月下の夜会:三人だけの親友

 ウィリアムが逃した一人を追ってバルディアスの私邸から姿を消した後、王女や貴婦人たちをいったん別の部屋に退避させ、ヒルダらは後片付けに勤しんでいた。

「食用のナイフでこの切り口か……見事なものだ」

 アンゼルムが感嘆の声を上げる。不機嫌なヒルダもこれには頷かざるを得ない。自身に食用ナイフでこの芸当が出来るかと問われれば、出来ないと断言できる。そもそも視覚を潰された時点で、ウィリアムのような動きは出来ない。出来ないから護衛に徹していたのだが――

「いやはや。あの目が利かぬ霧の中でこれほど動けるとはなあ」

 グレゴールはウィリアムがあれほど動けたことに驚いていた。最も霧が濃かった時間は完全に視界が消えており、いかにグレゴールたちが強かろうとも力を発揮できる状況ではなかった。護るので精一杯。その中でただ一人攻めることの出来たウィリアムを評価するのは戦士たるグレゴールとしては当然である。

「これが噂の白仮面か」

「一人で七人も仕留めるとは、悔しいがさすがとしか言えぬ」

「カールの奴もいい拾い物をしたものだ」

 他の百人隊長たちはわかりやすい七人という数に驚いていた。あの霧の中、闇に慣れた暗殺者たちを相手に、優位に立ち回ったウィリアム。それが出来るかと問われれば、彼らは出来ないと答えるしかない。そもそも本来のターゲットであるヴラド伯爵を護ることなど、彼らだけでは出来ようはずもなかった。

「……ふん」

 ギルベルトは鼻を鳴らす。上手く凌いだつもりかもしれないが、先ほどの殺気は明らかにこの会場の誰かに向けたもの、その指向性がわからぬほどギルベルトの感覚は腐ってはいない。運よく暗殺者が闖入して来た形。ギルベルトは内心そう思っていた。そしてそれは大当たりである。

「怖いね」

 ぽつりと本音をこぼすヒルダ。切り口が鋭いことより、視界を塞がれても動けたことより、暗殺者を七人仕留めたことより、あの最後の立ち姿が眼に焼きついてはなれない。霧の中から現れた白き美丈夫。

「何が怖いの?」

 ただ容姿が整っているだけではない。雰囲気があったのだ。全てを飲み込んでしまうような暗い、そして底無しの何かが。人は闇を恐れると同時に闇に惹かれる性質も持ち合わせている。ウィリアムの闇の部分、その強さに惹かれるものも少なくないだろう。これからその人数は増えてくるはず。それが怖い。

「騎士様になって調子に乗り始めたへなちょこがだよー」

「いだだだだだ! だからほっぺをつねらないで!」

 夜の帳がこの国を覆わんかと、怖くて仕方が無いのだ。


     ○


 アルカディアの首都アルカス。七王国の中で秀でた都市ではないが、世界全体で見て大都市でないと言う者は少ないだろう。これだけ大勢の人間を受け入れる箱の大きさ、都市としてのキャパシティはさすが七王国と言ったところ。しかし大きいがゆえに、見えにくいもの、見え辛いところに潜む者たちもまた、この国に存在する。

「っ!?」

 ファヴェーラの周りには、その暗部に生きる者たちがうようよしていた。全員が同じ装束を纏い。顔は仮面をしており表情をうかがうことは出来ない。場に充満するのは無機質な殺気。もはや此処までとファヴェーラは小刀を構えた。

「暗殺に失敗した暗殺者(アサシン)は暗殺者にあらず」

「暗殺者でなくなったものには死を」

「死すべき」

 怒りも無く、悲しみも、喜びも、何一つ無い。ただ人を殺すだけの存在。それが暗殺ギルドに所属する暗殺者たち。全員が全員何らかの理由で感情が欠落していた。そう言う経歴と修練を積んだ者だけが此処にいる。

「……死ねない。まだ、私は」

 この場においてもっとも感情豊かなのが他ならぬファヴェーラである。普段から無表情な彼女でも、表情に出さないだけで多彩な感情が渦巻いている。それをどう表現していいかわからない。そもそも表現せずとも三人には伝わるから構わない。

