巨星対新星:新時代の幕開け

 エルリードから西へ五百キロ。そこには軍港があった。世界最強の海戦屋『烈海』の拠点である。そこにはずらりと最強の船が並んでおり、海の王者に相応しい風格を放っていた。その船から出てくるのは――

 赤い髪の女であった。それを見て首を捻る軍港の関係者。『烈海』にあんな美人がいたかといぶかしむ。そもそも船に女を乗せるわけがないのだが。咄嗟のことで彼らは混乱していた。

「はじめまして。エスタードの諸君。我が名はアポロニア・オブ・アークランド、ガルニアの、アークランドの王である。よしなに」

 一瞬の静寂。破ったのは各船から飛び出してくる騎士たち。皆一様にボロボロであった。傷一つ無いのはアポロニア程度、他の者は全員死線を潜り抜けてきた様子である。

「ば、馬鹿な! ピノ様はどうした孤島の田舎者ども!」

 ようやく事態を理解したのか、エスタード側も応戦する。

 だが先陣を切る一番槍、『白鳥』のローエングリンがその始動を抑えた。

「ピノ・シド・カンペアドールは我らが『鉄騎士』と共に海の底だ。こちらも相応の犠牲を重ねた。ゆえに、陸では負けん!」

 華麗かつ剛毅な槍捌き。血潮が舞う。

「二番槍か。まあ良い。海での鬱憤を晴らさせてもらう!」

 ユーフェミアが独特の形状の剣を振り回す。双方向に長大な刃のついたツインブレード。腕力では振り回せないので、不恰好なほど装甲を重ねたかかとをぶつけて反発力を、一度ついた勢いを利用して遠心力で振り回す。見た目以上に豪快な剣。レオンヴァーンの数ある剣技の中から一番扱いづらい剣技をユーフェミアは使っていた。

「敵の大将か。その距離は……安全圏ではないぞ」

 大きな弓。人が引けるのかと疑ってしまうほど、それは大きく使うものを選ぶ神聖な雰囲気を孕んでいた。それは『弓騎士』であるこの男の一族の秘宝――

「撃ち貫け、フェイルノート」

 フェイルノート。その破壊力は人力で放つ武器の中で最長最大。当たれば即死、かすれば戦闘不能。当たらずとも戦意喪失してしまうものである。そして扱うのは『弓騎士』トリストラム。必中である。

 敵の大将が爆ぜ、場は一気に混沌めいてきた。続々と船から降り立つ騎士たち。皆一様に海から解放され生き生きと戦っていた。

 そんな中、アポロニアは静かに立ち尽くす。

 思い浮かぶのは父の戦友にして旧知の仲、若き日は競い合い高めあった古豪の騎士王、『鉄騎士』ペリノアの姿である。子のいない彼にとってアポロニアは娘のような孫のような存在であった。そんな彼が愛すべきアポロニアのために――

「大陸に着いたぞ、ペリノア。貴殿のおかげで私は乗り遅れずに済んだ。私のわがままを、貴殿は笑顔で受け入れてくれた。感謝する」

 死を恐れぬものはいない。死ねといわれて笑っていられるものがいるだろうか。だがペリノアは笑った。笑顔で死を受け入れた。アポロニアのためならば、自身の兵も含めて全ての命を投げ出そう。そして必ず烈海の連中に一泡吹かせてやろう、と。

『老い先短い命、貴女という王に捧げましょう。我らが死を背負い、戦場で輝いてくだされ。その姿をわしらは酒の肴としてあの世で待ちまする』

 小脇に抱えている無骨な兜。ペリノアが唯一残した遺品である。それをそっと陸に置く。鉄騎士の墓は陸にあるべきで、此処より始まる自身の快進撃を見てもらうためには、この地に作らねばなるまい。それに戦士の墓、血と鉄が足りない。

「見ていろ。この私の、アポロニアの戦を」

 紅蓮の炎が燃え盛る。アポロニアの命によりアークランド側が船に火をつけたのだ。

 それを背景にアポロニアは前に進む。海の上では王たる姿を見せ付けられなかった。その結果古くから懇意にしていた騎士を失った。大勢の部下を失った。全ては己が不徳の致すところ。それでも忠臣が此処まで運んでくれた。なれば――

