フランデレン攻防戦:黒い影

 ルーリャ川を挟んで両群が睨みあう形。先んじて突出しているのは上流の方の山岳地帯。ここではすでに何度も交戦を繰り返し、攻めては退き、退いては攻めるを繰り返していた。川が落ち着きを見せる平地の方では平原が広がっており、油断して拠点でも形成された日には大きく領土が削られることは必至。それゆえにお互い戦わずとも兵を割くしかない。

 ウィリアムたちは実働部隊として山岳方面に派遣されていた。周りにいるのは実力のあるアルカディアの若獅子たち。いずれも格としてはカールよりも遥かに上であるか、経験値が上かのどちらかである。

「よお、カール。勢い半端ねえな。さすが無敗のカール様は違うねえ」

 パーティ会場で傑出していたグレゴールとアンゼルムの両名もこの場に派遣されている。少しはなれたところではギルベルトの姿も。腰ぎんちゃくの百人隊長を引き連れていた。

「残念ながらヒルダは東方遠征してて逆方向だったからな。この場にはいねーよ」

 きょろきょろびくびくしているカールにグレゴールが突っ込んだ。ほっとしているようなつまらなさそうな不思議な表情をするカール。背後ではフランクとイグナーツがにやにやしていた。

「相変わらず見事な戦果だ。さすがはウィリアム殿」

 握手を求めてくるアンゼルム。ウィリアムは困った顔でそれに応じる。

「カール様あっての戦果ですよ」

「……謙遜なさる」

 ぼそりとつぶやくアンゼルムの言葉を聞き取れたものはいない。アンゼルムも聞き取らせるつもりはなかった。ただアンゼルムは気づいていた。ウィリアムのことを、その実力を。

「お得意の山岳戦だが、どう戦うサー・カール」

「えーと……まだ考えてないや。相手の布陣も僕たちまだ知らないし」

「そろそろ行きましょうカール様。軍団長に挨拶せねば。お二方、また後で。積もる話もあるでしょうし」

 ぼろが出る前に引き上げる。カールもある程度軍略の基礎をつけてきているが、まだまだ実戦でピシャリと嵌まるような策の引き出しは少ない。中核部隊である百人隊を指揮する上で、経験知識両面から不足しているのが現状。それを察せられるのはあまり好ましくないとウィリアムは考える。

「おう、またなカール! 今度ルトガルドと食事させてくれ! 頼むぜ兄貴!」

 グレゴールが本気か嘘かわからないようなことを言う。カールは困ったような表情。

「……ではまた後で」

 アンゼルムはじっとウィリアムを見つめていた。その視線に気づきながらもウィリアムは視線を外す。何か勘繰られているのか、それとも何か気にかかることがあるのか、憶測で動くわけにはいかないが、アンゼルムの動きには注意が必要であるとウィリアムは心の中で思っていた。


     ○


 軍団長にも挨拶を済ませ、ウィリアムたちは自分たちの割り当てられた配置についていた。ウィリアムたちを中心に見ると両翼がアンゼルムとグレゴール、かなり離れた下流よりのところにギルベルトが配置されている。現状の評価は最も上流側に配置されているアンゼルム、下流側に配置されているギルベルトの両翼が高い。特にギルベルトはいざとなればどうにでも動ける場所、動かねばならぬ場所への配置。かけられている期待の重みが違う。

「俺たちがやるべきことは明白だ。相手側の国境を越えた場所に自分たちの陣を食い込ませること、つまり山岳組は攻めの要だ。期待の若手が多く集められているのはそのため。現状維持では足りない。結果を出せということなのだろう」

 軍団長も若手の部類であったし、この戦場は期待のホープが集っていることになる。だからこそ負けはありえない。他国に隙を見せてでも、これだけの人材を集めたのだ。勝って当たり前。もはや勝ち方の世界である。