「三人で、生きる!」

 三人、アルとカイルとファヴェーラ。三人は繋がっている。

「死すべき」

 暗殺者がファヴェーラの前に跳躍する。ファヴェーラは応戦の構え。

「しっ!」

 小刀を巧みに操るファヴェーラ。目の前の相手くらいなら切り抜けられる。実際に切り結んでみて、彼女のほうが上手であった。しかし――

「死すべき」

 二人なら――

「まだッ!」

 二人を相手取って堂々たる立ち回り。軽快に動き的を絞らせない。動きに重力を感じさせないのはさすがの一言。盗賊ギルドで一目置かれているだけはある。それでも――

「死すべき」

 三人では――

「ぐっ!?」

 ファヴェーラは後ろから蹴り飛ばされて転げる。蝶のような動きのファヴェーラであったが、一度動きを止められてしまえばもはやどうしようもない。

「死すべき」

 無駄の無い動きで一瞬の躊躇無く、毒の塗ってあるナイフが喉元に迫る。ひと傷負わせば即座に死ぬ猛毒。痛みも苦しみも無く、ファヴェーラは――

「ごめんなさい。アル、カイル」

 それがファヴェーラの末期と――


「まったく……謝るくらいなら最初からしなければいいだろうが」


 ファヴェーラと交戦していた暗殺者三人。その胴が同時に断たれた。傷口は荒く、内臓は辺りにぶちまけられた。派手で見世物のような死に様。それを演出するは――

「……カイル」

「お前は後で説教だ。そしてお前らは……死ね」

 カイル。ファヴェーラとアルの幼馴染であり、剣闘士として生きる男。

 背後に気配無く忍び寄った暗殺者。それに対して裏拳で軽く小突いてやる。それだけで弾け飛ぶ暗殺者の頭。吹き飛んだ頭は仮面が粉々に砕け、顔面もまた原形を留めないほど陥没している。

「っ!?」

 感情無き暗殺者。

「逃げたほうがいい。今の俺は……『俺』を止められん」

 溢れ出る強者のオーラ。感情が無いはずの暗殺者が、近寄れないほど濃密な死の香り。暗殺者が何人で束になっても勝てない。絶対の最強がそこにいた。

「すまない」

 最強が動き出す。暗殺者の頭部をつかみ取りし、握りつぶす。雑魚相手に得物を使う必要もない。ただ己が膂力のみで蹂躙できてしまう。拳は暗殺者の腹を突き破り、同時に背骨を握って引きずり回す。それにぶち当たった暗殺者もまた一撃で絶命する。

「に、逃げろ!」

 感情が無いはずであった暗殺者たち。そのためにどれほどの修練と経験を積んできたというのか。たとえ己が死を前にしても揺らがぬ自信や覚悟はあった。しかし――

「是非逃げてくれ。逃げ切ったなら追う気は無い」

 目の前の怪物が作り出す光景は、覚悟など容易く消し飛ばしてしまう。此処は戦場ではない。此処は首都アルカスであり、人通りに無い場所とはいえ、通り一本向うでは今も人の営みがある。その裏側でこの地獄が生み出されている、これほどおぞましい光景も無い。

 逃げ出す暗殺者。カイルは積極的に追うことはしない。

「ハァ、ハァ、ハァ、よ、よし、俺は生き延びひゃ!?」

 なぜならば、その退路は――

「逃がすわけねーだろバーカァ!」

 すでに塞がっているのだから。暗殺者の首が舞う。煌くは白銀の剣。

「とりあえず全殺ししてから、積もる話はそっからだ」

 そこらの露天で適当に見繕ったお面と、安っぽい毛並みのカツラを被った男。男の身から躯のイメージが溢れる。そこでこの場にいる暗殺者たちは理解した。

 逃げられないことを。

「「死ね」」

 無慈悲なる血風が舞う。


     ○


 カイルの自宅へ転がり込んだ三人。三人がこうして誰かの住処に揃うのは久方ぶりのことであった。それだけでファヴェーラはうれしく思うが、険しい顔つきのウィリアムとカイルを見て、しゅんと顔を伏せる。もちろん本人はしゅんとしているが、傍から見れば無表情なのは相変わらずなのだが。