「退け」

 王たる証を見せねばなるまい。この世界の覇者にならんとする様を見せ付ける必要がある。世界よ慄け。これが――

「な、何をしている!? 何故、何故、何故俺たちは敵である女の言葉を聞いて、道を空けたのだ!? 何故この足はすくんで動かない!?」

 アポロニア・オブ・アークランド。大陸よ、戦慄せよ。

「前進ください、姫様。貴女こそ我らが王です」

 ベイリンが紅蓮のマントをアポロニアにふわりと装着させる。アークランドの紅き王、ガルニアスの血を継ぐガルニアの覇者。力で十二の騎士王を従えた。そういう怪物が、とうとう世界に降り立ったのだ。

「アポロニア・オブ・アークランドの名において命ずる! この場全てを血に染めよ! 海で散ったものたちへの手向けである!」

 世界を揺らがせるほどの咆哮。紅蓮が爆発する。敵も味方も震えてしまう。この引力は、この若さで身につくようなモノではない。生まれついての覇者、そして数多の実戦経験が、この怪物を作り上げた。

 まさに別格。

「御意ッ!」

 騎士たちが轟く。呼応する彼らもまたアポロニアの放つ引力に惹き付けられている。良くも悪くも大人物とはこういう定めを負っているのだ。人を背負うという業を。

 大陸に覇王の遺伝子が降り立った。それはこの大陸に更なる戦乱と混沌を撒き散らす炎。戦に愛され戦を愛し、戦のために命すら惜しまない怪物であった。


     ○


 エル・シドはエルリードの王宮に足を運んでいた。その顔は険しいものである。元々恐持てではあったが、今は何人も近づけないオーラを放っていた。

「大カンペアドール卿が来られた。皆席に座れ」

 王宮の一室。そこはカンペアドールのみが入れる武官の高み。十人の席が設けられていた。其処に空いている一席にはエスタードの国花である血色の花が添えられていた。もう一席も空席はあるが、其処に関しては誰も気に留めていない。火急の用向きであってもあの席の人物が、かの赴任地を空けることの方があり得ないからである。

「皆揃っておるな。まずは俺に状況を説明しろ」

 どさりと上座に座るエル・シド。すらりとした長身の女性が立ち上がる。

「僭越ながらこのエルビラ・カンペアドールが説明させていただきます」

「端的に言え。飾りは要らん」

「心得ております」

 エルビラ・カンペアドール。エル・シド五番目の息子の子供、孫にあたり、大体六十番台の息子たちと同世代である。腕っ節はそこまでではないが、頭が切れ女性の中で唯一カンペアドールの名を与えられた才女であった。

「まず、エル・シド様がサンバルト方面へ出立。これが二週前の出来事です。サンバルト国境線へ到達、黒狼のヴォルフと交戦開始が一週前、その二日ほど前にアポロニアがエルビクの軍港へ到達。軍港を火の海、エルビクの民は見逃されましたが、蓄えていた食糧と財宝は簒奪されました」

「ピノは何故仕留められた? この短期間であやつの烈海を超える練度を手にしたというのか」

「生き延びた兵から証言を得られました。奴らの作戦は……作戦と呼ぶべきかもわかりませんが」

 口ごもるエルビラ。その様子にエル・シドは苛立ちを見せる。

「俺は飾りは要らぬと言ったはずだが」

「も、申し訳ございません!」

 急ぎ頭を下げるエルビラ。如何にカンペアドールとはいえエル・シドにとっては少し見込みのある子孫にしか過ぎず、掃いて捨てるほどいる換えの利くパーツでしかない。その気になれば即座に殺されても文句は言えないのだ。

「奴らは船を正面からぶつけてきました。当然こちらの船は世界最強の船、ぶつかれば此方の勝利は必然。しかし連中は、それでもぶつけるのをやめませんでした。結果として多数の残骸に足をとられた烈海の船団は、敵の侵入を許すことなり総力戦へ突入。船による突撃時、先陣を切って突撃してきた鉄騎士が死に体ながらピノ様の船に侵入、相打ちに持ち込まれ共に海の底へ……『烈海』を欠いた船団は全て乗っ取られ、その足で此方に上陸したものと思われます」

