復讐劇『序』:よき一日の終わり

「ヴィクトーリアお嬢様がおりません」

 メイドがヴラドに報告する。ヴラドは窓の外に舞い始めた雪を見て笑った。

「あれは存外効果的だったかもしれんな。あのような男にはああいう単純な思考の方が理解しがたいだろう。あの男も相当切れるが、そもそもあれに合理を振りかざしても意味がないからな」

 ヴラドはメイドに注がせたぶどう酒を呷る。

「ウィリアム・リウィウス。武人の割には口も回るし賢い。ヴィクトーリアで買えたなら随分と安く買い叩けたものだ。あれも器量は良いが、貴族の令嬢としてはいささか欠けていた。そのおかげで、あの男を攻略できるのなら育てた甲斐もあるだろう」

 ヴラドの首筋をメイドが舐め始める。ヴラドは視線すら向けていないが、興奮しているのか顔が紅潮していた。

「今日は良い日だ。あれの用意はしてあるかヘルガ」

 ヘルガと呼ばれたメイドが下卑た笑みを浮かべる。

「無論でございますご主人様。とびっきりの素材を厳選しておきました」

「良い子だ。では二人を迎えた後、赴くとしよう。嗚呼、なんと今日は良い日なのだろう」

 眼下ではウィリアムとヴィクトーリアが肩を並べ戻ってきていた。その姿や表情を見て、ヴラドは微笑む。ヴラドの作り上げた作品が、どうやら獲物を捕らえたらしい。

 今日のところは少なくとも網目に引っ掛けておきたかった。最低限のノルマは果たされたのだ。あとは少しずつ少しずつ糸を巻き取り身動きをとれないようにして、喰らう。

「頑張ってくれたまえウィリアム君。君の頑張りが、私の力となるのだから」

 下卑た笑み。これもまたヴラドの貌の一つであった。


     ○


 カウンターの末席で眠りにつく子獅子。それを尻目にカイルとアークが何杯目か見当もつかなくなった酒を呷る。この二人、底なしである。

「カイ・エル・エリク・グレヴィリウス」

 カイルの目が見開かれた。アークはそれに視線を合わせることもなく、ただ黙々と酒を呷る。

「旧友の一粒種がそのような名であったな。あれは良き王であった。強く、勇ましく、賢く、およそ王として必要な資質はすべて兼ね備えておった。不運は同じ時代、近くの場所に巨星が存在しておったこと、エル・シドという怪物がおったこと、それだけであった」

 アークは遠い目をしてぽつぽつと語る。別にカイルめがけて話しているわけではない。そうとでも言うように、かたくなに目を合わせようとしなかった。

「強くなく、賢くもない。強ければそもそも負けはしなかった。賢ければ、恭順するなりなんなりして家族を、国民を守ったはずだ。それが出来なかったあの男の話など聞きたくもない」

 カイルの目には怒りの色が灯っていた。国を滅ぼした張本人。カイルの人生を狂わせた、母と共に地獄に叩き落された元凶。その地獄で友に出会えたこと自体は別の話。その過程で母が死に、多くが死に絶えた。それが問題である。

「恭順したところでエル・シドは奴を殺しただろうて。そしてそれを超える器を持ち生まれた卿はとっくに殺されておっただろう。戦い、滅び、その隙に家族を逃がす程度のこと以上、何が出来た?」

 アークは哀れむ。その境遇を。

「戦う必要はなかった。逃げればよかった」

「王としての責務もあろうが」

「くだらない。無駄な荷物を背負い、本当に大切なものを見失うくらいならば、俺は荷物を背負わない。本当に大切なものだけを守る。それが俺の生き方だ」

 カイルの脳裏に浮かぶのはたった二人の友。それだけを守る。これはそのための力。それだけのために身につけた最強。

「喪失を恐れるか。これほど極めてなお、本質は弱者のそれよ」

 カイルはその言葉に震える。アークに対する明確な殺意がぬらりと鎌首をもたげる。それほどにアークの指摘はカイルの根幹を的確についていたのだ。隠してきた弱さ、それが顕わにされてしまう。

