110 退魔腕4-2
2
朝刊です、とリサがテーブルの上に新聞を置いた。
「……なんだ?」
「昨晩の記事がのっております」
ヨシカゲはベッドから出ると朝刊を読み出す。たしかに地方紙の朝刊、その一面に昨晩あったというフラン美術館の襲撃事件がのっていた。
「ふむ……剣が奪われた、か」
「復活した『王』の仕業でしょうか」
「十中八九そうだろうな」
リサがミニ冷蔵庫からオレンジジュースを取り出してくれる。
クスリ臭い味の濃いオレンジジュースだ。安物だからこそヨシカゲのお気に入りだ。
「何人か警察の方が亡くなったらしいですよ」
「そうか」
「町長さんの話ではこの前こられた才賀さんも殉職されたようです」
「才賀……誰だったか?」
リサはヨシカゲのことを呆れ顔で見る。だがしょうがないと納得しているのだろう。それ以上はなにも言わなかった。
「そういえばビビはどうした? あいつも昨晩美術館に向かったんだろ?」
「それが追い返されたらしいです」
「そうか、なら生きているんだな」
「夜明けに屋敷に帰ってこられましたよ。どこかでお酒をきこりめしたようで、ずいぶんと酔っておられました」
「嫌なことでもあったのだろう」
それにしてもこのエセメイドはいつ寝ているのだろうか、ヨシカゲには分からない。
さて、とヨシカゲは起き上がる。
今日は町役場に行って町長と会う予定だったのだ。まだ時間はあるが――。
「朝ごはんは?」
「もう用意してありますよ。パンですのでお持ちしましょうか」
まるで気を使うようにリサが言う。
「頼んだ」
ヨシカゲは軽く着替える。
今日は少し暖かいようだった。コートは羽織らずともカーディガンで十分だろう。
リサが戻ってきた。
「どうぞ、ご主人様」
「ああ」
運ばれたのはクロワッサンとカフェオレ。そしてデザートにはオレンジ。なんだかフランス的な朝食だった。リサはときどきこういう事をする。何か祝のことがあればフランス料理だって作ってみせる、と豪語していたくらいだ。
「ご主人様、本日は町長さんの場所に行くという話ですが。覚えておられますか?」
「……ああ」
クロワッサンをかじりながらヨシカゲは答える。
時間はまだまだあるのだが。
「あの、ご主人様。もしよろしければ行く前に少しドライブに出ませんか?」
「ドライブ?」
そんな事をリサが誘ってきたのは初めてだった。
それどころか、
「クルマは最近調子が悪いんじゃないのか?」
「いえ、それが昨日からなんだかちゃんと動くんです。すいません、ちゃんとは動きません。ちょっとエンジンがダフつくんですけど一応は動くんです。来週には修理に出すので、今のうちに乗ってあげたくて」
「エンジン、治すのか?」
「……分かりません。オーバーホールで済むのか、それともそう取っ替えするのか。何分古いクルマですし何年も動かしていませんでしたから」
「そうか」
とりあえず最後にドライブに行きたいのだ、とリサは言う。
俺もか? と、ヨシカゲは首をかしげた。
「一緒にどうですか」
「ふむ……良いだろう」
腑卵町には珍しい、明るい光りの差し込む日だった。こんな日は滅多にない。ヨシカゲでなくても気分は浮かれるだろう。
もっともヨシカゲが気分を浮かれさせても周りからは分からないが。
「お風呂はどうされますか?」
「シャワーだけ浴びようかな」
クロワッサンだったのですぐに食べ終わった。
そして熱いカフェオレを飲み、オレンジを食べる。先程オレンジジュースを飲んだばかりだったのだが、リサも気が利かない時はあるという事だ。
シャワーを浴びるためにバスルームへと行く。この屋敷に風呂は二つある。それこそ旅館などにあるような大きな風呂場と、簡単に済ませられるユニットバス。大風呂の方はお湯をはるのも事だし、あまり使われることはない。
風呂場で服を脱ぐ。
傷一つない奇麗な体だ……。
刀をすぐに手に取れる場所に置きシャワーを。
今日は朝からビビのキンキン超えを聞かずに住んでいるので少し気分が良いような、そんな気がする。
しかし古代の王のことを考えると陰鬱になっている自分がいて、ヨシカゲは少々驚いた。
自分はあれに勝てるだろうか?
今まで幾度となく修羅場を切り抜けてきた。そのたびに死ぬような思いをして、実際には自らの特異性のおかげで生きながらえてきた。
だが問題は死なずとも勝てるか、という事にある。
しかしそのような事は悩んでも仕方がない。なるようになる、というものだ。
風呂からあがるといつの間にか着ていた服がなくなっていて、変わりの服が用意されていた。真っ白い奇麗なバスタオルで体を拭きながら、リサがやっていったのだろうと思った。下着の変えもある。こういうのは自分でやってもいいのにな、とヨシカゲは思ったが、そこに喜怒哀楽、その他の感情は浮かばない。
「ご主人様」
リサがバスルームの外から話しかけてくる。
「ああ、終わったぞ」
「いえ、そうではなくて。その……お客様です」
「客だと?」
「はい、いちおう客間にお通ししましたが、ないか依頼かと思われます」
「この忙しい時に。相手は誰だ?」
「ヤクザ屋さんです」
――ヤクザ?