「ヴラド伯爵、か。気持ちはわかるが愚かだ。あまりに愚か過ぎる」

 カイルは吐き捨てるように言った。ファヴェーラの浅慮に対する怒りもあるが、それ以上にそこで頼ってもらえない、相談すらしてもらえなかった己が無力に腹が立つ。もし相談してくれていたのならば止めていただろうし、最悪手伝えば確実に仕留める事も出来ただろう。

「ファヴェーラ、暗殺者の末路なんてのは任務中に死ぬか、任務の後に死ぬか、それだけだ。生きた人間がなるものじゃない。それは理解しているな?」

 諭すように言うウィリアム。しかしその内心穏やかとはほど遠い。

「……でも、ヴラドを殺すチャンスだった」

 言い訳をしようとするファヴェーラ。咄嗟に握りこぶしを作るカイルだが、ウィリアムはそれを制した。

「この際だからはっきり言っておく。もはや俺にとってヴラドのことなど大した問題じゃないし、俺たち三人が仲良くこの街で幸せに生きる未来も無い。お前のやったことは全て無駄なことだ」

 ファヴェーラは此処で初めて誰が見てもわかるくらい大きく表情を崩した。カイルは動き出したのを止め、ゆっくりと壁にもたれかかる。

「俺はお前たち二人を自分の命よりも大事な友だと思っている。そこで揺らいだことはないし、今後も揺らぐことはありえない。俺の道に誓って、そこは絶対に譲らない」

 泣き出しそうなファヴェーラをウィリアムは軽く抱きしめてやる。

「でもな、だからこそお互いにとって近過ぎる距離は危険なんだ。俺がへまをしても、お前たちの誰かがへまをしても、近過ぎれば三人ともお陀仏だ。そしてそれは、俺にさえ近づかなければ避けられるリスクでもある。俺の道にお前たち二人を巻き込みたくは無いんだよ、ファヴェーラ」

「それはダメ! そんなのダメに決まってる!」

 ファヴェーラにとって何処までいってもウィリアムはアルでしかない。そのことにウィリアムは苦笑する。だからこそ、離れなければならないことを、ファヴェーラは理解していないのだ。否、もしかしたら理解してなお受け入れがたいのかもしれない。

「とりあえずそのことは後回しでいいだろ。今はファヴェーラのことを考えるべきだ」

 冷静な言葉。その言葉の冷たさにファヴェーラはキッとカイルを睨みつける。ファヴェーラにとって自身のことよりも他二人が優先される。そしてそれは他の二人の同様。だからこそ絶対この部分で三人が噛み合うことは無い。もしそれが噛み合ったときは――

「カイルの言うとおりだ。暗殺ギルドの追手はもちろんだが、街も相当騒がしくなってきた。与えられた時間は少ない」

 ファヴェーラをそっと離して、ウィリアムは椅子に腰掛ける。思考する構え。

「手はあるか? 俺には国外に逃げ延びるくらいしか考え付かん」

 それを聞いて首をぶんぶんと振るファヴェーラ。二人と離れることなどありえない。それならば死を選ぶほど、ファヴェーラは二人に好意を持っていたし、何よりも精神的に依存している。

「最悪手はこのままほとぼりが冷めるまでこの街で逃げ続けること。国はともかく暗殺ギルドの特性上、絶対に諦めないだろう。俺やカイルが四六時中守ってやれるなら別だが、俺は戦場に行っている時間のほうが長いし、カイルにだって仕事はある」

「……別に四六時中守っていてもいいがな」

 ぼそっと突っ込むカイルは無視。

「もっとも安全かつ最善手はこのまま国外逃亡すること。国境を越えれば国の力もギルドの力も及びづらい。ギルドだって暇じゃないし人材も有限だ。国をまたいだ人間一人を追うためだけに、そう何人も差し向けられないだろう。一人か二人か追わせたとしても、その程度ならファヴェーラ一人でどうにでもなる。カイルがついていれば万全だ」

 ウィリアムとしてはこの手を推したいところ。今後のことを考えたとき、さびしくなるが互いにとってこうなる未来が一番いい。ウィリアムの道はあまりにも余人とかけ離れている。二人を巻き込む可能性が限りなくゼロになれば、ウィリアムも安心して博打を打てるというもの。