「どれほど強さを持っても、背負いし者には届かぬ。所詮人一人になせることなど限りがある。他者を背負い行動したものだけが、世界を動かす権利を得る」

「そんなもの俺は要らぬと言っただろう!」

 カイルは酒瓶を壁に投げつけた。大きな音がして、寝ているユーリがもぞりと動く。

「世界が卿の守りたいものを奪おうとした時、その時、卿はどうする? 何ができる? 千の、万の、人の集合を相手に何ができる? 降り注ぐ矢の雨の中、剣一本で何が守れる? 街が燃え、煙が胸を満たし息を奪うその瞬間、卿に何が出来る?」

 カイルは押し黙る。拳を震わせ、しかし反論の余地はない。それこそがカイルの最も恐れている事であり、カイル自身の最古の記憶、大きなトラウマとして未だに心を犯していた。

「何も出来ぬ。個人の強さなどその程度のものよ。守れたならばそれでよい? 人一人守ることを甘く見るでないわ。自ら行動せぬ臆病者に、守れるものなどありはせぬ」

 カイルはアークに背を向け、一人歩き出す。これ以上この場にいたら、おそらく己を保つことが出来なくなる。それは今までまとってきた強さという皮を己で剥がすに等しい行為。

「いずれその生き方、後悔を生むぞ」

 強くなって強くなって強くなって、しかしてカイルは動かない。世界に干渉せず、ただ親友が己を頼ってくるのを待っている。どこまでもどこまでも、待ち続けている。

 最後の一線で親友の道を阻むことでさえ、カイルは能動的に動いているわけではない。ただ際限なく強くなり、そして待つだけ。

 実は最も歪な生き方をしているのがこのカイルという男である。過去のトラウマゆえ男は喪失を何よりも恐れていた。特に己で行動した結果失うことに強く怯えていた。ゆえの最強。ゆえの待ち。

 最強の皮を被った弱者。それがカイルの今である。

「後悔などしない。俺は父上のようにはならない」

 そのまま歩き去っていくカイル。その背をアークは哀しげな表情で見送った。

「スヴェンよ。卿の罪は息子に歪みを残してしまったことよな。仕方なきこととはいえ、あの大器が世に出ぬのはまこと残念である」

 一人酒をさらに呷るアーク。

「大切なものを卿のやり方で守れるのならば、人の世に争いはない。天に立ってなお、大切なものは容易く手から零れ落ちるのだから」

 幾度も刃を交えた戦友。その面影を宿す青年の前途を祈り、アークは酒を飲む。

「待っているだけではな。行動せよ、スヴェンの息子カイよ。動かねば、取り残されていくだけぞ」

 天と地を知る男は世界の条理を思い、静かに目を瞑った。


     ○


「首尾は如何でしたでしょうか?」

 夜闇に紛れ、アンゼルムがウィリアムの下に現れた。すでに時間は深夜に近い。別れてからかなりの時間が経っている。が、震える様子もなくウィリアムを待っていたようである。

「ヴラドの娘に求婚された。よく使う手か?」

「ヴラド・フォン・ベルンバッハには十二の娘がいます。内六人が嫁いでおり、すでに婚約が決まっている娘が三人、残り三名はまだ若過ぎるため婚約者等はおりません」

「相手は?」

「いずれも貴族、特に文官の有力者が大勢を占めております」

「なるほどな」

 ヴラド伯爵は自身の娘を己が出世や立場の安定のため使っている。貴族としてはとても正しく、ある意味で当然なのだが、特筆してこういう情報が出てくるのならやはり貴族の中でも有名なのだろう。

「ちなみにお相手は?」

「ヴィクトーリア・フォン・ベルンバッハだ」

「九女……すでに表向きの婚約者は決められているらしいですが、なるほど、秤にかけてウィリアム様を選んだ形ですか。まあ幾度も破談している問題児と報告を受けていますので、そちらも破談した可能性も大きいですが」

 あの様子なら破談してしまうのも無理はない。というよりも本人が破談に持ち込んでいるのだろう。器量はあれほどのものを持っているので、多少の難はあっても破談が多いのは納得しがたい。

「調べれば調べるほど、ヴラド伯爵は強いコネクションを持っております。見た目以上に厄介な存在だと留意ください。その上で此度の縁談、私はお勧めいたします」

 ウィリアムは「ほう」と意外そうな声を上げる。

「ヴラド伯爵は文方面に強いコネクションを持っておりますが、逆に軍方面にはあまり繋がりがなく、影響力も弱いのが現状です。ウィリアム様を通して軍への足がかりが欲しいというのが正直なところでしょう」