ヨシカゲは考える。ヤクザに知り合いは、まあ居ないこともないがこんな場所までお仕掛けて来る手合はいないはずだ。
一体どこの無礼者だろうかとヨシカゲは思う。
リサと一緒に客間まで向かう。客間の前には屈強そうなスキンヘッドの男が二人、待ち構えていた。黒服で、かなり透過率の低いサングラスをかけている。
二人の男はヨシカゲが来たことに対して頭を下げる。
ヨシカゲはそれを無視して客間へと入った。
ソファにふんぞり返るように座る男が一人、その傍らにはまた黒服が二人。
「あなたが『退魔師』かな?」
男が座っているのはいつもヨシカゲが座る上座だった。
「そうだ」
ヨシカゲは簡潔に答えて下座へと座る。傍らにはリサ。あちら側の黒服二人に対してはかなり可愛らしい従者だが、それでもその表情はまったく気後れしている様子はない。
「木戸組の木戸だ。倅が世話になったようで」
「……木戸の父親か」
そういえば委員長が木戸はヤクザの息子だと言っていた。つまりその親父がわざわざ出てきたということか。
「倅が死んだ、殺されたわけだが」
ヨシカゲは頷く。
葬式には行かなかった。リサが変わりに出席したらしいが。
「その殺した相手を、始末してほしい」
ヨシカゲは鼻で笑う。
それで、ヤクザたちは気色ばんだ。
「てめえ!」と、後ろにいた黒服がヨシカゲに掴みかかろうとする。
だが、すぐ様その足を止めた。まるで歩き方を忘れてしまったかのように。本人も呆然としている。まるで昔のった自転車に久しぶりに乗ろうとして転けたような。
できるはずの事ができない、というような。
「リサ」
ヨシカゲはたしなめるように言う。
「はい、申し訳ありません」
そして、すぐにヤクザはまた歩けるようになった。
だが自分の眼の前にいる二人がどこか不気味な人間ではない存在に思えたのだろう。また向かってくるような事はしなかった。
「俺は、あんた達の思うような始末屋じゃない。勘違いするな」
「金か?」
と、木戸の父親は言う。
何を言っているのだこいつは、とヨシカゲは首を横に振った。
「金を積んで退魔師を呼びたいならば御嶽か霊光に頼め。人を殺したいならば孤狗に頼め。俺は麻倉ヨシカゲ、退魔師だ。お前たちに頼まれて振るう刀はない」
「あまり……舐めるなよ。大人がこうして頭を下げているんだ、素直に聞けばいい」
木戸の父親はどすを聞かせるように言い放つ。
しかしヨシカゲは嘲笑ってみせた。
「親子揃って同じだな。怖くない」
「てめえっ!」
横にいた二人の黒服が懐にのんだ小銃をヨシカゲに向ける。
だが、その瞬間に銃身は斬り裂かれている。
ヨシカゲが半立ちで退魔刀を抜いている――。
「ご主人様」
今度はリサがたしなめる番だった。
「脅かしすぎですよ」と。
「そうか」
組長である木戸の父親は懐に手を入れたまま止まっていた。銃を抜こうとして間に合わなかったのだろう。
ヨシカゲはまたソファに座り込む。どっしりと腰を下ろす。そして、半目で三人の男を見つめた。
「復讐がしたいならば自分の力でやれ。かたきならば自分でとれ。人様の力を使うな」
ヨシカゲは言い切ると、分かったらさっさと帰れとでも言うように手をふった。
ヤクザたちは怒り心頭だったが、しかしヨシカゲに逆らうのは得策ではないと思ったのだろう。おめおめと帰っていく。
リサは外まで見送らなかった。
「くだらんな」と、ヨシカゲはリサと二人きりになってから言う。
「では古代の王には関わらないおつもりですか?」
「誰がそう言った。……俺はやつを倒すさ。友達が殺されたんだ、敵はうつ」
「友達、ですか」
リサが優しく笑う。
ヨシカゲがそんな事を言うのは初めてだった。だからリサとしては嬉しかった。そりゃあ、あんなヤクザ者たちなんてお呼びじゃない。ヨシカゲが自分の意思でやろうとしているのだ。リサだって何の文句もない。
リサは窓際に行く。
ヤクザたちの乗るトヨタ・ヴェルファイアがその巨体を無理くり動かすように力強く出ていく。最近はヤクザもセダンじゃなくてミニバンに乗るというのは本当だったのか、とリサは思った。
「おい、リサ。ドライブに行くんじゃないのか?」
ヨシカゲが言ってくる。
「はい、ご主人様」
ヨシカゲは先に部屋を出ていく。その足取りはどこか怒気を孕んでいるようにも見えた。
退魔師 ~麻倉ヨシカゲはかく語りき~ KOKUYØ @kokuyo001
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