「山岳戦の特徴は? 復習だぞカール」

 この場にいるのはカールとウィリアムだけ。フランクとイグナーツは外で隊をまとめている。

「えーっと……まずは数の優位が平地に比べ少ないこと、高低差があり地形に気をつけること、あとは歩兵が中心で機動力が落ちることかな? どう?」

 ウィリアムがにっこりとする。それを見てカールの顔が華やいだ。

「大雑把な部分はつかめているな。まあ細かく刻めばいくらでも細かい部分はあるが、ようするに自然相手が大勢を占めるってことだ。細かい地図を所持し、地形をより深く把握した方が勝つ。とはいえ今回はマイナーな戦場じゃなく、幾度もアルカディア、ネーデルクスがしのぎを削った場所だからな。お互い詳細に地形は把握しているだろう」

 普段地形を把握する段階で数多の手を使うウィリアムであったが、今回ばかりはそれをする必要がない。この場の地形は両軍とも嫌というほど理解しているためだ。詳細な地図も作らずとも安価で手に入る。

「ならば何処で差をつけるか……わかるか?」

 カールは首をかしげた。この動作を取ったカールはもはや思考しておらず、完全にウィリアムの回答待ち。成長したが根本的な部分で変わらないのがカールらしいといえばカールらしい。

「差をつけるべき部分は、『速さ』だ」

 ウィリアムはにやりと微笑んだ。


     ○


「差をつけるべきは速さだろうなァ」

 山岳地帯、ルーリャ川上流を挟んで対岸、黒い一団が在った。その中心にいる男は黒い毛皮と黒い鎧を組み合わせたような格好。雰囲気も狼然としているが、格好もまた狼のように見える。人の形をした狼、人は彼を『黒狼』のヴォルフと呼ぶ。

「ハァン? 機動力が制限されるんだろ? だったら何でわざわざそこなんだよ? ふつーに力でぶったおしゃあいいじゃん」

 ヴォルフは馬鹿を見る目でニーカを見た。そしてその色気のなさにため息をつく。

「おい、そのため息はなんだよ? ぶっ殺すぞお前」

 ニーカの怒気をはらんだ声を飄々と受け流し、ヴォルフはもう一人の男の方を向いた。

「だからこそですよニーカ。制限されるからこそ、その価値は跳ね上がる。互いに地形を把握している状況、より良い場所を取るには速度が肝要。展開速度、動き出しの速さ、他軍との連携、全て込みの『速さ』が重要になってきます」

 ニーカは合点とばかりに手を打った。たぶん理解はしていない。

「緒戦が肝心ってわけだ。だが、俺たちにゃあ決定的に欠けている部分がある」

「他軍との連携、ですね」

 ヴォルフが戦術の話をし始めたと同時に、ニーカはその辺で魚釣りをし始めた。戦術面の話にかかわる気はゼロ。興味はびた一文存在しない。勉強する気もない。そんな昔なじみの姿に深いため息をつくヴォルフ。

「まーそうだ。こっちの担当はあの男だしな。格を持たない俺たちの話が通じる相手じゃねえ。連携は不可能だ」

「ネーデルクスは七王国の中でも特に格式を重んじますから……傭兵としてはやりづらいですね」

 山岳地帯を押しているのはネーデルクス軍。しかしそれは現状そうなっているだけで、その位を生かそうとしていない。もし、ヴォルフが全軍の指揮を取れるならば、いの一番に兵力を大きく消耗させたとしても、一気に攻め潰して山岳地帯そのものを取る。

「指揮官はこえーんだよ。あまりに突出しすぎて孤立するのが……馬鹿らしい! その程度の攻撃凌ぎきってナンボだろうがよ。山なんて天然の要害だぜ? 取っちまえば孤立したってなんとでもなるさ。それが出来ない無能が頭だからこの状況」

 ヴォルフは嫌な表情をする。

「保守的なネーデルクスの悪い面が出てる。ミスを恐れすぎだ」

「最悪なのは相手方が若手で構成されていること……ガンガンきますね」

 アルカディアも保守的な面は大きいが、若手で構成されている軍団ならば押してくるだろう。何よりも今のアルカディアには少々のミスも帳消しにしてしまえるほどの勢いがある。攻め気を育む土壌は十二分と言ったところだ。