「ありえない」

 一蹴するファヴェーラ。それに関してはカイルも頷く。先ほど己が口に出した手だが、カイルにとっても国外逃亡はありえない。ウィリアムをひとりで置いて逃げるなど、出来るわけがないのだ。魂胆がわかっている分余計に――

「なら次点だな。少し博打になる。当然命の一つや二つ賭ける事になる。先に言って置くが、大分、分の悪い賭けだぞ。俺は国外逃亡を推す。これなら逆に完璧で快適な工程表とウィリアム印の安全保障付。二つをまとめてお前たちに提供できる」

 そう言っているウィリアムにしても、これでカイルたちが首肯するとは思っていない。あくまで警告。此処から先は難しい局面になることを、場合によっては三人とも命を落とす可能性があることを示唆していただけ。

 カイルとファヴェーラに揺らぎは無い。それを見てウィリアムはため息をついた。

「……暗殺ギルドに乗り込んで交渉する。材料は少ないが、俺とカイルの力があれば何とか交渉のテーブルにつくことも可能だろう。そこまで行けば、何とかしてみせる」

 ウィリアムにしては自信の無い答え方。実際状況は見た目以上に詰んでいる。相手は国家とこの国の暗部。どちらかひとつでも厄介極まるというのに、この二つから逃げ延び、かつ今後この国で生活せねばならない。

「なるほど。要は力づくだな」

 カイルは己が商売道具を手に取る。それだけでピリつく空気感。

「そういうことだ。期待してるぜチャンピオン」

 目配せ一つで全てが伝わる間柄。加えて先ほど実戦で見せたカイルの力。信頼も深くなろうというもの。カイルさえいればどうにかなる。昔からそう思わせる力があるのだ。今回はそれに賭けるしかない。三人のリーダーはずっとカイルであったのだから――

 以心伝心それがこの三人の――

「……チャンピオンってなんの?」

 ずっこけそうになる二人。考えてみればファヴェーラはカイルが闘技場の頂点に立ったことを知らないのだ。まあ知っていてもふーんで済まされそうだが。

「ごほん、まああれだ。不謹慎だが、ちょっと……楽しくなってきたな」

 ウィリアムの言葉は三人の創意であった。あの日から三人で行動する時間は減った。屋台でりんごを盗み歩いていたのは遠い過去。力を合わせるなどいったいいつぶりのことか。童心に返るわけでもないが、少しだけわくわくする気持ちもある。

 三人の命を賭けた一世一代の大勝負。かかっているのは命。ここまで来たら三人の命であろう。三人が均等に命がけな状況は滅多に無く、均等で平等ゆえ友として一切の邪念無く望むことが出来る。

「さあ、行こうか」

 そんな機会、滅多に無いのだから――


     ○


「この光景は……なんだ?」

 人通りの無いアルカスのデッドスポット。普段は人通りも無く閑散としているが、今は死臭と臓物の撒き散らかされた地獄絵図が広がっていた。糞尿と血反吐の入り交ざった濃厚な香りが辺りに充満している。およそ人間の為し得た芸当ではない。

「……『風猫』のファヴェーラは確かに優秀だが、こういうことを為せる力は無い」

 ファヴェーラに対して仕向けた暗殺者は必要十二分な人材。量、質共に失敗する理由が無い。あるとすれば仲間の増援。しかも――

「ひとりは……化け物だ」

 男は急ぎ己が主への報告に戻る。

 急ぐ必要がある。この場に充満した雰囲気が組織に牙を剥けば、タダでは済まない。


     ○


「ば、ばけもの!?」

 どうしようもないほど殺戮の嵐が吹き荒れていた。アルカスの闇、その深淵であるスラムの最下層、暗殺ギルドの本拠地を蹂躙するは一人の怪物。対するは腕利きの暗殺者たち。いずれもかなりの経験と技量、力を持っている。感情を押し殺し、消し去り、完成した完璧な暗殺者たち。それが今――

「たしゅけッ!?」

 逃げ惑っている。たった一人の怪物の手によって。

「憤ッ!」

 その怪物は戦士であった。肉体は鋼のごとく磨き上げられており、巨躯。剣の一振りで肉も骨もまとめてへし折り千切る。もはや戦士にとって切れ味など関係ない。ただの棒でも相手を断ち千切ることが出来る。いわんや刃引きしてあったとしても、戦士の本気は相手に致命を与えてしまう。

