み上げた。さながら城を作るかのように鍛錬と実戦の石を積み上げた先が今のカイルである。

「堕ちろ堕ちろ堕ちろォォォォオオ!」

 目の前のウィリアムとは見えているものが違うだろう。ウィリアムが見ている世界はカイルとは真逆かもしれない。積み上げて昇るのがカイルならば、地の底に向かって伸びる業の塔を降りる、というよりも堕ちるのがウィリアムだ。

(いったいいくつの罪過を背負えば……こういう感性を持ち得る?)

 躯の王、業の塔の『上』に立つ。時を経て、数多の殺戮を超えて、ウィリアムの地獄は完成しつつあった。その形を感じてカイルは顔を歪めてしまう。明らかにこの塔の先に幸福はない。あるのは不幸と絶望――カイルの友が歩む道とはそういうものなのだ。

「ソ、ラァ!」

 カイルはその手に感じる剣の圧力に驚いた。あのやせっぽっちの少年が、これほどの力を手にしたのだ。どれほどの苦労があっただろうか、最初から大きな身体を持っていた自分とは違って。特筆した剣の才能も持っていたわけではない。知識だって持っていたわけではない。何もなかった、優しさだけが取り柄の少年。

「気ィ抜けてんじゃねえのか!」

「噴ッ! 甘いぞクソガリ」

「うるせえ筋肉ゴリラ!」

 努力、そう彼は努力を積み上げたのだ。知識も剣も、何もかもを後天的に手にした。身体の大きさでさえ日々の食事に対する弛まぬ努力の賜物。目的から逆算して達成のために行った数々を努力というのならば、彼の人生は努力一色と言ってもいい。

 そうして生まれた怪物は、さらなる高みを目指して力を求める。

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