 アンゼルムの言いたいことはすぐに理解できた。ウィリアムも当然考えていたこと。

「つまりはウィリアム様の新たな道、その足がかりに」

「逆に利用する、か。なかなか難しいぞ」

「貴方様ならば容易でしょう。力関係はすぐに入れ替わります」

 アンゼルムは事実を述べているだけ。おべんちゃらを言うような男ではない。

「引き続き情報収集を怠るな。信頼しているぞアンゼルム」

「もったいなきお言葉。それだけでこのアンゼルム、不眠不休で働けます」

「……別に休んでもいいんだぞ」

 それには返答せず、アンゼルムは夜闇にまぎれ消える。おそらく此処から不眠不休で情報収集の範囲を広げていくつもりなのだろう。ウィリアムとしては助かるが、少しばかり出来すぎるのも考え物である。

「まあいいか。とりあえず戻ろう。今日は少し疲れた」

 ウィリアムの一日は密度の濃いものであった。良い日かと問われれば難しいが、悪い日ではなかった。自身の道が大きく進展した日であったし、復讐の足がかりも見つかった。だが、その相手は意外と厄介である。ヴラド伯爵本人、ではない。

(俺が婚約か、何も考えてなかったな)

 ヴィクトーリア・フォン・ベルンバッハ。自身が会ったことのないタイプの女性。あの笑顔はウィリアムの天敵である。決して心を許してはならない。一度緩めればあれは何処までも入り込んでくる。空っぽな器に、どかどかと――

(ただ、そういうことも考えなきゃだな。俺も騎士位、半分貴族になったようなものだ。いつまでも独身というわけにもいかない。それに、有力者との結婚はリスクもあるが、メリットは計り知れない。さて、またも考えることが増えてきたぞ)

 自分が天に上がるために利用する。そう考えた瞬間心のつかえが取れた。合理的に利用するだけで、自分が何か心を許すわけではない。それだけのこと――

 それでも、あの笑顔が頭にちらつく。それが恐ろしかった。


     ○


 カイルがいなくなった後、アークは一人酒を飲んでいた。厳密には完全に爆睡しているユーリと、うつ伏せになって寝ている風のナナシの三人だが。

『……ところで卿は何用でアルカディアくんだりまで足を伸ばす?』

『っ!?』

 ナナシがびくりと起き上がり、アークの顔を怪訝な表情で見る。

『ルシタニアは海を挟んで近しい。知っての通りあの国の剣は見事な業物だ。騎士王であった我が商用のため言葉を話せてもおかしくはあるまい』

『このたぬきめ。そんな素振り見せなかったくせに』

 アークはかっかと笑う。

『名はなんと言う?』

『ブリジット・レイ・フィーリィン』

『なるほど。レイを継ぐものか。道理で良き技をもつと思ったわ』

 ルシタニアにおいてレイを持つ家系はほとんどいない。十ある部族のうち三家族のみ。そのうちひとつはとある事情による廃絶していた。つまりこの世に二家族しかいないミドルネームであったのだ。

『では最初に質問に戻るとしよう。覚えておるか?』

 ブリジットはため息をつく。あまり言いたくないようだが、言いふらさねばブリジットとしても都合が悪い。何せ言葉が通じる相手はほとんどいないのだ。ここで情報を集めておいて損はない。ゆえに口を開いた。

『……婚約者をとっ捕まえに来たの』

 アークは目を丸くする。婚約者をとっ捕まえる。それだけのために女人がこれだけ離れた国にやってきたのだ。普通ならありえない。

『そいつは馬鹿で間抜けだから、名を上げるんだって……あいつは剣鍛冶の家系で、そんな才能一つもなかったのに』

 ブリジットは悲しそうに目を細める。長い間便りがなかった。客観的にその男は死んでいるのだろう。そうでなければ説明がつかない。

『最後は喧嘩別れした。罵倒して、才能の欠片もない、私が守ってやるって、そう言ったら思いとどまると思ったの。でも行っちゃった。意味がわかんない。ちょっと泣いて見せたのに……ふんだ』