「ぬん!」

 人間が真っ二つに割れる。横ならばまだ理解できる。しかし縦ともなれば話は別。超常の力が働いたとしか思えない。骨と骨の間を狙うのが剣技のセオリー。それを一切無視してあえて骨を縦に斬るは人外の技。それを為すのがこの男。

 一振りで多勢を肉塊に変える。

 二振りでさらに多くが臓物を撒き散らす。

 三振りもすれば理解できる。この怪物に、誰も勝つことなど出来ないのだと。

「ったく、俺の出番がまったくねーじゃねーか」

 ウィリアムもまた暗殺者相手に余裕の立ち回りを見せているが、目の前の男は別格。

(単純な強さだけならバルディアスやストラクレスでさえどーしよーもねえだろ。なるほどね、これが闘技場でのお前。俺の知らない、頂点を極めた剣闘士カイルか)

 ウィリアムの想定を容易く塗り替えるほど、今のカイルは強かった。戦士のオーラが辺り一帯に重くのしかかる。肌がひりつくだけではない。その殺気に当てられて、ひざを屈するもの、糞尿を垂れ流すもの、泣いて許しをこうもの、暗殺者が折角捨て去った感情を無理やり呼び起こして――

「覇ァ!」

 一切合財まとめて薙ぎ払う。友であるウィリアムですら震えてしまうほどの力。それが生み出した光景は地獄以外の何物でもない。そして暗殺者たちにとっての不運は、カイルが剣闘士であったこと、見世物の仕事人であったことにも起因する。見世物は派手でなければならない。観客もまたそれを求めている。

 より派手に、より凄惨に、よりおぞましく。

 地獄を演出する術をカイルは心得ている。観客にどうしたら楽しんでもらえるか、喜ばせることが出来るか、興奮させることが出来るか、それらを充足させてこそ剣闘士。それらを期待以上に魅せてこその極み。

「退け」

 泣いて生を懇願する暗殺者の首を片手で捻り千切る。戦士に慈悲は無い。彼ら最大の不運は、戦士の逆鱗に触れたこと。戦士のもっとも大切な宝に手を出したこと。それに尽きる。


「なるほど。『風猫』の仲間はかの『闘獣士』、カイルか」


 戦士の前に立つは暗殺者でも少し別の雰囲気を持つ男。血溜まりに君臨するカイルはひと睨みする。先ほどまでの相手ならそれだけで戦意を喪失していたが、男は平然とそれを受け流す。

「あまりにも強すぎたがゆえ、チャンピオンからは逃げられ、対戦相手もおらず、次席剣闘士でありながら本来は前座である猛獣との戦いを強いられていた正真正銘の怪物。この光景も納得がいくというもの。しかしこれ以上はやめておけ」

 男の殺気は鋭い。

「その程度で俺に勝てるとでも?」

 戦士の殺気は強大。比較すれば一目瞭然。圧倒的にカイルのほうが強い。

「何でもありならば……やれないことはない」

 男の手に握られているのはこすっただけで致死に至らしめる毒を塗ったナイフ。さらに服に仕込んだ武器。何も正面から堂々と戦うわけではない。暗殺者としての戦いを粛々と行う。それを可能とする腕がある。加えて――

「…………」

 男の背後には男に近い力量の暗殺者が並ぶ。暗殺ギルドが誇るとびっきり。一人動かすのに家一つ建つほどの金銭に見合った力量。それが幾人も並ぶ。

「勝てる気、ね。この『俺』も……ナメられたもんなだナァ!」

 息巻く頂点。たとえこれほどの腕揃い相手でも勝つのが頂点。最強である者の責務。たとえ多勢であっても最強は派手に蹂躙するのみ。戦士の本領、とくと見よ。

「下がれカイル。お前の出番は此処までだ」

 動き出そうとしたカイルをウィリアムが止める。さすがに不満さをあらわにするカイルだが、頭で考えるのはウィリアムの役目。そしてこの状況は、当初の予定通りである。

「ギルドでも上位のものとお見受けするがいかがか?」

 ウィリアムの問いに男は不審げな顔をする。カイルばかり目立っていたが、ウィリアムもまた相当数の暗殺者を仕留めていたのだ。男にとって警戒に値する実力ではないが、思慮深い戦い方には一定の警戒が必要だと判断した。