 先陣が突っ込み船の残骸で足を止め、後続が足の止まった船に乗り込み敵を殲滅する。まったくもって非合理の極み。そもそも船を海上で正面からぶつけるなど正気の沙汰ではない。それを買って出た鉄騎士ペリノアの、アークランドという国の異常性が垣間見えた。

「鉄騎士、か。一度やりあったがそれほど狂った輩には見えなかったぞ」

 四番目の息子、チェ・シド・カンペアドールが古き戦を思い出す。騎士王の右翼を務めた騎士の中の騎士。戦のやり方も基本に忠実、良い戦であったとチェ・シドは記憶している。

「そうさせる『力』を持つ王なのだろう? ピノの言った通り、厄介な敵というわけだ」

 ピノの親友にしてほぼ同世代の兄弟、五十番目の息子ディノ・シド・カンペアドールが口を開く。年の離れたカンペアドールであるチェがディノを睨む。ディノはやれやれと首を振り押し黙った。

「今、アークランドの者たちは何処におる?」

 エル・シドの問い。

「奴らはエルビク到達後三方に散開。エルガ、エルロナ、エルサラの三都市を拠点として活用。西方を急激な速度で荒らしまわっています」

「よかろう。俺様が出る」

 エル・シドが立ち上がる。戦を止められてまで此処に戻ってきたのだ。今すぐにでも燃える戦がしたいと思うのも無理はない。

「お待ちください。まだ、『半分』でございます」

 エル・シドは踏み出しかけた足を止める。幾人か知らぬ者もいぶかしげにエルビラを見た。

「半分とはどういうことだ? この俺の足を止めるに足ることであろうな」

 エル・シドがエルビラを睨む。一瞬怯むエルビラであったが、ぐっと堪えて頷いた。

「アークランドの侵攻と時を同じくしてネーデルクスが進軍、エルマス・デ・グランが落とされておりました」

 エル・シド、そして知らなかった幾人かのカンペアドールも目を見開く。

「兵士はもちろん市民も奴隷も全て殺されました。それによって情報の遅れが発生した模様です。敵軍主要戦力は『白薔薇』のジャクリーヌ、『赤鬼』のマルスラン、『死神』のラインベルカ、総指揮は『青貴子』ルドルフ・レ・ハースブルク」

「おいおい。ネーデルクスの総戦力じゃねーか。聖ローレンスはともかく、アルカディアの連中は何をしてやがる?」

「馬鹿か? ストラクレスにかかりっきりに決まってるだろう」

「こちらの情報ではいくつかの拠点は落としたらしいがな。まあ『剣将軍』にしては大人しめの戦果だろうが」

 ざわつくカンペアドールたち。それほどにネーデルクスの動きは予想外だったのだ。あまりにタイミングが良過ぎる行軍。これが『たまたま』であるなら、神の子の看板に偽りなしである。

「ご存知の通りエルマス・デ・グランはエスタードにとって対ネーデルクスの要衝であり、エスタード最強の要塞都市です。当然カンペアドールも詰めております。守戦最高の将、『烈鉄』ラロ・シド・カンペアドールが」

「……ラロが討たれたか。誰が討った? あの男の武力は俺様に次ぐモノをもっておった。並みの者では傷一つ付けられんはず」

 最強の都市を任されているカンペアドール。海がピノならば陸はラロ、双方ともエル・シドの後継者候補としてこの場のカンペアドールの中でも抜けた存在であった。それを二人も欠くという状況。流石のエル・シドも笑えない。

「ラインベルカ、『死神』のラインベルカ・リ・パリツィーダであります」

「それしかおるまいか。あの男と渡り合った実力者、なるほど、面白い!」

 どさりと椅子に座るエル・シド。アークランドか、ネーデルクスか、エル・シドをして迷う。どちらも良質な戦場である。そもそも選択を間違えれば国家の存亡に関わる。領土の広いエスタードとて、同じ七王国であるネーデルクスと新進気鋭のアークランドをどちらも相手取るのは致命。冷静に対処せねばならない。