 アークなら、男ならばわかる。男の矜持に触れてしまったのだ。力を示そうと他国へ足を伸ばす。平和なルシタニアから出て激戦の七王国に向かう。わかりすぎるほど、アークにはその気持ちがわかった。

『その男の名はなんと言う? 我もまたこの国に来て日が浅いが言葉は通ずる。何か知っておるかも知れぬ』

 ブリジットは疲れた顔で、しかしほんの少しの希望をこめて口を開いた。


『ウィリアム・リウィウス』


 アークは、大きく目を見開く。その言葉を聞いて寝ているはずの子獅子もぴくりと動いた。

『その男、白髪か?』

 ブリジットは首をかしげる。

『私と同じ赤い髪よ。この国じゃ珍しいと思うから目立つはずなんだけど』

 赤い髪は西方に多い。アルカディアは七王国全体で見ても東寄りなので赤い髪はほとんどいないのだ。アークも金色に赤みが入っている。百年以上前にエスタードが滅ぼした民族、ケイオスの末裔は純血に近いほど燃えるような赤い髪を持つ。

『そうか。いや、やはり我は何も知らなかったようだ。期待させて申し訳なかったな』

『別にいいわよ。どうせしばらくこっちにいるつもりだし、本腰入れて言葉を覚えて自分で探すわ』

 アークは何かを察していた。不安のような何かを。

『もしその男が死んでいたらどうするつもりか?』

 ブリジットの眼から、一切の生気が消える。

『殺した奴を殺して私も死ぬ』

 その覚悟を知り、アークは口を閉ざした。どう転ぶにしろ、そこに己が関与すべきでないと考えたためである。すでに結末は想像がついていたが――

『見つかると良いな。小さき剣士よ』

 ブリジットは席から立ち上がり微笑んだ。

『ありがと、貴方も結構強かったわよ』

 自分よりふた周り以上も年下に上から目線で批評され、苦笑するアーク。

 そのままナナシことブリジットは、アルカディアの夜に消えていった。

 アークは一人酒を呷る。

「ままならんなあ。どちらを立ててもどちらかは立たず、か」

 そのまま一気に瓶ごと飲み干した。


     ○


 ウィリアムがテイラー家に戻ってきたのはあまりに遅い時間であった。カールやアインハルトはもとより、使用人たちでさえ全員寝ているような時間。そんな時間に帰ってきたというのに、邸宅の扉を開けると――

「お帰りなさいませ、ウィリアム様」

 まるで普通の時間に帰ってきたかのように、当たり前のように、ルトガルド・フォン・テイラーがそこにいた。ウィリアムは驚きもせず「ただいま戻りました」と微笑む。

「マントをお預かりします」

「ありがとうございます」

 ウィリアムはルトガルドに自身の羽織っていたマントを手渡す。それを受け取ったルトガルドは、ほんの少しだけ表情を変えた。暗がりでウィリアムがその顔を見ることは無かったが。

「ウィリアム様」

 自室に戻ろうとするウィリアムをルトガルドが呼び止める。振り返るウィリアム。ルトガルドは背を向けたまま。ほんの少し、二人の間に沈黙が下りる。

「今日は、良い日になりましたか?」

 ウィリアムはルトガルドの問いに、朝方交わした会話を思い出す。ルトガルドが今日のウィリアム、『白騎士』を作ってくれた。彼女の衣装がなければ今日のウィリアムの輝きはなかっただろう。彼女のおかげで今日は良い日となった。

「もちろんです。貴女のおかげで今日は良い一日でした」

「それなら良かったです。ゆっくりお休みください」

 ルトガルドは振り返りはにかむ。それを見てウィリアムも微笑んだ。

「はい、そうさせていただきます」

 自室も目指すウィリアムの背を見送り、ルトガルドははにかんだまま表情を固定させていた。ウィリアムがいなくなった後、ふと、自分の作ったウィリアムのマントに目を落とす。それを鼻先に持ってきて、匂いをかぐ。やはり――

「お花の匂い。女性の、知らない匂い」

 ルトガルドがそのマントを見る目は、ウィリアムもカールも、親友のヒルダでさえ見たことのない表情であった。

「そっか」

 ルトガルドはそれを大事そうに抱え自室に戻っていく。

 その日以降、あのマントを見たものはいない。

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