「何用だ?」

 あくまで警戒して戦闘姿勢を崩さない男。その背後の者たちも動く気配は無い。

「交渉がしたい。出来るだけ上の方、ギルドのトップと会えれば望ましいのですが」

 その瞬間、男やその周囲、遠巻きに見ていた暗殺者全員から一斉に殺意を向けられる。ウィリアム一人に集中する殺意の奔流。それを受けてなおウィリアムは揺らがない。

「こちらにはカイルと私がいる。ファヴェーラだって弱くは無い。これ以上やりあって死体の山を築くのは建設的じゃないでしょう? もちろん話し合いの場はそちらのフィールドで結構。ご破算となれば仕留めるにも最適です」

 ウィリアムの交渉材料の一つはこの戦力にある。カイルやウィリアムという厄介な敵が相手にいると理解させるための殺戮劇。これをもってどうにか交渉のテーブルに着くのが第一段階。そこに至らねば意味が無い。

「この場で殺せばいいことだ」

 男は退く気なし。男の背後も、周囲の暗殺者たちも、これにはウィリアムも苦笑いするしかない。どこかで触れてしまったのだろう、彼らにとっての逆鱗を――

(もう少し、やれるか?)

(やれと言われればやるさ。ただ、奴らは難儀だ)

 状況はあまり良くない方に転がった。目の前の男とその取り巻きは明らかに今までの敵と異なる。もちろんカイルとて一人二人なら同じように蹂躙できるが、集団戦で一個体のように動かれると厄介。そして相手はその程度やすやすとこなしてくるだろう。

「死ぬときは一緒」

 こんな時だというのに妙に嬉しそうな(カイルとウィリアムにしかわからない程度)ファヴェーラを見て、二人は笑う。折角、三人で死ねる機会だ。

「存分にやろうか」

「応よ!」

 強大な戦士と躯の軍勢が雄たけびを上げた。高まる闘志。弾ける殺意。

 おそらくウィリアムたちは此処で死ぬ。しかし、折角死ぬのだ。道連れは多いにこしたことは無い。多くの屍を積み上げて、奴らに後悔させてやらねばならない。ウィリアムたちと交渉しておけばよかったと、あまりに割が合わなかったと。

 覚悟完了。いざ尋常に――


『双方其処までじゃ。何を熱くなっておるか『白龍(バイロン)』。わしが命じたのは見極めじゃろうが。これ以上手塩にかけた暗殺者を失い、わしに損をさせる気か?』


 何処から発されているのか理解不能な言葉。まるで地の底から言葉が溢れ出して来るかのようであった。臨戦態勢だったカイル、ウィリアム、白龍と呼ばれた男の戦意は完全にたち消える。

「し、しかし夜の王である貴女様と会わせろなどあまりに無礼。これを我らが許すわけには」

『くだらぬ。礼も無礼もあろうかよ。この場は夜の国。昼の国の礼節を当てはめてどうするのじゃ』

 押し黙る白龍。先ほどまでの威厳は消え去り、肩を縮めて震えている。

『客人。昼の国に聳える絢爛豪華な王宮とはいかんが、暗き夜の深淵たる我が元へ招待しようぞ。白龍、案内するのじゃ。他の者は総ての隠滅を。全ては我が国の安寧のために』

 散開する暗殺者たち。残されたのはウィリアムたちと白龍のみ。白龍は不本意さを全面に押し出しながら、ついて来いと首をくいと動かした。

「どうする? 俺は……此処まで来て国外逃亡の方が良いと考える」

 カイルは弱気になっていた。剣闘士としての実力は折り紙つき。強さで負ける気は無い。しかし、今の声はあまりに異質。カイルの理解を超えていた。

「安心しろ。俺だってそうさ。だけどたぶん――」

「あのお方の招待を断って、生き延びたものはいない。この国の王であったものでさえ、だ。無駄なことは考えるな」

 白龍の忠告。それはウィリアムたちから退路を奪い去った。

「行くしか、ないってことだ」

 ウィリアムの頬に冷たい汗が流れた。

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