「緒戦は負け続きだろうな。まあいいさ……俺の狙いは『白仮面』だからよ」

 釣りをしていたニーカが突如振り返りナイフを投擲してきた。ヴォルフが避けねば当たっていた軌道。ヴォルフはひくひくと頬を引きつらせていた。

「テメー、まだあのおっぱい狙ってんのかよ! おっぱいのために戦すんのかアア!? そんなにおっぱいが好きかよ! ざっけんな畜生!」

 おっぱい取引(ニーカ命名)のことを根に持っているニーカ。ヴォルフとしては冗談半分本気半分。おっぱいが好きなことは完全無欠な事実である。

「落ち着け。おっぱいはともかく『白仮面』とかいう十人隊長の首ひとつでネーデルクスの三貴士の一角をもらえるんだぞ。人材的には間違いなく傑物だ。使いづらそうだけどそれはおいおい……ぐふふ、してけばいいだろ」

「ぐふふってなんだよ! 気持ち悪い顔してんじゃねーよバーカ!」

「気持ち悪い顔だと!? この超絶イケメンヴォルフ様をつかまえてなんてことを言うんだ! 訂正しろ! ヴォルフ様はイケメンで超絶かっこいいって!」

「そういうところが気持ち悪いんだよバーカバーカ!」

「にゃにおう!」

 夫婦漫才が始まったところで真面目な時間は終わり。おそらくヴォルフは緒戦を捨てたのだろう。だからこそこの後方、押しているにも拘らず川のネーデルクス側にいるのだ。

「ここまできたら徹底的に……本当に君は狼のように狡猾な男だよ」

 今はまだアルカディア側は知らない。敵の中に狼の群れが混じっていることを。勝利を確信したその時、狼の牙が奴らの喉笛を噛み千切る。その光景が男には見えた。


     ○


 アルカディアの動き出しは速かった。上手のアンゼルムが動いたと思いきや、逆サイドのグレゴールが押し込み、中央が手薄になったところをカールたちが完全に突き崩した。これは前日の軍儀で決まった作戦。カールが提案してアンゼルム、グレゴールらの支持を得て一気呵成の作戦が決まった。不満げだったのはギルベルト。とはいえ緒戦で山と平地を結ぶ要であるギルベルトを動かすのはさすがに尚早。速さは重要だが、隙は作らない。

 しかし、初日の動き出しで相手を完全に瓦解させるには至らなかった。

 中央の粘りがかなりのものだったからである。

「……ちっ」

 明らかに不満そうなウィリアム。先ほどまで刃を交えていたしんがりの男を仕留め切れずに、初日を終えたことが不満であったのだ。しかしそれも仕方がないことであった。ウィリアムが対峙していた相手は、三貴士ラインベルカの懐刀である『哭槍』のアナトール。その槍の音は死者の嘆きと謳われたほどの達人であった。

「これが『白仮面』か。シュルベステルを討ったのも満更出鱈目ではないな」

 この軍の軍団長であるアナトールは、戦術面では保守的で手堅い、悪く言えば型どおりの動きしかしないが、一騎討ちではネーデルクスでも指折りの使い手である。今日これほど攻められたのも、中央を押し切られなかったのも、全てこのアナトールに起因する。

「手がつけられないほどではない。だが楽観視できるほどでもない、か」

 アナトールはウィリアムの力をこう評した。今はまだアナトールでもどうにか抑えきれる。しかし、この後どれほど成長するかは見当もつかないというのが正直なところ。

「ルドルフ様が摘み取られよ、と言われた理由も少しは理解できる」

 とはいえルドルフが出張ってくるほどの相手でもないとアナトールは感じていた。一騎討ちでこの程度ならば世界にはごろごろと存在する。現状特別秀でている部分はなく、ラインベルカに報告する必要も感じていなかった。

 もし、アナトールが戦術にも造詣が深く、ウィリアムの別の部分に気がついていれば打てる策もあっただろう。惜しむらくはアナトールは単純な力は見切れるが、ウィリアムの持つ『力』を察知する能力は持ち得なかったことである。

 今日、この日のうちに『|黒の傭兵団(ノワール・ガルー)』を動かしていれば、ここから始まるネーデルクス側の地獄の時を避けられたかもしれない。


     ○


 連日連敗。この結果がアナトールの身に突き刺さる。押していたはずの陣地はすでに、川をまたいで山のふもと近くで踏みとどまっている状態。戦局を打開しようとアナトール自身が獅子奮迅の戦いをしようとしても、アナトールに対してアルカディア側は徹底的に逃げの一手。単身押し込んで包囲されるわけにもいかず、相手にされないことで単騎の突破力を殺された形。