「それにあの男、『英雄王』ウェルキンゲトリクスですが、一時的に国境を踏み越え領土侵犯し、こちらの兵を屠った後、また自国に戻ったという報告も受けております」

「何故あの国の国境近くに兵がおる? 俺がいない間、あの男は刺激するなと申したはずだ」

 エルビラは困った顔をする。

「それが、黒狼を追った結果、聖ローレンスの国境近くまで足を進めてしまったとの報告です」

 エル・シドは思いもしなかった名前が出たことで一瞬虚をつかれる。しかし次の瞬間には全てが繋がっていた。はじき出された答えにエル・シドの口角は上がる。

「……く、くく、クッハッハッハッハッハ! なるほど、そう来たか小僧! サンバルトの腰抜けどもに追いやられ、二進も三進もいかなくなり、一筋の活路を其処に見出したか。慧眼である! 狼どもの死体は?」

「現状では確認できません。おそらくウェルキンゲトリクスが身柄を確保したものと思われます」

 エル・シドは大きく息を吸った。そして天を仰ぐ。

「狼の小僧ども、アークランド、ネーデルクス、そして英雄王。これが一気に動き出した。まさに激動ではないか! アルカディアとオストベルグも死闘を繰り広げた。裏ではオストベルグはガリアスとも一戦交えたらしい。こんなことがありうるか? こんな面白そうな時代が、この俺様の生きている間にやってこようとは――」

 エル・シドは己が手を見る。筋骨隆々、未だ衰えを知らぬ身体。しかし時は必ず生き物を殺す。いずれ衰え、戦場から離れねばならぬ日も来るかもしれない。だが間に合った。まだピークを維持できているこの時に、時代のうねりが来た。

「この大波が、おそらく俺様が駆ける最後の時代となろう。全員心せよ! この時代、俺様をして生き延びる保障はなし。いわんや貴様ら程度いつ死んでもおかしくはない。事実、ピノとラロは死んだ。そういう時代が来たのだ!」

 エル・シドは笑った。楽しい時代が来る。芳醇な血と鉄の臭いが大陸に満ちるだろう。その先で自分がどうなるのか、生きるか、死ぬか、楽しみで仕方がない。

 巨星は笑みをもって迎えた。新時代の幕開けを――


     ○


 エルマス・デ・グランの外壁で青年は一人風を浴びる。時代のうねりを感じていた。そこかしこに混乱があった。自身もまたその一つである。混乱、混沌、強者が最も輝く時が来た。これより時代の勝者が決まるまで、世界は加速し続ける。

「世界よ我が手にって……柄じゃない、か」

 青年は苦笑する。生まれながらに勝利してきた約束されし神の子。どんな時代でも頂点を約束されているような天運を持ちながら、此処から先に己がどうなるのか、まったくもって見通せないのだ。

「でもねえ、欲、ないと……ダメな気もするんだよなあ」

 欲望渦巻く下界。その中でもこれからの時代はさらなる業欲の時代となる。その時代を勝ち残るのは相応の執着を持つもので、それを青年はもち得なかった。

 英雄王の凄絶な笑みが、一つ一つの言葉が、青年をえぐる。

「さ、捜しましたよ坊ちゃま。もうとっくに軍議は始まっていますよ!」

 ルドルフ・レ・ハースブルクは苦笑する。この思考は無意味である。自分は神の子で、しかも死神を持っているのだ。負けることなど考えるに値しない。彼は勝者なのだ。勝者の引力によって死神すら引き入れた。

「えー、これから僕はおっぱいちゃんのとこ行く予定だったのにぃ」

 ゆえにルドルフは考えるのを止めた。いつも通りふわふわと享楽的に生きる。

 エスタードの威信をかけ建造した要塞都市。長年ネーデルクスを苦しめてきた高き壁の上に神の子は立つ。死神と共に、世界を睥睨する。

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