「これがカール・フォン・テイラーの策ですか。いやはや見事なものですね」

 アンゼルムの部下がこの策を提言したカールを褒め称える。

「確かに……見事な策だ」

 アンゼルムは無表情。その思惑はわからない。しかし果たすべき仕事は完璧にこなす。名門クルーガー家の長男は、バランスのいい百人隊長であった。知勇兼ね備えている。

「我が隊に告げる。焦る必要はないが、今日で押し切るべく動け」

 今日で山岳を制する。これで、この戦の趨勢が決まる。


「おっしゃあ! 一気に攻め潰すぞ!」

 ガンガン攻めるのはグレゴール百人隊。烈火のごとき進軍は、騎馬を持たぬ山岳でさえその勢いを衰えさせることはなかった。

「グレゴール様。少し突出しすぎでは?」

 部下の弱気な発言を聞いて、グレゴールは一笑に付す。

「馬鹿者。勝ち戦で退いてどうする? 真っ先に敵陣を落として第一功を得る。ギルベルトでも、ヒルダでも、アンゼルムでも、カールでもなくこの俺、グレゴール・フォン・トゥンダーがな!」

 グレゴールは獰猛な笑みを浮かべる。野心に満ち溢れた表情、これもまたグレゴールの素顔であった。


 ギルベルトは不動。山と平地の繋ぎ目であるギルベルトが動く時はこの戦が決まる時。今動かぬ理由は、まさに其処に尽きる。カールの提言の中にギルベルトを動かす策はなかった。ギルベルト自身、動く気もなかった。

「サー・ギルベルト。動かずともよろしいのですか?」

 ギルベルトは不満げな表情を見せる。

「下賎なあの男と意見が合うのは癪だが……動くべき時ではない。それだけだ」

 ふんと鼻を鳴らして戦場を見やるギルベルト。もしネーデルクスが動くならばこのタイミングしかない。ここで動かねば終わり。だからこそ――

「まったく……つくづく好きになれぬ」

 あの部分の動きだけ緩い。


     ○


「さて、アナトール殿。そろそろ俺たちに頼る覚悟は出来ましたかねえ?」

 黒い集団が切羽詰りつつあるアナトールの前に現れた。

「貴様ら! 何をサボっている! 我が軍に雇われたならば相応の働きを示せ!」

 それを聞いて集団のリーダーは噴き出してしまった。

「ぶはっ! まさにその通りだ。俺たちは雇われ。面倒になったらさっさとケツ捲くっちまえばいい。お前らが壊滅する様を酒の肴にしちまうのも乙なもんかもな」

 アナトールの槍が男の喉めがけて唸りをあげる。その音色は死者の嘆きと謳われた槍術。ネーデルクスだけでなく周辺国家にまで名を轟かせる『哭槍』の一撃が迫る。

 ガギン。防いだのは男の隣に立つ二人。男のような女と、女のような男である。アナトールは目を見開いた。曲がりなりにも己が槍でここまで成り上がった男である。『黒狼』ならばともかく、その側近程度に止められるとは思ってもみなかったのだ。

「先に言っておくが俺たちは強い。こっからでも状況を打開できる力がある。だけどテメーらが勝手すると勝てるもんも勝てねーんだよ。俺たちがこの戦いを勝たせてやる条件は一つだ。飲むか飲まないか、好きに決めろ」

 アナトールにしても後の無い状況。ここで負けたならば自分の首は間違いなく胴からはなれるだろう。そして一族郎党始末されるかもしれない。ルドルフならばそうしてもおかしくないし、生き延びたとしても肩身の狭い思いをする羽目になる。

「……勝てるのか?」

「当然。俺様を誰だと思ってやがる」

 この状況、後のない状況では、

「…………条件を、言え」

 すがるしかない。勝てる策を持つものに。

 此処まで全て『黒狼』の狙い通り。此処から先もまた――

「条件は――」

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